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季節風~日々の思いを風に乗せて

喜寿になったのを機に新しいブログを始めました。日々の思いをつぶやきます。

教科書は開かない

2020-04-28 22:33:00 | 日記
「入学式の次の日からお休みなんて、入学した意味がない。」
 校門で口を尖らせた写真を撮った後、4歳の妹共々「疎開」してきました。
 母親が病気を抱えながら間もなく出産。
「じいちゃんばあちゃんのところにいれば、ママが安心して赤ちゃんを産める。」と
 健気に妹を慰めています。

 日課表を作り、なんとか規則正しい生活を心がけています。
 勉強といってもまだ入学したばかり、学校からの宿題プリントも運筆の練習程度。
 そこでまだ袋に入ったままの教科書を読ませようとしました。ところがそれは嫌だと言います。
「今、見てしまったら教室で開く楽しみがなくなってしまう。初めから先生に教えてもらいたい。」
 入学時の新鮮な気持ちを持ち続けている子を愛しく思いました。
 この状況が長引けば、学校のカリキュラムの実施が窮屈になるのではと心配です。
 短い時間の中で多くの知識を詰め込むような事態にならないでしょうか。
 オンライン授業が言われています。効率だけを考えればそれもいいでしょう。
 しかし、「先生に教えてもらいたい」と願っている子にとって、先生とはパソコン画面の中にはいません。
 教育の場にソーシャルディスタンスはありません。あたたかい人間関係の中にあります。
 教科書も開かずに、学校の再会を待っている子どもがいます。
 未だ先が見通せません。9月新学期案も出てきました。
効率学校」ではなく、
 子どもが先生やお友達とゆっくり学びたいという思いに応える学校であってほしいと思います。
 袋に入れたままの教科書はいつ開かれるのでしょうか。


誰が統(す)ぶやこの荒涼の春の惨 宙

2020-04-16 13:40:43 | 俳句
 3.11に詠んだ句です。一昨年他界された金子兜太氏が「東日本大震災を対象にした好作品が現れたのは四月十八日発表の加藤宙からだった」と、「朝日俳壇」の年間10句に選んでくださいました。
 ブログの最初の文章を、まさかこの俳句から始めることになるとは思ってもみませんでした。あの時テレビ画面に流れてきた津波や爆発する原発の映像を忘れることはできません。それを観ながら思わず口をついて出たのが掲句です。この惨劇は終わるのだろうか、誰が終わりにできるのだろうか....
 今は新型コロナウィルスの感染の広がりが、世界を「荒涼」たる風景へと変えています。日本はあの大震災当時、みんなが力を合わせて困難に立ち向かうため「絆」という言葉が盛んに使われました。しかし、今はその言葉が聞かれない。世界も自分の国の問題で精いっぱい、連携の姿は見られません。長い戦いになる予感がします。
 思えば3月は悲しい月です。東京大空襲、東日本大震災、無差別大量殺人を狙ったサリン事件…そして私の誕生日。
 喜寿を迎え、新たにこのブログを立ち上げました。