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ヨーロッパの憂愁庭園★華麗なる美とロマン

魅せられし19世紀末の美や浪漫。文学・絵画・映画・モード等から導かれる心の放浪♪

イダ・レントール・アウスウェイト:Ida Rentoul Outhwaite

2007-09-12 | 絵画・画家
イダ・レントール・アウスウェイト(Ida Rentoul Outhwaite:1988 - 1960)は当時は英国領だった頃のオーストラリアのメルボルン生まれ。イギリスでは、既にケイト・グリーナウェイやアーサー・ラッカム、オーブリー・ビアズレー達、挿絵画家達の黄金時代という頃。友人から頂いたビアズレーの絵に夢中になり、2歳頃から周りを驚かせるような絵を描いていたというイダの絵を、友人がイギリスの出版社に送ったりもしていたという。

イダは4人姉弟の二番目で、姉のアーニィは古典語や詩に秀でたお方で文章を書いていた。その姉の詩に挿絵を描き、次第に姉妹は雑誌やポストカードなどで広く知られる存在となってゆく。イダはパントマイム劇団のお衣装をデザインしたり、初めてオーストラリアで刊行された「ピーターパン」の挿絵を書いたお方でもある。

1909年には若き実業家と結婚。その夫グレンブリィ・アウスウェイトは才能ある妻のためにアトリエを建て、イダは4人の子供たちの子育てと両立しながらも絵を描き続けていた。カラー印刷の技術が急進的に発達した時期でもあり、それまでのモノクロのペン画から色彩を取り入れるようになってゆく。第一次世界大戦下に姉の文章と共に出版した「こびとと妖精」(1916年)で、51枚の挿絵を描き妖精画として、それまでイギリスに頼っていたアートブック界で、初めてオーストラリアにもその到達を得たもの。このご本は、夫の発案により英皇室に献本し、印税は戦時下の赤十字に寄付されたという。戦後は、夫の勧めで英国で個展を開き成功を収め、その名はこうして今日まで継承されるに至る。

私の勝手なイメージながら、生まれ持った絵の才能を姉や夫と共に、年老いてもずっと少女の夢の世界を描き続けたようなお方に想う。全ての作品を知っているわけではないけれど、年代を追って眺めていると、どうしてもそのように感じ嬉しく思い、そんなお心が絵に表れているように思い敬服する。

La Magia De Las Hadas / The Little Book of Elves and Fairies

Ediciones B

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『Tea Party』 ケイト・グリーナウェイ:Kate Greenaway

2007-07-18 | 絵画・画家
19世紀の英国には多数の素晴らしい画家たちがいる。いつの間にやらすっかりそれらの世界が好きで、とても居心地が良いという感じの私。ケイト・グリーナウェイ(Kate Greenaway:1846~1901)はとても馴染みのあるお方。もうお亡くなりになられて一世紀が過ぎたというのに忘れ去られることもなく、私達の身近にそれらの優美な絵たちはいてくれる。

親しみやすい穏やかな風情と英国の自然のなか。眺めているだけで心が安らぐ。『ハメルンの笛吹き』や『マザーグース』は特に子供の頃から親しんでいるお方も多いのではないだろうか。『窓の下で』は個人的に特に好きなもの。子供たち、母と子を多数描き続けた女性。挿絵画家は時に、高尚な画家たちの作品より過小評価を受けることもある。特に、このケイト・グリーナウェイはずっと身近にあるものなので、人の知らないものばかりを追い求め優越感に浸るという類の人々の好対照だと知った時が嘗てあった。愚痴の様かもしれない。でも、私の個人的な好きな大切な世界には有名でも、知る人ぞ知るマニアックな存在でも、どうでもよい。優劣などまっぴらゴメンなもの。私の心を捉えて離さない美しいものたちは、音楽でも映画でも挿絵でも漫画でも・・・大切なもの。いつまでも親しまれるものたちには何かがある。世紀を超えて導かれる普遍の心や愛情がそれらにはあるのだろう。

Language of Flowers (From Stencils and Notepaper to Flowers and Napkin Folding)

Dover Pubns

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The Kate Greenaway First Year Baby Book (The Kate Greenaway Collection)

Sheldrake Pr

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パウラ・モーダーゾーン=ベッカー:PAULA MODERSOHN-BECKER

2007-07-13 | 絵画・画家
パウラ・モーダーゾーン=ベッカー(1876-1907)は、ドイツ表現主義を先駆け、31歳の若さで夭折した女性画家。ドレスデンで生まれ、すぐにブレーメンに移り、ロンドンとベルリンで絵画を学ぶ。その後、ブレーメン近郊に位置する小村ヴォルプスヴェーデに移住し、この芸術家村を代表する画家として知られている。

ヴォルプスヴェーデ芸術家村は、19世紀末に画家や詩人たちが自然を求めて各地に移り住んで形成された芸術家コロニーのひとつで、ここには、日本でもよく知られている詩人ライナー・マリア・リルケや、後にリルケの夫人となるパウラの親友の彫刻家クララ・ヴェストホフ、そして早くも雑誌『白樺』で日本に紹介された画家ハインリヒ・フォーゲラーらもいた。さらに、パウラが師事したフリッツ・マッケンゼン、後に夫となるオットー・モーダーゾーン、またハンス・アム・エンデやフリッツ・オーヴァーベックなどの画家たちが集い、パウラは彼らと親密な交友関係を結んでいた。

1900年以降のパウラ・モーダーゾーン=ベッカーは、パリにもたびたび滞在するようになり、そこでセザンヌやゴーギャン、マティスらの芸術に触れたことが、彼女の芸術を飛躍的に発展させ、ヴォルプスヴェーデの交友関係のなかで育まれた芸術と、大都市で展開していた新しい芸術の息吹は、ともに彼女の芸術に豊穣な実りをもたらし、素朴さと大胆さとが魅力的な独自の画風を獲得するに至る。そして、非常に短い生涯ながらも、先駆的な画家と呼ぶに相応しい充実した作品群を遺された。

2006年に日本にもパウラ・モーダーゾーン=ベッカーの絵はやってきて、その折の説明文を上記に使わせて頂いた。私は単なる趣味の範囲で絵を眺めることが好き。特にドイツ表現主義についてはデヴィッド・ボウイさまにも関連するので、のんびりとゆっくりとではあるけれど、色々と特に興味を覚えるもの。気になった作品がいくつかあり、その中のひとつ。少女を描いた絵なので「クララの森・少女愛惜」の方で...とも思ったけれど、今回はこちらに綴っておこうと思う。

色合いも好きだし、この鴨池のほとりで、幼女(童女)と思われる少女は顔に両手を当てて泣いているようだ。お顔が見えないのでさらに”どうしたのだろう?”と気になってしまう。この『鴨池のほとりの少女』は、1901年の作品なので100年以上前のもの。この少女がどなたかも知らないのに、何か気になるというこの感情はなんだろう。こういうことが不思議であり、かつとても楽しい。

パウラ・モーダーゾーン=ベッカー―表現主義先駆けの女性画家

中央公論事業出版

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スペイン内戦の悲劇を描いた『ゲルニカ』 パブロ・ピカソ:Pablo Picasso

2007-06-30 | 絵画・画家
パブロ・ピカソ(1881年10月25日~1973年4月8日)の有名な作品のひとつ(残された作品は大変多い)。ピカソはスペイン生まれでスペイン内戦が起こった地方にも所縁のあるお方。しかし、フランスでの生活、様々な出会いと才能が開花した。私はピカソについて大して詳しくは無いけれど、祖国の内戦、二つの大戦にも身を投じることはなかった(スペイン人であるためにフランス軍人として戦う必要がなかったのだけれど)。常に多くの愛人が存在し、創作の中で訴えるものがあったのだとも思う...。興味のあるお方ではある。この有名な『ゲルニカ』はスペイン内戦中の1937年、バスク地方のゲルニカがフランコ(将軍)の依頼でドイツ軍に空爆され多くの死傷者を出した時に制作されたもの。

ドイツ=イタリア=フランコ軍に対抗する”反ファシズム闘争”とも呼ばれるスペイン内戦は結局敗北に終わる。そして、世界は第二次世界大戦に引き摺りこまれてゆく。「ファシズム対民主主義(共産主義)」という構図。フランコ率いる反乱軍は、「辞書から憐れみという言葉を削除した。たとえスペインの半分が殺されようとも、スペインをマルクス主義から救うのだ」と豪語したという。ファシストの反乱軍と戦うため、世界中から多くの若者たちが集まった(国際義勇軍)。中にはアーネスト・ヘミングウェイ、アンドレ・マルロー、ジョージ・オーウェル、シモーヌ・ヴェイユ達も身を投じて戦った。しかし、敗北後、勝利者のフランコ将軍は”反乱”という名目で何十万人ものスペイン人(自分の国の人々なのに!)を処刑した。中には、ガルシア・ロルカ、ミゲル・エルナンデス、アントニオ・マチャード等の詩人もいたし、文化人ではない反ファシズムに燃える庶民たちが大勢...ベトナム戦争、朝鮮戦争の先駆けとなる世界最初の代理戦争なのだ。

フランス人は1万人と最も多くこの反乱軍に対抗するために参加している。イギリスもイタリアもドイツも...(ドイツ人が全てファシズムではない)。シモーヌ・ヴェイユは思想家ながら女性。そんな世界の大きな動きにフランスからスペインの土地に向かう、そんな勇気に敬意を!アメリカ人ながらヨーロッパ文化の中でも重要な存在であったヘミングウェイは、著名な小説に『誰が為に鐘は鳴る』や『日はまた昇る』を書いた、イングリッド・バーグマンとゲイリー・クーパーの映画でも有名な作品。映画ブログに『蝶の舌』について綴った中に監督のお言葉を掲載させて頂いた。私はこのような監督がいるので、最良の娯楽である映画の中で色々なことを学ばせて頂いているのだと確信のような気持ちを得る。(*この映画の舞台となる美しい町ガリシア。フランコ将軍の出身の土地でもある。)

同国の人間同士が戦い、勝利者が処刑するという信じ難いが史実。愚かで野蛮で狂気に満ちた暴力の歴史のスペイン内戦。私は映画が大好きなので、映画を観ている中でこういう史実を知り、その残虐な歴史を知ることができた。まだそんなに古い出来事ではない。なので、多くの戦士たちの尊厳や勇気まで忘れてしまってはならないと、スペインの作家や映画人たち(国外の人々も、例えば英国のケン・ローチ監督等も)は作品の中で観客である私達に届けてくださるのだ。そのメッセージはあまりにも重いけれど、”愛と自由”が明日にあることを意味するものだと思う。

ロバート・キャパ スペイン内戦

岩波書店

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誰がために鐘は鳴る

GPミュージアムソフト

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蝶の舌

PIASM

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ウィリアム・アドルフ・ブグロー:WILLIAM ADOLPHE BOUGUEREAU

2007-05-03 | 絵画・画家
フランスの19世紀末画家を代表するウィリアム・アドルフ・ブーグロー(1825年~1905年)。アカデミスム画家として多数の作品が残され、どれも緻密な優美な美しさに満ちている。聖母や天使、少女や女性たちを描き、当時から評価の高かったブグローながら、20世紀に入り印象派やキュビスムのモダニズムの台頭と人気の陰ですっかり忘却の彼方へ。こうして、今私がブグローの存在を知る事ができるのも、20世紀後半のアカデミスム絵画の再評価が高まり、1984年にはパリのプティ・パレ美術館で回顧展が開催され、本国でも名が甦る。そうして今日、ブグローの数々の名画を堪能する機会に恵まれているのだと思うと時代のタイミングを思う。上の作品は『ヴィオロンを弾く少女』。穏やかで甘美なメロディが響くようでとても好きな作品の一つ。

ウィリアム・ブグロー発見への旅

新風舎

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『ダナエ』グスタフ・クリムト:GUSTAV KLIMT

2007-04-30 | 絵画・画家

「私はデカダンスというこの緋色にかがやく言葉が好きだ・・・・・官能的な精神と悲しい肉体と東ローマ帝国の目くるめくような輝きが混ざり合って出来ている言葉なのだ・・・・・侵略する敵のラッパの音を聞くうちに力尽きた種族が、猛美のなかに崩れ落ちる」(ポール・ヴェルレーヌ)

この様な言葉にいちいち反応しては胸が高鳴る様だった高校生の私。現国の論文テーマに「頽廃」というものを書いたりした。拙すぎて読む価値も無いだろうが、それ程「デカダンス」という言葉が好きだった、今も。ジェーン・バーキンの曲にもある。不思議な様だけれどそれらの出会いはほぼ同じ時期なのだ。私の毎日が狂っていった。この言葉から多くの広がりが今は持てる様になったけれど、まだまだ知りたい好奇心は尽きない。ロマン派のデカダンよりも苦汁を帯びた世紀末デカダンにより興味がある様だ。

そんな時代を生きたクノップフやクリムトに直ぐに魅了された。この方達の題材は私の好きなテーマが多い。なので何から綴ろうか?直ぐに閃いたものに決めた。それがこの「ダナエ」。クリムトの数ある名画の中でも極めて大好きだと言えるもの。他にもバーン=ジョーンズ、ウォーターハウス、コレッジオ、やや異色のレンブラントの「ダナエ」も好き。でも、クリムトの「ダナエ」何故、幸せそうな恍惚の表情を漂わせているのだろう?あのクリムト事件の「哲学」「法学」「医学」の3部作から直ぐに製作されたと思われるこの「ダナエ」。(この絵のモデルだとされるアルマ・マーラーはまた別に綴りたいと思う。)

アルゴスの王アクシオスは「娘ダナエの子供に殺されるだろう。」という神託を受けた。その恐怖からダナエを青銅の塔に閉じ込めてしまう。しかし、美しいダナエはゼウス(ユピテル)の目に留まり男子を産む。英雄ペルセウスだ。苦悩した父アクシオス王は母子を殺すことは出来ず海に流す。漂流する箱船はセリポス島に辿り着き、成長した息子ペルセウスの競技で投げた円盤が祖父に当たり、神託が果たされる事になる。

この神話からさらに、神ゼウスによるダナエの懐胎は後に聖母マリアの受胎告知の予型とされたそうだ。なるほど...と。そして、この「ダナエ」の幸福感とも微笑を漂わせている様にも思える優美な表情。幽閉された美しいダナエ。そこに黄金の雨となって現れたゼウス。この様なクリムトの女性像に見られる内包される女性の心。美しいダナエは誰にも会うことも出来なかった。絶望の日々だったに違いない。そこにまさかの!神が現れるのだ。しかし、父を自分の産んだ息子が殺してしまう...こんな悲哀が好きなのだ。

神話の中の美しきダナエから始めてしまった...この先、どうなるかも分からないけれど、徒然なるままに。

2004.08.08


★「宿命の女捨遺」~泉のほとりの妖精たち~というコンテンツを2004年に設置しておきながら、僅か2つの拙い想いを綴ったきりだった。どうしてもこの心に刺さったまま...。なので、時間のある時にこちらに書き留めてゆこうと思います。過去の2つもこちらに移行してみます。どうぞ宜しくお願い致します。