撮り歩き

ちぬの浦和の少年時代(by Andalucia昭和30年前後の思い出) 夢の途中(画像ぎゃらりー)

助松海水浴場…『いちのす』

2020-05-04 15:53:46 | 助松海水浴場
たぶん文字は『一の洲』と書くのであろうか、
海岸の砂浜から沖に向かうと段々と深くなり、やがて子供の背丈では、届かなくなる、
しかし、そのまま沖に向かうとまた足が砂底に付いた、
初めて『一の洲』に到達、着地した時、
なんと言うんであろう… 助松海水浴場、この海と友達になれた、
その様な気持ちになれたものであった。
砂浜から沖に向かう、足が海底に届かなくなる、まだ泳げない少年達にとって、
『一の洲』は憧れであった様に思う。

遠浅海岸ではよくある海底の地形である、風波や沿岸海流によって海岸から離れた沖に
砂が運ばれて堆積するのである、
助松海水浴場では見た事は無いが、地域や地方によっては干潮時になるとその『洲』が水面に、
姿を現す様な場所もあるようである。

私が経験できた助松海水浴場の『一の洲』では小学校四年生当時身長の記憶は無いが、
『一の洲』で一番浅い時だと足首と膝の中間辺りの水深で合った様に記憶する、
海で貝を獲っていた大人に聞いた話だと『一の洲』を過ぎてもっと沖に『二の洲』が、
あるのだそうな、一度ボートで沖に出た時この辺りだと教えて貰った、其の辺りは確かに、
海底の砂地が目視出来た、が私的には未到達の海域であった。

当時の大阪湾はまだ海水は、かなり澄んでいて私など水中眼鏡も使わずに潜っていた時もあった、
小魚の類いは、大した苦労無しに網でも掬えた(ガッチョ、カレイ、キス等)、貝類はアサリ、アカガイ、カキ、等
他にワタリガニ、ズガニも掬えた、昭和30年前後の頃である。



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