6月3日、銀時が虹の橋を渡った。
余命宣告されて1カ月、徐々に食べられなくなり、飲めなくなり、動けなくなり、、、。
私達は辛かったけど、銀は辛そうな様子を見せずにじっと静かに過ごしていた。
思えば、余命宣告後からずっと泣いていた。
小さな変化に落胆して涙、元通りにはなれない状況を見て涙、それでも可愛くて涙、
ちょっとした場面を思い出しては涙、いつもの場所に居なくて涙、
変わっていく顔や姿、手に足に涙。
それでも甘えてくる姿に涙。
銀いい子過ぎるだろでまた涙。。。
食べるのが大好きな銀は、普段とても大人しいが、漱石のご飯を奪う程の大食いだった。
よく食べてよく寝てのんびり過ごす銀、人には優しく心が広いネコ。
来客には愛想が良かった。
おっとりしてて、漱石にかまれても抵抗もせず嚙まれる子。
そんなちょっとぼんやりした銀は、周りに影響を受けることなくドンとしている子。
もふもふの体に顔を埋めて何度癒されなぐさめられたことか、、、。
銀時と漱石がやってきた時、中学生だった子供らにとって2匹の猫がどれだけ癒しになっただろうか。
そこには2人それぞれの想い出があるだろう。
思春期の2人を支えてくれて本当に感謝だ。
具合が悪いと知ってから、東京の次男は2回やってきた。
3回目は間に合わなかったが、まだ柔らかく息をしているような銀に会って数時間後に帰っていった。
家庭を持つ長男は、時々やってきてくれたし最後は一緒に斎場に付き添ってくれた。
子供2人には本当に感謝している。
それぞれが「自分の銀」だと思っていると思う。
泣いてばかりの私達だったが、すこしでもできる事はないかいつも考えていた。
高齢者のエサはありとあらゆるものを買ってきた。
スープだけでも舐めてくれたら嬉しくてまたそれを買ってきた。
だけど2回目は無かった。
無理して食べなくていい、でもちょっとでも可能性があるならとあれこれ考えた。
高級マタタビも買ってみた。
でもダメだった。
爪とぎに付いてたマタタビに喜んだ子だったと思い出し、爪とぎに付いてくるマタタビを買いに行った。
これは両手を茶色にしながら喜んだ。やった!
でもその1回だけだった。
何気なく立ち寄るお店の棚に並ぶエサの数々、、、。
11歳、15歳、18歳、20歳以上用猫エサ、、、。
種類はとても多い。
これって飼い主の祈りなんだと気付いた。
お願い食べてっていう祈りの声が聞こえた。
私のベッドで足元に寝ていた銀。
私の寝相が悪くても、荒波を優雅に乗り越える船のように銀は動かなかった。
それなのに、、、、ある日ストンとベッドを降りていった。
それが最後になり。ベッドに来ることは無くなった。
リビングに置いたハウスの中で過ごすようになり、その次はリビングの離れた場所に居るようになった。
身体が熱いのか寒がらない。
涼しい場所を探しているようにも見えた。
そして、階段を下りて階下の座敷で過ごすようになった。
徐々に距離が離れていった。
そこに居たいのならと見守った。
時々2階に連れてきてもやっぱり1階に戻ってしまった。
2階に来るときはキッチンの水盤にあげて欲しいとねだり、水道水を飲めるように手を添え飲んだ。
キッチンから飛び降りたら怪我をする足腰だったので抱っこして下ろした。
おねだりが無くなると、抱っこして飲むよう促した。
もう、そんなに飲めなくなっていた。
お風呂の時間はいつも通り脱衣場にやってきた。
手桶から飲むお湯が大好きなのだ。
2階には来なくても脱衣場で以前のような時間が過ごせた。
夜中帰る私には、脱衣場にやってきてドアの向こうから鳴いて呼んだ。
以前は浴槽の縁に飛び上がり、そこからお湯を飲んだのだが、、、
バスマットの上に崩れるように座りこっちを見ているようになった。
お湯を用意してもすぐには飲まず、お湯だよと口元に運んでやっと舐める程度だった。
座敷と脱衣場で過ごす銀の足取りが徐々にふらつくようになった。
お湯もすぐには飲まず時間をかけて自分のタイミングで飲むようになった。
あご下をビショビショにしていると飲めたことがわかったので少し安心した。
トイレのオシッコは見つけるとすごく嬉しかった。
朝晩のオシッコの量と数、匂いを確認した。
そんなオシッコもだんだん小さくなり、顎にお湯の水滴を見なくなってからついにオシッコは無くなってしまった。
トイレを失敗したことの無い銀がトイレを乗り越えられずその堺で失敗した跡が1度あった。
トイレに抱っこして、促すこともあったが出なかった。
猫の砂場を確認してはオシッコ跡がない日が続き、
最期が近いことを感じてまた泣いた。
歩きがフラフラするようになって、ちょっと目を離した隙によちよちと2階から1階に降りてしまうことがあった。
階段から落っこちてしまうのが心配で、無理に2階で過ごさせようとは思わなかった。
1階の座敷で過ごす銀に布団を用意してみたら、そこで横になりホッとした。
静かで涼しい場所がいいらしい。
身体が熱いのだろうか、冷たい場所の方が楽なのだろうか、、、わからなかった。
わからないことばかりで、どうだろう、これは?これは?と試行錯誤の日々。
しゃべらないからわからないことばかり。
撫でると喜んでしっぽを振って喉をゴロゴロと鳴らすのは、間違っていないとわかりやすかった。
私の心配と寂しさはついに限界となり、掛布団と枕を持って銀の側で夜を過ごすことにした。
無意味のように脱衣場へ向かっては、途中でくたびれて寝る。
たどりついても水を飲まず、また時間をかけて戻ってくるの繰り返しで、布団に戻すことしかできなかった。
途中の板の間で一緒に寝て待ち、付き合うことにした。
布団に戻せばそこでウトウトする。
何がいいか全くわからない繰り返し。
睡眠時間は少なかったが、銀もそうだからと思い付き合った。
2晩目はさすがに頭痛がして驚いた。
私も年だなと無理がきかないと感じた。
それでもかわいい銀に寄り添っていたかった。
3日目、短い距離しか動けなくなり動いた後の息切れと意識が遠のく様子が続いた。
朝方疲れ果て寝た私に、大きな女性の悲鳴が聞こえた気がして目が覚めた。
板の間で動けなくなった銀の声だった。
大きな鳴き声だった。
飛び起きて抱っこして「もう頑張らなくていい、いつ旅立ってもいいよ」とまた泣いた。
その日の朝、長男が心配してやってきた。
「本当に添い寝してるんだね」と悲しげに笑ってた。
そんな長男が、「銀は2階に気があるみたいだよ」と言った。
その瞬間、「もうずっと側で過ごそう、2階に連れてこよう」と決めた。
その日の夜は二階のリビングで猫ハウス近くに布団を敷いて添い寝した。
目が覚めると、側に居た銀が這いずってハウスに潜り込んでいた。
「動けたんだ、でも私の側が嫌だったかな」とちょっと寂しかった。
その後、朝にかけて今度は這いずって出てきた。
そして甘えるように頭を膝にこすりつけてきた。
その顔はちょっとスッキリしていて頭を持ち上げる力もあった。
今日は午後からの夜勤だ。
どうしよう、、、、誰も居なくなってしまう。
兄も仕事で、銀がひとりで過ごせるだろうかと考えていた。
するとけたたましく地震アラートが鳴った。
地震は震度3ですぐにおさまった。よかった。
銀を見ると、驚いたような表情をしていて「まだ力がある」と思った。
大丈夫かもしれない。
そう感じて仕事の準備を始めた。
しばらくして、、、
なーなーと、もうにゃーに成らない声で鳴いた。
呼んでるとすぐにわかって、手を止めて銀の横に寝て体をさすることにした。
しっぽはかすかに揺れて嫌がっていない。
いくらでも撫でるよ~と出勤までの時間を全部付いてさすっていようと思った。
しばらくしたら、またなーなーとまた鳴いた。
撫でているのに鳴くなんて、こんなことはじめてだなと思った瞬間、、、
銀は大きな口を開けて大きく空気を飲み込んだ。
その首は力を失い手の中に、、、大きな息で最後が近いと察知した。
すぐに夫に電話した。
もうそこからは泣きながら、ありがとうしかなかった。
ありがとう、ありがとう、ありがとう、、、、。
夫が到着して、2人で抱っこしたら、大きな呼吸をひとつしてそれが最後の呼吸だった。
最後の最後は、ぎりぎり一緒に居られる時間を逆算して息を引き取ったかのようだった。
突然の心停止からの死戦期呼吸だったと思う。
最期の最後まで頑張った銀を褒めたい。
看取らないと私が後悔するだということも分かっての銀の計算だったように思えてくる。
なんていい子なんだろう。
前日の大雨が嘘のようにすっきりした朝になった。
銀を抱いて外に出た。
外に出すことのなかった銀だが、外の空気を感じて欲しいと突然思ったのだ。
すると目の前に黒猫が居て、私の方に真っすぐ歩いてきた。
驚いた。
野良猫さえ見ることが無いのに、こっちに向かって歩いてくる猫がいる。
外から大きな声で夫を呼んだ。
その声に驚いて黒猫は車の下にもぐり込むが、呼ぶと出てきた。
そして私との1mぐらいの距離を保ちながら、すました顔で通り過ぎて行った。
何?何?銀のバトンタッチなの?
黒猫のおっぱいは大きくお腹に子供がいるのか、生んだばかりなのかわからないがメス猫なのがわかった。
ほんとうに不思議な事だった。
家に入り銀の寝床を作ることにした。
庭のバラは惜しみなく摘んで銀のまわりに飾った。
終わりの芍薬も入れた。
間に合ってよかった。
銀を看取ると決めた1カ月あまり「銀らしく、私達らしく」と決めた。
元々、猫を飼うことは人間のエゴなのかもしれない。
こうして出会えたからには、エゴも含めてどうしたらいいか、何を望んでいるか、悩みながらやってきた。
銀の診断は悪性リンパ腫疑いと慢性腎不全ステージⅣだった。
手術や化学療法、免疫療法の説明を受けたが、銀は耐えられないと思った。
先生の気持ちもよく分かった。
出来る手段はあるのだと、、、、。
銀が銀らしく苦痛が少なく過ごせるにはと考えた。
ステロイド剤の内服だけを選択した。
食べたい物を食べられるまで食べて、自然なかたちを選択をした。
聞こえはいいが、死にゆく銀を見守るということ。
自分達家族がそれに耐えられるのか不安だった。
診断から涙が止まらなかった。
銀はゲージの中に居て病院なのが不安げで、小さく鳴いた。
いつまでも銀が側に居ることが、ずっと一緒にいることが、当たり前だと思い込んでいた。
勝手に長生きするものだと勘違いしていた。
バカだ、、、
薄々感じていた不安が突然現実となり、うろたえた。
実は、銀の衰えを何となくずっと前から感じていた。
出掛けて帰ってくると「生きてるか確認だ」などと、夫は自分を言い聞かせるように家に入っていくようになっていた。
なんとなく、なんとなく、2人とも感じてはいたのだ。
振り返ると、日常という魔法に誤魔化されていたと思う。
銀の事じゃなくても、日常に流されることは多い。
日々の出来事は色んなことを間接的に伝えようとしている。
時々、立ち止まって忘れていることはないか考えられる余裕を持ちたいと思った。
目の前の出来事に腹が立ったり、意見を言いたくなったりすることがある。
それが正解と思い込んだり、それが当然と決めつけていないだろうか。
自分は、そんなどうでもいいことに日々振り回されて、大事なことを見失っているように思った。
大事なことは見えにくい、見えにくくなってしまう自分を忘れないようにしたい。
銀の飼い主としては反省点もあるが、考えながらやってきた。
静かに過ごしたいと感じた時は、くっ付いて世話することがいいとは思えなかったので距離を置くようにした。
居たい場所に居たいときは、それが銀にとって不利益と感じるまではそのままにして様子を見た。
エサや水を飲まないことはつらかったが、それを身体が望んでいると判断して無理強いはしなかった。
飲みたくなったら飲めるようにと数カ所に水を置き、できるだけ好きなぬるま湯であるようにした。
つまずいて水浸しになったこともあったが、どの水置きも祈りを込めて置いた。
薄暗い場所がいいのならばと、スクリーンを下げ、ライトは最小限で、ラジオは付けずに無音を心掛けた。
静かな時間は、以外に人間にも心地良かった。
朝が明けてくる数時間前から鳥は鳴き出すとわかった。
銀はこうした音の無い状態を欲しているけど、これまでの生活はごちゃごちゃの生活音の中で過ごしていたのだなと反省した。
猫にとっては我慢だらけの世界だったのかもしれない。
15年も一緒に居てはじめてわかったことがあり、泣けた。
猫を看取ることで、感じた事、考えた事を書き残しておきたかった。
全くまとまっていないのは、まだ混乱中と思ってください。
同じような状況にある人がいて、微かにでも参考になればと書き残した私の願いです。
この一カ月よく泣いた。
この後の私は大丈夫なのかとても心配だ。
1カ月、銀尽くしの私は、、、漱石に嫌われてしまったよう笑
まずは、漱石と仲良くなれるよう努力します。
子猫から猫を飼うのがずっと夢でした。
その夢をかなえてくれた、魚沼アニマルサポートのメンバーさまには心から深く感謝します。
2匹を世話してくれたメンバーのお二人が結婚されたと、風の便りに聞きました。
おめでとうございます。
そして本当にありがとうございました。
あの時の「トラジ」こと銀時は旅立ちました。
残念ですが、そのぶん漱石を可愛がります。
15歳の銀時物語はここで終わりです。
ありがとうございました。