![]() | 裁かれるのは我なり―袴田事件主任裁判官三十九年目の真実山平 重樹双葉社このアイテムの詳細を見る |
1966年(昭和41年)に静岡県の清水で一家4人が惨殺された事件、およびその裁判で死刑が確定した袴田巌さんが冤罪を訴え再審を請求している事件、これが袴田事件と呼ばれています。この事件は冤罪であるとして今現在もご家族の方や支援者が再審を求めて闘っています。この事件は今年、「BOX袴田事件 命とは」という映画になり、先日静岡でも上映されていましたのでご存知の方もいらっしゃるのではないでしょうか。
この裁判の主任裁判官を務めた熊本典道さんの思いがこの本のタイトル、「裁かれるのは我なり」です。
熊本さんは他県からの異動に伴い途中から裁判官としてこの事件に関わってきました。だからこそ何の先入観もなく事件を客観的に見ることもできたのでしょう。明らかにおかしな取調べ方法や決定打とは言い難いおかしな証拠に常に疑問を持っていました。約20日間、1日12~16時間にも及ぶ拷問同様の取調べを行ない、疲れ果てて意識朦朧とする袴田さんを強引に自白に追い込んだのではないか、これを調書としてどこまで信頼性があるのか、熊本さんには納得のいかない点がいくつもありました。
それゆえ熊本さんは彼の無罪を確信していました。しかし合議の結果、3人の裁判官の判断は2対1で熊本さんは負けて死刑判決が下ってしまったのです。
熊本さんは他の2人の裁判官を無罪の方向に引っ張り込めなかった、説得することができなかった自分の力不足をとても悔やんでいます。そして、唯一無罪を主張していたにも関わらず、判決文を書く役目は熊本さんにあったのです。どれだけ辛かったことでしょうか。
自分は無罪だと確信しているのに死刑の判決文を書き、「自分は殺人未遂を犯し」たのではないか、「裁かれるのは自分の方」なのではないか、40年近くこのことを一人で背負いながら生きてきた熊本さんの苦悩を中心に、それに関する明らかにおかしな証拠の数々と、再審請求の過程などが本書にかれています。
「疑わしきは罰せず」という原則があります。今こうしてこの事件の詳細を本で読んでみると、素人の私から見ても「オイオイ」「えっ、何で?」と思う疑わしいことが盛りだくさんのように感じます。この事件の真相は私には分かりませんし、無罪だ有罪だ文句を言える立場ではありません。しかしこんな証拠やこじつけで死刑判決が下されてしまうことに疑問を持つと同時に怖さも感じます。
この本を読んだあとは決してスッキリした気持ちにはなれません。
なぜこんなことが起こるのかという疑問や、誰に対してでもない怒り、熊本さんや袴田さんやその家族のことを考えるとやり切れない気持ちになってしまいます。
袴田さんは現在70歳を超え、いつ声がかかるか分からない死刑執行の恐怖におびえながら長年独房生活を送っていることで精神を病んでしまっているようです。
再審請求が通り、今の精度の高いDNA鑑定などの科学捜査ならば、また新しい展開になるのではないか、と素人の私は考えるのですが、そう簡単にいかない何かがあるのでしょうか。
袴田事件に関する本はこの他いくつか購入しましたので、引き続き紹介していきたいと思います。