名もなき旅の記録

名もなき日本人の名もなき旅の記録。ささやかでありがち、だけどかけがえのない日々の記録、になる予定。

チダムバラムで酒に酔ってえらい目にあう

2006-06-28 17:52:14 | インド
現在地ウダイプル。プリーを出て1ヶ月強、気合いでぐるぐる廻ってきたが、ここに至って体が休息を要求。特に素晴らしい見所があるというわけでもないウダイプル、最近のペースでいけば1泊で出てもおかしくないところで、既に4日目。

ここしばらくネットも出来てなかったので、休憩がてら溜まったメールの返信とブログの更新に費やそうと思いつつも、今度は頭が動かない。昨日も3時間かけて送ったメールが3通。食べるものはしっかり食べているのだけど、どうもいまいち。暑さにやられつつあるのか? だとしたらむしろさっさと脱出すべきなのかもしれない。




さて、徐々に記憶が薄れつつある南インド。とっとと書かにゃあ。


ポンディの次の目的地はマドゥライを当初想定していた。
しかし、タミルナードゥのバスの運行状況からして、おそらく8-10時間はかかるとみたほうがいいだろう。
朝出たとして夕方に到着、それから宿探し、、と考えると億劫になってきたので、その中間に位置するタンジャブールにまで進むことにした。
つい数日前まで名前も知らない町だったが、よくよくガイドブックを読んでみると、こんなところにも世界遺産の寺院があるらしい。
これまでインドで出会った旅行者の誰一人訪れていないタンジャブール。ちょっくら覗いてみるのも悪くはなかろう。

翌朝、例の牢獄部屋をチェックアウトし、大通りの向かいのバススタンドへ。
適当に職員らしきインド人を何人か捕まえてタンジャブール行きのバスはどれか訪ねる(もう本当に田舎のバススタンドゆえ、行き先表示の英語表記はおろかヒンドゥ語ですら書かれていない)。

インド映画で典型的な悪役で出てきそうな顔をした職員のおっさんが「タンジャブールへダイレクトに行くバスはすぐにはないよ」「チダムバラムへ行って乗り換えたほうがいい」と教えてくれた。
じゃあそのチダムバラム行きはどこ?と連呼していたら、唐突に後ろから肩を叩かれた。

「ヘイ、フレンド!」
まるでインド人の客引きみたいに声を掛けてきたのは、コルカタで数日間ベッドが隣り同士だったコリアンのヨンだった(身長2m近い大柄な体躯、いかつい外見。なのに誰もドミに人がいない時にこっそり“隣りのトトロ”を口ずさんでいたのが印象的)。

彼も行き先はチダムバラムということで、一緒にバスに乗り込む。チダムバラムまではローカルバスで約2時間、21ルピー。




12時3分、チダムバラム着。
せっかく再会したのだからと、ヨンをご飯に誘ってみたら、「いや、近くに安宿があるから先に荷物降ろさないか?」との返答。どうもおれもこの町に滞在することになっているらしい。早く先へ進みたい気持ちもさることながら、この偶然の再会がこのあとどう繋がっていくのか見てみたいような気もして、そのまま一緒に宿探しに向かう。

一軒目。空き部屋は二人部屋150ルピーのみ(どこのインドの町でもそうだけど、部屋を空けておくのはもったいないから、たいていその宿の家族や親戚が住んでいる。そして客が来ても部屋を用意できないという頭の悪い矛盾が発生する)。
部屋は前日の牢獄に比べたらいいんじゃないか、と内心思ったが、ヨンは気に入らなかった模様。「このファックなホテルになにが起きたんだ!」と汚い言葉で宿の親父につっかかっていく。怖いってば。

二軒目。シングルで60ルピー。どこが入り口がよくわからない路地の奥に、ちょっとしたマンションのような感じのいい外観の宿。部屋は相変わらずコンクリートの打ちっぱなしにパイプベッドを放り込んだだけの簡素すぎるつくりだけど、60ルピーだし文句はない。ヨンも笑顔で了承。




荷を降ろし、昼飯を食べに出る。ヨンは「この近くにレストランがあるはずなんだけど、、」とロンプラの地図に見入っているが、まだるっこしかったので、無視して手近な食堂に入り、チキンビリヤニを注文する。
適度に空腹でもあったので、出てきたビリヤニを無言で手で掴んで貪り食う。ヨンは案外キレイ好きなのか、店員にスプーンを持ってこさせていた。

食後、この町の唯一の見所でもある寺院へ。宿から歩いて10分もかからない(なお宿からバススタンドまでも徒歩約10分)。寺院は町の中心に正方形のだだっ広い敷地を有している。より正しくは町の中心に寺院があるというより、寺院の周りに町がへばりついてるといった方が近い。

寺院は昼休みということで午後4時まで閉門中。そこで4時にヨンとの待ち合わせを決め、別行動することに。




寺院の門前市(といっても10数軒ほどの土産屋があるだけなんだけど)で、ラジニカーントのポスターを発見。思わず買い漁ってしまう。1枚5ルピー。安い。日本ではきっと手に入らない代物。帰国したらラジニ好きの友人にたっぷり自慢することにしよう。ついでにラジニのステッカーも入手。これは1枚2ルピー。

それにしても小さな田舎町だ。旅行会社も両替屋もネット屋も一切存在しない町。ただあるがままの庶民の生活。へんにツーリストからの収入を当てにしている町よりも、断然好感が持てる。そしてこの手の町や村に入り込むといつも感じる違和感。自分がstrangerであることを嫌でも痛感させられる瞬間。この町に自分の居場所が全く存在しない空虚さ。日常と非日常の境界線に嵌まり込んでしまったかのような危うさ。

町外れのシヴァ寺院の前にある公園で、近所の子供たちが大勢集まって何かを見物している。
フェンス越しに覗いてみたら、寺院の儀礼用らしき象が公園でエサを与えられているところだった(ちなみにエサは椰子の葉)。
そんな風に外から覗いているおれに一人の子供が気づいた。「ハロー!!」と彼は元気に走りよってくる。
彼の言葉をきっかけに公園の子供たちのべ20人以上がこちらを振り向き、そして一斉に駆け寄ってきた。「ハロー!」「ハロー!」。おれは象より見ものなのか。
握手攻め。ある子供が名前を尋ねてくる。それに答えると隣りの子供も同じ質問を繰り返す。それに答えるとまた違う子供が。こちらも半ばやけくそで笑顔で答え続けてみる。これで彼らが日本好きになるならお安い御用だ。もっとも日本人と中国人の区別もついてないようだったけど。

ある男の子が象を指差して言う。「フォト?」。食事中の豪快な象の写真、ええやんええやん。でも咄嗟に口をついて出たのは、「お前ら撮ったろか?」。
滅多にカメラに接することのない田舎の子供たち。歓喜の雄叫びをあげながら、カメラの前に殺到してくる。我も我もと前に出ようとして揉みくちゃになって転んでしまう男の子。そしてそんな彼を見てみんなでまた大笑い。写真に納まった彼らの笑顔は、まさに“輝く”という形容詞以外に表現しようがない。




午後4時。ヨンとともに寺院へ。初めて目の当たりにする南インドのゴプラム(寺院の入り口に建つ極彩色の門。高さ数十mの門にびっしりとヒンドゥの神々の姿が彫られている)。その壮麗さ、華美さに口をあんぐり開けてることにも気づかずに見入ってしまう。
寺院自体に装飾性や芸術性は感じられなかったが、ヒンドゥ教の独特のおどろおどろした怪しい雰囲気を堪能する。日本の新興宗教とかでこんな寺院があったらマスコミに取り上げられてとっとと潰されてしまうんだろうなあ。

もっともヨン曰く「ここの寺院はインド芸術史上かなり重要らしいんだけど、おれにはわからんなあ」。
なんでも彼は5年くらい前からこの寺院を訪れることを憧れていただけに、期待が大きく外れたようだ。

夕食はバススタンド近くの食堂でミールスを食べる(というか田舎の町では、夜はどこの食堂もミールスしか置いてなかったようにも思う)。
バナナの葉を皿に、たっぷり盛られたご飯とカレー。ヨン「南インドのスタイルは初めてだ」。
そして二人でご飯とカレーを手でぐちゃぐちゃに混ぜて口へ運ぶ。「慣れると手で食べるのも悪くないで」「そうだね」。
しかし彼は翌日の昼食時、店員にスプーンを持ってこさせていた。手で食べるスタイルはお気に召さなかったらしい。




宿に戻りシャワーを浴びていると(といっても水道の水をバケツに溜めて手桶でかぶってるだけなんだけど)、外から何やら大きな音量で音楽が流れてきた。
パレード?と思い外へ出てみたら、大きな山車が通りの向こうからやってきた。どうも移動式のプージャらしい。
町の人が近寄ってはバクシーシを払い、祝福を示す赤い粉を額に塗ってもらっている。
ふと気づくと、隣りに立ってるおじさんがサンダルを脱いで山車が通り過ぎるのを待っている(どうもサンダルはインド人にとって不浄な存在らしい)。信仰の形にもいろいろあるものなんだなと思わさせられる。




夜、ヨンに誘われて彼の部屋で一緒に飲むことになった。
何でも前日いたポンディは旧仏領だった影響なのか、酒税が免税されているらしい。道理でビールが安かったわけだ。そして確かに酒屋の数がインドにしては非常に多かった。

そしてヨンが前日買い込んできたというウィスキーを二人でガバガバとあおる。それにしてもなぜコリアンは“ちびちびたしなむ”という飲み方ができないのか。釣られて彼と同じペースでどんどん胃に流し込んでしまう。この時、彼とどんな会話をしたのかほとんど記憶にないけれど、すごく楽しかったことだけははっきり憶えている。

そしてウィスキーが2本空になったところでお開きに。部屋に戻りベッドに倒れこんでそのまま就寝。明日ちゃんと起きられるやろか、と頭の隅で危惧しつつ。。




、、、そして朝どころか真夜中に飛び起きるはめになる。そのままベッドの下に激しく嘔吐、吐いても吐いても治まる気配はまったくない。胃袋出ちゃうんじゃないかと思うくらい吐いた。そしてそのまま眠ってしまったのか、気づくとまた吐いている自分がいる。自分が上向いてるのか下向いてるのかもわからない。今回旅に出るにあたって様々な薬は用意してきたが、まさか胃腸薬が必要になるとは。




翌朝、何事もなかったかのように8時半に起床。何事もなかったかのようにパッキングを済ませ、何事もなかったかのように床掃除。そして何事もなかったかのようにヨンとともにチェックアウト。何事もなかったかのように胃はむかついている。

バススタンドへ行き、またもタンジャブール行きの直通バスはないと言われる。なのでヨンとともにクンバコナム行きのバスに乗ることにする。クンバコナムにも有名?な寺院があるらしい。

2時間と40分の後、クンバコナムのバススタンドに到着。ヨンと近くの食堂でミールスを食べる。彼はおれに、ここに滞在して一緒に観光しようと誘ってくれるが、心はちっとも動かない。マドゥライはおろかタンジャブールにすらたどり着けないなんて。それにヨンとは似たような行程をたどるから、きっとまた会えるだろう。

そしてバススタンドで彼と別れ、一人タンジャブール行きのバスに飛び乗った。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿