そもそも、愛媛の田舎の療育センターから、東京の水野病院に変えた理由は・・・
「療育センターの院長に対して我慢の限界だったから」なのです。
頼み込んで先生からいやみを言われやっと作ってもらったデニスブラウン。
それがどうしても脱げてしまう。それの装着3分で脱げてしまう。
これでは意味がないと思い、デニスが出来上がった翌日に再度、療育センターに受診。
ちさとママ「どうしても脱げちゃうんです。装着の仕方が悪いんでしょうか?」
院 長「さぁ、お母さんが作れって言ったから作ったケンねー。脱げるって
言われても・・・」
ちさとママ「脱げちゃ、意味がないんですよね?」
院 長「じゃあ、どうしろって言うん!?」
ちさとママ「いや、私は素人。どうしたらいいのか分からないから相談しているん
じゃないでしょ!」
院 長「そんなこと言われても分からんケン。」
ちさとママ「手術したら治るんですか?実は大阪の病院に行って診て貰ったことが
あるんですがアキレス腱かなにかを切って踵の下がる手術をした方が
いいかも知れない言われたんですけど・・・智里は手術しないで良い
んですか?」
院 長「どうして他の病院に行ったんです?そもそも私は智里ちゃんの足を完
璧に、100パーセント治さないでも良いと思うって言ったろ?その手
術をしたいんなら、わたしゃー、そんな腕もないし、よそ行ったらエ
エんじゃないん?」
このとき、頭の中でなにかが切れた音がしました。それは堪忍袋の緒の切れる音でした。
治そうと思っていない医者に治せる訳がないのです。
そしてわが子の足を100パーセント、それが無理であれば100パーセントに近い状態に治して
してやりたいと思うのが親なのです。
智里は女の子、可愛いスカートを着せたいのですが今まで装具をしている夏の暑い時期でも
足を隠すためにひざ掛けをしたり、長ズボンを履かせたりしていました。それも愛情なのです。
それなのに私が「スカートを履かせたとき、左右の足の太さが違うよりも同じ方がいいから・・・」
と当たり前の言うと「え?歩くようになればいいんじゃないの?」と彼は笑いながら言いました。
違うでしょ?歩けない子ならせめてビッコを引いても歩くようになってもらいたい。
ビッコで歩くような子なら、ちゃんと歩いて欲しい
と欲が出るのは当たり前だと思うのです。
そんな親心を彼は全然理解していませんでした。
「これや、ダメだ」「ハイ分かりました」とその日から療育センターへ通うことはありませんでした。
そう、そう、私、役10年間、大学病院に勤めていました。勤めていなくても分かると思いますが
セカンドオピニオンとして他の病院に行くのは当たり前な時代。そして自分の手に負えない患者
は医者が今までの経緯を紹介状に書いて他の医療機関に転医させるものなのです。それをこの
主治医は他の病院にかかったと知り怒り、紹介状も書かず「勝手にせぃ!」と患者を放り投げ
るという感じ。
彼は県立愛媛療育センターの院長。私の住んでいる市や近隣の市では内反足の子は選択の
余地なくみんなこの病院へ転医されます。この医者に嫌われたら困るので、もしかしたら彼に
楯突く患者は居なかったのかもしれません。
こんな病院、つぶれてしまえ!こんな医者、居なくなってしまえ!
と思いました。
そして、療育センターに通いながらも彼の医療方針や医療技術、メンタルケアーに不信感を抱き
ネットで色んな小児整形のhpを見ました。
その中で「水野病院」「鈴木茂夫医師」が目に止まり、早速今までの経緯をつづったメールを出し
ました。
「遠いけど一度、見せにいらっしゃい」と言われすぐに飛行機で飛びました。
鈴木先生はまず「辛かったでしょう。」と言ってくれました。
その後、「私なら装具よりもデニスにするなー。大阪に僕よりも内反足に詳しいエキスーパート医
師が居るから、大阪の方が通いやすいでしょ?もちろん、私が治療してもいいんですけど愛媛か
ら通えますか??そっちに行くなら紹介状を書くよ。彼はどういう考えかな?一度、彼にも診て貰っ
たら?」と言われ、大阪のスカイクリニックを紹介され、その後すぐ大阪に行きました。スカイクリニ
ックの先生も「デニスが良い!」と断言。
でも、どこで作るかが問題でした。
電話にて鈴木医師にスカイクリニックで言われたことを伝えました。
「じゃあ、東京に来る?私は全力を尽くし100パーセント治します。」
と言われ、思わず涙・・・全てを鈴木医師に任せることにしました。
本当は100パーセント治すなんて無理かもしれない。
けれどこう言ってくれた鈴木医師になら50パーセントでも良いと納得できました。