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YONEX OPEN JAPAN 2013 バドミントン 弱冠16歳のホープが快挙!日本人初のファイナリスト誕生!

2013年09月23日 | バドミントンNEWS

YONEX OPEN JAPAN 2013 バドミントン 

弱冠16歳のホープが快挙!日本人初のファイナリスト誕生!

16歳山口がV!全種目通じて日本勢初

 バドミントンの世界連盟スーパーシリーズ、ヨネックス・オープン・ジャパン最終日は22日、東京体育館で各種目の決 勝が行われ、女子シングルスで予選を突破した福井・勝山高1年の16歳、山口茜が打田しづか(日本ユニシス)を2-0(21-15、21-19)で下し、 第32回を迎えた今大会で全種目を通じて日本勢初の優勝を果たした。

 山口は準決勝で昨年優勝の戴資穎(台湾)を破るなど、予選からの計7 試合を勝って同種目で史上最年少女王となった。2007年に始まった五輪、世界選手権に次ぐ格付けのスーパーシリーズの同種目制覇は昨年のフランス・オー プンの三谷美菜津(NTT東日本)に次いで2人目の快挙。

 男子シングルスで田児賢一(NTT東日本)は世界ランキング1位のリー・チョンウェイ(マレーシア)に0-2(21-23、17-21)で敗れて準優勝だった。五輪2大会連続銀メダルのリーは2年連続4度目の優勝。

山口茜の話「まさか優勝できるとは思っていなかった。まだ実感がわかない。歴史を塗り替えたのが私でいいのかなという感じ。この優勝を自信にして、これからも頑張っていきたい」

 

 

女子シングルス 決勝

 

山口 茜(勝山高校1年生)  21-15 / 21-19  打田 しづか(日本ユニシス)

 今年で32回を迎えるヨネックスオープンジャパン女子シングルス決勝は、初の日本人対決となった。打田選手は、世界ランキング104位なが ら同ランキング7位の三谷選手、本大会過去3回優勝経験のある中国のワン・イーハン選手といった実力者を撃破してきたダークホースだ。一方注目の山口選手 は、今大会高校1年生でのエントリーながら予選からの勝ち上がりで、ディフェンディングチャンピオンを含めた数々の格上選手を倒してきたオリンピック期待 のホープである。

 

 第1ゲーム、女子の試合特有の長いラリーで火蓋が切って落とされた。山口選手は柔らかいタッチから繰り出される独特なドロップと、鋭いア タックロブやドリブンクリアを織り混ぜた緩急の効いた攻撃で相手に襲いかかる。打田選手はバック奥へドリブンクリアを集め相手をコート後方に釘付けにし、 そこからクロスカットでエースを狙う作戦で負けじと応戦する。また約10センチの身長差をいかした上からのドライブも多用し、得点を重ね6-11でイン ターバルを迎える。しかし長いラリーの中で、打田選手は相手の粘りのプレイに我慢できず、簡単なミスを繰り返し徐々に点差がつき始める。挽回しようとス マッシュの連打で必死の反撃を試みるも点差を覆せず、結局21-15で山口選手が第1ゲームをとる。

 

 

 第2ゲームは、打田選手が山口選手の巧みな配球に振り回されつつもなんとか食らいついていく展開が続く。序盤、山口選手は自分が見送った相 手のロングレシーブが相次いでインとなり、点差を埋めようと意識的に早くタッチしてラリーを仕掛ける。しかし「ただ決め急いでしまっただけだった」とコメ ントしていたようにこの作戦は裏目に出て、山口選手はミスを連発して10-11と初めてリードされてインターバルを迎える。その後は「焦らず基本に立ち 返って奥までゆっくりリターンすることを意識した」と振り返っていたように、山口選手は準決勝までの試合同様落ち着いてミスなくプレーし始める。リードを 広げたい打田選手はドライブやアタックロブを多用し早いラリーを仕掛けるが、山口選手の驚異的な粘りの前に太刀打ち出来ずミスを献上してしまう。そして 21-19のストレートで山口選手が打田選手を下し、32年のヨネックスオープンジャパンの歴史の中で日本人初のファイナリストとなった。

 

 試合後山口選手は、「自分が優勝するとは夢にも思っていなかった。ただ格上の選手相手に恐れず向かっていったのが、勝利に繋がったのかもしれない。次は東アジア選手権があるので、そこで勝っていきたい」と次の目標を語った。

 

 打田選手は、「4月にストレートで敗れたリベンジで試合に臨んだが、終始相手のペースで劣勢だった。ただスーパーシリーズで決勝まで来れて自信はついたので、次の日本リーグや全日本総合で結果を残していきたい」とコメントした。

 

 

 

東京五輪へ期待の新星

 

 スーパーシリーズ史上最年少優勝を遂げた16歳の山口は「記録を塗り替えるのが自分なんかでいいのかな」。記者会見場での戸惑いの笑みとは裏腹にコートの中では堂々としたものだった。

 

 156センチの小柄ながら縦横に拾い続けた。打田が前に出ると深く返し、出足を止めた。国際大会経験豊富な24歳の打田が「前も後ろも意識させられ、苦しい展開だった」と振り返ったように、流れを支配し続けた。

 

 出身の福井県勝山市は1968年の福井国体で会場となった縁でバドミントンによる地域おこしを進める。山口が所属する勝山高は県立高ながら男女で30人超の部員を数え、卒業生約20人が日替わりでコーチを務める。山口は「いろいろなプレースタイルのコーチと練習しているので、海外選手とも慌てずにプレーできた」という。

 

 日本協会の地道な強化も背景にある。2000年に全国小学生ABC大会を創設。山口もそこを踏み台とし た。小椋・潮田組が人気に火をつけ、昨夏のロンドン五輪では藤井・垣岩組が日本勢初の表彰台の銀メダル。スポンサーも増え、協会の競技登録者数は現在、 00年当時の2倍の25万人、強化費も2倍の年間1億5000万円に。年間200日近い日本代表合宿が可能になり、山口も史上最年少で代表に加わった。