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成都観光ツアー三国遺跡

2023-04-26 17:17:12 | 海外旅行
成都市内の南西部に位置する武候祠は、三国時代の蜀の王、劉備玄徳と丞相諸葛孔明を祭る廟です。三国志の英雄「諸葛亮孔明」と「劉備玄徳」を祀る祠堂で、武侯とは孔明の贈名である忠武侯にちなんでいます。中国の歴史上の人物で最も人気がある諸葛亮孔明は日本でも三国志の天才軍師として有名である。1961年に国務院により全国重要文化財に指定されました。三国時代には魏呉蜀の三国が分立し、この付近は「蜀」と呼ばれました。西晋時代末期の760年に、別の場所に建立された諸葛孔明を祭る祠堂明代に現在の場所である劉備玄徳の墓、昭烈廟の隣へ移し、君主と大臣を共に祭る「君臣合廟」としたものです。

三国時代、蜀国の都である成都市は劉備玄徳、諸葛孔明、関羽、張飛と超雲などをはじめとする蜀国の豪傑たちがかつて活躍していました重要な舞台です。成都市を中心に、成都市内及び成都郊外に沢山の三国志遺跡が残っています。徳陽市の?統墓(ほうとうぼ)、綿陽市の蒋宛墓(しょうえんぼ)、?中県(ろうちゅうけん)の張飛墓、大邑県(だいこうけん)の趙雲墓、勉県の馬超墓と武候祠などが歴代の三国ファンたちに建立されて、その時代の豪傑を記念し、英雄たちの輝かしい人生を物語っています。その中で、もっとも代表的な記念廟が成都に建立された武侯祠で、三国時代のシンボル人物?諸葛孔明を祭るところです。三国時代のことを物語る三国演義という小説では諸葛孔明が神様のような理想化知恵人物に描写されています、三国演義の中国全土での流行につれて諸葛孔明も中国人大好きな知恵のシンボルになったのです。成都市はかつて諸葛孔明が長年働いた都市で、そして5回も魏国を北伐する出発都市なので、ここにある武候祠が当然諸葛孔明ファンたちが必ずお訪ねするもっとも人気ある三国遺跡です。次は下記のように写真で武候祠をご紹介します。

関羽、張飛と三人が義兄弟を結んで、しっかり義兄弟の誓いを守り、中国人の義兄弟結びの模範だと評価されています。

関羽ー雲長
蜀の国の名将軍で、仁と義を命よりも重視していることから、中国人に崇められている男前の人です。

張飛ー翼徳
三人義兄弟の弟で、心が優しいですが、性格がとってもせっかちで、乱暴です。ノンベーなので、一旦酒を飲み始まると必ず酔っ払うまで飲み続けるそうです。

諸葛ー孔明
諸葛孔明北伐する時に、当時の王様?劉禅に書いた報告書です。忠国、忠王の儒教思想と命掛けて国に報いる気持ちを表している愛国文章として中国人に愛読されています。

墓道
劉備玄徳のお墓へ繋がる墓道で、赤色と煉瓦の神動物図案は魔除けの役目です。

劉備のお墓
劉備玄徳が三峡辺りの白帝城で病死したのですので、本当に遺体を1000キロも離れた成都に運んで埋蔵したかどうかは謎です。仮説によると、成都のこのお墓には衣装しか埋蔵されていなかったそうです。発掘していませんので、まだ分かりません。お墓の高さ12m、一周回ると180mで、結構地味なお墓です。http://www.pandatabi.com

都江堰パンダ谷行き方

2023-04-25 14:49:21 | 海外旅行
都江堰パンダ谷は、都江堰玉堂鎮の馬家溝にあり、都江堰市の市内からパンダ谷まで、7キロだけです。いま、パンダ“野放センター”は現在すでに最後の実施準備の段階に入りました、成都林業局及び成都パンダ繁殖育成研究基地から、資金が続々と到着し、パンダ野放センターが施工し建設し始まる予定だと分かりました。調査によると、 5 月下旬、オーストラリアの昆士蘭大学の生態旅行及び観光地区展示設計の専門家は招待に応じて野放センタープロジェクトの企画設計に対して指導を行ったそうです。

成都ジャイアントパンダの人工繁殖と野生化
四川省を中心に複数個所に建設されたジャイアントパンダの保護施設では、長年にわたって人工繁殖が試みられ、毎年10~20頭ほどの子パンダが誕生しています。各施設では、手の平サイズで自力で歩くこともできないベビーパンダの展示や少し成長した子パンダとの記念撮影などが人気となっていますが、これらに集まる観光客からの収益は全てパンダたちの飼育や研究費用となっています。また、こうして人工繁殖によって誕生したパンダたちの中でも健康かつ訓練成績が優秀なパンダが選ばれて野生化訓練を受け、その内数頭が1年以上野生パンダとして生存していると確認されています。
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中国パンダ保護中心・臥龍パンダ神樹坪ツアー

2023-04-24 16:05:30 | 海外旅行
臥龍自然保護区は、パンダの故郷、四川省アバ・チベット族チャン族自治州?川県の西南部、??山の東南面の麓に位置し、成都市から約130㎞で、交通が便利です。このパンダ保護区は1963年に設立され、面積は20万ヘクタールに及んでいます。臥龍パンダ自然保護区は「パンダの故郷」、「天然の動植物園」とも呼ばれ、豊富な動物、植物や鉱物の資源を有しています。保護区に生息する100頭あまりの野生のパンダは世界のパンダ総数の10%を占めています。そのほか、世界でも名を知られる「五一棚」というパンダの野外観察センターとパンダをテーマにした博物館「パンダ博物館」も建てられています。パンダは、中国の国宝であるだけでなく、自然が人類に残した貴重な遺産でもあります。1961年に、「世界野生生物基金」(今は世界自然基金WWFとなっています)が設立した時、世界中数多くの稀少動物の中から、パンダを「世界自然基金」という国際組織のロゴと旗の図案に選び、世界的範囲ですべての野生稀少動物や植物を保護することの重要なシンボルとしてきました。

臥龍自然保護区は1963年に設立され、1975年に中国国務院の許可を得て、保護区の面積が20万ヘクタールと拡大されました。 「臥龍自然保護区」の主な役割は、パンダを始め、稀少動物資源と高山生態環境の保護であり、ここは国家林業省に直轄する中国最大のパンダ生態自然保護区で、「パンダの故郷」や「大自然の遺伝子倉庫」とも呼ばれています。1980年臥龍自然保護区は、国連教育科学文化機関の人と生物圏保護区ネットワークに加入することが許可され、同年、世界野生生物基金と提携して、世界で唯一の中国パンダ保護研究センターを設立し、1983年に、センターが正式に竣工しました。

研究センターは、主にパンダの繁殖やパンダの数の増加について応用基礎研究を行い、そして、そこからパンダを中心に稀少動物の行動や生態、飼養、繁殖、子育て、生理学、生物化学、内分泌、遺伝、病気の防止、人工回復及び、種と群落の観測などの分野において、基礎と応用の研究を行ってきました。当センターは主にパンダ保護の為にパンダを総合的に研究をしております。臥龍は、パンダにとってとても恵まれている自然環境ですが、パンダが生息する区域は地域開発により以前より縮小しております。さらに自然環境の変化により、パンダの餌である笹が急激に減少し、パンダの食料難が、彼らに生存危機をもたらしています。臥龍パンダ保護センターは、中国政府、国連の支援を得て、パンダの保護と繁殖のため、一所懸命努力していますが、 さらに悪化している自然環境の中で、パンダの研究や繁殖、保護を満足に行うことが出来ません。パンダの生態系の維持やパンダの人工繁殖、パンダの養育と治療に巨額の費用がかかります。

1988年「臥龍中国パンダ保護研究センター」では、出産4回5頭のパンダが生まれ、うち4頭の子パンダが生存しました。1999年は出産4回8頭のパンダが生まれ、うち7頭が生存しました。2000年には出産8回で12頭のパンダが生まれたのに対して、うち11頭のパンダが生きてこられ、生存率は92%になりました。2001年出産2回4頭のパンダが生まれ、すべて生存しました。生存率は100%に達成しました。

臥龍中国パンダ保護研究センターについて
センター敷地内には、“パンダ館”、“レッサパンダ館”、“熊のエリア”、“パンダ博物館”、“パンダ劇場”、“パンダ芸術館”“夢山チョウチョウ園”、“警察犬園”及び“パンダ山荘”からなります。センターは、独自の科学的な調教方法を駆使しています。またパンダの繁殖研究、クローン研究及び科学普及教育にも積極的に取り組んでいます。現在、研究センターで保護しているパンダは61頭も有り、世界で最大の人口飼育パンダ群になっています。パンダを中心に稀少動物に関する更なる一連の科学研究を進めています。と同時に、海外との交流も強化しています。
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雅安碧峰峡基地行き方

2023-04-23 15:21:24 | 海外旅行
雅安宝興蜂桶寨自然保護区は、四川省雅安市宝興県の有名な夾金山の東南に位置し、1979年に設立された。敷地面積は4万ヘクタールで、成都までは220kmあります。ここは中国国家級のパンダ自然保護区に指定されています。蜂桶寨パンダ自然保護区では、パンダをはじめ、金糸猿、緑尾虹雉、白純鹿、牛羚及び共桐、銀杏など珍稀動物、植物の保護や観察を行っています。蜂桶寨と臥龍パンダ研究センターは地理的に近く、それぞれが一つの山の両端に位置しています。臥龍パンダ研究センターは中国パンダの中心で、対外交流の窓口である一方、宝興蜂桶寨は中国野生パンダが最も多地域であると言えます。

宝興蜂桶寨自然保護区内の鄧池溝はパンダが発見された土地です。1869年にフランスの布教師及び生物家であるデビットは鄧池溝でパンダを発見しました。発見されたパンダは標本につくられて、バリ博物館まで運ばれ、パンダは人々に注目されるようになり、生きている化石と呼ばれ、世界で有名になりました。

四川省を中心に複数個所に建設されたジャイアントパンダの保護施設では、長年にわたって人工繁殖が試みられ、毎年10~20頭ほどの子パンダが誕生しています。各施設では、手の平サイズで自力で歩くこともできないベビーパンダの展示や少し成長した子パンダとの記念撮影などが人気となっていますが、これらに集まる観光客からの収益は全てパンダたちの飼育や研究費用となっています。また、こうして人工繁殖によって誕生したパンダたちの中でも健康かつ訓練成績が優秀なパンダが選ばれて野生化訓練を受け、その内数頭が1年以上野生パンダとして生存していると確認されています。しかし、30年以上に渡って国をあげて行われてきた保護活動は、多少の明るい兆しこそ見せているものの、絶滅が危惧されている現状になります。パンダは国宝をとして、国際交流、科学研究及び科学普及教育などにおいて重要な役割を担っています。1955年から、もう118頭のパンダが雅安宝興蜂桶寨自然区から、中国各地動物園、世界各国に送られました。その内の16頭は、中国政府から、アメリカ、日本、イギリス、前ソ連、フランス、西ドイツ、朝鮮、メキシコなどの国に贈呈されています。
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成都観光ツアー川劇変面

2023-04-22 17:42:21 | 海外旅行
川劇(せんげき)は四川省の地方文化を代表する伝統芸能であり、2006年に中国の非物質文化遺産に指定されました。成都が古くから「劇の郷」と呼ばれていた事もあり、唐の時代から既に「蜀の劇は天下に冠たる」というふうにが伝えられてきました。中国の漢民族の地方演劇として最も重要な劇の一つでその歴史も長くて、主に四川省東部や重慶、雲南省、貴州省の人々に親しまれています。清代の乾隆年(1736年~~1795年)には「川戯」と呼ばれ、その後「川劇」と名を改めました。川劇は歴代芸術家の絶え間ない努力と伝承により、数多くの伝統的な素晴らしい演目が受け継がれ、中国の伝統芸能において最も貴重であると認知され、国宝とも呼ばれています。川劇で披露される瞬時に瞼譜(隈取)を変える伝統技巧の「変臉」を鑑賞したりすることができます。四川省川劇院で観客から最も人気が高いのが、トリを務める瞬時に瞼譜(隈取)を変える伝統技巧の「変臉」。

明の時代末期から清の時代初期にかけて、中国各地から四川省に移民がなだれこみ、移民の文化を反映する会館の建設と落成により、各地から集まってきた演劇や民謡が四川省成都という大舞台で一斉に演じられるようになりました。この一大共演の中で次第に四川省の地元方言、民俗、民間演劇、曲芸、民謡などと融合し、最後には四川省独特の節回しの文化として完成しました。結果、このような文化の融合は川劇の育成と発展に大きな役割を果たしたと言えます。川劇を表現するためには5種類の音調の違う節回しが必要とされています。それぞれ、昆腔(生まれは江蘇省、四川省へ伝わり、四川省の地方色豊かな節回しに変遷したもの)、高腔(生まれは江西省、明末から清初、四川省に伝わり、地元の演劇と融合し、地元色鮮明な節回しとなった。テーマは様々で、ジャンルも多く、内容も豊富)、胡琴腔(もとは安徽省や陝西省周辺の節で、四川省の方言や演劇に用いる銅鑼や鼓の演出と結びつき、定着した独特な節回し)、弾戯、燈戯(四川省の民間が起源、定着した地方劇としての節回し)という特色を持っています。これらの節回しを全て四川省の方言で演出していき、特に高腔は音調が一番高くてきれいで、各場面のセリフもユーモアで面白いです。「パンダの里」をテーマにした成都ブースの入口には、四川省の伝統劇「川劇」の役者の恰好をした「川劇パンダ」とフラワーアレンジメントがコラボレーションする作品が設置されています。四川省に伝わる古典劇の「川劇」を愛するパフォーマーたちが、よく茶館へやって来て、地元民や観光客たちに素晴らしい民俗文化パフォーマンスを披露しました。「凉庁」に並べられた客席では多くの地元民や観光客たちが、茶を飲みながら麻雀を楽しみ、舞台で披露される様々な素晴らしいパフォーマンスを鑑賞しては、その賑やかさを思う存分楽しんでいました。http://www.pandatabi.com