藤沢周平の『一茶』、吉村昭『海も暮れきる』(尾崎放哉)を読んで伝記小説の面白さを知りました。次に、以前からその生涯に興味のあった西行を瀬戸内寂聴の『白道』に読みました。皇后への思慕と心の実態をとらえようとした歌との間の細い白道を歩んだ西行。その姿が現地の踏査を踏まえての綿密な考証と豊かな想像力に支えられてビビッドに浮かび上がってきました。テレビなどでその法話を聴くことはあっても小説は読んでいませんでしたが、そのストリーテラーとしての力量に気付かされ、続いて詠んだのが『いよよ華やぐ』―閨秀俳人・鈴木真砂女をモデルとした小説。今生のいまが倖せ衣被(きぬかつぎ) 死なふかと囁かれしは蛍の夜 など、90歳を過ぎてなお、恋する女心の句を数多く残した真砂女を中心に84歳、72歳、64歳の女性たちが織り成す「生と死」をーいよよ華やぐ生と死を艶やかに描き、一気に読まされました。
そして『手毬』。貞心尼の眼から晩年の良寛を描いた小説です。10数年前、日帰りのビッグドライブで寺泊、出雲崎を訪れたことがあります。その時に何気なく良寛記念館を観たがさほど興味は持っていませんでした。『一茶』を読んでから良寛の生き方にも興味をもち、寂聴の『手毬』を読むに至ったのです。感動したのは、最終章の場面。
「私はつと、掛け布団を持ち上げ、良寛さまの寝床へ軀をすべりこませていた。背後からぴったり添い臥し、自分の体温で良寛さまの背をあたためた。右手を良寛さまの胴にかけ、重くないようにやわらかく抱いた。氷のように冷え切ったお脚に自分のほてっている脚をからませてあたためてあげる。良寛さまはゆっくりと軀をくつろがせたまま、私のすることを何もこばまれなかった。」
貞心尼の無垢な献身と良寛の駘蕩たる受容に心震えました。
読み終わっての解説はなんと吉本隆明。「解説―エロスに融ける良寛」。55年も前に、興梠のような貌をして必死に読んだ『言語にとって美とは何か』『共同幻想論』‥。この解説を書いた年は隆明の死の3年前、84歳の時になります。良寛の死を10歳も超えた年齢である隆明は老年の良寛をどう読んだのか。嬉しいことに私が感動した場面を引きながらその解説はこう結ばれています。
「この『手毬』の作者は老いた静かなエロスが、老苦や死の病苦を鎮めうることを、こころから信じてこの作品を書いているようにおもえる。」すとんと腑に落ちる解説でした。私も喜寿。今後、俳句や短歌を読んだり詠んだりする中で「エロス」は一つのテーマになりそうです。
さて、すでに届いている本は、寂聴が90歳の時に90歳の清少納言に乗り移って著したという『月の輪草紙』と『ここ過ぎてー白秋と三人の妻』の二冊です。これらもまた「老いとエロス」という視点で読めるのでしょうか。