アジア映画巡礼

アジア映画にのめり込んでン十年、まだまだ熱くアジア映画を語ります

4月1日に思うこと~生き延びた10年(上)

2018-04-01 | 旅行

今日は4月1日、エプリルフールでした。香港の歌手であり、映画俳優でもあった張國榮(レスリー・チャン)のお命日でもあります。亡くなったのは2003年で、その後13回忌まで、毎年4月1日に小さなブログ記事を載せていたのですが、2017年からはそれをやめました。ただ、今年は私が香港で大きな手術を受けて命をとりとめてから10年目に当たるので、生き延びたことを感謝し、あらためて香港およびレスリー・チャンとのご縁を振り返ってみたいと思います。


レスリー・チャンとの出会いなど詳しいことは、2008年3月に平凡社から出た上の本「レスリー・チャンの香港」に書いてあるのでそれをご覧いただければと思いますが、レスリー・チャンが亡くなった時「何とか、彼と、彼の生きた時代の香港の姿を書き残しておかなくてはいけない」という思いに突き動かされ、4年かかってまとめた本でした。彼自身のことを突っ込んで書くためには、彼と親しかった人やご家族に取材しないといけない、という思いはあったものの、主として経済的な理由から、香港にたびたび行ったり、アポを取って相手を訪問する等を実行するための長期間滞在ができず、周辺取材だけに終わってしまったのが今思い返しても残念です。それでもやっと書き上げ、あとはカラーページへの写真使用の許可を取るだけ、という段階では、幸運にも広東語の恩師S先生にレスリー・チャンのマネージャーだったフローレンス・チャンさんを紹介していただき、直接お電話もしたりして、苦労の末何とかご家族の許可も取っていただけたのでした。

2007年3月のレスリー・チャン追悼イベント@香港のポスター

それで、出版されたばかりの本、というか見本刷りの本数冊を抱え、日本を出発してインドのムンバイに向かったのが2008年3月8日。本の奥付の出版日が3月17日なので、本当にできたてホヤホヤだったのです。私は花粉症がひどいのでそれから逃亡するためもあって、毎年3月はインドに行き、その後香港へ寄って香港国際映画祭に出る、というのが2000年代に入ってからのパターンでした。2008年も、インドに1週間ほど滞在した後3月16日の早朝5時半発の便でムンバイから香港に向かい、その後26日まで滞在して映画祭に出るかたわら、フローレンス・チャンさんにお目にかかって御礼を言い、出たばかりの本を手渡そうと思っていたのでした。ムンバイ滞在中は、途中3日間チェンナイに行ったりしてフルに動き回り、香港への移動日前日の3月15日も、列車やタクシーに乗りまくってあちこち行っていたことが、当時の金銭出納メモからわかります。そんなわけで相当疲れて飛行機に乗り込んだのですが、搭乗開始と言われて並んでから飛行機の出発が遅れ、立ちっぱなしで30分以上いたので、よけいにへとへとになりました。

出発前日に乗った満員の列車に乗り込んできた物売りの青年

早朝便なので、乗ってすぐ朝食が出ました。そしてその後、乗客はみんな寝入ったのですが、その頃になってお腹が痛み始めました。そして何と、嘔吐してしまったのです。汚い話で申し訳ありませんが、私自身はそれにあわてるより、嘔吐したという事実にショックを受けました。今もそうですが、私は過去1、2回しか吐き気を催した記憶がなく、実際に嘔吐したのは大学院時代に飲み過ぎた1回だけです。これは変だぞ、と思っていると、さらに何回かその症状が続き、持っているビニール袋も底をつく始末。隣席のインド人青年にも迷惑を掛けたのですが、彼がCAの指示で席を移ってくれ、横になることができました。でも、腹痛は続き、バンコクでストップオーバーした時は、よほどここで降ろしてもらおうかと思ったほど。その少し前にバンコク在住の友人から、バムルンラード病院のすごさを聞いていたので、「バムルンに入院してもいいかも」などと考えていたのでした。

そりゃあこういうストリートフード(インドでは「フルーツサラダ」と呼ばれるカットフルーツ)も食べましたが、それならまず下痢するでしょ!

結局香港まで行き、急病人ということで車いすに乗せられ、空港内のクリニックに連れて行かれました。担当は西洋人の医師で、いろいろ症状を訴えたのですが、「インドに行っていた」というと「それだ! インドで汚いものでも食べたんでしょ」と断定、こちらの訴えにはもう耳を貸さず、「はい、薬。これ飲んで」と言うと向こうを向いてしまいました。ところが、白湯で薬を飲むと、すぐに吐き気が襲ってきてまた嘔吐。看護師さんが先生にそれを告げますが、「ホテルに行って休めば治るよ」とまったくつれない西人医生(サイヤン・イーサン)でした。しかしながら、翌日になっても腹痛が治らないし便通もないので、3月18日の朝AIU保険(当時)の代理店に電話をして、日本語の話せるティオリナさんという担当者にクリニックに連れて行ってもらうことにしました。香港では「インド」はそれはひどい所と思われているらしく、その時の香港人の医師も、「印度(ヤンドウ)? きっと汚槽[口既][口野](ウージョウ・ゲー・イェー/汚いもの)を口にしたのでは?」という言い方をし、「お腹にガスがたまっているみたいだね」と普通の腹痛薬と吐き気止めしかくれませんでした。


ベジタリアンの友人宅での食事、これのどこが「汚い」のよ! 

しかし、何かおかしい、と私の動物的勘が告げています。次の日の朝、またティオリナさんに電話して「胃腸専門の病院に連れて行って下さい」と頼み、もしかしたら入院するかも、と下着の替えとかを用意して、換金も済ませて待ち合わせの場所に行きました。場所は旺角のグランドタワーというビルだったのですが、ティオリナさんを待っている間立っていられなくなり、しゃがみ込む状態でした。ティオリナさんに支えられてたどり着いたクリニックでは、医師が私を診るなり、ではなく、見るなり顔をこわばらせて、「すぐにレントゲンを撮ってもらってきなさい。順番をすっ飛ばしてやってもらって」と言うのです。その頃には、欠食児童のように下腹せり出していたのをめざとく見つけてくれたのですが、小さなクリニックの集まっている所では共同でレントゲン室がもうけられていて、各クリニックの患者が利用できるようになっていたのでした。で、レントゲンを見た医師は、「うちのような小さな所では手に負えない。すぐに大きな病院に行きなさい」と言い、ティオリナさんと相談して、香港島側のカノッサ病院がいいだろう、ということになりました。救急車、それともタクシーかな、とか思っていると、「香港島への海底トンネルが混んでるから、地下鉄の方が早い」。何だか意識も遠のきそうな中、地下鉄にゆられて5駅、中環(セントラル)からはタクシーで、丘の中腹の、昔の総督府の上にあるカノッサ病院にたどり着きました。

入院したカノッサ病院の香港名は「嘉諾撤医院」で、高級住宅地のミッドレベルにあります

入院したのが午後2時ごろで、海外旅行保険に入っているためサイン一つで入院できます。この時幸運だったのは、当時インフルエンザだかが流行っていて一般病室はどこも満杯で、2人部屋しか空いていなかったこと。7~8人部屋が600香港ドル/日(当時で約7000円)なのに比べ、2人部屋は1400香港ドル/日と倍以上なのですが、払ってくれるのはAIU保険。おかげで贅沢な入院ができました。あらためてレントゲンやCTスキャンをとり、午後4時ごろ担当医である鄧医師がやってきて説明してくれます。この時「イレウス」という単語は出てきませんでしたが、どうやら説明を聞くと腸閉塞のようでした。「すぐに手術をした方がいいんだが、僕はこれから別の病院に行かないといけなくて、戻ってこられるのが夜の9時頃になる。だから10時からなら手術できるが、夜の手術なので50%増しとなり、約10万香港ドル(約130万円)かかる。それが嫌なら明朝の手術にすれば通常料金になるけれど、僕は早い手術を勧めるね」この時、保険の保障限度額を100万円と勘違いしていた(実際は1000万円)のですが、鄧医師の切迫した言い方にこれはヤバい状態なんだな、と思い、「お金のことはいいですから、今晩手術して下さい」とお願いしたのでした。


命の恩人、鄧医師(右)と保険会社のティオリナさん

そして、午後10時から2時間半の全身麻酔による開腹手術となり、やっとこの世に生還したのが2008年3月20日未明。次の日鄧医師が言うには、「あなたはとてもラッキーだったよ。あと少しで腸が破裂する状態だった」とのこと。前日の説明の時は、「数十万円自費を出しても命が大事」と思って即手術をお願いしたのですが、その判断が正解だったことがわかり、胸をなでおろしました。あらためて保険の証書を見てみると、医療費の上限は1000万円だということもわかって、以後は「2週間で抜糸、退院できる」という先生の言葉に、それなら非常勤で行っている大学の新学期にも間に合う、と療養に努めたのでした....なら、完璧なラッキーだったのですが、そうは問屋が卸しませんでした。(つづく)



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2 コメント

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はじめまして。 (サイボク)
2018-04-15 18:30:37
突然、失礼します。以前から、アジア映画について調べたい時などに、よくこちらのブログを読ませていただいています。
今回はブログ記事だけでなく、ご著書『レスリー・チャンの香港』も拝読し、自分のブログで紹介させていただきました。
ご著書、とても良かったです、ありがとうございました。
http://kobiri.blog108.fc2.com/blog-entry-319.html
サイボク様 (cinetama)
2018-04-15 19:43:54
コメントをありがとうございました。

ブログも拝見しました。
10年前の拙著を丁寧にお読みいただき、ありがとうございます。
レスリー・チャンはファンにとってだけでなく、同時代を生きた人にとっては忘れられない存在のようで、毎年3月から4月にかけて、香港ではレスリーを追悼するイベントが何かかにか行われています。
希有な存在のスターだった、と言えますね。
私のあのつたない本も、本として残っていれば今回のサイボクさんのようにまたどなたかが手に取って下さると思うので、何はともあれ出版できてよかった、とあらためて思いました。

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