放送大学大学院「異文化交流と共存」レポート
テーマ 「キリスト教とイスラームの神学対話の成果」(問題1)
キリスト教もイスラームも宇宙と自然の創造主である唯一の神を信じ、神にのみ絶対的権威があると考える点では一致している。ところが、その神に至る道がキリスト教では、神の一人子なるイエスを通してでなければ誰一人、父なる神の身元に行くことはできないと信じるのに対して、イスラームは、ムハンマドのみが最後の預言者であり、正しく神の元に導くことができる唯一の存在と信じているから、道が分かれる。この違いを乗り越え、お互いの間に神学的対話が試みられたが、キリスト論や救済論など信仰を基盤とする啓示神学の領域ではその溝は埋められなかった。理性を基盤とした対話のための解釈学が発展したが、そこでの大きな発見は、理性での反証可能性と反証不可能な事柄との違いであった。不毛の議論を避けるためには、この二つの違いの認知は重要である。信仰の事柄は、一人ひとりの心の宇宙の出来事としては真実であっても、人間性の神秘の奥深さを証明するように、多様な解釈によって構成され構築されている。この交流は、自己の信仰とその解釈基盤から抜け出さずにはなんら建設的な議論が開けないことに思い至らせた。カントは、教会関係者が啓蒙に閉ざされたままでは人類の未来は開けないとの痛烈なる批判を呈している。
ところで、国民国家思想は、19世紀のヨーロッパとアメリカで発生した。そのモデルは共同体関係の枠組みにあり、人々を統治する目的に利用され、民族対立同様、我々の地球を分割した。キリスト者は、「国籍は天にある」と信じ、イスラム共同体は、イスラーム法による統治のみを受け容れる。両者ともに神の権威と神の意志にのみ従う良心の自律は、国家の法を超えるので、国民国家体制と信仰の調和に関しては、同じ悩みを抱えている。思想信条の自由と責任のための交流も盛んで、国連女性会議においては、両者は一致して同姓婚や中絶問題に反対の意を唱えた。
両者の交流の歴史は、法学、心理学、社会科学、政治思想など目に見えない現象における学問領域にも同じ認識論的陥穽が潜んでいることに気づかせた。この比較宗教学の試みは、信仰の自由と学問の自由には同質の問題の所在があることを悟らせた。現在地球上では、宗教や思想における寛容な態度が説かれているが、この共通の認識基盤に立つことは、コンフリクトの解消と有益な対話による共存共栄とって不可欠であることに国際社会の有識者は気づき始めている。
参考文献:『キリスト教とイスラーム;対話への歩み』 L.ハ-ゲマン著 和泉書館
『神の歴史:ユダヤ、キリスト、イスラーム教全史』
カレン・アームストロング著 柏書房