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カウさんの雑記帳

滋賀県の高月で十一面観音立像に会ってきました

4月2日、滋賀県長浜市高月に行ってきました。

きっかけは、奈良の平城京址に行った時、その近くにあった海龍王寺で会った十一面観音像なんです。
その美しさ、しなやかさ、艶やかさ・・・
滋賀のガイドブックを見ていたら、琵琶湖の北のほうの西湖岸には、いにしえから庶民が守ってきたたくさんの観音像があると知りました。
滋賀には、京都や奈良と並ぶくらいの国宝や文化財があることすら、最近まで知らずにいました。
行ってみて、感じてみて、十一面観音立像などの物語に触れることが出来たらいいなぁ と思ったのです。

大阪の中心部からは「高月」まで約二時間かかるけど、電車に座っていれば行けちゃうんだから、それだけでも便利。
レンタサイクルのある高月の観光案内所は9時に開くので、8時半に着くように向かいました。

ところが・・・「緊急停止します」というアナウンスがあって、急行は止まらないはずの安土駅で電車はストップしてしまった。
とても落ち着いたアナウンスだったので、わけもなく「たいしたことないんだろな」とか「異音がしたから念のために止まったくらいだろう」くらいに思っていたら
続いて「人と接触」と告げられた。
これは、穏やかとは言えないです。
窓の外を駅員が走ってる。サイレンが聞こえる。救急車が来る。何人もの救急隊員が動いている。カーテンをおろすことを指示される。
僕の乗っていた最後尾の車両の外があわただしい。
前の車両に移動させられる。
どういう事態なのかは想像するのは難しくなかったです。
スマホでチェックしたら、ニュースになっていた。
車内のアナウンスは親切で、こういう事態にもマニュアルがあり訓練もされているんだと感じました。
かといって、今後の運行の見通しについては告げられるものの、「接触した人」の様子や細かい情報などは提供されるはずはなく、ほかの乗客もスマホから情報を手にしていたと思う。

しかし・・・「また人身事故だってよー」と、ヘラヘラ笑いながら電話してるおっさん。
二日前にも、同じ安土駅で女子高生の人身事故があったらしい。
平然として読書を続ける人。みんな行儀は良かったけれど、人が一人死んだところで、世の中はこんなものなのだな・・・と、当然といえば当然のことなどをボーッと考えていました。

再出発するまで二時間半かかりました。

予定は狂うけど、しかたない。
「迷惑」とか言う人もいたけど、そんな強いことは僕にはとても言えない。
心まで病んでしまうことなんて他人事ではないし、誰にでも起こることです。
苦しくなったりもしたけど、ずっと考え事もしていたので、二時間半はあっという間でした。

ただただ、可哀相でした。

高月駅でレンタサイクルをこぎ始めたころには、11時を過ぎてました。
最初に向源寺を訪ねて、国宝の十一面観音像に会いました。
拝観受付の女性も、本堂に隣接する保管庫のガイドの男性も、穏やかな人でした。
滋賀には何度か来たけど、滋賀の人ってこんな雰囲気なのかな ってなんとなく感じました。
大阪・京都・奈良・滋賀・・・北海道にいるときは、大雑把なくくりでみんな「関西」だったけれど、顔つきや雰囲気にそれぞれの違いを感じます。

高月は、街がキレイ。
街の人が協力して、掃除などしてキレイに保っていると思う。
そこには神経質な感じはなく、仲良く掃除をして花を飾っているような姿が想像できる。
「協力」という仲の良さをして、人情のある清潔感に繋がっているんじゃないかと、一見して感じる。
そして、自分が、それを一瞬で感じ取れるセンスを持っていてよかったという、心地よい自画自賛な気分になる。
芭蕉の「行く春を近江の人と惜しみける」という句を、どこかで見た。
戦国時代は、最も厳しい地域だったけれど、水の流れや山々の稜線の優しさが、この地域の人々の優しさに繋がっているような気もしました。
人の温もりを感じるのです。

滋賀には多くの仏像が残っているけど、戦国時代に何度も戦災あっている。
庶民たちが、権力者たちの焼き討ちから地元の仏さまを必死に守ってきた歴史があります。
合戦が終わるまで、お堂から出して、川に沈めたり、土に埋めたりして命がけで守ったのです。
そのせいで、体の一部が欠けている仏像もある。
織田信長と敵対することになった浅井長政の領地だったのだから、厳しい土地だったのです。
比叡山が焼き討ちされたのも、浅井をかくまったことが信長の怒りを買ったからです。

仏像がある。
それを彫った人がいる。
そして守った人がいる。
人々の想いも仏像はまとっている。

向源寺の【国宝】十一面観音立像・・・ただただ美しい。
経年で金色が落ち、漆塗りの肌が大部分になってしまっても、それも含めても美しい。
全身が金色だった、本来の姿を想像しても、それもやっぱり美しい。
宗教には、武力として敵視される存在でもあったから、武将たちを短絡的に批判することも出来ない。

アカデミックな知識はない僕に対しても、ガイドの男性はとても丁寧で優しかったです。
短くない時間、ふたりだけだったけれど、ガイドを聴いているときも会話をしているときも、ただ無言のときも居心地は良く、十一面観音立像の美しい姿を目に焼き付けました。
ありがとうございました。

お寺や神社では、いつも三つのことをお願いするんだけど、この日は、この朝に絶たれた魂のことも祈りました。

長浜市には、海洋堂というフィギュアの博物館もある。
以前行ったときにはまだ仏像には興味がなかったけど、そこには数々の仏像のフィギュアもあったのを思い出しました。
3Dプリントの技術も高くなった。
向源寺や海龍王寺の十一面観音立像のフィギュアがあったなら手に入れてみたいなと思う。心の安らぎになると思う。

雨森芳州のことも、高月に来て初めて知りました。
仏像とは関係なかったけれど「東アジア交流ハウス・雨森芳州庵」という施設をふらりと訪ねると、男性がひとり迎えてくれて
「時間ありますか?」と訊かれました。
事故はあったけれど、ここは「たっぷりあります」と答えるのが今の僕です。
「お昼ご飯を食べてきます。少し待っていてください」と奥へ消えました。もう、午後二時なのに(笑)
司馬遼太郎がここを訪れたときの新聞記事なども観ながら待ちました。
司馬遼太郎がここに来たというだけで、高揚感を抑えられない。

お昼を食べ終えた男性は、展示物を有効に使いながら、雨森芳州の物語をとても解りやすく教えていただきました。
名前さえ知らずに来たのだから、お話の全てが新鮮で驚くことばかり。
雨森芳州をほとんど知らずに来る人は多いはずで、そういう人たちにも飲み込みやすいように、解説の手順も工夫しています。
実はここに二時間以上居ました。
男性は僕より少し年上のようだったけれど、ほぼ同世代なので、いろんな話題に話が弾みました。
おかげで、レンタサイクルの返却時間が迫ってきてしまい、このあとはバタバタしちゃいました。
でも、それでいい。

観光案内所でもらったマップには、見逃してしまいそうなお堂などがいっぱいあって、そこにも観音像があったりする。
そういうところは事前に許可を必要とするけど、今回はスタートから予定が立たない事態になったので、最初から諦めていました。
今回まわれなかったところには、また来たらいいんだから。

石道寺には、井上靖が思わず「きれいな観音さまですね」と呟いたという一木造りの十一面観音立像がある。
4時をまわっていたので、時間切れで観音像には会えませんでした。でも、少しもがっかりはしていません。また来ますから、必ず。
井上靖の文によると、向源寺の国宝に比べると、村娘のような野の匂いのする美しさがあるという。

次に高月に来るときも、事故のことは必ず思い出すと思う。
思い出すことが、小さな供養になればとも思う。
次は、小谷城など、浅井家や姉川の戦いにまつわるところも訪ねてみたいです。

そうそう、仏像というと、高校の修学旅行の時に先生と観た、広隆寺の弥勒菩薩も訪ねたいと思っています。
「美味しいものはあとにとっておくタイプ」で、楽しみを後回しにしていたら、二年経っても行けてません。
困ったものです。

米原駅で北陸本線に乗り換えて、高月駅に到着

 

 

右の、一段低い屋根に観光案内所もあります

 

駅の駐車場

向源寺

 

 

 

 

 

参道の横の石碑には「御尊像埋伏之地」と刻まれている。

姉川の戦いのときに、街中が焼き焼き討ちにあう中、僧や門徒たちが命がけで協力してお像を土中に埋めて守った。

宗教には、武力として敵視される存在でもあったから、武将たちを短絡的に批判することも出来ない。

 

本堂の大提灯の裏から、参道を振り返る

本堂に隣接している保管庫

ここに十一面観音立像がいます

 

水路のそばに、独特の姿をしたケヤキが建っていて、しめ縄がかけられていた。

街の出入り口などにある大木を「野神さん」として祀る伝統・風習が続いていて、8月には「野神祭」があるそうです。

その日、街の人たちは、どんなことをするんだろう。覗いてみたい。

 

 

廃寺になったところからの仏像など観ました。

 

歴史資料館のかなりの部分を占めていた、雨森芳州(あめのもりほうしゅう)関連の資料。

でも・・・だれ?って感じでした。

高月のマップには「東アジア交流ハウス・雨森芳州庵」という施設もあったので、寄ってみることにしました。

琵琶湖の東、伊吹の山々

道路と家の間には、水路が縦横に走っている

水が豊、水とともにある暮らしという印象を受けます

しかし、過去には、近くを流れる高時川の氾濫で、大きな洪水被害を何度も経験しているそうです。

 

発電してる。てっぺんにライトがある。

 

佐味神社という小さな祠に、杉の大木がそびえていました。

「佐味の三本杉」

 

高時川、河畔の竹林。

「東大寺お水取り、松明(たいまつ)奉納竹林」という看板が立っていました。

東大寺の二月堂の舞台を、火の粉をまき散らながら走るお馴染みの松明は、ここの竹で作られているんだね。

高時川

 

 

河畔の堤防にも雨森芳州

幼稚園?のそばにも雨森芳州

「本をたくさん読みましょう」「汗を流して働きましょう」「ものの命は大切にしましょう」「挨拶は心をこめていいましょう」「すすんで体を鍛えましょう」「ねばり強く頑張りましょう」「だれとでも仲良くしましょう」

こういう基本的過ぎる言葉の説得力は、基本的過ぎるだけに、素直に受け入れられるかどうかは、それを発する人の人格が大きく影響するよね。

手書きなのが、素敵です。

天川命(あまがわのみこと)神社には、イチョウの大木があった。

秋にはキレイだろうなー。

 

水車だ!

 

 

 

 

水車の向かいに「東アジア交流ハウス・雨森芳州庵」がありました

ひっそりし過ぎていて、ちょっと恐る恐るな気分で扉を開けました。

ほんものの頭巾?だ

雨森芳州像

ガイドさんとの話が弾んで、ここに二時間以上居ました。

対馬藩の仕えたときの、「倭館」の模型

朝鮮との外交・貿易の中心施設。

長崎の出島より遥かに規模が大きく、鎖国時代も開かれていたのに、教科書には「出島」しか載っていない

雨森観音寺

 

 

 

 

本堂の柱に、なんだか無造作にくくりつけられてあった枯れ木にも、深い謂われがありました。

 

本堂から参道を振り返る

偶然通りかかったこの観音寺に「雨森元祖墓所」があった。はっきりした墓標はなかったけど、看板に書かれていた雨森一族の元祖の由来や、姉川の戦いからの小谷城落城に至る雨森家がほぼ討ち死にした歴史には思わず何度も読みました。

その時、戦死した人の墓石も含まれていると思います。

 

雨森観音寺をあとにして高時川に向かっています

芳州先生が見てなさる

富永橋

高時川を渡ると、長浜市高月町から長浜市木之本町になる。

 

 

石道寺(しゃくどうじ)に向かっています。

レンタサイクルの返却時間も迫る中、だらだら坂が続いて、アシスト付きでもちょっとシンドイ

石道寺。

ここにも、井上靖が思わず「きれいな観音さまですね」と呟いたという一木造りの十一面観音立像がある。

4時をまわっていたので観音像には会えませんでした。少しもがっかりはしていません。また来ますから、必ず。

駐車場に自転車をとめて、瀬名川にかかる橋を渡ります

 

 

 

 

 

 

瀬名川沿いを戻って鶏足寺に向かってます。

鶏足寺の入口

鳥居は、鶏足寺と同じ境内にある與志漏神社のもの

鶏足寺の他にも、いくつかのお堂や社があったけど、とにかくレンタサイクルの返却時間が迫っていて、解説の看板はとりあえず撮るだけで読む暇もなく、駆け足になっちゃいました。

 

與志漏神社

与四郎という名の友人を思い出した

己高閣(ここうかく)世代閣(よしろかく)

境内に縦並びで建っている博物館も、開館時間をすっかり過ぎていました

己高閣では、鶏足寺の十一面観音立像など

世代閣では戸岩寺の薬師如来像などが観ることができます

 

 

 

かわいい水車だ

急いで戻っているけど、あれこれと目に入って来て、つい自転車を止めてしまう

 

この水路からは、モーター音が聞こえてきた。

覗き込むと、現代式?の水車が回っていて、発電しているようでした

 

高月駅

左が向源寺の十一面観音立像

予定は大幅に変わったけど、また来ます

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