撮り歩き

ちぬの浦和の少年時代(by Andalucia昭和30年前後の思い出) 夢の途中(画像ぎゃらりー)

あきいろ

2011-11-15 17:07:14 | 風景
隠し曲輪から西の丸庭園をかすめて馬場町を眺める
馬場町建物群のガラスに反射する光が旨くビルを見えなくしてくれた、

城攻めに遭った時の備えに天守閣仕切り門の傍らに設けられた守備の武者達を隠しておく場所だと、そんな意味の説明の立て札があった

なる程観光客もなかなか気付かないみたいで小さな入り口の前を間近にそびえ立つ天守閣を見上げながら通り過ぎて行く。

源流をたどる(子供の頃のどぶ川遊び2)

2011-11-15 15:08:24 | 助松海水浴場
スガの山の入口にも橋が(川幅約1、8m)これを潜り更に上流へ須賀医院とタケダさんの裏手にはさまれた場所をとおる、タケダさんのお屋敷は元は長家が建っていてそれが取り壊されてお屋敷が広げられた(表の道を真っ直ぐのぼると今の松ノ浜駅である)元長家にはイチキの兄さんが住んでいた、お父さんは画家だと聞いた記憶がある
ここから南岸は空き地で北岸はタケダさんアサイさん空き地カジハラの大工さんの作業場と続き、カジハラさんの所でドブ川の本流に支流が流れ込んでくる
本流を真っ直ぐに進むと屋を福(八百屋さん)から紀州街道の角のニシヤマ(散髪屋)まで頭上は板が渡されていて各家の裏庭みたいになってたのでトンネル状態で薄暗い区間である、ニシヤマの南側に松ノ浜温泉(銭湯)があり本流はここで南に折れてカワバタ(建材屋さん)まで行ってまた東に向かい旧の26号線の下を渡って松ノ浜南第1踏切の下を潜るそして真っ直ぐに四ッ池の南西の池に向かっていたが此処から先は未踏破である

源流をたどるドブ川遊びはカジハラさんからの支流を進むのである。

源流をたどる(子供の頃のドブ川遊び)

2011-11-11 11:38:23 | 助松海水浴場
田植えの時期ともなると海岸に設けられた水門までモロコやフナ、鯉まで上流から流されてきた、クローバの形をした極小さな浮き草が脛にへばり付くと水で流さないと取れなかったな、ゴム長には直ぐに水がはいってきて川底は歩きにくく歩を進める度にゴム長から噴水の様に水が噴出して半ズボンはずぶ濡れとなる、20mも進むと黒川(八百屋さん)の橋を潜る最下流に掛かる橋なのでドブ川と云えども川幅は4m程あったか、黒川の橋は最長の橋だ、ここらあたりは田植え時期でなくてもフナやメダカに川えびが居た
当時はまだ今の様な下水網が無かったのだろう各戸の生活排水は土管でドブ川に導かれていて今思うに不潔な遊び場だつた、4mの川幅も大野(荒物や)の橋に差し掛かる頃には2m位になってた橋を潜った右手に排水管があってスガの山(須賀医院の前に庭園業者の植木を仮植えしておく場所が在り子供はスガの山とよんでた、実際盛り土された山様の地形があったのだ)の土中からの清水が湧き出して冷たい、20m上流にも1箇所清水の湧き出す場所が在りメダカと小鮒が僅かな清水の流れに戯れているみたいで親近感を感じたものだ
空き地から須賀医院の前を細い路地が通り5段程のコンクリート段を上るとお寺があって須賀医院の庭園の桜とお寺の樹木に囲われた細道そして左に大きな空き地、松ノ浜にもこんな秘密な子供だけの遊び場が存在したが、おそらく誰も知らなかったのだろう?通る人は皆無で友達数人だけの秘密基地的な場所であった

文章の構成が後先したり手記的な文章を1本の道筋に纏め上げるのに限界を感じるが兎に角四ッ池の源流に辿り着きたい。