野の花

ブログ小説、川柳、ジョウーク等です。

夢の彼方に55

2020-01-31 11:43:29 | 日記
夢の彼方に 55

湯沢陽一は那覇から久しぶりに名護に行った。途中、名護道の駅により昼食をとった。小川伸介はこの食堂で海洋中学校の生徒に会っている。奇しくも大雨になり生徒達の希望で辺土名には行ったというがそれが事実であれば小川伸介はこの事件には関わってはいないだろう。だが、この話しが事実でない場合は、今度の日日商事の退職とも関わってきて、些か安心は出来ないのである。沖縄ソバとすしをゆっくり食べた。それから、湯沢陽一は辺土名を目指した。東支那海は真っ青で本部半島を左側に見ながら進んだ。辺土名の海洋中学校に着いた。まだ授業中だった。湯沢陽一は父兄相談室を探した。三階にあった。小さな部屋だった。湯沢陽一は、相談室の先生に名刺を渡した。また先生も名刺を差し出した。父兄相談室長の久保井仁とあった。また、那覇からどうしてこちらにと不思議そうにしていた。湯沢陽一が、私の友人がこちらの行方不明になっている女子生徒を昨年の五、六月頃、名護道の駅から辺土名まで大雨の為、車で送ってやったと云っております。その時は他の生徒も一緒
だったそうです。そういう事があったかそちらで確認して戴きたくまいりましたと言った。相談室の久保井先生は、初めて聞きました。早速、調べましてお知らせ致しますと言った。それから湯沢陽一は、その後、事件に進展はありましたか?と聞いた。久保井先生は、まあ、少しは、しかし、難しくなっておりますとも言った。湯沢陽一は、先日、友人と五反田奈理子さんの実家も訪ねましたと言った。久保井先生は、いや、ご心配をお掛けしておりますと言った。湯沢陽一はよろしくと云い、中学校を後にした。帰りは夕陽が眩しかった。
つづく

夢の彼方に 54

2020-01-31 11:40:22 | 日記
夢の彼方に 54

湯沢陽一は那覇に勤務してから二ヶ月頃から、友人の小川伸介の事が気になっていた。それを払拭する為に、辺土名の海洋中学校を訪ねようと思っていた。小川伸介があの行方不明になった五反田奈理子と名護道の駅で会い、辺土名まで連れて行ったというがその確認をして安心したかったのである。湯沢陽一は海洋中学校に連絡して、生徒の事で相談に行きたいがどの先生に会えばいいかと聞いた。担任がいいが、生徒相談室の先生でも良く、五時までなら構わないと言った。湯沢陽一はその日、休みをとり、一人で辺土名の海洋中学校に行った。
つづく

夢の彼方に53

2020-01-31 11:38:43 | 日記
夢の彼方に 53

湯沢陽一は五月の連休は引っ越しと部屋のかたずけと駐車場の契約等で多忙だった。母親に、日曜日だけは夕飯を頼んだ。湯沢陽一は友人思いでもあった。小川伸介の事を思った。小川伸介に関して湯沢陽一は行方不明になった五反田奈理子とは名護道の駅で会い、友人達と一緒に辺土名まで車に乗せ連れて行ったというがその事実確認をしていない。中学校に行けば確認は取れたはずだ。それが事実ならば、事件とは関係はないと見る。しかしそれが事実でない場合は謎が残る。何れ辺土名の海洋中学校まで行ってみようと思っていた。暫くして小川伸介から連絡があり、五月に那覇に移り住んだといい、新都心のマンションを教えていた。五月の連休が過ぎた辺りから雨の日が続いた。後で分かったのだが大家さんの主人は沖縄県の金融機関協会の理事を勤めていた。また、息子と娘二人がいた。暫くして娘二人が湯沢陽一を見にきていた。恥ずかしそうにしていた。中学三年生と一年生で二人とも、とてもとても可愛い娘だった。中学三年生の娘の笑顔は最高だったと後々まで湯沢陽一は思っ
ていた。
つづく

夢の彼方に 52

2020-01-31 11:35:38 | 日記
夢の彼方に 52

湯沢陽一の母親も今のところ、病院に通院し、店にも何時ものように出ていた。時々、赤川一子から連絡があり、異動の御祝いをしてあげたいので、連絡するように言われていた。四月の末に那覇の沖縄銀行本店の近くを歩いていると間借りが出来ると云う看板を見つけた。湯沢陽一は夕方、本店裏のその家を訪ねた。小柄な優しそうな五十代の女性がその部屋に案内した。生活するには十分だったが、台所がなく食事は全て外食だった。その女性が湯沢陽一が公務員と云うので保証人一人と月々五万円の部屋代でいいと言った。湯沢陽一は結局この部屋を借りることにし、五月の連休を利用して実家から移った。離れの一軒家で隣りにも部屋はあったが空室になっていた。湯沢陽一はこの部屋を三年間借りる事になるがその間にいろいろな事があった。
つづく

夢の彼方に 51

2020-01-31 11:31:11 | 日記
夢の彼方に 51

小川伸介は湯沢陽一が名護を離れた為に何故か寂寥感が胸に漂い寂しかった。しかし、小川伸介にしても退職予定であったので取引先への事情説明や挨拶まわり、事務引き継ぎなど多忙を極めていた。小川伸介は、同僚の引っ越しで空きがあり、那覇の新都心の一角の古いマンションの一室に入居する事にしていた。また、近くの予備校か個人指導を受ける積もりでいた。また、退職したら一度、叔母さんを訪ねながら名古屋市立大学と大学病院を見る積もりにしていた。また、叔母さんとの話し次第では名古屋で勉強するようになるかもしれなかった。何れにしても湯沢陽一も小川伸介も四月になり多忙になっていた。湯沢陽一は直ぐに南部地域の土壌調査計画を手掛けていた。時々、今頃、小川伸介はどうしているのかと考えることもあった。湯沢陽一は、赤川一子に那覇に異動になり実家に帰っていると伝えていた。湯沢陽一の間借り探しはなかなか進まなかった。
つづく