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茶々を入れる 

旧-広島市民球場跡地利用と広島市新球場につき若干もの申したく候

AN brand-new ( first half )

2008年12月08日 | Weblog



File:Whole world - land and oceans.jpg Wikimedia Commons




宇宙から日本を眺めると、ある奇妙なことに気がつく。それは、日本列島が世界の雛形になっていることだ。世界と日本が地勢的な相同関係にあり、日本は世界のミニチュアなのである。本州をユーラシア大陸、アフリカ大陸は九州だとすると、位相学的には、四国をオーストラリア大陸と見なすことが出来る。しかも、陸の外縁だけではなく、日本で最も大きな湖・琵琶湖は、世界最大の湖であるカスピ海に、日本の最高峰である富士山は、世界で最も高い山・エベレスト(チョモランマ)に対応している。イギリス人は、ヨーロッパ大陸とブリテン島を隔てるドーバー海峡を難攻不落の天然の濠に見立て、それを、ヨーロッパ大陸の動向からイギリスの独自性を守る為に、神が天地創造以来為し給うた特別な計らいと信じる向きもあると聞く。もちろん、隷属状態にあったエジプトから脱出するモーセたち一行を追っ手から守った「紅海が二つに割れた奇跡」を意識しているのである。そして、「花綵(はなづな=花の首飾り)の島々」とも謳われる、日本列島を中心とした弧状の地域であるこの「ヤポネシア弧」も、まるで誰かがわざと悪戯したみたいに、世界の縮図になっているのだ。この事実の元ネタは、「天津金木(あまつかなぎ)@竹内文書」と呼ばれる秘教的古神道の、日本と世界との相応関係を記した『五大州対応図(外八洲内八洲史観)』にあるらしいのだが、真偽の程はともかく、そう言われて見れば、瀬戸内海が地中海に、隠岐はイギリスに、能登半島はスカンジナビア半島に、紀伊半島がアラビア半島に、伊勢湾がペルシャ湾に見えてくるから不思議なものである。それぞれ日本地図と世界地図を見比べて遊んで頂きたい。ちなみに、私の「見立て」は、先住民の人権が蹂躙されて強引に同化された歴史をもつ北海道が北アメリカ大陸、北方四島はアメリカの喉元に刺さった棘・キューバであり、サハリン(樺太)を南アメリカ大陸に、台湾を南極大陸と見なして、とどめは、「本土」の一方的な思惑で踏みつけにされる沖縄が、日本列島の中にある「日本」である。もとよりこれは、「見立て」という「お遊び」であって、この手の話を真に受けて「オカルトの森」に迷わぬよう、話半分に聞いて「面白がる」というのが、大人の風儀というものである。



ホモ・サピエンスと呼ばれる知性的な存在にとって、本当に恐ろしいことはランダムな事況であり、理解の手がかりのない未知の事態の出来がそれだ。エネルギーや物質の代謝、果ては愛や情報の交換などの、絶えざる流入と退出の過程そのものが定常状態である生物にとっては、立ちすくむこと、固化すること、情況を読み込めずに外界から取り残される停滞状況は死に等しい。武道においては、対峙する事況のなかで、常に先手を取って主導権を維持することが勝利であり、現状に頑になること、状況に居着くことは敗勢の徴候である。アメリカがイラン・イラク・北朝鮮の三国を名指しして「悪の枢軸」呼ばわりしたのも、国連(第二次世界大戦の勝者である諸国連合)主導の湾岸戦争時とは異なり、単独行動主義で未知の事況に突っ込んで行く不安を既知の文脈のなかで払拭しようとしたからであって、その「見立て」にさしたる論拠があったわけではない。抽出しようとする構造が相同な事由であるならば、譬え話というものがどのようなものにでも応用出来るように、わけのわからない未知の状況に対する時も、とりあえず既知の情報を組み合わせて仮説をたて、とにもかくにも、その方向性で先へ進んで行くためのガイドラインが、「モデル」という譬え話の機能なのである。これは、「そっくり同じだ」という繰り返しの感覚が、そこにランダムネスでない一定の法則性やルールの存在を感じさせ、人間に安心感を与えるからであって、それが比喩の役割であり、わかりにくい事況を、あえてわかりやすい別のモデルと対比することで、人をわかったような気にさせるのである。未知をとりあえず既知の文脈にはめ込んで、わけのわからないものの取っ付きにくさを解錠し、立ちすくませることなく先に踏み出す勇気を、ヒトに与えるのだ。そして事態はしばしば進んで行くなかで変化し、事は『下手の考え、休むに似たり』とか、『案ずるより、生むが易し』とか言われるように推移するのであって、結局、『道を知ることと、実際にその道を歩んで行くことは違う』のである。知性的なホモ・サピエンスにとって、信用とは過去の「繰り返し」であり、もどってくること、一方通行でないこと、底なしでないこと、回帰性や再現性があることが理解の決め手であり、繰り返しの実績が信頼や確信の基礎となる。それゆえ、人類の規範的なルールや社会の基本構造が埋め込まれている基礎的資料である完全記号・完全テキストから作業仮説を引き出して行く行為が、ヒトの信用創造に他ならない。



完全記号・完全テキストというものは多様な読みを許し、そこから様々な意味合いを引き出してゆけるものだ。したがってある読解が唯一の正解ということではなく、その解釈を、専らその読み手自身の文脈に負うているのである。紀元1世紀のローマ帝国キリスト教迫害時代に、信徒を励ます目的で書かれた文書とされる『ヨハネの黙示録』も謎が謎を呼び、絶えず、読み手独自の読解を魅惑し続けて来た終末論的テキストである。21世紀のアジアの日本の私がそれを読み解くとすれば、次ぎのようになる。

『ヨハネの黙示録』の第2章は、キリスト教会の四分類に当てられている。最初の「エペソにある教会の御使い」に宛てられた部分にはこうある。『わたしは、あなたのわざと労苦と忍耐とを知っている。また、あなたが、悪い者たちをゆるしておくことができず、使徒と自称してはいるが、その実、使徒でない者たちをためしてみて、にせ者であると見抜いたことも、知っている。... しかしこういうことはある、あなたはニコライ宗の人々のわざを憎んでおり、わたしもそれを憎んでいる』。これは、東方正教会とローマ・カトリック教会の関係に相応する。しかも、奇しくもニコラウスという名の教皇は、そのいずれもが、教皇権の拡大に関与しているのである。そして、『あなたは忍耐をし続け、わたしの名のために忍び通して、弱り果てることがなかった。しかし、あなたに対して責むべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった』というのは、オーソドックス教会が国教会ゆえに、その世俗国家の提灯持ちに過ぎない御用宗教に陥りがちな瑕疵を、よく指摘しているのである。

二番目の「スミルナにある教会の御使い」宛のメッセージにある『わたしは、あなたの苦難や、貧しさを知っている(しかし実際は、あなたは富んでいるのだ)。また、ユダヤ人と自称してはいるが、その実ユダヤ人でなくてサタンの会堂に属する者たちにそしられていることも、わたしは知っている』という箇所は、カトリック教会とプロテスタント教会の関係性と符合する。一般にカトリック教会は、貧しい者の宗派と見なされているからである(しかしバチカン法王庁は壮麗でさえある)。また、WASPの国のアメリカ人はユダヤ人(ユダヤ教キリスト派)というよりも、実際にイエスを鞭打ち、茨の冠を被せては侮辱し、もっとも残酷な刑罰である十字架刑に処して「神の子」を殺した「ローマ人」にそっくりであると言える。古代ローマ人が転生して蘇ったとしたら、小躍りしてアメリカ市民権を得るであろうし、その物質享楽的な「パンとサーカス」の現代アメリカ生活に適応するに、何ら不都合を感じさせないであろうからである。そして『あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう』というのは、統合の中心的存在である教皇が空位になる際の、カトリック信者の精神的危機を予言しているのである。

三番目の「ペルガモにある教会の御使い」に宛てられた箇所にはこうある。『鋭いもろ刃のつるぎを持っているかたが、次ぎのように言われる。わたしはあなたの住んでいる所を知っている。そこにはサタンの座がある』。これはアメリカのことである。『あなたがたの中には、現にバラムの教えを奉じている者がある。バラムはバラクに教え込み、イスラエルの子らの前に、つまずきになるものを置かせて、偶像にささげたものを食べさせ、また不品行をさせたのである』。相対主義的な多種多様な価値観を許す合衆国に住むアメリカ人を一つにまとめて行こうとすれば、「星条旗」と「自由の女神」の偶像の力に頼るほかあるまい。国家分裂の危機に際して、ますます星条旗が打ち振られ、はためき、林立するであろうことは想像に難くない。『同じように、あなたがたの中には、ニコライ宗の教えを奉じている者もいる。だから、悔い改めなさい。そうしないと、わたしはすぐにあなたがたのところに行き、わたしの口のつるぎをもって彼らと戦おう』。つまるところ、EUという諸国連合の中に浮いた陸の孤島・バチカン市国に住む「普遍教会教皇権至上主義者」と、アメリカ諸国連合(U.S.A.)の中のコロンビア特別区(ワシントンD.C.)に住む「連邦大統領権至上主義者」は、言っていることは違っても、やっていること(目的)は同じである(旧教勢力が世界をキリスト教一色に染めようとしたのも、人類すべてがキリスト教徒となって「神殺しの罪=神のひとり子イエスが全人類の原罪を贖って死んだのだという贖罪意識」を告白すれば、実質的に「神殺しの告発者」が地球上からいなくなり、自分たちの「神殺しの事実」を、人類史から事実上「なかったことにする」ことが出来るから。『一億総懺悔論』と同じ理屈。ユダヤ教殺しの「最終的解決」の目的もその一点にあり、イスラム教殺しの「十字軍」もまた同様。正教勢力が科学的唯物論で、新教勢力が無神論的ヒューマニズムによって『それ』を「忘れることにした」のも同様の企み)。その根城(ホワイトハウスは、後者の別荘のようなものである)の建築スタイルに隠しようもなく現れているのは、いわば、西方教会文明の昼の顔と夜の顔、グッド・コップとバッド・コップの自作自演の猿芝居を演じる二人三脚の珍道中である。南北両アメリカ大陸を征服して原文明原文化を蹂躙しておきながら、我が物顔であり、神殺しの罪で塀の中にいる犯罪者のくせをして、さも裁判官・検察官気取りで、われわれ塀の外の娑婆の人間に向かってしたり顔でいちいち説教たれる、底なしの勘違い振りが両者に共通しているのである。

そして、四番目の「テアテラにある教会の御使い」に書き送られた部分は、私がいうところのプログレッシブ教会に当たる。実は、プログレッシブ教会の萌芽はアングリカン・チャーチ(イギリス聖公会)に見られるのであるが、それは、アングリカン・チャーチが国教会というオーソドキシーと、カトリック(公同的)という普遍性と、加えて近代性というプロテスタンティズムを併せ持っているからである。いわゆる無教会主義者の集会は(これは近代国家コミュニティそのものである)、必然的にその三つの要素を併せ持ったものにならざるを得ないが、しかしながら、真のプログレッシブ教会にとっては、それはまだ過半である。それらは「メディア教会」であるプログレッシブ教会の、「オフ会」の仮の姿でしかないからであり、その実身は「オンライン」上にある。『また、テアテラにいるほかの人たちで、まだあの女の教えを受けておらず、サタンの、いわゆる「深み」を知らないあなたがたに言う。わたしは別にほかの重荷を、あなたがたに負わせることはしない。ただ、わたしが来る時まで、自分の持っているものを堅く保っていなさい。勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける』というのは、儒教圏のキリスト教徒となる者のことを指している。サタンの、いわゆる「深み」であるキリスト殺しには関与していないからであって、神殺しの罪のうちにある者の魔除けである「聖体」を拝領する必要がない、部外者だからである。



同様にして、第3章にある「サルデスにある教会」がユダヤ教徒、「ヒラデルヒアにある教会」がイスラム教徒にあたり、以上で、一神教の「啓典の民」の分類は終了である。一神教以外の、残りの相対主義的な人々のことを言っているのが、最後の「ラオデキアにある教会」である。『わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。あなたは自分は富んでいる、豊かになった、なんの不自由もないと言っているが、実は、あなた自身がみじめな者、あわれむべき者、貧しい者、目の見えない者、裸な者であることに気がついていない。そこで、あなたに勧める。富む者となるために、わたしから火で精錬された金を買い、また、あなたの裸の恥をさらさないため身に着けるように、白い衣を買いなさい。また、見えるようになるため、目にぬる目薬を買いなさい。すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、懲らしめたりする。だから熱心になって悔い改めなさい』とは、誠に現代人の無神論的ヒューマニスト振りを言い得て妙である。



実は、私の最初のカテキズム(公教要理)の際に、神父様と最も見解が相違したのが、この「黙示録」の解釈と(私とすれば、終始教えを請う者としての謙抑的な態度は失わなかったつもりであるが、私の神秘体験の告白に続いた私独自の読解には、神父様はかなり激高されたものである。当然と言えば当然過ぎるくらい当然な話ではあるが、その頃の私は「うぶ」であった)「使徒言行録」の中の、以下の部分の解釈であった。

『そのころ、弟子の数が増えてくるにつれて、ギリシャ語を使うユダヤ人たちから、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して、自分たちの寡婦らが、日々の配給で、おろそかにされがちだと、苦情を申し立てた。そこで、12使徒は弟子全体を呼び集めて言った。「わたしたちが神の言葉を差し置いて、食卓のことに携わるのは面白くない。そこで、兄弟たちよ、あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人たち七人を捜し出して欲しい。その人たちにこの仕事をまかせ、わたしたちは、もっぱら祈りと御言葉の御用に当たることにしよう」。この提案は会衆一同の賛成するところとなった。そして信仰と聖霊とに満ちた人ステパノ、それからピリポ、プロコロ、ニカルノ、テモン、パルメナ、およびアンテオケの改宗者ニコラオを選び出して、使徒たちの前に立たせた。すると、使徒たちは祈って手を彼らの上においた。こうして神の言葉は、ますますひろまり、エルサレムにおける弟子の数が非常に増えていき、祭司たちも多数、信仰を受け入れるようになった』(使徒言行録第6章1節~7節)

私が思うに、ここは、預言者宗教と教団宗教とのギャップ、その立ち位置の違いから来る宿命的な乖離が露になった箇所である。「食卓のこと」とは、人間が集団をつくる時に必然的に付随して来る、組織内の物質的再配分の問題のことであって、預言者宗教が専ら与る、御言葉の再配分のことではない。この「食卓のこと」が教団内部から12使徒のところへ持ち上げられた時、ペテロにはまず、ユダのことが念頭にあったのである。イエスご自身の教団において、会計を任されていたのは、ペテロらと同等同格に立つ12使徒のうちのひとり、後に「裏切り者のユダ」と呼ばれることになるその人であった。しかも、それを選んだのはイエスご本人であり、主は後に自ら、『あなた達12人を選んだのは、このわたしではなかったのか。ところが、そのうち一人は悪魔だ!』(ヨハネによる福音書第6章70節)と嘆かれることになったのである。わずか三・四年に満たないとされるイエスの宣教活動期間においても、大勢の人間が集団を組めば、そこには不可避的に「食卓のこと(会計の問題)」が浮上してくる。つまり、「カエサルのもの」をどのように再配分するかという現実的な問題が起こって来るのである。イエスの教えに従う人が増えて行く段階では、神の御言葉の御用を務めるイエス(=宣教者)の利害と、教団の会計を任されたユダ(=司牧者)の利害とは一致している。しかしながら、イエスがエルサレムに上り、いよいよ神の御言葉の最終的な御用を果たさんとするとき、この世的な、つまり、ユダヤ人の信じるメシア的な革命運動による解放ではなく、霊的な、すなわち、全人類の精神的な解放を目指したキリスト的な覚醒運動であることが、よりはっきりすると(キリスト的な目論みからすれば、全人類が精神的に覚醒し、「カエサル的なもの」への隷属状態から解放されると、それは同時に、イスラエルのメシア的解放にもなるわけである)、当然のように、神につかえるものとカエサルにつかえるものとの関係性は、決定的な危機を迎えるのである。



ヨハネによる福音書第6章66節~67節にはこうある。『このはげしい言葉のために、多くの弟子が離れていって、もはやイエスと一緒に歩かなくなった。するとイエスが12人の弟子に言われた、「まさか、あなた達まで離れようと思っているのではあるまいね」』。イエスの宣教活動が、人類の魂の解放を目指したグローバルな、キリスト教的宗教運動であることの性格を鮮明にすると、どんどん信者は減って行く。つまり、イエスをメシアに目した古代イスラエルのローカルな、現世的革命運動・社会改造運動の勝ち馬に乗ろうとしていた人から順次離れて行き、最後まで付き従って行くのは、失うもののない人、すなわち貧しい人々である。そして、それは同時に、会計係の懐具合も寂しくなる一方であることをも意味したのである。実質的に教団会計を取り仕切っていたユダにしてみれば、自分が鉛筆舐め舐め苦労して築き上げて来たもの(=人々がシステムの移行期的な混乱を生き延びる為の互恵的な共同体・アジール)をイエスが壊そうとしているように感じられたであったろうとしても無理はない。そして、ついに、あの「ナルドの香油」事件において、キリスト者とメシア主義者の利益相反は決定的となり、両者の対立は不可避となって、ユダの裏切りとイエスの捕縛に至るのである。

『ベタニヤで癩病人シモンの家におられるとき、食卓についておられると、一人の女が混ぜ物のない、非常に高価なナルドの香油のはいった石膏の壷を持って来て、その壷をこわし、香油をすっかりイエスの頭に注ぎかけた。数人の者はこれを見て、こう言って互いに憤慨した、「香油を、なぜこんなもったいないことをしたのだろう。この香油は300デナリ(15万円)以上にも売れて、貧乏な人に施しが出来たのに」。そして女に向かっていきり立った。イエスは言われた、「構わずにおきなさい。なぜいじめるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。貧乏な人はいつもあなた達と一緒にいるから、したい時に慈善をすることが出来る。だがわたしはいつも一緒にいるわけではない。この婦人はできるかぎりのことをした。前もってわたしの体に油をぬって、葬る準備をしてくれたのである。アーメン、わたしは言う、世界中どこでも今後福音の説かれる所では、この婦人のしたことも、その記念のために一緒に語りつたえられるであろう」』(マルコによる福音書第14章3節~9節)

ここにこそ、すべての教団宗教と預言者宗教の間にある、あるいは祭司と預言者の間にある、または教会と神秘主義者の間に存在し続ける、相克のエッセンスが込められている。それゆえペテロたち12使徒は、主の『その人は、ああ、かわいそうだ! 生まれなかった方がよっぽど仕合わせであった』(マルコによる福音書第14章21節)という言葉を、しかも、その人を『選んだのは、このわたしではなかったのか』(ヨハネによる福音書第6章70節)というイエスの懊悩をも知っていたので、『そこで、兄弟たちよ、あなたがたの中から、御霊と知恵とに満ちた、評判のよい人たち七人を捜し出して欲しい。その人たちにこの仕事をまかせ、わたしたちは、もっぱら祈りと御言葉の御用に当たることにしよう』(使徒言行録第6章3節~4節)ということになるのである。ユダの欠員を埋めた、イエスなき後の使徒時代のキリスト教団の12使徒は、教団宗教ではなく、イエス復活の「奇跡」に直接立ち会った、神秘主義的な預言者宗教者の立場に立つものであることを、ここにおいて明確に宣言しているのだ。つまり、ペテロを筆頭とする12使徒は、七人の「評判の良い人」によって司牧された七つの教会、すなわち、人類の七つの集団の上に君臨する12の星の冠のようなものであって、「黙示録」と「使徒言行録」の記述を素直に読み込めば、人類の歴史は、ローマン・カトリック教会が「使徒座」を独占して収まるようなものでは、端からないと言えるのである。



もし、人類の集団がある属性にしたがって大きく分類されるとすれば、必然的にそれは「(七つの)教会」と呼ばれることになろう。なぜならば、人間を大集団へと組織化してゆく行動原理の根底には、必ず「旨とする教え=宗旨」という規範的なもの(=行動規範=協調性=同質性)があるからである。それゆえ、『ヨハネの黙示録』にある七つの教会に宛てたメッセージから、構造的に相同なある意味を引き出して、つまり、「使徒言行録」にある「食卓のこと(物質的再配分)」のことをまかされた七人の代表者によって司牧される集団としてそれを「見立て」、それをモデルとして、そこからある教訓を引き出したとしても、事実関係や史実としてはどうであれ、論理的によく整合し生産的であるならば、それはそれとして、一向に構わないということになるであろう。そこで、それぞれの「教会」の「長(集団維持に最終責任を持つ者)」を仮定して、ある組織原理的な問いを立ててみたい。もし今、あなたがたの教団にこの「ナルドの香油」問題が持ち上がった時、あなたがたは果たして、「もっぱら祈りと神の御言葉の御用に当たる」ことを選び、たとえそれが「食卓のこと(集団を日々維持してゆく組織原理)」に反する行いであったとしても、今日の糧を求める大勢の貧しい人たちのためでなく、神のひとり子のために、「高価な香油」をこぼすことの方を言祝ぐことが出来るだろうか。もし、あなたがたが人々の中から互選で選ばれた「七人の評判のよい人」の仲間であるとしたら、それはそのような振る舞いは、委託された職務への裏切り行為となるであろうし、またたとえ、あなたがたが神の子から選ばれた「12使徒」の仲間だとしても、「そのうちの一人はサタン」なのである。神の御言葉の成就と神の教えに従う人間の集団(教団)の利益相反が決定的となり、いよいよ主の贖罪の日が近づいて、主自らが近しい者の裏切りをはっきりと予言された時、12人の使徒たちは、皆が皆「まさかわたしではないでしょう!」(マルコによる福音書第14章19節)と互いに疑心暗鬼に陥り、ユダ自身を含めて、弟子達は誰一人として、裏切り者(サタン)が誰であるかを指摘することが出来なかったのである。誰もが皆、神の御子に牧される〈こども〉だったからだ。唯一人ユダだけが、〈夫〉であるイエスとともに、「家計(教団の食卓のこと)」に責任を持つ〈妻〉(=女房役)だったと言えるが、〈妻〉といえども、〈夫〉に対しては〈こども〉である。〈こども〉とは〈親〉に甘えるものだから。そして、この甘えが悪魔を呼び込むのである。それゆえ、普段から、「神のもの(御言葉=霊)は神に」、「カエサルのもの(食卓のこと=肉)はカエサルに」と、この両者をはっきり区別しておいた方がよい。少なくとも、この二つを混同した(イエスとカエサルを同衾させる立ち位置にあった)ユダにはならなくて済むであろうからである。ここに「ペテロの学び(教訓)」がある。最後の審判とは、集団で類別される革命的救済(党派性)というよりも、個人の魂の選別であることには(それは、教会の長もその例外ではない)あなたがたも同意されるであろう。最後の審判においては、すなわち、人類の集団や組織の解体局面においては、個人の救済と組織の延命は利益相反するのである。ユダが救われたのなら、イエスの復活はなかったということである。「ユダ」が大手を振っているところでは、キリストの再臨は決して「見られない」ということである。最後の審判とは、人類が種として成熟するための、エディプス的切断だ。それは、〈おとな〉と〈こども〉が仕分けされ、〈こども〉が淘汰されてゆく過程である。つまり、『幼年期の終わり』ということなのである。





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AN brand-new ( latter half )

2008年12月08日 | Weblog
Image:The Earth seen from Apollo 17.jpg Wikimedia Commons




大方のキリスト教会は、教会税(教会維持費)を支払うことを信徒の義務だと教えているが、イエスは自らの教団に対して、そのような決まりを定めるであろうか。むしろ、パンを千切って増やす奇跡によって、何千人もの人々の空腹を満たしたのではなかったか。あるいは、病を一瞬で癒す奇跡によって、医療費支払いの義務を免除してやったのではないのか。あなたがたが、「カエサルのもの」を信徒から徴することを自らの権利とするならば、あなたがたは、カエサルそのものということになってしまうが、それでもよいのであろうか。もう一度、あの言葉をよく噛みしめてみよう。『これは誰の肖像か、また誰の銘か』『カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返せ』(マルコによる福音書第12章16・17節)。これはもうあなたがたが「カネ(=信用)」を無から創造して行く力を失って、組織維持のためには、それを民から調達するしか能がなくなったのだと言える。あなたがたが失ったものは信者からの信仰ではなく、情報創出力であり、神(ロゴス)そのものなのだ。情報(=差異)こそが価値を生み、新情報の確からしさが信用創造のダイナミクスを担って行くからである。カネ(=信用創造)の本質とは、共同作業を可能にする交換の付票(=信用状)が意味する所の、非血縁関係にある人々への信用供与の反対給付(=交換性)を、誰が裏書きするのかということにある。つまり、その徴を媒介にして行われる交換が一方通行ではないこと、底なしでないこと、繰り返されてゆく性質の運動であることの保証を、一体誰が最終的に担保するのかという問題だ。誰が最後にそれを引き取って最終的な責任を果たすのか、それこそが裏書きするものの名、カネに刻んである製造者(創造者)の銘、すなわち「父-の-名」である。ゆえにカネは対象aであり、絶えず履行を迫られるが決して果たされることのない約束、あるいは、そこに自分の欲望のすべて(=存在理由)を映し出しそうで、実際はそれを向こう側に透過させて、自分の姿を他者に見透かされてしまうハーフミラーである(鏡の向こうの他者-光の届く事象の地平線の彼方の、いるかいないかはこちらからはわからない、存在するのとは別の仕方でアクセスして来る他者-の目に映っているのが実像、自分の目に映っている鏡像が虚像)。それはまた、「かつて一度も現在にならなかった過去」の忘却であり、未だ来らざるものがすでに到来したとして信仰告白される「架空の起源」(=神話)の不在であり、過去時制で語られる未来の理想物語である「大きな物語」の不成立でもある。つまり、「大文字の他者」の欠性表現である当のもの、すなわち、「マイナスの(ネガティブな)私」(=不信仰)である。



私が、各キリスト教会をその属性からものに譬えるとしたら、差し詰め、カトリック教会は正規輸入ディーラー(代理店)であろう。元は確かだが、独占にあぐらをかいており、暴利をむさぼっている可能性がある。そこで生まれて来たのが、中間搾取を廃した並行輸入業者であるプロテスタント諸教会である。こちらは、産地直送・直取引の信仰生活協同組合であるが、アフターサービスに若干問題があり、また、偽物が混じっている危険性を排除することが出来ない。安さ(=「信仰のみによって義とされる」という主観性の安易さ)と安心(=魂の救済)の両立という旨い話は、そうそう世間にはころがっていないのだ。残るオーソドックス教会は、これは旧共産圏のドル・ショップである。そこに行けば大抵のモノなら何でも手に入るが、ドルを持っている者にしかアクセス権がなく、もとより御用宗教である国教会というものは、専制国家が外貨獲得を目的に、西側から流入したドルを吸い上げる為に設けている、ヤミ屋同然の代物である。また、キリスト教会は概ね「嘘つき」である。東方正教会と西方教会、そして、旧教と新教の間の二度目の多重人格的な分裂もそうであるが、分裂病(統合失調症)とは便利なものだ。自分が矛盾そのものとなって、解決不能な論理矛盾に苦しまなくても済むからである。ひとを騙して、自作自演でお互いに善玉と悪玉を演じ分け、問題の解決や統合の苦しみを第三者に押し付けるのが、その目論みである。自分たちの存立基盤の根底に決定的な虚偽があり(一般的に「彼ら」が思いたがっているように、もし、キリストを「ユダヤ人」が殺したのなら、イエスは十字架刑ではなく、石打ち刑によって殺されていたはずである。キリスト教の「神」が十字架に磔にされている図像こそ、「彼ら」が神殺しの実行犯であることの動かぬ証拠なのである)、その論理矛盾を糊塗するための弥縫策が、「分裂」なのである。客観的事実や論理的整合性に支えられて、それのみで自存しえる真実とは異なり、嘘は嘘を信じて騙されてくれる相手を必ず必要としている(自分自身を騙す場合は、自己を便宜的に「二者」に分裂させているわけである)。いわば、イマージュ的な双数関係にある二者の間の仮想性が「甘え」であって、それが『自由への信仰(=自由の女神)』である。イマージュ的な双数関係にある両者に言えることは、二者の間で小さく騙し騙されるものは、結局、大きく第三者に出し抜かれるということである。このとき、漁父の利を得る第三者とは、しばしば大文字の他者、すなわち神なのだ。なぜならば、嘘つきの父は悪魔であり、悪魔は神に対して存在論的に言って、絶対的な遅れ(=必定的敗勢)のうちにあるからである。神は、真実のみで独立し得る完全性であるが、嘘とは、真実と虚偽の間に二股をかけ(本当のことを知らないと意識的に嘘もつけない)、明らかにしたくない真実を、虚構で覆い隠そうとする二重性である。嘘つき(悪魔)とは、神(真実)をその存在論的条件とし、神(実身)と論理的に甘いイマージュ的な双数関係にあり続けようとする、自己鏡像的な想像的存在(ヴァーチャルな仮身)に他ならない。



世界経済の破綻や地球の環境異変により、いずれ、リアルな世界が生きにくく、過酷な世界となるにつれ、人々は、サイバースペースのヴァーチャルな世界に、夢や慰めや自由を見出すようになるだろう。そこが、世界経済に残された最後のフロンティアであり、収奪可能な唯一の外部だからである。また、フルスペックのユビキタス社会というものが到来すれば、紙幣を含めてありとある物質がタグづけされ、それらとあらゆる機械が、位置情報を含めて、相互認証の関係性のうちにネットワーク化されることになる。これは、万物すべてのものに霊魂が宿っており、それらは目に見えない輪廻転生の因果律にしたがって万物流転するという、アニミズムの世界観を実装したものに他ならない。世界に対して人工的に働きかけようとするAIやロボット工学の発達が、人間が身体を通して世界をどのように認識しているのかを問う認知科学の発展を促しているように、サイバースペースの「最適化」は、そのまま、「心霊領域」の構造的理解を助けるのである。精神分析学が、夢分析を手がかりにして無意識や精神疾患を理解するように、我々は、インターネット上の仮想空間という、個人の欲望を全開で表象化し得る場の構造分析を通して、人間の存在をより的確に意識化し、それをコントロールすることが出来るようになるのである。人間の欲望とは他者の欲望である。それゆえ、総体としてそれは、人類全体の欲望になるからである。つまり、サイバースペースで我々が欲望し得ること、仮想し得ることは、人類の人間性の全体像であり、人間の可能性の不可視の心的領域の全て、すなわち、人類の未来を可視化したものがウェッブに他ならない。人間がコントロール可能な実在であるサイバースペースを足がかりにして、我々が存在論的に仮想空間を「最適化」しようとするとき、ネットワークの上層方向へのアクセスを制限され、アクセス権の下方硬直性に陥って、最終的にネットワークから排除されるものは、「邪悪なもの(=嘘つき)」である。インターネットが当初、研究者間の善意を前提にして構築されていたように、コンピュータ・ネットワークというものは、必然的に、倫理的なものになって行かざるを得ないのである。人間の思考や見解というものが、相互の参照のうちに整序され、仮想空間の構築性への貢献度といった物差しで個人が階層化されると、ウェッブ上の知の構造が、実体経済での与信の代理表象となり、それはそのまま、個人の信用度を格付けすることになる。実体空間で行われている、政治活動や経済活動で構成されている現在の権力構造、すなわち、リアルな世界の構築性である意志や意見の通りやすさというものが、そのまま、仮想空間のロジック構造で代理出来るということなのである。情報端末と発信者のそのどちらもが相互認証の上に個体識別され、システム自体が信用供与の相関図である与信構造として対象化されるとき、自ずと意志決定過程の可視化と透明性が確保されて、リアルな世界からは、イマージュ的な見栄のための不必要な消費と、人気取りのためのポピュリズムが、またヴァーチャルな世界からは、邪悪なものと愚かなものが、それぞれ「アンタッチャブル」として、政治経済の分野から排除されると気付くだろう。コンピュータ・ネットワーク文明を構築して行くことは、存在論的な論件であると同時に、倫理的な論件でもあるということである。存在論では論じきれない論理的命題が倫理学であり、コンピュータ・プログラミング・ロゴスがネットワーキング理論として「最適化」されてゆく過程は、他者との関係性を論じる、倫理学にならざるを得ないのである。そのとき個人はサイバースペース上で、各々の好むところによる、心の選好性に応じた「エスニック・グループ」として差異化され、人類は肉体の与件による区別ではなく、個人の自由な意志による、「精神的なカースト制度」によって差別化される。それぞれの魂が、それぞれの志向の赴くままに、泥水が上澄みから層をなして澄んでゆくように階層化されて、それにより、個々の魂が代理審判されるのである。インターネット上の仮想空間を整序し、倫理的に構造化して、それをコントロールするということは、取りも直さず、人間の欲望をコントロールすることである。結局それは、神に代わって、人類が人類を統御することである。プログラミングはロジックそのものであり、ロゴスとは神であるからである。



古代のオーソドックス教会、中世のカトリック教会、近代のプロテスタント教会に続く、キリスト教第四のムーヴメントであるポストモダンな時代のプログレッシブ教会とは、メディア教会である。とはいってもそれは、現代のアメリカにあるような、テレビ伝道師の雄叫びを実況中継するような中途半端なものではない。文字通り、コンピュータ・ネットワークとプログラミング・ロゴスが教会組織そのものなのである。その近似的なモデルを、ネット上のフリー百科事典・ウィキペディアのコミュニティに見出すことも可能であろうが、その組織原理を一言で言い表せば、こちらはさしずめ、「(プロテスタンティズムの)万人祭司」ならぬ「万人信徒」になろう。コンピュータ・ネットワークそのものが全体を統御し、それを構築するハードウェアとソフトウェアへの奉仕が教会への愛だからである。ローマ・カトリック教会の聖職者階級が生涯独身制を採用することで、教会の地位から与る有形無形の公的資産の継承が、個人の肉体の私的な系譜のうちに為される閉鎖性を回避し、人材が常に外部から供給されることによって、共同性を民族血統の埒外に開いておく普遍性を担保しているのと同じく、カトリック教会の位階制に基づく独身者の人間ピラミッドが、機械システムの恒常性とプログラミング言語の安定性に置き換えられているのだ。もとより、機械は私有権を持たないから不偏的であり、自由意志も持たないから、実行上の錯誤は別として、原理的には不可謬である。もちろん性欲も持たないから、少年愛などの性的スキャンダルとも無縁である。これが、占星学において、キリスト教を隠喩する魚座時代から知性を象徴する水瓶座時代(エイジ・オブ・アクエリアス)への移行、といわれるものの実質である。人類すべてが情報処理システムの助けを借りて、ある程度の「霊能者」になるということなのである(現代の「霊能力者」の霊能力とは、リーディングと未来予測が過半である)。なぜならば、ネットワーク・コンピューティングの「最適化」とは世界創造のシミュレーションそのものであり、人間関係や合意形成に至る秩序形成過程をトレースすることが出来るからである。我々は記憶の改竄作用によって、しばしば、曖昧で不確かな過去の伝承による神話(=伝言ゲーム)の延長線上に宿命づけられているものであるが、仮想空間の最適化を通じて未来予想図としての神話を創り出し、我々はやがて、可視化されたロゴスそのものになって、(伝説的な超越的存在が欲望した「お話」ではなく)我々自身が欲して描き出しながら合意形成した確かな未来に導かれるようにして歩むようになる。つまり、時間が過去から未来へと流れるのではなく、未来から現在に流れるようになる。本能は人間の身体を含めた自然を構造化し、それが「ナチュラルなリアリティ」と呼ばれているものである。それは、過去から未来へと流れる時間である。一方、ネットワーク・コンピューティングのロジックで最適化された、言わば倫理化された知性は、未来から現在へと流れ(ながら過去の意味を書き換え)る時間であるもうひとつの現実感、すなわち、「ヴァーチャルなリアリティ」と呼ばれるものを構成する。この、形成されるものと失われて行くもの、あるいは、無限と限りあるものという、「享受」と「喪失」の二つの時間感覚を知る者が〈おとな〉というものであろう。不確かだった未来がウェッブ上に人類の未来設計図として確定し、我々の未来がはっきりして来るということは、我々が未知の可能性にあふれていた〈こども〉から、可能性が縮減して先が見えて来た〈おとな〉になったということである。いわば、人類の成熟であり、人類が〈こども〉から〈おとな〉になったということなのだ。そのとき我々は非常にクールになり、もう、宗教や神秘主義やオカルトを必要としなくなり、熱狂や法悦をファッショを恐れる必要がない。創世記にはこうある。『主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった」』(創世記第3章22節)



対象aとは、ひりつくような渇望を呼び起こす欲望の原因であり、失われたものを思い出させる「喪失感」そのものだ。それは、心に刺さった棘(=外部からの異物)であり、もともとは他者の一部であったもの、他者が〈私〉に残した痕跡、すなわち「内なる他者」である。それは、交換が繰り返されるために他者が〈私〉に反対給付の補償を求める、他者によって〈私〉の体に刻み込まれた「父-の-名」のネガ(陰画)、いわば、 印影 /「父-の-名」に対する 印鑑 /「対象a」のようなものでもある。それは、絶えず我々を苛立たせ悩ませるものではあるが、しかしながら、内部が限界点に達して飽和状態に陥り、もうこれ以上自己展開できなくなったとき、外部にある別のシステムである他者と繋がるための唯一の手がかりとなって、自己救済のために用意されている出口になっているものなのである。たとえば、人類にとって神とは他者Aであり、神のひとり子イエスが対象aである。アメリカにとって南米は他者Aであり、キューバが対象aである。中東イスラム圏はアメリカにとって他者Aであり、イスラエルが対象aである。イスラエル人にとってアラブ人は他者Aであり、パレスチナ人が対象aである。イスラエルが占領地であるガザと西岸をどう扱うかで、イスラム圏の中にある陸の孤島・イスラエルがイスラム圏からどう扱われるかが決まる。中国にとってアメリカは他者Aであり、台湾が対象aである。アメリカにとって中国は他者Aであり、日本はその中国をマニュプレイトするための対象aである。日本にとっても中国は他者Aであり、日本が中国に有効な働きかけをするための鍵となっている対象aとは韓国のことである。またアメリカは日本にとって他者Aであり、対象aは沖縄である。つまり、本土が沖縄をどう扱うかは、日本がアメリカからどう扱われたいかということに他ならない。対象aとは、理解も共感も絶している、全く異質な大文字の他者Aの他者性を解錠し、それを共役(共鳴)可能なものにする、「我が身の中の他者性」といったところのもの、すなわち、「他者との関係性のモデル」である。どのように対したらいいのか、どこをどう扱って行けばよいのやら、まったくもって取りつく島のない、成り立ちの違う他者に対して、我々が有意な働きかけを為そうとする時に指標となるのが、「私と他者とのコンプレックス(複合体)」である対象aである。対象aを外部として自己疎外するのか、それとも、内部として自己共感覚的に取り扱うかは、主体が他者Aに対してどういった関係性を構築しようとしているのかという、他者との倫理性の内実を問うことである。わかりやすい例を引けば、男性の肉体の中でもっとも異質で女性的な器官は男根であり、ときに男性が「男性性」を全うしようとするときには、煩わしく思うものであるが、一旦女性と和合し、両性的な結合体である「結婚」をマニュプレイトする際には、これ以上頼もしく頼りになる『鬼に金棒』的な存在もないのである。『子は鎹』といわれて来たのも、子は女性にとって対象aであるからである。だからもし、アメリカが海峡や半島を睨んで、日本を、在日米軍基地で武装した刺々しい不沈空母として攻撃的に用いるならば、相手とする他者Aも自然と刺々しく敵対的になるが、しかし、敬意をもってそれを丁寧に取り扱えば、真の欲望の対象である中国と愛のデュエットを奏でる、まことに霊妙な器官ともなるということだ。人類にとっては、征服欲のそのものである世界が他者Aであり、その縮図である「花綵の島々・ヤポネシア弧」が、対象aである。つまり、サハリン(樺太)・台湾を含む日本周辺が世界統一の地政学的な鍵であり、沖縄がそのまま、「連邦特別区」になり得るのである。



儒教によるキリスト教の再解釈とは、西洋からすれば、キリストの神の福音の恩寵をアジア人にあまねく施すということになろうが、それはまた、東洋からすれば、西洋人に礼儀作法というものを教えてやるということである。「礼」による平和主義(=「敬して遠ざける」こと)とは、宗教や思想や信条のエポケー(一旦判断中止)であり、クリスマス休戦やラマダン休戦の延長であって、弔問外交および服喪の常態化である。いまや人類は、「礼」という身体化されたスタイルで、世界最大の官僚統治機構を作り上げた中華民族の「儒教」という文化資産と、「万物の輪廻転生」をキータームにしたヒンドゥー教で世界最大の民政安定機構というものを創り出した、インド人の「カースト制度」という文化遺産に学ぶことが出来る。もちろん、その経験知を一度脱構築して、それを現代的な制度に応用するのである。ヒトはもともと生物種としては、小さな集団を想定して設計されたものだ。それゆえ「小国寡民」が人類の理想的形態であり、インターネットというサイバースペースで、知を媒介にしたポトラッチという、新たな贈与経済というものが起動し始めるとき、人類は“カエサル”を「父-の-名」とする、幻の肉体の起源で結ばれた国家的共同体から、物質交換やサービス交換に付票を必要としない、人の顔の見えるローカルで血縁的な地域共同体へ、また、情報交換に代価を必要としない、ポトラッチのグローバルで非血縁的な信仰共同体へと移行する。人類は、〈ヒト〉を「父-の-名」として刻んだ交換の付票を媒介として、〈こども〉の共同性を紡ぐのではなく、プログラミング・ロゴスという〈神〉を「父-の-名」とする、ロジカルな知の贈与に導かれた交換によって、〈おとな〉の共同性を構築して行くのである。これが、「贈与」という名の隣人愛で交換を行わんとする「価値観同盟」の本質であり、『わたしの母、わたしの兄弟とは誰のことだ』...『神の御心を行う者、それがわたしの兄弟、姉妹、また母である』(マルコによる福音書第3章33節・34節)という、主の御言葉が成就するときなのだ。そのとき、ローカリズムとグローバリズムに挟撃されるようにして行き場を失うのが、専ら“カエサル”を「父-の-名」とする徴によって交換を行う、獣の国の共同体の住民、すなわち「ユダ」の仲間である。いずれ、国連は帝政ローマ時代の元老院のようなものになるであろう。国益という利権を背景にした「元老院議員」たちのプライドをうまくあしらいながらも、ローカルな信用創造である通貨発行権益(シニョリッジ)に拠る王の特権を脱権力化し、政策の実効性の軸足を、ウェッブ上の集合知によるグローバルな合意形成の方へ移すことに成功した者が、21世紀の見えざる電子的帝国の権力者モデル(帝王=王の中の王)となろう。グーテンベルクの活版印刷が「聖書のみ」のプロテスタントを生んだように、国境を楽々と超える全地球的なインターネットのネットワーク・コンピューティングが「ロゴスのみ」のプログレッシブを生むのである。西ローマ帝国が蛮族ゲルマン人の大移動によって滅んだように、アメリカ合衆国もいずれ、ヒスパニック系移民によって変質させられることになる。アメリカは地球に劣化ウラン弾などをバラまくよりも、今のうちに、モバイルPCをばら撒いた方がよさそうである。



西欧人の「オデュッセウスの旅」が地球を一回りして、この地球世界が閉じられた内なるものとなり、この地上に外部というものがなくなったからには、それゆえ、三千年紀の水瓶座時代にあっては、「宇宙から飛来するもの」のイマージュが神となるであろう。外部から到来する抵抗不可能なものは〈父〉と見なされるのであり、そのとき、現代の「ローマ人」とユダヤ人の帝国は、新大陸の、かつてのマヤ・アステカ王国・インカ帝国がそうであったように、疫病の流行と共に、自分たちが信じて来た神話そのものによって、あっけなく滅ぶであろう。予言が真実であったと、自分で自分が掘った墓穴に嵌るのである。『見よ、彼は、雲に乗って来られる。すべての人の目、ことに彼を刺しとおした者たちは、彼を仰ぎ見るであろう。また地上の諸族はみな、彼のゆえに胸を打って嘆くであろう。しかり、アァメン』(ヨハネの黙示録第1章7節)。そのとき、彼らは悟るのである。神は真実、神であった、誰も神を出し抜くことは出来ないと。我々が悪そのものであり、その悪から人類を救うために、神は十字架上で死に給うたのだと。『また罰についてとは、この世の支配者(悪魔)がわたしを殺したのは、わたしが罰せられたのではなく、自分が罰せられたのであること』を(ヨハネによる福音書第16章11節)。ANとは、日本語の五十音図の、最初のアルファと最後のオメガである。また、「金門の出会い」によって聖母マリアを生んだ者の名でもあり、それが新しい神の名だ。インターネットで結ばれた、メカトロニクスの機械システム自体が神の肉体であり、そのメディア教会に牧される我々は、神の前に等しく万人信徒となる。自然言語のコンテンツからプログラミング・コード、および、機械システムを聖別することが、神なるロゴスへ仕えることであり、それゆえ、端末からは時折アッザーンが流れ、それは、いわばラジオ体操の合図であり、ディスプレーというミフラーブに向かって五体を投地し、聖なるコンピュータ・ネットワークで結ばれた機械システムに跪拝して、体の凝りをほぐすのである。



そこで、その地球外来文明がもたらすことになる新たな世界構造を把握する為のガイドラインとして、自分たちの視座をごく自然に自己中心的に太陽の位置に置き、自らの立ち位置を太陽系の全体構造の中で相対化してみるとしよう。すると、水星軌道上までが知性が水のように溢れ出す水瓶座時代の内なる結界の神域圏であり、それを包んで金星軌道上までが華夷秩序的中華主義による文化圏、それを取り囲んで地球軌道上までがイスラム的絶対唯一神信仰による教化圏、そしてさらには、それら全体を包囲する外在論理のテリトリーである火星軌道上までを、欧米が主導する科学主義・相対主義による武化圏と見なすことが出来る。日本人にしてみれば、それぞれが、人類を統合する三つの大きな原理の要諦である、制度(天帝天子制/天皇制)、思想(神への絶対的帰依/かんながらの道)、軍事(全地球的軍事システム/国連軍)に対応しているのがわかるであろう。そして、すべての惑星が楕円軌道を描いて回る二重焦点のもうひとつが、見えざる神の立ち位置であり、その見えざる神に最も近侍する我が国こそ、その名の通り「日の本」であると、再び自らを、そう呼び習わすことも出来るのだ。実際、太陽系というものが、そういった神話的シンボリズムによって存在しているように、この第三ミレニアムの世界システムもまたそのように、全知全能の神によって、あらかじめ構造化されていたのである。世界はそのようにあり、また、そのように構造化しているのである。太平洋は、この星でいちばん大きな「地中海」である。つまり、地中海文明がオデュッセウス的な旅の果てに見出したものは、結局、「環太平洋共同体」という出発点だったのだ。神の目から見れば、これは『放蕩息子の帰還(ルカによる福音書第15章11節~32節)』であろうし、また、ハリウッド的に言えば『猿の惑星』であろうが、それはともかく、あなたがた西洋人は、もうすでに一回りして、元居た場所に帰って来ていたわけである。そこで、我々東洋人としては、彼らにこう言おう。


「ようこそ、我が家へ。お帰りなさい」と。







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UN old-fashioned 

2008年03月07日 | Weblog
Image:Statueoflibertywithflag.png Wikimedia Commons




いま、仮に世界を大胆に東と西に二分するとしよう。すると、西洋の起源のひとつに「ギリシア文明」があることがわかる。東洋でその憧れの位置にあるのは、古代中国文明の基底に存在する、(春秋時代に諸子百家によって「回想」された)「夏・殷・周」である。その理想を継いでその文明の体現者であることを自他ともに認めるのが、西洋にあってはローマ帝国であり、東洋にあっては中華帝国である。このそれぞれが担う理想の重さ故か、ローマ帝国にあっては西と東に、中華帝国にあっては華北と華南にと、共に分裂した歴史を背負っている。そしてその地域から洪水のように溢れ出し、東西の両文明を跨いで両者の混交を促して、一時的にせよ、世界史というものを形成したのが、マケドニアのアレクサンドロス大王とモンゴルのチンギス・ハーンであろう。また、東洋にありながらも西洋的な起源をもち、片や地中海世界にありながらオリエント的気質を濃厚に漂わせて、それぞれに独特の完結した世界を作り出しているのが、インド文明と古代エジプト文明である。さらには、かつて歴史的に存在したことはあるが、いまは存在しない文明の不思議な継承者の自覚に基づいて現代に存するのが、ビザンティン文明の後継者たらんとしているロシアであり、いっぽう過去オリエント世界に勃興した古代文明の現代的な栄光を復さんとしているのが、イスラム教シーア派の牙城・ペルシャ地域である。そのいずれもが古代の専制的体質を色濃く残して、フラットで散文的な現代世界とは若干相容れない様態を醸し出しているのも、古代文明の亡霊故であろうか。それはともかく、西洋世界にあって我々日本人の立ち位置に対応しているのは何であろうかと考えるに、これはユダヤ人がそれに当たるのではないかと思うのが自然か。「日猶同祖論」というフィクションの起源も奈辺にありや。残る東洋世界には東南アジア諸国があり、西洋側にはアラブ・イスラム諸国があるのであろうが、なにぶん大雑把な話なので、組み合わせの理非や、又それぞれに若干遺漏もあろうが悪しからずお気になさらぬように。こうしてみると東西あい譲らず、時間的には相前後するものの、互いに鏡に映し合ったように同調しているのであるが、しかし、ここに西洋に「近代」と呼ばれる時代が到来するに至って、にわかにその様相を異にして来るのがわかるのである。すなわち、彼らがそう呼んだところの、新大陸と暗黒大陸の「発見」である。つまり、南北両アメリカ大陸とサハラ以南のアフリカ大陸が彼らによって、彼らのいうところの「世界史」に強引に編入されるに及んで、西洋側が東洋側を圧倒し凌駕して行くのである。結局、この地球世界の覇権争いにおいて、新大陸を制した西洋の方に分があったということであろう。実は、東洋にも「大航海時代」があったのではあるが、鄭和は太平洋を東へとは進まず、大西洋を西へ西へと進んだコロンブスの方に勝利の女神は微笑んだというところか。人類には何故か西漸の傾向があるようであり、鄭和もコロンブスも、「つむじ曲がり」ではなかったということである。



西欧において、レパントの海戦が名高いのは、それが彼らにとっての日本海海戦であり、「抵抗し得ぬもの」と想定されたイスラムへの恐怖から解放され、オスマン帝国への愁眉を開いた慶事だったからである。いわゆるルネサンスとは、イスラム化への不安から始まった西欧の明治維新であり、コンスタンティノープル陥落はアヘン戦争、東ローマ帝国(ビザンティン帝国)の滅亡は清王朝の滅亡であって、彼らにとってそれは、自分たちを覆っていた「パクス・ロマーナ」という「天蓋」の崩壊を意味した。アジアにおいて、西洋列強による植民地主義的攻勢により、中華帝国を中心におく東アジアの「華夷秩序」が崩壊したのとまったく同じ様態の精神的危機だったのである。西欧が急速な近代化と帝国主義的拡張政策のもとに、大洋や東方に乗り出してゆくのも、政治秩序解体の危機感に発する過剰防衛反応だったのであり、明治維新以降の日本も、主観的には同じ動機に基づいて、大日本帝国が儒教圏の「中華」の担い手となることによって、「パクス・シニカ」に代わる「パクス・ジャポニカ」という世界構造をアジアに再構築しようとしていた。アジア的華夷秩序成立の条件とは、前衛によって中央から放射される文化的な魅力と、周縁から送られる憧れの応答というソフトパワーによる磁場が形成され、力の均衡・平和秩序が武力の示威ではなく、文化パワーによって保たれることと見なすことが出来る。大日本帝国主義者が熱唱した『大東亜共栄圏』だとか『八紘一宇』とかいうスローガンも、それを目論んだ彼らなりの「表現」ではあったが、ただ対外的には「田舎のプレスリー」と見下され、合格の鐘が国内的にひとつしか鳴らなかったということである。繰り返し指摘しておくが、日本国天皇は「中華皇帝」でも「ローマ教皇」でもない。その者が持つ天才的な徳によって天帝から子と認知される養子でも、神の子の不在の間の代理人でもない。それは、日本列島という大八洲の皇土に限って降臨した「日本的に在りて有る神」の生ける依り代である。いわば、日本のシャーマンの総代であり、宗家の「家元」なのだ。歴史的に総括すれば、幕末のペリー来航がもたらしたこととは、聖徳太子が法隆寺から始めて、聖武天皇が東大寺を頂点とする国分寺のネットワークとして完成させた「仏法による結界」の綻びを露にし、それで「廃仏毀釈」に至ったということである。外部から到来する抵抗不可能なものは〈父〉と見なされるのであり、それゆえ、「西洋の黒船のペリー提督」に対抗出来得るものとして、〈父〉と見なされる者の外装をまとわせて、お化粧直しの上で再登場させたのが、中華的儒教的律令制度ではなく、西洋的キリスト教的立憲君主制度に基礎づけられた、洋式軍装の明治天皇の「御真影(イコン)」であり、靖国神社を頂点とする護国神社の結界であった。そこで、「神風」が吹かなかった敗戦後に、略装のマッカーサーの厚木降臨がもたらしたものが、大元帥の礼装を脱いだ、現人神の「人間宣言」だったというわけなのである。つまり、ホンモノが出て来れば、似せモノにはもう用がないのであり、我々にはもう「神も仏もない」のである。



内田樹は、その高名なブログの中でこのように主張する。

『成熟とことの理非は別の次元に属する。どれほど理路整然と「正しいこと」を言い募っても、「こどもの言い分」はなかなか世間に通らない。それは「子ども」が自分たちが拠って立つところの「システム」に対してもっぱらその影響をこうむる「被害者・受苦者」という立ち位置を無意識のうちに先取するからである。つねづね申し上げているように、年齢や地位にかかわらず、「システム」に対して「被害者・受苦者」のポジションを無意識に先取するものを「子ども」と呼ぶ。「システム」の不都合に際会したときに、とっさに「責任者出てこい!」という言葉が口に出るタイプの人はその年齢にかかわらず「子ども」である。なぜならどのような「システム」にもその機能の全部をコントロールしている「責任者」などは存在しないからである。「システムを全部コントロールしているもの」というのは、自分が被害者である以上どこかに自分の受苦から受益しているものがいるに違いないという理路から導かれる論理的な「仮象」である。これを精神分析は〈父〉と呼ぶ。〈父〉がすべてをコントロールしており、〈父〉がこの世の価値あるもののすべてを独占しており、「子ども」たちの赤貧と無能・無力はことごとく〈父〉による収奪と抑圧の結果であるというふうに考える傾向のことを「父権制」イデオロギーと呼ぶ。その点ではマルクス主義もフェミニズムも「左翼的」な「奪還論」はすべて「父権制」イデオロギーである。「父権制」イデオロギーは当たり前であるが、父権制を批判することも、もちろん父権制を解体することもできない。〈父〉を殺して、ヒエラルヒーの頂点に立った「子ども」はそのとき世界のどこにも「この世の価値あるもののすべてを独占し〈子ども〉たちを赤貧と無能・無力のうちにとどめおくような全能者」が存在しなかったことを知る。どうするか。もちろん自ら〈父〉を名乗るのである。そして、思いつく限りの収奪と抑圧を人々に加えることによって、次に自分を殺しに来るものの到来を準備するのである。というのは、彼または彼女が収奪者・抑圧者〈父〉として「子ども」の手にかかって殺されたときにはじめて、彼または彼女は〈父〉が彼らの不幸のすべての原因であったという「物語」が真実であったことを身を以て論証することができるからである。〈父〉を斃すために立ち上がったすべての「革命家」が権力を奪取したあとに、〈父〉を名乗って(国葬されるか、暗殺されるかして)終わるのは、〈父〉の不在という彼ら自身が暴露してしまった真実に「子ども」である彼ら自身が耐えることができなかったからである。「父権制社会」を創り出すのは父権制イデオローグであり、彼らはみな「子ども」であり続けようとしたせいで不可避的に〈父〉の立場になってしまうのである。気の毒だが、そういうものである。「子ども」でも何かを破壊することができる。でも、彼らが破壊したあとに建設するものは、彼らが破壊したものと構造的には同一で、しばしばもっと不細工なものである』



王権簒奪者が自らを正当化する論理は「相対化」の論理である。「父なるもの」を同じ水準点の水平軸の向こうに存在し得るものとして捉え、〈父〉を自分の視線を遮る障害物と見なして我を通そうとするのである。しかしながら、対立し争うということは、既にもうそこにあった「聖なるもの」の絶対性が失われて、双方がともに相対的な存在へと落ち込み、そこには双数的な鏡像関係にある「同胞(はらから)」しか存在し得ないことをも同時に意味する。〈父〉を欲望した時点で「父なるもの」の聖性が冒されて聖性が消え去ってしまい、その戦いを聖化する「絶対的なもの=権威」が存在しなくなって、どのみち双方とも「聖なるもの」にはなり得ないからである。兄弟たちにとっては〈父〉ではあっても、「父」から見れば、「父」と同等の権利を主張して同列に並び立たんと欲する〈伯父〉や〈叔父〉の身分を詐称する強盗の類いである。だから王権簒奪者たちが〈父〉なるものから権能を奪い取ろうとしたとき、「父」の瞳という鏡に映っていたのは「父殺し」の犯人であると同時に「兄弟殺し」の犯人の姿でもあったのだ。友愛の精神の下に団結し、兄弟間に自由と平等を獲得しようとした革命の起源には、もう既に「兄弟殺し」がビルトインされていたのである。それゆえ彼らの目指した「自由」とは罪への不同意、牢獄の中での反抗でしかありえず、全ての革命理論にある理想は原理的に不可能な夢なのである。戦って奪い取れると思った時には、もう「聖なるもの」はそこにはなかったのだ。なぜならば、自らそれを「絶対的なもの」と見なさず、それを聖とせず、それを畏れなかったからである。それゆえ奪って手に入れたはずの「玉座」に聖性を見出せずに、自らが座る椅子を「聖化=永遠化」する理由を欲して、その「起源」を捏造する誘惑から逃れられなくなる。つまり自分でそれを奪い取ったように、自分で自分に聖なる冠を戴冠する必要に迫られて来るのである。だからそれは、神に代わって自らを聖とする悪魔的な試みに他ならず、嘘を起源とし、嘘を父とし、嘘を聖なるものとするということである。


 

Image:Paris.seine.liberty.500pix.jpg Wikimedia Commons




東ローマが滅んだということは、最後のオリジナルなローマ帝国が滅んだということである。しかも、その「殺人事件」には、どうも西欧とイスラムの間で、また、西欧の王たちとローマ・カトリック教会の間で、「共謀共同正犯」関係が成立するらしい。あたかも十字軍とオスマン帝国が協同するかのようにして、そのきらびやかな文化資産に目がくらみ、古代ギリシア・ローマの唯一の正統な継承者である東ローマ帝国を殺してしまったのだ。そして、〈父〉を殺した異端の兄弟たちは、以後、「パクス・ロマーナ」の相続権をめぐって、果てしのない遺産相続争いを続けているのである。これは無益な争い、不毛な戦いである。これはオリジナルとコピーの争いではない。どちらも偽物だからだ。本物は既に死んでいたのだ。両者の心にうちで既にその聖性を毀損され、殺されていたのである。実際に滅んだのはその結果に過ぎない。そして、一度財産権を奪取し得る見通しさえつけば、もうあとの元々のオリジナルな持ち主は用済みなのであり、正統か異端か、オリジナルかコピーかなどという細かい話は、本人たちにとってはどうでもよいというより、却ってそういった歴史の話は迷惑なのである。だから、ここは起源を偽り系図を捏造してででも、この継承を未来永劫に確かなものとしなければならない。正統性を危うくするライバルは抹消しなければならないのである。それ故ある者は、マタイ伝に『... あなたはペテロ(岩)、わたしはこの岩の上に、わたしの集会を建てる。黄泉の門もこれに勝つことはできない。わたしはあなたに天の国の鍵をあずける。... 』(マタイによる福音書第16章17節~19節)という不自然な一節を挿入し、また自ら王に戴冠してローマ皇帝を作り出し、それを自らの権威でもって聖としたのである。とはいえ、あなた方は暴力でそれを奪ったわけではない。ただ心の中で、『私は天にのぼり、私の王座を高く神の星の上におき、北の果てなる集会の山に座し、雲の頂きにのぼり、いと高き者のようになろう』と思っただけである。それゆえ、神も又あなた方が神に対してそうしたように言葉によって、精神的にあなた方を殺すのである。あなた方の権威が失墜したとき、聖なる場所を占有していた者がこの地上からいなくなったとき、使徒座というこの地球にたった一カ所だけある「玉座」が空位になったとき、それが却って逆に聖化され、あなた方の教会が本当に聖となるためである。本人が来れば代理人はお役御免であり、それまでの忠節が「本人から」聖とされるのである。代理人が頑張って「自ら」聖なる代理性を主張するうちは、たとえキリストが再臨したとしても、代理人の目には決して本人の姿は映らないであろう。それで二千年前にはちょうど「正統的な」ユダヤ人たちが「我を張って」、いまでもそうであるが、「メシア未だ来らず」と思っているからこそ、彼らにはキリストの栄光が目に入らないのである。



岩井克人は、錬金術にも通じる贋金作りの煩悩(=偶像崇拝)から離れられない人類に対して、「ホンモノのおカネの作り方」(@『ヴェニスの商人の資本論』pp.119~124 ちくま学芸文庫 1992年)の秘訣を次ぎのように伝授する。

「ホンモノのおカネの作り方を教えよう。その極意は至極簡単である。ニセガネを作らないようにすれば良いのである。では、ニセガネを作らないようにするためにはどうしたら良いのだろうか。その極意も簡単だ。ホンモノのおカネに似せようとしなければ良いのである」

古来より東洋では、そのことを、師が月を指差した時には『指を見るな、月を見よ』と言い習わして来た。もしこのとき、指差す者が「月のようなもの=模型」を手にしていたら、その代用品の出来が良ければ良いほど、生徒らはその模造品の出来映えに見とれ、それゆえ他の「指示者」はその羨望の的になろうと、模造品作りの力と業を、他の「指示者」と競うようになるかも知れない。師が何も持たず徒手空拳であるからこそ、師の指は、月への憧れという欲望の「シニフィアン(指示表象)」になれるのである。(私は一応、シニフィアン=指示表象、シニフィエ=指示内容、シーニュ=指示記号、レフェラン=指示対象、と訳し分けておく。) 「指示表象」という概念を一般化すれば、喉まで出かかっているけれど、その「あるもの」を明確にはっきりと「そのもの」として表現出来ない時に我々が言う、「あれだよ、あれ。わかっているんだけどなあ」というときの『あれ』である。『あれ』は、呼び出すものの内容でも名称でも象徴でもなく、ただ汎通的な指示代名詞であるからこそ、「それ」を言葉に出来る(『それ』=シニフィエ、『これ』=レフェラン、『指示代名詞』=シーニュ)。つまり、わかってはいるけれど、それを明確に提示出来ないことが、常に「いちばん大切なもの」なのである。(嘘つきにとっては「不都合な真実」がそれに当たる。嘘に嘘を重ね、つまり最初についた「嘘」をどんなことをしてでも守ろうとする。) 岩井克人は、ニセガネ作りとは贋金をひたすらホンモノに似せようとする営為であり、その意味において、贋金は「似せガネ」なのだという。贋金作りの情熱を支えているものは、ホンモノに似せれば似せるほどホンモノと同じ価値を持つようになるだろうという、ホンモノへの「信仰」であるが、実はホンモノのカネをホンモノとして流通させているのは、そのものの「迫真性」ではなく「汎通性(=共通感覚)」である。現代の「銀行券」や「小切手」や「クレジット・カード」は、ただ便利であるという理由で、ホンモノの金銀の代用品としての信用性を徐々に獲得していった。江戸時代の両替屋が発行した「預かり手形」は、ホンモノの金銀の代わりに、それとは似ても似つかぬ姿で、というよりも、姿形を似せた「模造品」として作られなかったからこそ、ホンモノの代わりになれたのだ。そして、贋金作りの方はホンモノに似せれば似せるほど、その企みが露見した時に、ホンモノの権威を惑乱したかどで厳しく罰せられるのに対して、ホンモノの金銀とは似ても似つかぬ「代用品」として発行された方は、やがてそれが、ホンモノに取って代わる「ホンモノの」銀行券になってゆくのである。



そして岩井克人は、最後にこう付け加えることも忘れてはいない。

「もちろん誰もがホンモノのおカネを作ることができるわけではない。実際、天王寺屋や鴻池屋ほどの大きな資力も厳重な金蔵もないところには、ホンモノのおカネを作り出すあの逆説は見向きもしてくれない」と。

「りんごは落ちて来るのに、なぜ月は落ちて来ないのか」という万有引力を発見したニュートンの林檎の話でもそうであるが、真実は「地図の地名探しクイズ」にも似て大きく目立ち過ぎるせいで、却ってなんとなく見過ごされているものである。そして大切なことは聖杯探しの果てに見つかるというよりも、常に表面的なところに現れているものなのだ。つまり日本は一度も易姓革命の起こったことのない国である。そして日本は周囲を海によって囲まれている究極の「ゲーテッド・コミュニティ」である。また儒教は宗教ではなく「礼」という「スタイル」であるからこそ、「エキュメニカルなキリスト教」になれるのである。あるいは日本国天皇は「ローマの法王」でないからこそ、「神の子の代理人」になれるのである。たとえば日本国天皇は「中華の皇帝」でないからこそ、環太平洋共同体を「ローマ帝国の後継」として纏め上げることが出来る。おそらく日本の皇室は「イギリスの王室」でないからこそ、教権と王権の両方の聖性を否定して今日がある「アメリカ人のロイヤル・コンプレックス」を補償し得る。ちょうど、カリスマ的親分が急逝したのち、血で血を洗う内部抗争の末に「組」そのものが危うくなることを避けるために、とりあえず誰がどう見ても男の親分でない女の「姐」を集団指導体制の神輿に担ぐのと同じことである。それが明らかに「それ」でないからこそ(すなわち、“自らの取り消しを求めるシニフィアン”)、便宜的にそのポジションに「収まる」のだ。つまり『アジアの純真』が世界を救うのである。



アメリカに今日の苦境をもたらした災厄の元凶のひとつであるネオコンの聖書『歴史の終わり』にあるのは、一度自分の真上で輝いた太陽は常に中天で輝き続けるであろうと思う「時よ止まれ、私は美しい」という己惚れであり、それを古式ゆかしく大和言葉で表現すれば、『この世をば わが世とぞ思ふ望月の 欠けたることもなしと思へば』とでもなるであろうか。しかしながらそれは、王権簒奪者が自ら玉座にある時をもって歴史が終わって欲しいと思う、「人間的な、余りに人間的な」一方的な勝利宣言であって、大抵次ぎなる王権簒奪者の挑戦を受けて始まる次期世界王者決定戦のゴングにしか過ぎない。それが 9.11の意味だ。なにも誇り高い大和民族の血を引く日系アメリカ人のフランシス・フクヤマが、わざわざ理屈をこね回して主張する程のことでもない歴史的法則であるが、この場合は馬脚を露したというよりも、お猿さんが自分の「黄色い尻」に気が付けずに、他人の「赤い尻」を笑っていたと評し得るであろう。傲慢で不遜な人間は、神よりも猿の方に近いのである。『ヨハネの黙示録』にいうバビロンの大淫婦とは、「教会の長女・フランス」生まれの「自由の女神」のことである。アメリカの星条旗にある星が意味するところは、未知を既知に還元してそれをマトリックス化するオデュッセウス的な知の旗印にしかなり得ない。それ故そこから真の革新など起きようがないのだ。連合とは野合であり、覇道の下にあるたまたま現在の暫定「勝ち組」にしかなり得ないのであって、遺産を奪ったあとの分捕り品の分け前をめぐって、また争い始めるのである。それで第二次世界大戦戦勝後、米ソはそれぞれ新たに東西両陣営という「連合」を組織し直して冷戦を戦い、冷戦終結後は、対テロ戦争の対応をめぐってアメリカとフランスの間で仲間割れをした。日本語では「国際連合」とは言うものの、 United Nations とは第二次世界大戦を戦った枢軸国に対する「連合諸国」という意味を出ず、それは常任理事国の構成によく表れている。連合とは敵の存在を介して初めて連帯出来るユニオンであり、その意味では「連合」こそ構造的に敵なる「悪」を中心に据えた「悪の枢軸」と言えるだろう。覇道ではなく王道の下に、同じ価値観を「軸」にして「同盟」した諸国によってのみ、この地球世界は統一されるのである。アジアの徳ある「王」は誰も敵にしないからこそ「無敵」なのであり、誰とも連合してつるむ必要もないからこそ「一者」なのだ。「いまここで」というローカルな場所に時間軸を通すということは、地球の中心から放射状に天頂を目指して指向される、それぞれの場所で、それぞれの信仰の仕方で、そこのゲニウス・ロキ(地霊)にもとづいて、個々のスタイルでなされる祈りである。誰の欲望の視線とも交差することのない、天頂に向かって放射される個々の願いである。「天」こそが我々の「キブラ(メッカの方角)」であるからだ。つまり、日本をブリッジとした中日米の三国が「枢軸」となって新たな「同盟諸国」を募らないと、歴史も終わらないのである。





Image:National Park Service 9-11 Statue of Liberty and WTC fire.jpg Wikimedia Commons



“ AN brand-new ” is coming soon !







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A Global Odyssey

2008年03月06日 | Weblog
Image:WDCCapital 1.JPG Wikimedia Commons




オスマン帝国によってもたらされたコンスタンティノープル陥落の衝撃が、西欧にとってどのようなものであったかを我々が知ることは、実はそんなに難しいことではない。我が国の歴史において、もしも西国のキリシタン大名が健在であり、したがって島原の乱もバテレン側の勝利に終わり、関ヶ原以来の復讐心に燃える西国諸藩はキリスト教の神の下に結束して、勝ち戦に乗じる天草四郎などを総大将にやがて京へと攻め上り、ついには奈良の東大寺までもが西軍の手に落ちたと想像してみるだけでいい。彼らは当然キリスト教徒であるからして、当代一の大仏を有り難く拝跪して戦勝を言祝ぐわけでもなく、それをキリスト像に鋳直すか打ち壊すかして、日本全国にある国分寺の総国分寺である東大寺をキリスト教の大聖堂へと改装すべく、さっそく工事に取り掛かるわけである。歴史に「 if 」はないが、もしそうなった時、さて、東国の諸大名の反応はどのようなものであったろうか。これは思考実験である。西日本の仏教徒にとっても、それは驚天動地の由々しき一大事であろう。そこは、仏教による鎮護国家の信仰のひとつの中心であり、「聖なるもの」が失われたのである。東国諸藩がすぐにでも反撃に及んで失地回復といけばよいが、なにぶん霊験あらたかなる新興の神の勢いもあることであるからして、東軍側の結束を立て直して捲土重来を図るには仏法による鎮護国家の本尊として、西の盧遮那仏の代わりに阿弥陀如来像の起源を偽ってでも、鎌倉大仏に再登場してもらわなければならない。なによりも、日本という皇土の結界を綻んだままにしておくわけにはいかないからである。しかも、大仏を野ざらしにしておくわけにもいかず、東大寺を上回るほどの規模の天蓋でもってそれを覆わなければならない。ここは、たとえ草を食み木の根を齧ろうとも臥薪嘗胆でやり遂げねばならぬ。しかしながら好事魔多し。何はさておいても先立つものは先ず金である。相次ぐ負け戦の出費もかさんで懐具合もはかばかしくなく、したがって建設資金集めの贖宥状(免罪符)などを北の大地で乱発して無理に無理を重ねたあげく、「わたくしどもは中尊寺の金色堂で結構です」とばかりに、仏教的宗教改革による東北諸藩の離反を招いて、関東政権は腹背に敵を受けることになってすわ一大事。かくなる上は、より広い包囲網を形成して我が身の安全を図らなければならない。そこで仏教的対抗宗教改革の名の下に、僧兵らが大船などを仕立てて大挙海路へと繰り出し、琉球王国や蝦夷地などを植民地化して富を奪うのも、「東夷(あずまえびす)」の面目躍如といったところであろうか。あまつさえ、原住民の独自の文化や霊性を無視して、鎌倉大仏教への帰依をひとえに勧めて同化を謀るのも、仏の慈悲の教えに従うとはいえ、人間にありがちなことであると言えよう。壮麗なモザイク画で知られたキリスト教世界の至宝ハギア・ソフィア大聖堂が、スルタンの手によってイスラム教のモスクに改修されたという歴史的事実は、西欧の人々にとってはそのようなものであったのである。たとえ第四回十字軍の時にコンスタンティノープルで略奪暴行を欲しいままにし、そこにラテン帝国を打ち建てておいて、その後再興なったとはいえ、東ローマ帝国はついにその打撃から立ち直ることができず、十字軍による度重なるエルサレム攻撃の復讐に燃えるイスラム側の反攻によって、いわば西欧の身代わりとなるようにして、唯一にして正統なる「ローマ帝国」の末裔があえなく滅亡したという、まったくもって、すべてが西方教会文明側の身から出た錆だったとしてもである。



中国には『井戸の水を飲む時には、井戸を掘った人のことを思え』という俚諺がある。コンスタンティヌス1世はミラノ勅令によって初めてキリスト教を公認し、以後さまざまな教会で聖人とされているが、ビザンティン帝国の首都コンスタンティノポリスの栄華は、コンスタンティヌス1世が植民都市ビュザンティオンを、統一ローマ帝国の新首都ノヴァ・ローマ(新ローマ)として整備したことに始まる。ルネサンス期に大改築された西方教会の根城であるバチカンのサン・ピエトロ大聖堂もまた、実にコンスタンティヌス1世の指示で建設されたバシリカ式教会堂に起源をもっているのである。「恩を仇で返す」とはこういうことをいうのであろうが、カトリック教会主導の十字軍の蛮行は天につば吐く行為に他ならず、いずれ西方教会文明は、西欧文明が発見した万有引力の法則によって、自ら汚辱にまみれることになるのではなかろうか。それはともかく、西ローマ帝国が蛮族ゲルマン人の民族大移動によって滅ぼされて以降、東ローマ帝国は文字通り唯一にして正統なる古代ローマ帝国の継承者をもって自らを任じていたのであり、事実、彼らは一度も自分たちをビザンティン帝国だと名乗ったことはなかった。コンスタンティノープルは聖母マリアを都市の守護聖人とする紛れもない統一ローマ帝国の首都であり、教権上は名誉的にローマの総主教が古代の5総主教座の首位にあることを認めてはいたものの、俗権的にはローマ総主教はコンスタンティノポリスの皇帝の臣下ということになっていたのである。一般に「ビザンティン帝国」または「ビザンツ帝国」あるいは「中世ローマ帝国」、はたまた公用語がラテン語から新約聖書で使われたギリシア語に代わったので「ギリシア帝国」とも呼ばれているが、これらはどれも後世の呼び方であり、彼らは単に「ローマ帝国」と称していた。東ローマ帝国の民衆も自国を「ローマ人の土地」を意味する「ローマニア」と呼んで、自らを「ギリシア人」ではなく「ローマ人」としてアイデンティファイしていたのである。西ヨーロッパでは、754年にフランク王ピピン3世がランゴバルド王国から奪い取ったラヴェンナ地方をローマ総主教に寄進したことにより、それまでの領地に加えて領土としての教皇領が正式に確立し、以後カトリック教会とフランク人が結託することで、西欧は古代ローマ帝国的秩序から離れて自主独立路線を歩み始める。それが、後の十字軍遠征や教会大分裂に発展していくことになるのである。800年に教皇レオ3世による戴冠でカール大帝がローマ皇帝として名乗りをあげると、その後、962年にオットー1世が自らの王国を「神聖ローマ帝国」と謳い上げ、果てはヒトラーがナチスドイツを誇称して「第三帝国」と名乗るのも、この西欧の系譜を意識したものである。また、かつて一度もローマ帝国の版図に含まれなかったはずの北の大地でさえ、モスクワ大公は全ルーシ(ロシア)のツァーリ(“カエサル”のロシア語読み)を称し、東方のギリシア正教会側からキリスト教を受け入れた経緯もあって、東ローマ帝国滅亡以後、コンスタンティノープルの後継となる「第三のローマ=モスクワ」の皇帝を自任するようになる。つまり帝政システムを基礎づけたカエサルの名が「皇帝(インぺラートル=最高指令官)」の名称となったように、コンスタンティヌス1世のミラノ勅令以後、「キリスト教徒化したローマ皇帝」が西洋文明の規範となり、その覇権は文明世界すべてに及ぶばかりか、その栄光はキリストによる最後の審判まで続くと考えられていたのである。ほぼ同じ時代を生きたキリストとカエサルが「永遠のローマ」という西洋文明の理想の中で、奇しくも「同衾」することになったのだ。新約聖書には主自らの言葉として、『カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返せ』と両者ははっきりと区別されているように思うのだが、それはともかくとして、さらにはもっと驚くべきことに、東ローマ帝国を滅ぼした当の、しかもキリスト教国ですらないオスマン帝国のスルタンでさえもが、正教会側の首座であるコンスタンティノポリス総主教を庇護していることをもって、自分をローマ皇帝と主張したのである。キリスト教徒でもないイスラム教徒のスルタンまでもがローマ帝国の継承者を意識するということは、地中海世界に住まう者にとって、文明と文化の恩恵を広く施した「パクス・ロマーナ(ローマによる平和秩序)」というものが、いかに大きくかつ長く人々の意識の中に存在し続けていたかということなのである。



しかしながら、ここで注意すべきことは、元々ローマ帝国はキリスト教をもって興ったというわけではなく、「ローマによる平和」も一神教的絶対性のゆえというよりも、むしろ最盛期は多神論的であり、有名なミラノ勅令でさえ、信教の自由の観点からキリスト教の禁教を解いたというのが正確なところだ。ただローマ皇帝の偶像の前で忠誠を誓いさえすれば、どのような思想信仰の自由も保障されたのであって、キリスト教徒が迫害されたのもそれを拒んだからである。今のアメリカにおいて、星条旗への宣誓をもって市民権が授与されるのと同じことである。また我々が今日、「世界史」として西欧から輸入する歴史意識(=直線的な時間軸に沿って語られる大きな物語)は、その西方教会文明側から見たフィルターやバイアスが掛かっているのであり、コンスタンティノープルから見れば、ローマはキリスト教権的には第一のローマではあっても、地上の王国としては、ローマ法の「化外の民」である蛮族ゲルマン人の野蛮な文化に乗っ取られた、フランク人やゴート人の内陸的文明文化の国にしか過ぎなかった。もっとも西側から見れば、ビザンティン帝国は先祖返りしてラテン語を捨てた、かつての被征服民であるギリシア人の国にしか過ぎなかったであろうが。だから、これはむしろキリスト教だのイスラム教だの、果ては同じキリスト教でも西か東かと区別する方が可笑しいのであって、どっちもどっちであり、どれも同じ穴の狢であって、我々「部外者」は眉につばをつけて、彼らのいうところの「世界観」を話半分に聞いておいた方がいいのであり、そうでないと、口角泡を飛ばして世界情勢を論じながら、その実、いつの間にやらどちらか一方の一神教の「ポチ」になって、都合よく提灯持ちにされている可能性が高いのである。



人間の欲望は他者の欲望である。人は他者の欲望を欲望する。一般に人は人が持っているものを羨み、それを所有することで、ひりつくような自分の欲望を静めようとするが、いったん自分が欲望していたものを自分が所有した時、今度は他者から欲望されるであろう他者の羨望意識をもって、その双数関係のうちに自分の欲望を価値あるものとして意味づける。リアルな「他者の欲望」ではなく、想像的な「他者の不全感」に巧妙にすり替えられた「自己の不全感」にしか過ぎない意識内容をもって、自己アイデンティファイするのである。このように「自己疎外感」に始まって元いたところの「空虚=満たされなさ」に辿り着くからこそ、欲望は決して満たされることがなく、切りがないといわれるのだ。欲望の起点から欲望の終点までがすべてにおいて、マッチポンプ的に、他者を鏡とする自身の視線の往還をもって自己完結しているからである。それゆえ、このような自己意識のあり方を「鏡像段階」という。西欧にとって、ルネサンス期に理想化された「永遠のギリシア・ローマ」もそのようなものであった。それまでもイベリア半島や十字軍遠征でイスラム文明と接触し、東ローマ帝国の先駆的なルネサンス文化にも刺激を受けていたが、しかし、決定的な動機は東ローマ帝国の滅亡によってもたらされた。オスマン帝国によるビザンティン帝国の滅亡という厳然たる事実は、西欧にとっては明日は我が身という精神的な一大危機となり、その災厄をもたらしうる抵抗出来ないものと想定された「父なるもの」の力の源泉を、当時の先進的なイスラム科学の中に見て取って、オスマン帝国の威勢の秘密を、スコラ哲学のような「キリスト教化されたギリシア哲学の知」の体系にではなく、キリスト教化される以前の純粋なギリシア的学知の中に見出したからである。しかも、それが自分たちが征服した足下のギリシャにあったもの、本来は自分たちのものであったはずのもの、自分たちこそがその所有者に相応しいと思ったものを他者の中に見出し、激しく嫉妬したのだ。しかしながら、真実は彼らの思い入れとは異なり、ルネサンス期に興った西欧の古典主義の「古典」とは、キリスト教世界の中にあった「ギリシア・ローマ」ではなく、実はイスラム世界の中にあった「ギリシア・ローマ」なのである。西欧から生まれたはずの近代科学において、ローマ数字でもギリシア数字でもなく、アラビア数字が世界標準であることがその決定的な証拠である。つまり、西洋が受け入れたのは単なるギリシア幾何学ではなく、インド数学(ゼロの概念・位取り記数法・インド数字)を取り入れて、その後、三角法などを加味して独自の発達を遂げたアラビア代数学(アラビア語では「アラビア数字」のことをインド数字という)だった。西欧人は、イスラム文明の中にあった「アラビア人のアラビア人によるアラビア人のためのギリシア・ローマ」を激しく欲望したのだ。なぜならイスラムに負け、何よりもイスラムを恐れ、力でそれに対抗しようと、自分たちが受容したキリスト教化した「神学の」ギリシア・ローマではなく、イスラム化した「実学の」ギリシア・ローマを欲したからである。それゆえ西方教会文明の前衛アメリカは、『コーランか剣か』をなぞるようにして正に『聖書か銃か』であり、ターバンに似せた三重冠を被る教皇ベネディクト16世がイスラム教に関して指摘したことになぞらえれば、「ルネサンスに始まる西洋近代が新たにもたらしたものは、ただ悪と非人間性であり、彼らは銃によって『自由への信仰』を伝えよと説教し命令し、世界に暴力と災いしかもたらさなかった」のである。





Image:Eiffelturm1.jpg Wikimedia Commons





内田樹はその著書『他者と死者 - ラカンによるレヴィナス』(海鳥社 2004年)の終章で「父殺し」のテーマに触れ、

『トーテム動物は聖なるものであり、ふだんはこれを殺傷することは厳禁されているが、生贄響宴においては種族全員が参加して、これを殺害し、これを分かち合って食べる。その祝宴の祭事においては、しばしば種族仲間はトーテムの扮装をし、声や身ぶりを真似る。そして、そのあと人々は殺害した動物のために哀悼し、喪の儀礼に服し、に関与した責任をまぬかれようとする。フロイトはこれを「原父殺し」を再現する儀礼ではないかと推理する。「原父」とはチャールズ・ダーウィンが仮説した原始の社会に君臨していた男性のことである』(p.258)

と要約し、フロイトのある仮説を『トーテムとタブー』から引用する。

『「ある日のこと、追放された兄弟たちが力をあわせ、父親を殺してその肉を食べてしまい、こうして父群にピリオドをうつにいたった。彼らは団結することによって、一人ひとりではどうしても不可能であったことをあえてすることになり、ついにこれを実現してしまう。... 暴力的な父は、兄弟のだれにとっても羨望と恐怖をともなう模範であった。そこで彼らは食ってしまうという行為によって、父との一体化をなしとげたのである。父の強さの一部をそれぞれが物にしたわけである。おそらく人類最初の祭事であるトーテム響宴は、この記念すべき犯罪行為の反復であり、記念祭なのであろう。そしてこの犯罪行為から社会組織、道徳的制約、宗教など多くのものが始まったのである」』(pp.259~260)

私が思うに、このフロイトの見解は人類学的な所見というよりも、古代ローマ共和制の成立とカエサル暗殺、およびキリスト教誕生という西洋文明の根幹にある秘密の告解、その「負の三位一体」とでもいうべきトラウマの表出、他者の表現を借りて迂回して語られた犯罪告白とした方がわかりやすい。が出来過ぎているからである。この理説の当否は別として、この話は、葡萄酒に浸したパンをキリストの肉だと言い、それを祝日の度に共食するキリスト教の聖餐式をそっくりなぞっている。キリスト教が後にローマ帝国公認の国教になってゆくのも当然であり、十字架は彼らのトーテムなのである。古代ローマ帝国の遺産の相続者たらんと欲している現代西洋諸国の兄弟たちの起源には、まず「自由と平等と友愛」の精神に基づく「王の追放」があり、その「父なるもの」「聖なるもの」「絶対的なもの」を『相対化』する冒涜的心性による権力構造は、必然的に帝国の極限点において「国父殺し」と「神殺し」に発展し、その王権と教権の二つの「王の身体」の毀損は、やがていたるところで権威への反抗や「王殺し」へとエスカレートしていく。西洋文明の時間感覚を規定する「紀元」にあったとされる「コト」とは、神が神の子に授与した聖性を民衆と為政者が「共謀共同正犯」で十字架につけて否定したという「歴史的事実」である。そして、その後の「歴史」は、その神の子が「代理人」に付託した権威を民衆が『造反有理』でもって「文化大革命(ルネサンスと宗教改革)」において毀損し、さらには、王権神授説に拠る絶対王権を、今度は正真正銘の民衆蜂起であるクーデターの暴力的「共和制革命」によってギロチンで奪い取ったことを、如実に物語っているのである。



人は何をもって美しいとし、何をもって佳しとするかで、無意識のうちに己を現してしまう。それが己の理想とする極限点での鏡像であり、己惚れ鏡への「映し身」であるからである。王の都において真っすぐな軸線を通すということは、果てしのない王の空間制覇の欲望の視線を表象して、征服者がその勝利を言祝ぐために凱旋門に還って来るという、自己往還的な視線を都市計画的に構造化している。ベルニーニがサン・ピエトロ広場に仕込んで、後にヒトラーの盟友ムッソリーニが通した都市軸の先には、西欧が十字軍遠征以来奪還にもえる聖地エルサレムがあるのであり、ヒトラーが夢見た「第三(ローマ)帝国」の首都「ゲルマニア計画」にも、都市軸はちゃんと通されていた。そして、ナポレオン3世の第二帝政期にオースマンが都市改造したパリもまた、軸線の強い街である。近代人が空間認識の世界標準としている「パースペクティヴ(遠近法)」という空間意識の「消失点」にあるものは、目に見えるのもので全てだと思った近代人の辿り着く先にある「空虚」であり、それは、虹を追いかける行為にも似て、どこまで行ってもその先に同じ「消失点」が現れて消え去らない、決して満たされることのない欲望の火点なのである。対象を目で見たまま遠近法的に世界を認識するということは、自分の視点を特化し、自分の立ち位置を聖なる玉座に据えるということである。他者を自己の延長である「他我」として同化をはかり、神の代わりに、自分を神になぞらえているのだ。それ故すべての聖杯伝説の旅は、マゼランの航海がそうであったように、また青い鳥探しの結末が示しているように、地球の大円をなぞって、結局もといたところに舞い戻ってくるしかない。そして、都市の軸線を通す試みは必ずどこかで他の都市軸と交差し、その西洋的な「覇道」の旅の途中にあるのは、互いに我意と我意を張り倒す「主体的自我」同士の戦争である。鏡像段階にある「オデュッセウスの旅」の起点にある、自身の「いたらなさ」「自己不全感」「空虚さ」にしか過ぎないものを、人の理想像(完全性)として承認するよう、武力で他者に強要するからである。蛮族ゲルマン人の大移動は西ローマ帝国を滅ぼし、後にカトリック教会と一体になって十字軍遠征となる。そして一旦東への欲望の軸線が遮られると、今度は反対側から世界征服を目論んで大航海に及び、南北両アメリカ大陸固有の文化文明を荒らしながら、今ちょうど地球を一回りしたところである。ローマの歴史家タキトゥスが、「彼らは荒れ地を作ってそれを平和と呼ぶ」と言ったのも、善意からと信じた「覇道」によって必然的に周縁の野蛮と接触し、本来、開明的開放的であったはずの地中海文明が、自ら「廃墟」に「空虚」に「虚無」に帰してゆく様への嘆きだったのである。



エッフェル塔は、フランス革命の百周年を記念して開催された万国博覧会場に建てられたものだ。それは建築意匠ではなく、橋梁技術の塔への応用であって、電波塔として有用性が認められて初めて生き残ることが出来たものである。神から切り離されて孤立する孤独な近代人の魂の間に橋を架ける装置、いわば起立させられた橋だ。「これぞ巴里だ」という印象は、共和主義革命によって王権簒奪者が奪った玉座にあるべき「聖杯」の不在、王が価値あるものを所有していたと想像した、その実、民衆の嫉妬にしか過ぎなかった空虚な欲望が、絶えず帰り着くところの「王殺し」のトーテムでもある。大衆の自己実現を阻害する抑圧者として目された「父なるもの(=創造者・製造者)」の不在、その実態のない表象すべき王の身体イメージが、風が通り過ぎる「レースのような体」になるのも至極当然の話だといえる。それゆえ革命を言祝ぐ祝祭ですら、他者を常に同じ「星のようなもの」としてカウントし、ひたすら未知を既知に還元してカタログ化するオデュッセウス的な冒険譚、一過性のお祭り騒ぎにしかなり得ないのである。それで、我々が戦後経済成長の国民的祝祭である大阪万国博覧会で建てた「太陽の塔」もまた、我々が精神的信仰生活と引き換えにして、物質的経済生活のために殺して食べた、「太陽神アマテラス」のトーテムなのである。



古代ギリシア・ローマの建築様式を範とする新古典主義で美しくまとめられたアメリカ合衆国議会議事堂は、通称「 Capitol Hill(キャピタル ヒル)」と呼ばれている。英語の「 Capitol 」は古代ローマの「カンピドリオ」に由来し、これは古代ローマの七つの丘の中で最も高い丘のことで、そこにはローマの最高神を祀った神殿があった。いわゆるワシントンD.C.の「アメリカ連邦主義者」が、自分たちの起源を何処において、何を理想とし、何を模倣しようとしているのかが一目瞭然である。20世紀最大の悲劇のひとつである絶滅収容所は、西欧文明の中にあってその受益に与りながら、二千年たっても一向に改悛せず、「神殺し」「父殺し」の罪を告白して、自分たちの聖餐式に加わろうとしなかった、かつての「共謀共同正犯」罪者仲間への「落とし前」であり、私的制裁だったと言えるだろう。被害者と加害者は、同じ「神殺し」「父殺し」の罪で結ばれていたのである。そして現代のユダヤ人と「ローマ人」もまた、同じ征服大陸に逃れついて「共謀」し、犯罪者は犯罪現場に舞い戻って来るという定石通りに、かつての犯罪者仲間は同じ武器を手に「共同」して、今、パレスチナの地に舞い戻って来ているのである。それを踏まえて言えば、8.6のヒロシマにおいてアメリカは、ずっと「しら」を切り通して来た同じ侵略的帝国主義者の悪友仲間に対して、「一人だけ無辜な顔していい子になるなよ」という「落とし前」をつけたのであり、8.9のナガサキの意味するところとは、西方教会の宗教的植民地である浦上地区が、キリスト教的贖罪の生贄として、軍需都市であった小倉の身代わりに神に捧げられたのである。「母なるもの(=創造者・製造者ではなく培地・培養者)」との双数的鏡像関係にあった丹下健三が、ミケランジェロに憧れ、目で見えるものしか信じないルネサンス人の欲望の視線の消失点にあるものとして、広島の都市軸の先にある玉座に据えたものは、「廃墟」という「空虚」であった。それゆえヒロシマは西洋的な覇道の野望の尽き果てるところ、閉鎖系の惑星で限りない大衆の欲望がもたらすことになる地球の荒廃、言うなれば、「産業奨励主義者の死」を永遠化したのである。そこは、「七つの丘」に正確に対応する、六つの川によって分けられた「七つの陸(おか)」の聖なる場所であり、「祈りの為の聖なる庭」であって、物売りや鋳掛け屋の「強盗の巣」ではない。それゆえ、神は自ら「彼ら」を追い払い、神の住まう場所を清められたのである。一度目は悲劇として、二度目は茶番として。『信じる者は救われる』であろう。






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Appendix of “A Global Odyssey”

2008年03月06日 | Weblog



ハギア ソフィア内部


ハギア ソフィア / ハギア ソフィア改修前 image


岡本太郎「太陽の塔」万博記念公園 大阪 / 広島平和公園


サン・ピエトロ広場 / ワシントンD.C.ナショナル・モール


サン・ピエトロ大聖堂 / アメリカ合衆国議会議事堂


サン・ピエトロ大聖堂 ドーム / アメリカ合衆国議会議事堂 ドーム


 パンテオン ドーム






岡本太郎「太陽の塔」万博記念公園 大阪 ( 画像:Taiyonotou.jpg )は
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より
それ以外はすべて Wikimedia Commons より転載









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広島に生まれて

2008年03月05日 | Weblog




私の母は、ヒロシマの原爆被災当時、今は市民球場が建っている西練兵場にあった陸軍病院で働いていた。昭和20年8月6日は、日曜日であった「パールハーバー」とは異なり、月曜日であったので、人々は早朝からそれぞれに与えられた仕事に従事すべく、母もまたその一人として、爆心地近傍で事務を執っていたはずであった。あるいは、その準備に取り掛かっていたはずであった。しかしながら、母は「その日」「その時刻」に「そこ」にいなかったのである。なぜかと言うと、その日は芋畑の農作業当番で郊外の牛田にいて、担当将校の「整列!」という号令に合わせて前にならえをした時、後ろの方で「ピカッ」と光り、次の瞬間、爆風で前方に投げ出された、というのが、母にとっての『1945年8月6日午前8時15分』であったからである。さらに本当のことを言えば、その日は本当は当番ではなかったのだが、同僚に余り体の丈夫でない方がおられ、その人から「津田さん、代わってぇや」と言われると、気のいい母は大抵「うん、ええよ」と気軽に応じていた、というのが実際のところだったのである。1945年8月6日もまた、たまたまそのような一日であった。母が「その日その時そこ」にいなかったのはそういう偶然からであって、その方は、母の身代わりとなって亡くなられたわけである。もし、私の母があの日勤務予定表通りに陸軍病院にいたら、あるいは、この私はこの世に存在していなかったかも知れない。私の魂がこの世に代わりの依り代を求めれば、それは、生まれて来ることも可能であったろうが、その時には私は別の人間であったろう。私を私たらしめている根元的要素である「個性」は、如何なる時代境遇であっても、いささかも変わることなく、私と共に発揮されていたであろうが、ペルソナ(役どころ)は違っていたはずだ。つまり、あなた方がいま私から受けとっているパフォーマンス、英語の字義通りの意味で、成果だとか業績だとかいうものは違っていたということである。いま私が為していること、歴史において父の姓と母が名付けた名で一括りにされる今生で為し得ることは、限界性能というハード面においても、歴史的情況というソフト面においても、「いまここで」という、父と母の肉体と精神の歴史を分有した、この私の「身体」の一回性に負うているからである。私個人としては、ただただ天の配剤というか、神の配慮を肯んじ、それに感謝するものであるが、あなた方にすれば、あの8月6日の運命のいたずらを、呪うのか寿ぐのかのそのどちらを選ぶとしても、それは立場立場に応じてあなた方の自由である。それは、この話の焦点である母本人からして、後の人生の無情に接し、「あの時原爆で一緒に死んでいたらよかった」と漏らすことが、一再ならずあったことを、その息子は聞いているからである。



話をもどす。母は原爆被災の翌日8月7日に入市し、爆心地から500mの距離にあった猫屋町の自宅を探し当て、父親と一番下の妹が焼け落ちた家の下敷きになって、二人とも並ぶようにして白骨になっていたのを発見した。しかし、真ん中の妹は、「勤労動員」で建物疎開の作業にあたっていたらしく、今もその行方がわからない。母はあの体験をあまり語ることはなかったし、私も取り立てて聞いてみたことはないが、それでも、焦げさしの丸太に躓いたと思ったら、それは黒こげの死体であり、「ごめんね。ごめんね」と何度も謝りながら先を急いだ、という話は複数回に渡って、問わず語りに聞いた。あの地獄を生き残った方々の証言「市民が描いた原爆の絵」などを見ると、その叔母が、一番苦しい思いをして死んだのかも知れないとも思うが、あるいは、そうではなかったのかも知れない。それはわからない。私の家には瑞宝章と、印刷ではあっても朱も鮮やかな「大日本国璽」の印璽とともに、『日本国天皇は故津田久子を勲八等に叙し瑞宝章を贈る昭和五十七年六月二十六日璽をおさせる』と書いてある章状が今に残る。そんなブリキの一片と一枚の紙切れでも、遺族にとっては、いささかの慰めになるから不思議なものだ。明治生まれの私の祖母が我が家に居た時、敬老の日に米寿のお祝いにと、民営化前の郵政省から「郵政大臣何々某」と大書してある顕彰状を戴いたはずであるが、一緒にもらった記念品のダサい湯呑みとともに、今となっては、どこへいったのやら行方不明である。しかしながら、私の叔母が十六年の短い命と引き換えにして貰った方は、昭和天皇と日本国民である私の繋がりを明徴する物証であるからして、家宝として代々伝えて行かなければならない。「少子化」とはいうものの、実際がところは、「非婚化」が進む当世の例に漏れず、絶滅寸前である我が家が続いて行けばの話ではあるが...



話をもどす。母はあまり、被爆体験や戦争体験を語らなかったし、私もあえて聞くことはなかった。母が生きていたとき、私がもっと主体的な関心を持って、詳しく聞いておけばよかったかと、今になって思うかと問われれば、それはわからない。なぜならば、迂回された形ではあっても、もう既に充分、私に伝わっていると思うからである。それには、こういうわけがある。あの「絶滅収容所」を生き延びて、その後、家庭を持ったあるユダヤ人女性に起きたことであるが、我が子を愛し、気遣う思いから、当然のように、その地獄以上の地獄の体験を語らず、それをおくびにも出さないようにと、明るく気丈に振る舞っていたのだが、それにもかかわらず、不思議なことに、子供等にある深刻な神経症状があらわれたのだという。抑圧された記憶は迂回して症状として徴候化するという、精神分析的知見を地でゆくようなことが、世代を跨いで起こったのである。譬えて言うならば、怖いホラー映画を見て笑っている人と、悲鳴をあげている人では、どちらがより怖いかということだ。ことが映画の話であれば、あるいは、その作りもの性を嗤うことも出来ようが、実際に目の前でおきている血も凍るような惨劇を前にして笑みを浮かべているような人と、一つ屋根の下で暮らすのは、それこそ、怖気を震うような凶事ではなかろうか。主観的にそれをなかったことにしようとしても、その人の深いところで、性格や人格に大きな影響を与えている経験をした以上、それを露見させようが、隠蔽しようが、効果的にはあまり変わりがない。であるからして、ことさら子供を怖がらせることもないが、積極的に語り継いでいった方がよいのではないだろうか。とはいえ、それが出来ないのが、「トラウマ」と呼ばれる、うまく、意識化も、言語化も、応答も、消化も、出来ない出来事であり、あの8.6のヒロシマを生身で経験することも、そのような、人間的な閾値を超えた体験であり、経験であったろうと私は思う。私に言えることは、私がただ聞いただけである「あの日のこと」を、母は実際に「見た」のであり、あの臭いを実際に「嗅いだ」ということである。そして、そのどちらも知らないはずの私は、それを実際に体験した人と、一つ屋根の下で40年の歳月に渡って、私の人生のほとんどの時間を一緒に過ごしたということである。原爆投下後十数年を経て生まれたはずの私は、あの地獄を見た眼で慈しむように愛され、あの地獄を嗅いだ鼻を接するようにして頬ずりをされ、十九歳であの地獄を生き延びた一人の女性の体から絞り出された乳を吸って、大きくなったということだけである。その血が、今のこの私の肉体を作っているということだけである。



さて、私が通っていた幼稚園は当時、平和大通りを挟んだ平和公園の真向かいにあった。丹下健三の設計した平和公園は、いわば私たち園児の庭であり、遊び場でもあったのである。今にして思うと私は、建築のことを何も知らない幼い子供の頃から、丹下健三が思い描いた平和理念というものを実体化した建築空間のなかで生きていたわけだ。いまでも薔薇の香りを嗅ぐと、幼児期の幸せな想い出がよみがえって来て陶然となる。それは、幼稚園のすぐ前の緑地帯にあった薔薇の棚の下を、四つん這いになりながら、時々棘に服を引っ掛けられたりしながらも、その頃よく、その下に潜って遊んでいたからである。「昭和が明るかった頃」(@関川夏央)が微妙に翳り始め、東京オリンピックを折り返し地点として、高度成長時代後半期のテレビ時代に入ると、『巨人、大鵬、卵焼き』という言葉が国民の常識となり、それを誰も疑わない時代になった。それで、野球帽といえば当然のように、YGマークが付いていたのである。いまでこそ12球団それぞれの、それどころか、海の向こうの異国の見知らぬチームの帽子までもが店頭に並んでいる御時世であるが、私が野球少年であった頃はそうではなかった。広島に生まれ、広島で育った少年にとっては、広島カープに対する愛着は已み難いものがあり、それでアンチ巨人でカープひと筋の、いわゆる「熱心党」の広島の野球少年は帽子からYGマークを外して、それを「無印」として使用するのが習いであり、それが「ひろしまっ子」の矜持というものであった。しかしながら、それまで糸で丁寧に縫い付けられていたYGマークが、ある時から接着剤で貼付けられるようになってからというもの、それは帽子製造業者にとってはコストダウンのつきづきしい上策ではあろうが、われわれ広島の野球少年の「プロテスタント」にとっては、一大痛恨事であった。なぜならば、YGマークを剥がすと、帽子の真ん中に、黄色いボンドの跡がまだらでくっきりと残ってしまうからである。しかしながら、カープへの清教徒的な愛に燃える広島の野球少年としては背に腹は代えられず、その不細工な「しるし」をもカープ愛の証しとして、自らを納得させていたのである。今では当たり前のように、赤い帽子を被っている広島の少年を見るたびに、私はそんなことを思い出す。そして、私も人並みに小学生になると、大人から、「大きくなったら将来何になるの?」と訊かれるようになり、年少時にはごく自然に、「カープに入って、カープを優勝させるんだ!」と答えて、なんら自らを怪しまなかったものであるが、長じるにつれ、体力的にその任に堪えるだけの素質がないことが子供心にもわかってくると、とりわけ他になりたいものもすぐに思い浮かばないので、仕方なく、ただ惰性で同じ答えを繰り返すと、友達から、「お前なんかプロになれるもんか」と突っ込まれることもあったのだが、かといって、自身をも大人をも満足させるような別の答えを、いっこうに思いつかないのであった。



もし、日本に純粋な国軍、すなわち市民軍というものが存在していたならば、それは、私のような人間には、男子のひとつの素直な在り方として、つきづきしいと思われるので、私は迷わず軍人を志望していたはずだ。しかし、私に自衛隊に入る選択肢はなかった。かといって、いわゆる外国人部隊に入る選択もあり得なかったが、その選択をした人の気持ちはよくわかるのである。一方で、三島由紀夫のような選択はあるのかといえば、それは、心では理解出来ても頭では理解出来ないと申し上げる他なく、歴史的にも、将来的にも、それはそうであろうと思う。敗戦後の日本に生まれた私に、「軍人」という進路が当たり前のようになかったことを、今では、それでよかったと思っている。誰の言葉だったか忘れてしまったが、敵であっても味方であっても、巨大な砲弾に人間の体が跡形もなく、あるいは、ちぎれた肉片となって吹き飛ぶ様を目の当たりにして、「弓矢は捨てよう」と思ったという、ある帝国海軍将官の述懐に心底同意するからである。『兵は不祥の器なり』という老子の言葉にも、心から同意する。しかしながらそんな私にしても、積極的にそうなりたいと思う職業が、いや、そもそもからして、そうありたいと思う男子の大人のロールモデルというものが、どこを見回してもなかったというのは、常に問題であった。日本から「サムライ(さぶらうもの=貴人の側に仕えるもの)」と呼ばれるものが消えて久しいし、というよりも、その存在が成立しうる根拠自体が、戦後の日本から消滅してしまっていたからである。



さて、そんな私は映画好きではない。それほど映画好きではない私であるが、人生を変えた映画ならある。古代ローマ帝国の反乱奴隷の生涯を描いた、スタンリー・キューブリック監督の『スパルタカス』である。ハリウッドのプロデューサー・システムの中で、しかも、シナリオも配役も決定済みの後に急遽代役に立った初回監督作品であり、後に、キューブリック自身がこの作品を履歴から消したいと思うのも頷けるほど、いま見直すと、如何にも時代がかったハリウッド調歴史スペクタルといった感じの、アラの目立つ作品ではある。しかし当時、大学浪人中に何気なくテレビで漫然と映画を見ていた私にとっては、ラストシーンのヒロインの台詞の一言で十分衝撃的であった。それは、生まれたばかりの幼子を胸に抱いて、今まさに追っ手から落ち延びようとしている妻が、十字架上で虫の息の夫に対して、今生の別れ際に、「あなたがどんな男だったか、この子に話して聞かせます」と言った、その言葉である。その言葉を受けて私に、将来結婚したとして、果たして、最愛の人からこう言ってもらえるだけの人生を、今、選択しようとしているのだろうかという、深い根源的な疑義が兆したのである。いや、兆したというよりも、その言葉を聞いたことと、それへの応答は同時であった。その言葉を聞くということは、それまで漠然とは感じていたこれまでの人生への疑問を明瞭に言語化するということであり、それはもう自問の余地も無いほど、私の人生の急所を突き刺した一撃であったからである。その日から、母が私に刷り込もうとした「意識的な欲望」(それは私の実父の欲望でもある)を代理して生きるのではない、母が敷いた人生の規定路線からの意識的な逸脱が始まり、私にとってそれは、何よりも、自分自身の人生を取り戻す為の自己確立の過程だと思われたのだが、しかしながら結局それは、母が意識レヴェルでは避けようとしてきた神の顔(=歴史の相貌)に真正面から向き合い、神が母の肉体と精神に刻み付けた歴史的運命であるところの無意識レヴェルの「身体的な欲求」を私が生きて、どうにかして、人間が核時代を生き延びようとする道を母の身代わりとなって探り当てながら、私が神に会いに行く道だったのである。



近代日本の知性と謳われた文芸評論家・小林秀雄から物事を考えるということの基本を学んだ私は、その小林秀雄を通して、フランスの哲学者アンリ・ベルクソンを知り、かつてアメリカの心理学者ウィリアム・ジェームズがベルクソンを評して、「自分を理知主義の迷いから救ってくれた」と端的に語っているように、私はベルクソンの著作によって、教団宗教の教義に回収されない、教会経由でない、キリスト教の真の意義に心啓かれたのだが、しかしながら、私がキリスト教の信仰に目覚めたのは、無教会派の内村鑑三の弟子であった塚本虎二の手になる、岩波文庫版『福音書』の日本語の「身体」によってであって、決してそれ以外の「理屈」によってではない。一般的に使用されている共同訳聖書によっては、私はキリスト教徒にはならなかったという意味である。ルターがドイツ国民に対してなしたものと同じ存在的意義をもつ、塚本虎二訳の『福音書』の存在意義は、その本の「あとがき」に言い尽くされている。いわく、『手引きなしに聖書を読んでその本当の意味をさぐり出すことは、ほとんど不可能に近い。 ... は原文の意味であるが、これを知るために教会に行って説明を聞いても、そこまではなかなか教えてくれない。また自分で勉強して発見することは、一生涯の仕事である。私はこれを救うために一案を考えた。大型活字(8ポイント)で原文を訳し、これに小型活字(7ポイント)で極めて簡単な、それがなければ意味を解し得ない程度の説明を加えることである。もちろんこれは最小限度であって、ある友人が日本聖書協会訳と本訳(小型活字を加える)との福音書の字数を比較したところ、次ぎのとおりであった。協会訳 205,698字 本訳 205,043字 すなわち本訳は655字少ない。また小型活字は合計19,133字で、大体大型活字の一割足らずであることが判った』。読者からの感想には、『「註解なしにはわからなかった処がすらすらと、生き生きと読み取れ、身に迫ってまいります」というようなのが沢山あった』という。私もそれに深く同意する。



その後、私は、カトリック教会のある日本人神父のもとで、公教要理を学ぶ機会を得たのだが、これはまことに得難い経験であり、私の霊的成長上、どうしても通過しなければならない過程であった。それは、ある正統な型というものの鋳型を一旦通すことで、好きなことしか学ばない独学者の陥りがちな偏った癖を、実質的に取り去る必要があったからである。最初は苦痛であったが、終わってみれば、何ひとつ私のオリジナリティは失われておらず、むしろ奪われるどころか、却って豊かに付け加えられたといってよい。しかしながら、その時の議論は、無教会主義者であった私を納得させるに至らず、結局、洗礼は受けずじまいであった。そして、その後しばらくして、その神父様を再び訪ねた私は、雷に打たれたほどではなかったにしろ、ある衝撃を受けることになる。神父様は、私のことを、すっかり忘れておられたのである。あんなに深く突っ込んだところまで語り合い、時には口角泡を飛ばして、つかみかからんばかりに激しくキリスト教的真理について論じ合って、私にしてみれば、人格の基底部分への同意と霊性の承認を得たと思っていた人から、たかだか7年くらいの年月で、よもやその私の存在の記憶が、そのもう片方の人から失せていたとは思いもしなかったのである。つまり、いわゆる老人特有の精神的様態であったのだが、前後を見失う程の醜いそれではなく、日々淡々と聖務日課をこなしてゆくだけの身体能力は保持しておられたが、かつての聖書学者としての切れは無くなっていた。それで私がどうしたのかというと、神父様が私に洗礼を授けたがっておられたのを知っていたので、改めて公教要理のカリキュラムを受け直して、洗礼を受けることにしたのである。そのような動機でキリスト教の洗礼を受けるものかどうかは知らないが、またそれゆえかどうかはわからないが、洗礼を受けたその年の復活祭の「大祝日」は、少なくともその日に私が主観的に感じたところから言えば、「大厄日」であった。組織的な存在理由は認めるが、教義的には必ずしも納得していないままで、異国の教団の宗教的儀式に参じて、それに頭を垂れることは、日本人として屈辱以外の何ものでもなく、キリスト教徒にとっては何よりも喜びに満ちる霊的新生の門出に際して、私は屈辱感と敗北感に打ち震えて、それでその日は「やけ酒」を飲んで、一晩中便器を抱えてゲロを吐いていたのである。思えば、あれが私にとっての『8月15日』であった。



いまは、それでよかったと思っている。なぜならば、イエス・キリストが伝道を始めるにあたって、いとこでもあった名門の祭司の家の出である洗礼者ヨハネが、「わたしこそあなたから洗礼を受けるべきであるのに、あなたがわたしの所に来られるのか。」と言って、しきりに辞退したが、イエスは答えて、「さあ、そう言わずに! こうして、せねばならぬことをなんでも為遂げることは、われわれ二人にふさわしいのだから。」ということで、イエスに水で洗礼を授けたいう故事になぞらえて言えば、イエスがヨハネから「世間的な」信用というものを受け取ったのと同じく、私が何かの間違いで、どこぞの新興宗教の「教祖さま」扱いされることもなく、私が既存の教会の管理のもとにあることをはっきりさせて、その功があるからである。つまり、あなた方は、ある一定の信用性のもとに、私に対して過度の警戒感を抱くことなく、また先入観を持つことなく、その発言内容を冷静に吟味出来る。すなわち、私は昔も今も、主観的には洗礼無用論者であり無教会主義者であるが、その私が洗礼を受け、ある権威ある教会の監督下にあることの信用性をもって、日本人であるあなた方は、「私」以後、特段洗礼を受けることがなくとも、また足繁く個別の教会に通うことがなくても、キリスト教徒であることが出来る様になる。「私」以後の日本人は、あるいは東アジアの人たちは、自身のことをキリスト教徒とは自己規定しないまでも、キリスト教の教えと、その文化文明の恩恵に浴して、神の愛のうちに隣人愛を実行する実践を通じて、自らの人生を再定義することが出来るからである。何故ならばあなた方が今現在、自分がとりわけ「儒教徒」であると意識することがなくとも、儒教の教えと文化の恩恵に浴して、現に己を律しているのと、それは同じことだからである。無論私は、あなた方の中の幾人かが正式にキリスト教の洗礼を受け、個々の教会の正会員になることをなんら妨げはしないが、あえてそうせずとも、いわば準会員や賛助会員の資格のままで、神のキリスト教的福音の恩寵に与ることが出来る。私が「この問題」の頂上を越えたことで(無論その道を選択することや、別のルートを切り開くことを誰も妨げはしないが)、今いる精神的標高の等高線を横に伝いながら、迂回するようにして、超えなければならない時代の山の反対側へ出ることが出来るようになったのである。そして、後は下るようにして、思想の展開局面の沃野を享受することが出来る。思想的ブレークスルーによる、いわゆる「トンネル効果」である。



元々、私に私事を語る趣味はなく、自伝などを書く奴の気が知れないのであるが、直近のこの七つのテキストからなる挿入節は、あなた方がものわかりが良ければ必要なかったものである。それは私が「ぷっつんした」と言われない為であり、そのツケは、あなた方がその身代で支払うことになるであろう。英語表記を標題に掲げた重要なテキストは、それぞれ一対のものとしてある。近頃話題のハリウッド映画になぞらえれば、最初が「アイデンティティ」、次ぎが「スプレマシー」、そしてこれから為すことが第3部完結編「アルティメイタム」になろうか。これは、あなた方に対する「最終勧告」である。これは、ある者にとっては「ゼロ回答」であり、いわば、その者たちの無条件降伏で終わることになる出来事の起点となる宣言文、つまり、『春の音』だ。聴くことの出来る者には聞こえるであろう。広島市政の上を分厚く覆っていた結氷が解け、緩み、軋み、動き、怒濤のような氷塊となって、広島の六つの川を駆け下り、旧弊を押し流して行く様を。いまはただ、私が「ヨナ」であったらよいと思う。



広島に生まれて私はヒロシマの子になれたでしょうか
私はあなた方の子供になれたでしょうか
私はあなた方を父祖とすることが出来たでしょうか
私のしていることはあなた方の思いに適いますか
私の戦い振りはあなた方の心を打つでしょうか
そちらからご覧になって今日の広島はいかがですか
広島はあなた方の犠牲に足る美しい街でしょうか
私はあなた方を父と呼び母と呼び
また祖父とも祖母ともいい
確かに私はヒロシマの子なのだと
それを自らに誇ってもよいでしょうか

人類は今日も心の中で廣島を殺し
ヒロシマの死を記憶の中で願い続けています
国家が仕方ないとして捨てた石を隅の要石として
神が愛されるこの世界のために拾い上げたことを
あなた方はご存知でしょうか
私はそれを知っています
私はそれをあなた方に告げるために
あなた方の処に赴くことになるでしょう
どうかその日までどうぞ白い服を着て
神の身許で私のすることを見ていて下さい
神の裁きが人類への審判として下るその日まで空の高みより
(それはあなた方の眠る足下の広島もまた例外ではありません)
神がなされるままをそっと見ていて下さい

私は広島に生まれて 
ヒロシマで死にたいと思っています
あなた方が安らかに眠られるその時まで
私の良心も眠らないように心がけたいと思います
私の命とあなた方の命がどこかで繋がっていますように
私もあなた方の居られるところに往くことが出来ますように
どうかそれを
神様がとりなして下さいますようにと
「いまここで」だけでなくいついつまでもそうお祈り致します

アーメン







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死者の国から

2008年03月04日 | Weblog
File:Hiroshima DSC 3123.jpg Wikimedia Commons




先の大連立騒動を見ていて、私の心に思い浮かんで来たのは、「百姓たち我を張る」というフレーズである。これは、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』(北垣信行 訳)のなかで、エピローグへとつながる本編最後の章に与えられた「小見出し」であるが、この「百姓たち我を張る」という言葉のほろ苦さをしみじみと味わうには、直接本編にあたって頂くしかない。しかし、なにぶん原稿用紙にして3000枚にも及ぶ大作である。最近、読みやすい画期的な新訳も出ているそうであるし、凡百の小説を漫然と読むことに勝る人類最高峰の世界文学のひとつには違いないから、それだけの価値はある。しかしながらここで、「百姓たち我を張る」という言葉の深意を手短かに言えば、無知とは怠惰の所為ではなく勤勉の故であり、人が真実というものを知ることを本能的に忌避するということである。それゆえ無知は構造的なものであって、真実は頭ではなく身体によって理解されるということである。わかりやすく言えば、人は他人に言われて危険を回避するよりも、転んで痛さを「知る」ことでそれを納得したがるということだ。



思えば、二千年前のパレスチナでも「百姓たち」が「我を張る」ことで神の子は十字架上で死ぬこととなり、その因果は彼らが身代でもって支払うべきツケとなって、二千年後のヨーロッパで悪夢のクライマックスとなったと言えなくもない。少なくとも、加害者の側にははっきりと新約聖書の記述(マタイによる福音書第27章24・25節)が「自己正当化の為の神託」としてあったはずだ。そしてこの極東の小さな島国でも、事理を我が身に引き寄せ「百姓たち」が「我を張る」選択をした以上、その落とし前は自らつけなければならなくなったのである。すなわち、我々は民主的であることを受け入れたのであり、民主的であるとは、何か神のような存在から超越的に権能を付与された主体が、臣民の代わりになって物事を決定しその責任を取ってくれるのではなく、文字通り我々自身が責任主体となって、「主人」としてのその選択と行動の結果責任を問われるようになったということである。もう誰も我々の代わりに「聖断」を下してはくれず、もう誰も我々の「身代わり」となって「敵」のもとに乗り込んで、一身の超越的大権と引き換えにしてまで国民全体の安寧を護持してはくれない。つまり、「救世主」はもう二度と現れないということである。かつては救国の神風が二度と吹かなかった時点で、ちょうど風のない日に子供が走って凧を揚るように、自ら「神風」と呼称して敵艦に突っ込んで行かなければならなくなったのであり、その非人間的な倫理的懊悩を我が身に引き受け、神の身に非ざれば耐え得ぬような善悪の葛藤のうちに、一人ひとりが投げ込まれるようになったのである。すべてが自己責任の名の下に断罪され、切って捨てられるのだ。何も悪いことはしてないのに、まじめに言われる通りにして来たのに、奇跡は起きなかった、天佑神助もなかったという絶望感であり、「エリ エリ レマ サバクタニ(私の神さま、私の神さま、なぜ、私をお見捨てになりましたか)」である。日本的にいえば「神も仏もあるものか」であり、あるいは人によっては現人神もあるものかであろうが、もとより天皇は『人間宣言』以後、我々と同じように女性週刊誌のテーマとなるに恰好の、家庭的な問題に苦悩する一個の人間的主体である。「八紘一宇」で万邦にあまねくはずの我々の神の『人間宣言』以降、我々は本当に国民個々が「父なし子」になっただけでなく、国家としても日本は世界のなかの「孤児」になったのだ。



「百姓たち我を張る」ということの構造的無知が隠蔽している真実とは、「真犯人」を取り逃がしているということでもある。あらゆる人間的ドラマの原点にある「父殺し」の事実を意識から排除したのだ。つまり、共同体の安寧の為に、身代わりの贖罪の生け贄を要求したのである。共同体は預言者や義人を殺し、歴史は殉教者や国士の屍の上に築かれて行くわけではあるが、半世紀余り前に「百姓たち」が「我を張る」ことで隠蔽したものは、ニーチェにならえば「神は死んだ。しかもその神を殺したのは、どうも我々らしい。下手人や真犯人は我々自身なのだ」とでもなろうか。そして精神分析的知見が教えているように、歴史に登録されずにいる抑圧された記憶は、迂回して身体的な症状として徴候化する。それがエコノミック・アニマルとも嘲笑される戦後の経済成長至上主義のフェティシズムであり、あるいは、財政破綻への道はアスファルトで舗装されているとも揶揄される土建国家の惨憺たる有り様である。封建制とは、確固たる理念とかいった言葉の抽象的概念の上にではなく、天然自然の肉体の感情的論理の上に、たとえば、「押し付けられたから嫌だ」とでもいった、「百姓根性」の上に築かれている梃子でも動かぬ石のような物質性である。それはまた、どうしても真犯人が見つからない時に、あくまで論理の合理性のもとに犯罪捜査の推理を続けて行くのではなく、その宙ぶらりんな片付かなさの知的負荷に耐えられずに、「謎」の代わりに判り易い「俗論」に飛びついて、それで満足してしまう「村意識 =“お上”意識 =“お代官様”意識」のことでもある。最近つとに人口に膾炙する「国策捜査」も、そういった「真実」の身代わりの冤罪の生け贄(スケープ・ゴート)を要求する、法理の辺境の「村社会」の平安を慰撫する為の「魔女裁判」に他ならない。



我々が是非とも知らなければならない「謎解きの為の補助線」とは、近代戦とは総力戦であり、その過酷な総力戦を要求する帝国主義は、マスメディアのプロパガンダによって煽られるある種の神秘的な宗教的情念によってのみ遂行可能であって、国民国家の国民が主体となって積極的に加担することなしには、決してよくは行なわれないという、政治学的、社会学的、歴史学的な事実認識である。したがって、近代ナショナリズムが確立される以前のアジアの大陸や半島では「無敵皇軍」であり、植民地的な非対称の抵抗運動はあっても、圧倒的な物量で戦われる悲惨な近代戦などは(対ソ戦であったノモンハン事件を除いて)経験しようがなかったのである。これが先の敗戦における「共謀共同正犯としての我々」という、すべての「謎」を読み解く鍵である「ロゼッタストーン」である。それをこそ、敗戦後我々がそのことを謎のままにしておく為に、戦後あくせく働いて積み上げて来た膨大な富をアメリカにすっかり朝貢してまで隠蔽しようとし、我々が意識から遠ざけようとして来た当のものなのである。我々は明治維新以降、すべての対外戦争を帝国主義的主権国家の国民的主体として、祖国の神々とともに、我々の神とともに、大元帥の軍装に身を固めた現人神の御真影のもと、外敵から祖国を守る為の聖戦を戦い、そしてその聖なる戦いにおいて天佑神助もなく神風も吹かずに敗れ去り、しかも、自分たちの信仰に基づいた「公的な」精神生活ではなく、その負け戦の「聖戦」を終わらせて私的な「実生活」を安寧足らしめる為に、〈父〉なる現人神を我々の身代わりにして敵将に差し出し、「神を殺してしまった」のである。それがあの有名なマッカーサーと昭和天皇の写真であり、まさしく戦後の日本と戦後の日本人を象徴するイコン、この豊葦原の瑞穂の国の『十字架に磔にされた神の像』なのである。(「彼ら」が四六時中叫んでいたプロパガンダ通りに言うところの 「鬼畜」の隣りに立つ「神」というもの を想像してみよ!) その図像が我々国民に突き付けているものとは、我々の信仰生活における宗教的敗北であり、我々日本人の精神性が回復される為には、何よりもこの我々の宗教的背信行為の改悛、すなわち、信仰生活における魂の倫理的な再生をもってする以外に有り得ないのである。そうでなければ、偶像崇拝である似せモノの「家父長制の新宗教」- 構造だけ一緒でより不細工なもの - に囚われるか、シニカルなアナキストになるだけだろう。(敗戦後、生き残った日本人のほとんどは「我々は騙されていた」と思うことにしたのだろうが - 「ユダヤ人」に騙されて、キリストを殺してしまったと思っている「ローマ人」、すなわち、後に「キリスト教徒」と呼ばれた人たちと同じ思考理路で - 、しかしながら「騙された」日本人に殺されてしまったアジアの人たちや、騙されたまま死んでいった同胞の魂は一体どうなるのか。そしてそれは、それらの死者に対して我々がどのように向き合うのかといった問題に還元され、それは結局、宗教的儀式である葬礼の形態に帰着するのである。)




さて、『カラマーゾフの兄弟』のエピローグは「ミーチャ救出計画」という単位節で始まる。いわゆる「ぷっつん」発言を聞いて頭を抱えた政治家、政治評論家、あるいはジャーナリストも少なくないと思うが、この世紀の「誤審」によって、本邦においても「放蕩息子の(政権与党への)帰還」とは相成らなかったわけである。この「父殺し」のドラマにおける長兄のドミートリーはシベリアの流刑地送りにされ、『最低20年は鉱山の匂いをかがされることになった...』ということである。まあ、反対者を人とも思わず切って捨てる天上天下唯我独尊の豪腕政治家が、神輿に担がれる民主党の「天皇」になったわけだ。つまり、「トロイカ」ではなく「右大臣左大臣」である。直情径行ではあるが、根は純情な人である。神輿に担がれることも、それは、ずり落ちぬようにと体力を使い、楽ではないであろうから、担ぎ手の方々は前後左右のバランスを取って、神輿を水平に保ってあげて頂きたいと思う。そして、ノイローゼ気味の次男イワンとは虚弱体質の前首相であろうか。よく出来た話ではある。また、隠れた「カラマーゾフの兄弟」の一人でもあるフョードルの私生児、シニカルで冷笑的なスメルジャコーフはあの男のことであろうが、では、ドストエフスキーが創造したロシアのキリスト、末弟アレクセイとは一体誰であろう。敗戦後の日本の「偉大なる自由民主党」の最後の宰相ともなり、重い十字架を背負って遠き道を往くが如しのその人であろうか。気の毒なことではあるが、このロシアの長大な物語の大団円にもあるように、この国の未来の子供たちはいずれ「万歳!」の歓呼をもって、その受苦に報いるのではないだろうか。もっとも、今回の一連の騒動は、すべては「偉大なる新聞記者」ひとりが悪かったというところに話が落ちて行っているようであるから、これも『お国のため』である。耐えて頂きたいと思う。



ところで、この日本の「カラマーゾフの兄弟」たち、つまり同胞(はらから)としての日本人のあなたや私にとっての「父」、殺されなければ話が終わらなかった哀れなフョードル、分からず屋で業突く張りでどうしようもない目の上の瘤とは、一体誰のことであろうか。これは言わずと知れた、鬱陶しい「あの国」のことである。我々は敗戦後、「あの国」を外部にある抵抗し難い強力な存在として「父なるもの」と見なし、自らをそれに逆い得ない「子ども」と規定し、自分たちの成長と成熟の為に突き付けられている解決すべき内政問題の矛盾を、すべて父なるものからもたらされる「抵抗出来ない与件」として、「外圧」で処理して来たのである。つまり、「父」が所有している「西洋的な財産」を相続する為に、ことさら従順な言いつけを守る「いい子」でいたいと思って来たのであるが、果たして「あの国」は我々の〈父〉であり、「聖なるもの」であり、我々を母なるものから生ましめた最初の一撃である「起源」なのであろうか。幽霊を恐わがる子供は幽霊の真似をすることで、それを克服しようとするそうだが、子供がお化けの仮装をして家々をねり歩くハローウィンのお祭りの起源も、そういった所にあるのかも知れない。イスラエルがナチの亡霊に怯えるあまり、ユダヤ人はナチスにされたことをそっくりそのままパレスチナ人に対して為そうとしているかのように、我々は黒船以来、ただただアメリカを恐れてアメリカの真似をし、さらには、あの戦争によって徹底的に打ちのめされてアメリカを恐れるあまり、敗戦後、属国以上の属国として、アメリカそのものになろうとして来たのである。



敗戦が我々に突き付けた戦後最大の課題とは、日本国という共同性を最終的に担保し、その永続性を保証する「神なるもの」「不死なもの」「全国津々浦々に遍在し得る普遍的なもの」とは何か、すなわち「父なるもの」とは何かという、『人間宣言』以降の心的問題である。国家の共同性の源泉となる神話、その国民の共通性の起源をどこにおくか、あるいは、どういった神話を新たに再創造してゆくかといった問題だ。一度死んだ「現人神」は甦らないし、それは今上陛下ご自身が誰よりもよくご存知のはずである。東西冷戦下では、何人たりとも抵抗出来ない外圧として圧倒的なプレゼンスを誇り、神の代替物となる「父なるもの」として十分過ぎるくらい十分に機能して来たアメリカの覇権や影響力が衰えて来ている現在、つまり、「神的なもの」が弱り衰え死にそうになっている今、それに代わる安心立命を得る為の心の「依り代」を、一体どこに求めるのかという問題である。もし、それが見つからなければ、我々は、混沌とし錯綜した世界情勢に呼応するように国内的にバラバラにされ、百家争鳴の意見対立の中で精神的にディアスポラされ、霊的に漂流し始めるしかないだろう。それゆえ、ちょうど二千前のパレスチナでは、ユダヤ教の神がキリスト教の神として復活することに失敗した、つまり、新たな起源である「創世神話」の再発明に失敗した正統派のユダヤ人たちは、国家の節目節目に「皆んなで」参拝していた神殿を破壊され、国を失い、故郷から散らされて、二千年もの間、世界中を彷徨うことになったのである。



極東の小さな島国の歴史では、古代中華帝国という先進文明の圧倒的なプレゼンスに際会して、それまでの倭の国の「大王」が律令国家に君臨する天子としてエキゾチックな唐衣をまとい、日の本の国の「天皇」となって再臨したように、明治維新においては、御所の御簾の奥に見え隠れするやんごとなき京の雅の帝が、洋装の大元帥の軍服をまとったエキゾチックな「立憲君主」として再臨したのである。三千年紀初頭のこの国家的危機に際しても、もし、我々にとっての「神」が蘇って再び我々の前に姿を現して下さるとしたら、神はもう以前の共同体に馴染み深い「名」で呼ばれる親しい神ではなく、それはどこか他所他所しい異国のエキゾチックな匂いのする「他者」としての、つまり、母なるものより迂回して再帰する「息子」として現れる神であろう。歴史とは常に再解釈の歴史であり、実は、起源も神話も現代においてその都度創り出されている架空の過去の物語、つまり、過去時制で語られる未来の「理想物語」なのである。そしてちょうど、妬み怒れるユダヤ教の裁く神が優しく自己犠牲的なキリスト教の愛の神となったように、過去に外部にあって抵抗出来ない畏怖すべき圧倒的な「父なるもの」が、受容と変容の再解釈を経て内面化されると、それが内部にある優しく親しい穏やかな「母なるもの」に再創造されるのである。それゆえ、絶対的権勢を誇る中国皇帝の似姿をして倭人の前に現れた「日本国天皇」は、摂関政治や幕府体制を経て、和様化され、無化されたのであり、明治維新以降の絶対不可侵の「現人神」もまた、敗戦後『人間宣言』を経て、穏やかな国民統合の象徴としての「象徴天皇」になったのである。敗戦後に父なるものとして機能して来た「アメリカ」もまた然りであり、アメリカが押し付けた現行憲法を骨の随まで内面化すれば、大統領が聖書に手を置いて宣誓してキリスト教の神の名の下に衆合する「あの国」と同じように、今や国民を統合する象徴天皇を中心に戴いた地方分権時代の The United States of Japan まであと一歩である。もうそのとき、我々はアメリカを恐れることも、アメリカと戦うことも、また、アメリカと貿易戦争を繰り広げることもないであろう。



あなた方が誤解していることがある。あなた方が知らねばならないことは、あなた方が誰と交渉しているかを知らないということである。私は代理人ではない。私は「死者の国」のメッセンジャーに過ぎない。なぜならば、私はあなた方と同様に「生者の国」にいる者だからだ。だから、私は交渉する権限を与えられていない。ただの使い走りである。その私を、いわゆる「子供の使い」にするかどうかはあなた方次第である。あなた方が「死者」を無視するのなら、彼らは彼らの持てる力の総力をあげて、あなた方にその臨在感、すなわち「死」のプレゼンスを明示することになる。あなた方はアメリカと同様にして、そして「しょうがない」として切り捨てた日本の上部構造と同じく、原爆によって廣島の中心からいなくなった14万余の死者の空白に乗じて進駐し、『死人に口なし』とばかりに、死者の唯一の持ち物である「想い」を簒奪して、それを蔑ろにして無化しようとしているからである。我々がテニアン島のハゴイ飛行場跡地に立った時にもたらされる寂寥感は、アジアの人たちがヤード跡地に立って、その由来や歴史を思い起こした時に感じるであろう想いと同じ種類のものだ。あなた方は今その場所に「夢の新球場」を建設しようとしているが、アジアの人たちにとってそこにある夢とは、夢は夢でも「悪夢」の方の夢である。この両者にとっての言葉の解釈の違い、たとえば「大東亜共栄圏」だとか「アジア解放の聖戦」だとかいう言葉にもあるすれ違いが、そのまま平和勢力の一大中心地である、ここヒロシマにも存在しているのである。原爆ドームの世界遺産登録を、なぜアメリカと中国が支持しなかったのか。アメリカも中国も21世紀の日本の安全保障に関して、決定的な重要性を持つ二か国である。再開発の名の下に、『明日の神話』広島誘致とヤード跡地「夢の新球場」をもって、今あなた方がやろうとしていることは、そのアメリカと中国を二正面にして同時に、精神的に、道義的に、道徳的に、「喧嘩」を売っているのと同じことである。



この構造的無知から来る自分たちの、いかにも田舎者らしい「無恥」を恐ろしいとは思わないか。広島市の政官財の指導層は、これが意味するところの、「今そこにある危機」を理解する力もないのだろうか。というよりも、もう既にあなた方はそれを「頭で」知ってしまった以上、なんとかして、それをやめる為の恰好の理由を欲するようになるのである。神なき御代には、もう誰も一身を投げ打って中止を断行出来ないから、一同が合意形成できる、抵抗不能な「外力」の到来を無意識に望むようになるのである。「外圧」としての「父なるもの」の干渉、すなわち神のプレゼンスを待ち望むのだ。戦前はそれで、大正デモクラシー以降の順調な民主主義の国内的発展が、世界大恐慌の余波によって阻害された時点で、前近代性の克服を苦痛に満ちた内的な自己改革を通してではなく、アメリカの圧倒的な物質力の抵抗出来ない外力によって、封建制の遺制が除去されることを望んだのであり、それゆえ今回もまた、アメリカ・中国をも上回るような、強力で抵抗出来ない超越的な存在からの干渉を、粛然たる変成力をともなった現実の経済的政治的な混乱を、無意識に望むのである。それは、已み難い嗜癖を、ある深刻な病症をきっかけにして止めるようになるのと同じことだ。恐れるものはやって来る。無意識が待ち望んでいるものにも、意識的には不意を討たれるようにして、ある日死神があなたの門口に立つように、それに打たれ、それに出会うのである。



歴史とは、死者の登録名簿である。再開発の名の下に、「市民球場」という我々自身の歴史だけでなく、ヤード跡地でアジアの死者の想いまでをも破壊しようとしているのであるからして、死者は蘇って復讐をするであろう。つまり、死者は自分たちのものを自分たちのもとに取り返そうとするであろう。あなた方が死者たちから奪い取ったものの上に所有権を主張し、死者の国の刻印を押すであろう。すなわち、あなた方の上に、あなた方が自分の持ち物だと信じた物の上に、死の影が兆すのである。都市は不吉な死の陰に覆われ始め、瑞兆ではなく凶兆がそこここに現れて、死があちらこちらに見られるようになるのだ。前世紀では、アジアの災厄はここ廣島からもたらされたのであるからして、今世紀にアジアからもたらされることになる「それ」は、ここ広島からあまねく日本全土を侵掠するように広がって行くであろう。アメリカは卑劣な「パールハーバー」の復讐を「ヒロシマ・ナガサキ」で果たしたが、日本とアジアのことに限れば、我々やアジアの人々が主観的にどう思おうとも、神の目から見ればそこに倫理的な非対称性があり、カルマの均衡が未だ回復されていないからである。私がここにこうして予言しておくのも、私の言っている言葉を「後で」理解する為だ。私の言うことはいくらでも無視出来るし、理解したくなければ頭で理解しなくても済むが、「実際に起こった言葉」は無視出来ないからである。それはちょうど『ポツダム宣言』の意味を、ヒロシマ・ナガサキ、あるいは旧満州の「身体で」思い知ったのと同様である。つまり、終戦の合意形成に必要な構成要件が現実的な「外圧」として編制されるのを、皆が無意識のうちに欲していたということである。言い換えれば、自分たちにとっての「悪」、すなわち「不都合な」真実の原因は、自分たちの内部にある改善可能な要因だと認めたくなくて、外部にある「邪悪な」他者からもたらされる抵抗不可能なものだったという「物語=説明」を、心から - 理性からではなく - 求めていたということだ。自分たちは無力で善良な「被害者」なのだと、自らに言い聞かせたかったのである。それがヒロシマ・ナガサキの贖罪の意味だ。あなた方がそれを止めたくても止められない為に、一同が「しょうがない」と納得する為に、子供たちが不可抗力性として見なす「父なるもの」の干渉として、外部から「それ」が到来するのである。神風の神通力の消えた現人神の代わりに、超大国のヘゲモニーの消えたアメリカの代わりに、寄る辺ない父なし子の我々の自己決定出来ない無意識の不安が、外部にあって抵抗不能な強大な干渉主体と想定される「それ」を招き寄せるのである。すなわち最大限の人災である戦争に比すべき、未曾有の天災による市政や経済の混乱である。それゆえ、あなた方が先の大戦で大切な人材を敗戦後にとっておく為に、彼らを前線から遠ざけ主計将校や通信将校としたように、神もまた、広島カープを再建する為の得難い有為の人材として、黒田を海の向こうのアメリカに取り分けておかれたのである。



吉田満の『戦艦大和ノ最期』と並んで、戦後戦争文学のもうひとつの金字塔である、大岡昇平の『野火』の終章近くにはこんな文章がある。

「この田舎にも朝夕配られて来る新聞紙の報道は、私の最も欲しないこと、つまり戦争をさせようとしているらしい。現代の戦争を操る少数の紳士諸君は、それが利益なのだから別として、再び彼等に欺されたいらしい人達を私は理解出来ない。恐らく彼等は私が比島の山中で遭ったような目に遭うほかはあるまい。その時彼等は思い知るであろう。戦争を知らない人間は、半分は子供である」

大岡昇平が身を以て知った戦争は、日本の戦争である。日本人がどういった戦争をし、どのように近代戦を戦うかが、そこに記してある。「猿の肉」と称して、「戦友の肉」を喰らう戦争の話だ。あなたがたは、自分たちの信じているものによって滅ぶであろう。すなわち、経済効率の名のもとによって計量してこなかった安全率の適用外で。あるいは、初頭の勝ちに乗じて過度に拡大した経済圏の、その伸び切った信用補給線の寸断によって。また、あなたがたは自分たちが考慮せず、蔑ろにしたものに敗れ去るであろう。前近代的なものとして切り捨てた近代以前の、科学未満の、霊的な事由によって。目に見えるものが総てであるとして、計量してこなかった環境因子によって。あるいは保険の免責事項によって。そのリスクヘッジが出来ていないデインジャーによって。要するに、疫病だとか、地震だとか、風水害であるとかである。もとよりヒロシマは死の影の濃い街である。広島は都市全体が慰霊の為の「墓」であり、そこは何より、生者よりも死者たちの国だからだ。死者は地霊の簒奪者に対して、ここヒロシマの真の地権者、その本当の所有者とは誰であるのかを思い知らせることになるであろう。これは、死者の国の、あなたがた生者の国に対する抵抗運動である。なぜならば、あなたがたが先に死者の国へ、地霊の棲む国へと進出し、そこに鍬を入れ、生者の一方的な開拓の夢を、「そこ」に植民したからである。あなたがたは、もう既に「戦争」を始めてしまったのだ。21世紀の戦争は戦場だけで戦われるのではない。地雷はどこにでも埋まっている。家庭や職場が、個の生き残りを賭けた戦場と化すであろう。まさしく死者の「トラウマ」は、現世の「症状」として回帰するのである。『sauve qui peut (ソーヴ・キ・プ)』。これは、船が沈没したり、前線が崩壊したりするときに、指揮官が兵士たちに最後に告げる言葉だ。「生き延びることができる者は、生き延びよ」。つまり、集団として生き延びることが困難な局面に至っては、もはや一人ひとりが自分の才覚で難局を切り抜ける他にない。すなわち、「解散!」に至ったということである。これは、我々一人ひとりが、「これより先は、各自の才覚をもって、生き延びられる者は生き延びよ。そして、生き残った者は祖国を再建せよ」という命令を受け取ったということでもある。それゆえ私も、こう告げたい。


『生き延びれる者は生き延びよ。そして祖国を再建せよ』と。







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聖なるもの

2008年03月03日 | Weblog
Image:Macarthur hirohito.jpg Wikimedia Commons




昭和天皇とマッカーサーの、あの有名な写真の薄気味の悪さを、それが「結婚写真」であるからだとする説を読んだことがある。私は一度もそういう風に思ったことはないが、なるほど、今のイラク情勢とは異なり、ゲリラ戦もなく、すんなりと占領された敗戦後の日本を見事なまでに表象する、戦後日本の国民の統合を「象徴」しているイコン(図像)ではある。あの写真にある薄気味悪さは、この両者の邂逅がお互いがお互いを求め合ったものではなく、それぞれに計算や打算があってのことであり、そこには両者の思惑の違いがあって、本当は「同床異夢」であることを抑圧している、そのことに因っている。そこにある収まりの悪さ、落ち着かなさ、不自然さや違和感の正体とは、この両者の結びつきが正式の結婚でない、偽りの結婚であることの誤魔化しと嘘のことである。この「無理やり感」を端的に表しているのが、在日米軍基地の「爆音」であり、「日米地位協定」のせめぎ合いだ。20世紀フランスのキリスト教神秘主義者シモーヌ・ヴェイユは『アメリカ覚書帳』の中で、神と魂の神秘的な結びつきを結婚にたとえ、無垢な花嫁が神と交わす初めての契りを、合意の上でなされる強姦であると述べているが、これは存在論的に彼我に圧倒的な差異がある場合には、たとえどのような細やかな愛情でそれが為されるにせよ、受け取る側の不安や動揺がはなはだしく、もはやその交歓の始まりは一方的な愛であって、こちらがそれに愛をもって応じているようにはとても感じられない、という意味である(麻酔なしで行われる緊急手術のようなものだ)。写真から想像すると、昭和天皇は敵将の偉丈夫と肝胆相照らして満足そうである。『ポツダム宣言』以降、心の中に重くのしかかっていた「ある懸念」がなくなり、肩の荷がすっかり下りたのであろうが、マッカーサーの方は至極淡々としている。こちらの方は、予てよりの謀が思惑通りに運んで、想定外の事など何もなかったといった風であり、もとより「オレンジ計画」以来、ほぼ一国だけで日本を完膚なきまでに叩き、すべては征服者の指呼のうちであって、これで占領の第一段階が終了したのである。



「敗軍の将」の満更でもなさそうな表情の陰にあるのは、自らの決定的な過ちを不問に付してくれる者への甘えである。もう一方の勝利者側の無表情の裏に隠されている本心とは、侮蔑以上の軽蔑である本質的な無関心だ。アメリカが日本占領の向こうに見ているものは巨大な中国市場であり、ペリーの黒船来航の主たる目的も、中国との交易のための中継基地確保であって、ハワイ併合のそれと変わりがない。アメリカにとっての日本の存在価値は、在日米軍基地の戦略的価値がそうであるように、今に至るまで論理的に終始一貫しているのである。日米関係は常に米中関係の関数であって、「ABCD包囲網」に象徴されるアメリカの外交政策も、蒋介石の執拗なロビー活動に答えたものであり、その先に太平洋戦争もあったのである。この中国をめぐる大日本帝国とアメリカの「恋の鞘当て」が日米戦争の本質であって、アメリカが真に欲望しているのは中国であり、日本人のハートではない。アメリカは日本をパートナーとして情愛から求めているのではなく、中国をものにするためのステップとして利用しているだけであり、したがってアメリカにとって日本とは単なる手段であって、「都合のいい存在」なのである。それゆえ太平洋戦争終結後には、中国とのデートの場所である北東アジアを平安ならしめる為に、日本を軍事的に徹底的に無化しようとしたのであって、その中国側のパートナーであったはずの国民党が共産党との内戦に敗れて大陸から追われ、また、中国の後背にあたるソビエト・ロシアと思想的に結んだ共産勢力との確執が、朝鮮半島において深刻な対立として顕在化すると、力づくで中国権益をこじ開けなければならなくなり、押し付けたはずの平和憲法の基本コンセプトを反古にしてまで、急遽日本の再軍備にとりかかる。そして今また、専守防衛のはずの自衛隊を世界的な米軍再編に組み入れようと、自主憲法制定とは聞こえは良いが、国内の反動勢力と結んで、現行憲法の改正まで策しているのである。この国は本当に、属国以上の、「やり捨て」の都合のいい女である。その証拠に、対日戦で重用され、占領地日本で絶大の権勢を誇ったマッカーサーも、朝鮮戦争で中国に対する原爆使用を進言すると、あえなく解任されるのである。ニクソンだけでなく、アメリカは中国に対しては概ね「礼」を尽くしているのであり、砂漠の核実験場に繋がれて、皮膚を焼かれた哀れな実験動物なみに扱われた日本人とは、こと程左様に違っているのである。あなただって「本命」にはそうするだろう。それを怨んでも仕方がない。もともと、アメリカの向こうを張って中国に手を出し、他人の恋路を邪魔して泥沼の三角関係に陥った我々が野暮だったということである。野暮とは、粋を知らない田舎者ということだ。



あの昭和天皇とマッカーサーの写真に写し出されているのは、天皇の「慚愧の念」ではなく、自分の失敗がリカバーされ、最悪の事態だけは避けられたという安堵の表情である。昭和天皇が不安の面持ちで辿ったアメリカ大使館への道にあった踏み石の中には、オキナワとヒロシマとナガサキもあったのであり、硫黄島もインパールもガダルカナルもあるのである。国体護持の至上命題を胸に抱いて日本国天皇が歩んだその道は、その後、日本国民も同じようにして踏みしめた道筋であり、それは戦後生まれの我々も例外ではなく、敗戦後、精神的にそれを追認して今日の平和を享受している。その安心立命を支えているものとは、農家が田畑を手放すことを「ご先祖様に申し訳ない」という理由で本能的に忌避するのと同じ論理である。それは、「田畑を売らずに済んだ。これで祖先に顔向けが出来る」とでもいった、我が家大事の「百姓根性」のことだ。それは取りも直さず、人間の肉体を含めた天然や自然であるところの「母なるもの」をいちばん大切なものとして「地母神」を聖化し、それを「起源」としたということなのだ。それゆえ、戦後我々日本人はエコノミック「アニマル」と呼ばれ、禁断の木の実を食べたアメリカ太平洋軍と日本のアダムとイブは、儒教的アジアの共同性の王道楽土から追放され、神から『あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。あなたは額に汗してパンを食べ、ついに土に帰る。あなたは土から取られたのだから、あなたは塵だから、塵に帰る』と宣せらたのである。では、残った田畑の代わりに、いったい何が売られたのであろうか。それは民族の誇りである。我々は名を捨て、実を取ったのだ。武士の魂である刀を捨て、髻(もとどり)を切って落とし、神武東征以来の「サムライ」を捨てたのだ。それゆえ、戦後レジームに乗っかって今現在の地位にある日本のエスタブリッシュメントが、公的意識の欠如だの、倫理観の退廃だの、自虐だのと言うのはおこがましいというものである。そこにあるのは、我が家第一の「百姓根性」であり、百姓根性とは、お天道様のご機嫌に村の日常と動植物の永劫回帰をひたすら言祝ぐ、「陽の下に新しきことなし」の天然自然の大地の論理である。それが「戦後の平和」であり、日米安全保障条約体制下のアメリカの核の傘の下に守られた、在日米軍基地と日本国民の「相合い傘」の退屈な「ツーショット」だ。



あの写真のフレーミングはアメリカが決め、それを我々が受容した「枠組み」だ。そこには、相手を鏡として、相手側に映った自分の「映し身」を自己像とする(実は、相手が抱いているイメージと想像されたものに過ぎない虚像なのであるが)、典型的な双数的鏡像段階にある者の在り様がくっきりと映し出されている。敗戦後の国体の明徴である。それはまた一方で、洋の東西を問わず、アジア太平洋地域で、帝国主義的な戦争を戦った真犯人同士の「共謀共同正犯」の謀議の現場を写した、動かぬ証拠写真でもあるのである。我々が大人として成熟するためには、言葉という記号(シンボル)操作に習熟して象徴段階へと入り、言葉を目的合理的に使役して「為にする議論」に消費するのではなく、それを、我々と同じ存在者としての「ロゴスである神」として敬意を持って慎重に扱い、論理の合理性の筋に沿って、ソクラテスのいうところの「ロゴスの赴くままに」、いわば言霊の助くる国の「神ながらの道」を行くこととして、それを再定義出来るとしたら、我々は、他者から運命づけられた枠組みをすり抜けるようにして、自由を得ることが出来るだろう。それは、何ごとにおいても第三項を導入して対立構造をずらし、フレームワークを初期化するということである。いま、そこに投げ入れるべき第三項とは、中国のことだ。なぜならば、征服者の意識にはあっても、我々からは隠されていて意識化出来ていないものが、昔から今もアメリカにあるが、昔はあったが今はもう我々にはない、中国への欲望であるからである。人の目や自分の目は誤魔化せても、神の目は誤魔化せない。神の視線に漸進的に近接してゆくのが、巨視的な歴史的視点であり、三角測量の方法論にも似て、両論併記の上で双方の論旨の角度的差異の先に、見えざる神の差配を見出す歴史進化論的意識なのである。その象徴段階的な超越的視点をもってしか、我々が他者の思惑から離れて精神的な自立を果たす「成熟」はあり得ないのであって、日本は、アメリカからやりすてにされる芸者のような「都合のいい女」から、せめて「都合のいい男」になれということである。つまり、ロジカルに共生を果たす、アメリカの頼りになる友人になれということだ。



昭和天皇が『君臨すれども統治せず』の理想的な立憲君主の立場を超えて、自らの政治的意志を直接的に示した例は私からみて四度ある。一度目は、いわゆる「満州某重大事件」である。張作霖爆殺事件をうやむやのうちに葬りたい陸軍出身の田中義一首相の曖昧な上奏は、昭和天皇の不興を買っただけでなく、「辞任してはどうか」という天皇による事実上の総理大臣の罷免、つまり、普通選挙で民主的に選ばれたはずの内閣の不信任にまで至る。二度目は、大元帥として、2.26事件における「断固鎮圧」という自らの統帥権の行使である。三度目は、ポツダム宣言の受諾を決めたいわゆる「聖断」であって、敗戦直後の混乱期におけるマッカーサーとの一連の直接交渉も、その延長線上にあると言ってよいが、人間宣言以後、また新憲法発布後に、日米安保条約制定をめぐって、マッカーサーや吉田茂の頭越しになされたワシントン政府との「二重外交」(@豊下楢彦『安保条約の成立』岩波新書 1996年)は、立憲君主制はおろか、象徴天皇制からの明からさまな逸脱であると言えるだろう。この四度にわたる逸脱の性質を仔細に検討してみると、一回目と四回目が「外交防衛政策」に対する干渉であり、最初が「軍事力を背景にした他国への内政干渉を咎めた」形で、最後のは「それを積極的に引き込み是認した」形になっている。ベクトルの向きがちょうど逆である。そして、二度目の大元帥命令による「断固鎮圧」は武力行使による平和であり、三度目の、いわゆる超越的な天皇大権による「聖断」の終戦工作は、武力放棄による和平である。これもベクトル的には奇妙にも正負の向きが逆になっており、逸脱を逸脱で打ち消して、政治力学的に平衡を取り戻した恰好になっているのである。つまり、最初の「嘘」が次ぎ次ぎと嘘の上塗りを必要としてゆくように、初めの逸脱が次ぎなる逸脱による「修正」を必要とするような、政治システム上の暴走を引き起こしたと言えなくもないのである。



歴史に「 if 」はないが、この昭和天皇の最初の政治干渉によって浜口雄幸内閣が誕生し、蔵相も高橋是清から井上準之助に代わって「金解禁」断行へとつながり、やがてそれが、東北地方の深刻な不況を招いて2.26事件の引き金になる。2.26事件における皇道派と統制派の対立は、「この国のかたち」をめぐる対立である。『朕ガ股肱ノ老臣ヲ殺戮ス、此ノ如キ凶暴ノ将校等、其精神ニ於テモ何ノ恕スベキモノアリヤ』という昭和天皇の怒りは、決起した青年将校にとっての「股肱」である、東北出身の兵士らの窮状を思う心とそっくり同じでありながらも、その同じ気持ちが二つに分かれて相反し、万葉集の第一巻劈頭第二歌にある「国見の歌」に謳われた、「庶民の竃に煙が立つのを見て美しい国と思う」この国の天子と赤子が、昭和の御代になって、『朕自ラ近衛師団ヲ率ヰ、此レガ鎮定に当タラン』とまで言わしめて、相争わなければならなくなったのである。そこに「国家観」の乖離があり、両者の間には決定的な距離があったのだ。2.26事件で決起部隊が鎮圧され、軍部が粛軍と称して皇道派を第一線から放逐したということは、事実上、軍の近代化を進める統制派が勝利したことを意味する。2.26以後、日本は陸海軍省を含めて、革新官僚が主導する国家社会主義的な統制経済のもとに、国家と資本家が一体となって近代総力戦を遂行し得るような国家総動員態勢、いわゆる「1940年体制」が確立されて行き、それはそのまま太平洋戦争を超えて、敗戦後もバブル経済崩壊まで「護持」されて行くのである。



私は、昭和天皇が戦前においても、終始時勢に翻弄される非力な存在であったとは思っていない。2.26事件のとき、「自ら近衛師団を率いて鎮圧に当たる」とまで言い切り、一時は決起将校らに対する同情論や擁護論もあった陸軍内部も、一同風に靡くかのようにして、武力制圧の線に決して行くからである。この皇軍の一大不祥事に際しての果敢な処置により、軍を統帥する大元帥としての威信と軍への影響力は、むしろ高まったと見る方が自然だ。秩父宮擁立までをも視野に入れていたクーデター派を、自身に対する反逆者と見なして粛清したその後に、権勢に翳りが射すというような、政治力学的奇習を私は知らない。昭和天皇は、日清戦争時に広島大本営まで出張った明治天皇を規範として崇敬していたくらいであるから、その外交知識や情報センスからいって、ヒトラーほどの明から様な干渉でないにせよ、これを奇貨として、皇軍の督戦に一層傾斜していったはずである。あの写真に写っている二者が演出しようとした茶番劇の当のもの、日米双方がともに隠蔽しようとした真犯人とは、ある神秘主義的な宗教的情念をもってしか遂行することが出来ない過酷な近代戦を戦うために、「神」である人間を中心におき、その聖戦を戦って敗れ去った、帝国主義的国民国家主体としての「われわれ」である。その敗戦責任(戦争責任ではない)を曖昧にすることは、敗北者にとっては、自ら肺腑をえぐり出するような痛みを避けることが出来、そして、それを何よりも、勝者の敗者に対する寛容さと誤解させて、抵抗者を馴致せしめるところが大だったからである。つまり、中国を睨んで、第二次大戦後のアメリカの極東政策のファーストステップである対日占領政策を円滑にならしめる為に、諸連合国の意向を無視して、昭和天皇の戦争関与は東京裁判で追求されず、それは結局、真の戦争主体である我々が、征服者側から慰撫されたということなのである。



裕仁天皇個人の在位と天皇制存続の問題は、論理的に別次元の問題であるが、サンフランシスコ講和条約締結後も続く軍事的半占領状態を維持する為には、その方が好都合であったからこそ、それが政治的に問題であるがゆえに、それが忌避されたのである。つまり、退位によってある責任を内外に明徴化することは、昭和天皇個人の政策決定過程への関与が取り沙汰されるだけでなく、それは取りも直さず、戦争責任の全体像をつぶさに余すところなく明らかにしてゆく過程で、戦争関与の度合いによって、真の戦争主体である一般国民を、正と邪に仕分けすることに他ならなかったからである。それゆえ、すべては軍人や官僚の一部指導層が悪かったということにされ、本格的な犯人探しによって国内を分断するような、深刻な国内対立に陥ることが避けられたのだ。その曖昧さが、やがて後の安保改定の際に国民的強訴となって国論を二分し、結局、昭和天皇が退位する代わりに、岸信介首相が身代わりになって退陣したわけである。いわば、我々は自らを甘やかしたのであり、占領者、および戦勝国に対する「子ども」の立ち位置を、自ら選びとったのである。それゆえ今も、アメリカを始めとする中国やロシアなどの他の対日戦勝国に対して、外交的にも、精神的にも、倫理的にも(倫理とは「友だち付き合いをすることわり」であり、我々は、日本の中の「敗戦国組」、つまり、アメリカ・中国・ロシア・イギリス・オランダ・オーストラリアなどとは相容れない心性を持った人々との訣別が未精算のままで - そこがドイツやイタリアとは違う - 、真に「戦勝国組」の同輩として国際社会に参加するルールやマナーを、未だ日本国のメインストリームが血肉化していないのだ)、負債を負っており、それが対等な付き合い方や当たり前の対応を妨げ、ひたすら卑屈に低姿勢になって相手に迎合するか、そうでなければ反対に感情的になって威丈高に反応する、子供のような応答に終始するのである。「侵略戦争」で片付けるのも、日本の植民地化の後遺症で、本来ならば同胞相争う理由のない内戦であった朝鮮戦争の、米ソの覇権争いの代理戦争という側面を曖昧にするし、「自存自衛」と抗弁するのも、同じように王族を国民統合の中心に戴いて、欧米の植民地化から独立を守ったタイの例があるからして、強弁するには無理がある。



日本の政治・社会学者が一様に失念していることは、日本が高度な近代化を達成した唯一の非西洋諸国であるということである。儒教文化圏の天帝天子システムの下にある本質的に律令官僚制国家である東アジアの国では、天子の徳によって同化を促す上からの行政サービスが福祉の基本であり、したがってそこには、キリスト教会を核とするボランティア・ネットワークによる民間セクターのセーフティーネットが存在しない。ソビエト崩壊後の混乱を早期に収束させた現在のプーチン政権下でのロシアの復活も、ロシア正教会との協働なしにはあり得なかったと指摘できるであろう。それゆえ、都市化により、またグローバル化によって、地縁血縁社縁の劣化が進みつつある日本で、更なる経済成長を目指して新自由主義的改革を断行し、規制緩和によって行政の関与を弱めて自由競争を押し進めることは、安全網なしで空中サーカスをやれと言っているのに等しい。律令制の衰微が甚だしかった戦国時代に、「加賀は百姓の持ちたる国」と言われたのも、実はそこにあったのは仏教的な信仰共同性であり、伊勢長島、京都叡山、大阪石山もそうである。結局、織田信長がそれら寺社共同体をことごとく粉砕することで、日本は宗教的な中世から脱宗教的な世俗的な近世へと進み、寺請制度(檀家制度)によってそれらが儒教的な幕藩体制に組み込まれると、文字通り、官僚行政システムによる一元的管理が、唯一の公共的なセーフティーネットとなって行く。それゆえ、本源的に革命思想である「近代化」によってもたらされる激動期には、痛みを伴った国内改革の内政の矛盾や不満を、外交政策で解決しようとする誘惑に駆られるのであり、それが、戦前の昭和恐慌時にあっては、満州事変から始まる一連の植民地経営主義的攻勢となって現れ、今は、靖国公式参拝問題(あるいは、尖閣諸島などの「辺境の」領土問題)なのである。



キリスト教における教皇の不可謬性にしてもそうだが、これは個々の教皇の判断(教書や回勅)が無謬ということではない。元より人間は自由意志を持つが故に、原理的に間違い得るものだ。しかしながら、天皇制とか普遍教会を護持しようとする心性と営為のうちにしか、修正を可能にする皇統の連続性が担保されず、歴史的な時空間において中心軸を通すことで、結果的に360度の不偏性を確保しようとするのである。ちょうど、腹背に敵を受けた時には二人で背中合わせになって対処するように、時間軸でバランスすることで、永世を保障し、大御心の絶対性とか、教皇の不可謬性の信仰のうちに、聖性が獲得されるのである。聖性は、唯一性と永遠性をもって聖化されるからである。それゆえ、周縁から中心を見るたった1度分ほどの視野角にしか過ぎない「私心」を、「大御心」に対して優先する者は、聖性を毀損し、皇統を廃する者といえるだろう。それである意味、鏡像段階的な双数関係にある者の信仰は、「日本が大変になりますゾ、今に大変なことになりますゾ、... 天皇陛下何と言ふ御失政でありますか、何と言ふザマです、皇祖皇宗に御あやまりなされませ」といった、2.26事件で処刑された磯部浅一の呪詛ともなるわけであるが、磯部の言っていることは正しくとも、やっている事は間違っているのである。



神と人の立場を「一身で二生を経るが如く」であった昭和天皇は、「この原子爆弾が投下された事に対しては、遺憾に思っていますが、こういう戦争中であることですから、どうも、広島市民に対しては気の毒であるが、やむをえないことと私は思っています」と言われたことがある。我々が土から生まれ、塵からとられたものであるならば、神話の中でイザナミ神とイザナギ神がそれぞれ、毎日人間を千人殺し、また毎日千五百人生み出すことを宣しあったように、皇国の皇土に降臨した天孫が、命を与え、またそれを奪うことが出来るのも、それが現人神であるからだろう。しかしながら、日本神話ではなく現行憲法のもとで、象徴天皇として即位された今上陛下が、時に被災地をお見舞いになるときに、スリッパ履きで体育館の床に膝を折られ、我々国民と同じ目線の高さで親しく接せられるのは、古代万葉集の「国見の歌」にある大王(おおきみ)と民がそうであったように、民の暮らしが立つことをもって美しい国とする、理想的な天皇像がそこにあると、私には思われるのである。昭和天皇は2.26事件当時の国民が「ああいう具合に苦しんでいたとは、知らなかった」そうであるが、天香具山に立てば国全体が見渡せた大和盆地の大王の時代から、皇化の及ぶところが日本列島の隅々に至ったとしても、今はメディアの力を借りて、天皇と国民が事情を相通じ合うことも可能な時代だ。昭和天皇の人間宣言以後、日本国憲法のもとで即位された、名実共に国民統合の象徴天皇である明仁天皇は、大和政権の大王が我々と起源を同じくする総代であったように、我々とは別種の天孫としてではなく、我々と種を共にする天皇として、そこに完成をみたのである。



日本国憲法は、敗戦後の日本の神話である。我々を母なるものから生ましめた最初の一撃である戦後日本人の「起源」であり、聖なるもの、父なるもの、神なるロゴスである言葉、そのロジックである。未だ来らざるものが既に到来したものとして信仰告白される、過去時制で語られる未来の理想物語だ。人工の言葉のロジックで分節された、機械時代の都市的な主体である近代の人間は、天然の自然の大地の原理によってではなく、ある理想的な理念とか、原理原則を基盤として、生まれ、生き、そして死んでゆく。魂が、肉体の起源である自然霊の棲む「地」に還るのではなく、滅びゆく肉体から精神を解放し、人格霊のスピリチュアルな故郷である「天」に帰る為である。玉音放送が流れた夏の日はただ青空が広がり、天空のように漠として静寂であったという。我々が敗北を抱きしめることを自らに許した時、いっときアジアは植民地主義的なものから解放され、エアポケットのように、そこに平和が訪れていたのだ。死者たちは帰って来る。もうすぐ「死の行進」が始まる。丹下健三の広島ピースセンターは、平和を創る者たちの「凱旋門」である。死者たちはそこを目指してやって来る。なぜならば、そこにあるゲートをくぐり、それぞれの故郷の土へと還って、『安らかに眠る』ためにである。言祝がれることのなかった戦争で犬死にした呪われた戦士としてではなく、アジアの平和、世界の平和を作る為に、真のアジア解放の聖戦の神兵として、彼らは勝利の凱旋をするのだ。それは、戦前と戦後に分断され、義絶された二つの歴史を、私がひとつに繋ぎ、遂げられることのないまま漂っていた彼らの至誠の想いを回収する道を、この私が切り開いたからである。『玉音放送』は、我々の神が死ぬ前の最期の声である。神の死後、我々の神亡き後、敗戦後、父なし子となる我々一人ひとりの為に残して下さった遺言である。


『... 堪え難きを堪え忍び難きを忍び、以て万世の為に太平を開かんと欲す... 』


できれば、全文を聴いて欲しい。







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『星影のワルツ』

2007年11月26日 | Weblog
Image:Wrightflyer.jpg Wikimedia Commons
 


どうやら、広島カープの投打の主軸は、共にFA制度によって流出しそうである。地元紙・中国新聞のコラム『球炎』で、木村雅俊氏は、生まれも育ちも生粋の「ひろしまっ子」であり、辛抱して育て上げて来た球団生え抜きの4番バッター新井のFA移籍について、こう書いている。


「広島球団の基本理念を揺るがす『FA宣言』としか言いようがない」


さすがに、愛する者の眼差しは、事の本質を核心までまっすぐに射抜くものである。『子を見ること親に如かず』といったところであろうか。しかしながらコラム後段最後の、「泣くんだったら出て行くな。後悔しないと胸を張れ。そうでなければ、残された選手や球団、ファンの喪失感はやるせない」というのは、愚痴というものであろう。それも愛の深さ故の業ではあるが、そこへいくと、ある全国紙に折り込まれて届けられる日刊スポーツ新聞社編集のタブロイド版『週刊ひろしまミックス』は、冷静にこう書いている。


「悲劇を繰り返さないために、何をすべきかを考えるいい機会だ。『新井の置き土産だったな』と思えるような球団を、フロント・選手・ファンら、カープにまつわるすべての人々が ALL - IN となって作るしかない」


「悲劇を繰り返さないために 」... どこかで聞いたような台詞である。毎年夏になると、市長自ら繰り返しアナウンスする「決め台詞」に似てくるのも、広島ならではのことであろうか。なるほど、反省なき進歩なき我々は、飽きもせずに、それとは知らずに過ちを繰り返して行くのであろう。それが人間というものの業であり、また、そうでなければ、「神自ら人となり、十字架上で死に給う」こともなかったわけであるが、しかしながら、そういつまでも神の慈悲に甘えて、贖罪の生け贄の墓標である十字架を繰り返し立て続けて、自分たちの問題を先送りにして、それでよしとすることも出来ないのである。今や、我々の罪過の腐臭は地球環境にあまねく行き渡っているだけでなく、天にまで達して、神の審判の時をひたすら招き寄せているからだ。



いま、広島が歴史から突きつけられているテーマは「復興」や「復旧」ではない。なぜならば、もう既に復興はなって「旧に復して」いるからである。我々がいま時代から求められているものは、過去の延長線上にある量的回復や反復ではなく「旧弊の打破」であり、今までのやり方とは質的に異なる次なるステージへの「命がけの跳躍」である。これは純粋に自分たちの「創造行為」の領域の話であって、もとより誰かに『お願い』して、つまり「大リーグや阪神に行かないで」と『お願い』して、「人任せ」や「人頼み」で何とかなるようなものではないのだ。もし、球団黎明期に長谷川良平や金山次郎がヒロシマを見捨てたならば、それは、広島市民に与えるダメージは計り知れないものがあったであろうが、今はそうではない。そういう意味では長谷川良平は「父」であり、金山次郎は「母」であったろうが、黒田や新井は我々の兄弟姉妹である。我々と同じ時代情況下にあって、我々と同じような人生の課題に直面し、共同体がその「共同性の在り方」によって、ジリ貧からドカ貧へ進むことを予感したからこそ、彼らはより広い「開かれた共同性」の中で生き延びようとしているのである。彼らは我々に先駆けて、「自由な移動」と「自由な交換」が行われる、開かれた「都市的な生き方」に自らを順応させ、「個人」として現代に生き残るために、彼らなりの答えをもって、グローバリゼーションに応答しようとしているに過ぎない。



それを、「閉じられた村落共同体」の束縛と甘えの内に微睡んでいる我々が、「創意工夫の自由」と「行動と選択の自由」を憲法で保障されて、いわば内力の自然な発露を天から許されていながら、一方的に彼らだけに「田舎者」の願いを押し付けて、過大な要求を突き付けるのは、我々の側の怠慢であり、傲慢というものであろう。なぜならば、先の敗戦以来、いや、「第一の黒船」である浦賀沖のペリー来航より明治維新以降ずっとこの方、「第二の黒船」であるマッカーサーが厚木飛行場へ降り立ってからというもの、我々の生きている内部世界はそういった外部世界へと結ばれ、我々自身がそういう社会を真似して、そういった状態を我々の住む社会環境に到来させようと、ひたすら努力して来た過程と結果に過ぎないからである。『富国強兵』、『文明開化』、『殖産興業』に『改革なくして成長なし』といったスローガンのもと、「力の論理」と「費用対効果の金の論理」が支配するグローバリズムの世界を選び続けて、今に至るまでそれを拒否出来ないでいるのだ。そして、何よりもアメリカをロール・モデルとして選び続けているということは、チームのユニフォーム・デザインから始まって新球場のコンセプト・デザインに至るまで、何から何までアメリカの物真似、二番煎じ、みそっかすの兄弟分に相応しいその「お下がり」の数々に、それはよく現れているのである。



FAで選手の流出が止められないのも、過疎の村が、前途洋々の若者に雇用を創出できないでいるのと事情は一緒だ。広島市が中四国地方随一の都市基盤を誇ろうとも、それは同じことである。グローバリゼーションによって外の世界との垣根が取り払われ、ボーダレス・エコノミーの「玉突き現象」で、世界が日本をどつき、東京が大阪をどついて、いま、大阪が広島をどついているのである。同じ土俵にあがって、同じ度量衡で勝負しているならば、結果は自ずと「規模の経済」に沿うであろう。富むものは益々富んで選択と集中は進み、田舎臭い地方都市は田舎臭いことを自ら選択的に選んで、結果的に益々中途半端に田舎臭くなっているのである。閉じられていた島に橋を架けて陸地と地続きにしたが為に、当初の目論見とは裏腹に、消費も雇用も人材も却って「ストロー現象」によって吸い出されてしまうのと、それは同じことだ。自分たちが本来持っている宝に気が付けずに、誰もが本性的に持っている創造性というものを発揮しようとしない田舎者は、「他人が与えてくれる夢」という安易な土木主体の開発手法に縋り付き、郷土の固有性である「地霊」というなけなしの資産を、新工事で落ちる金というフローに変えて、それを飲み食いに消費して、散財しているのである。資本(ストック)というものに基づかないその日暮らしでは、一向に豊かさを感じられずに、暮らし向きのゆとりといったものを実感出来ないでいるのも無理はなかろう。何かを目で見てそれを参考にし、それを基準にして、それと同じものを欲して、物真似で対応しようとすれば、「規模の経済」に従うのは理の当然ではないか。そんなことをやっているうちは、グローバル経済を駆動させている弱肉強食の資本の論理に為すところ無く後塵を拝して、小は大に飲み込まれて行くがままなのも致し方ないと思うのであるが、『地獄の沙汰も金次第』のこの世の中では、かくの如くかくの如しであって、それ以外に有り様がないのである。自分たちがそう望み、そう選択したからである。



市民球団ならアメリカにもある。特にマイナーリーグではそうだ。本当の草の根の手弁当の、それこそ創成期の広島カープの姿そのものを、そこに見出すことは難しくない。天然芝の広いグラウンドと、広いコンコースを伴った球場もアメリカにはあるであろう。むしろ、アメリカの方が色々と形態的にイレギュラーなネオクラシカルなスタジアムは多いのである。もし我々が、アメリカナイゼーションと似てはいるが、それとは本質的に微妙に異なるグローバリゼーションというもの(付記:アメリカもある意味、21世紀の新潮流であるグローバリズムによって、変容を迫られているわけである)に抵抗する(=環境抵抗性を獲得する)ことが出来るとしたら、それはアメリカ・ローカルなアメリカナイゼーションとは別の「原理」を生きて、「規模の経済」や「数の論理」に回収されない、「理念」や「思想」を高く掲げて旗幟を鮮明にし、その旗のもとに結集することが出来たときだけである。そうでなければ、政治的にも、経済的にも、文化的にも、そしてまた軍事的にも、常に量的な過剰さのうちにあるアメリカ的なものに抵抗出来ずにいて、我々はそれに「占領」され(それを「進駐」と言い換えてもよい。いまや我々は、衰退しつつあるアメリカに変わって勃興する中国の、富国強兵的なものに脅えているわけである)続けるのである。我々が大リーグにはない、大リーグを越えるものを考え出し、それとは別種の原理を打ち出して、「金まみれ薬まみれ」の大リーグ的なものとの決別をはっきりと宣言しなければ、選手の去就一つとっても、それが自分たちの意のままにならなくても、それは「しょうがない」であろう。もともと、「自由」ではないからである。自由とは「質」の問題である。物事を同じ基準、同じ価値観、同じ度量衡で勘案して「量」の領域で勝負するならば、すべてが「規模の経済」に沿って「数の論理」のままに、水が高きところから低きところに流れて行くように、資源と人材が流出し続けるのも已むを得ないではないか。創造行為の自由を捨てて、他所者の与えてくれる夢で満足する隷属者の安逸さ(=三下根性)を選んだ者に、自由や自己決定権がないのは当然過ぎるくらい当然の話である。我々がただ惰性のうちに佇んで、なされるがままに受け身でいるならば、それはそうなるしかなく、もし、それ以外の選択肢を本当に望んで、それを真実、心から欲するならば、何よりもまず、我々が独自の「対抗軸」を示して行かなくては、話(=物語)は前に進んで行かないのである。それは例えば、スポーツによって「平和を創る」といった「価値観」のことだ。地元地方の「おらが球団」と言ったローカル性を超越して、たとえ何処の出身のどんな外国人選手が投打の主軸になろうとも、人である限り普遍的に共有できる「理念」に感応させ、その理念を可視化し、それを構造化した場所に、選ばれた者とそれを支援する者がともに集うことの出来る「器」を、まず創り出してみるということである。プロ野球界の制度やルール作りとも絡んで、他のチームの戦力次第といった他者のファクターが関与する相対的に強い球団作りと(あるいは他者の持ち物である核兵器廃絶といった問題と)、単なる建設の問題である新球場造りという我々自身で自己決定出来る問題とではいったいどちらが容易いのであろうか。



FAとは「フリー・エージェント」の略であり、それは「自由に代理対象を選ぶ」という意味である。いわば、「自由主義」と「民主主義」だ。我々は、戦後一貫してそのように子供達に教え続けながら、なおかつ、その自由と民主を看板に掲げた政党を政権政党として選び続けているのであれば、それは、選手を責める方に無理があろう。それが、FA、フリーエージェント、自由に代理対象を選ぶということ、つまり、代議制民主主義の本質であって、最高法規である憲法によって、万人に等しく保障されている権利である。なのに、あなた方は県知事ひとり、市長ひとり、政権与党ひとつ変えられずにいて、それを自由に選べていないではないか。他者が提供する与件で満足してしまって、何から何まで「しょうがない」とあきらめているのであれば、それは、小さな球団ひとつ変えられないでいるのも、無理はないのかも知れない。新井は記者会見で、FA宣言の理由のひとつとして、同じ野球観を持つアスリートとして尊敬しているエース・ピッチャー黒田の大リーグ行きが取り沙汰されて、この先チームがどうなるかわからないという、ものすごい不安があったのだと言う。彼は、球団側とチームの将来設計について話し合い、忌憚のない意見を腹蔵することなく論じ合って、いわば、すべての関係者はあるべき姿に向かって誠実に最大限努力したのだが、それにも関わらず、合意形成に至らなかったのである。当事者を含めて誰もが、望まない方へ望まない方へと事態が進んで行く様は、いつか来た道だ。



人間は、たとえ「ゆでガエル」になろうとも変化を恐れるものではあるが、勝利とは100対0のことではない。それは常に、51対49で可能である。様々な利害対立のある組織でも、様々な葛藤のある個人の心のうちにあっても、それは同じことだ。何かを失う恐れや、周囲との摩擦の懸念を排して、ほんの少しだけ言霊の先駆ける力を恃んで、言ってしまった言葉を、言うべき言葉を、日々老いてゆく肉体に代わって、永遠に生き続ける不滅の魂を先行させてみる。我々の父祖は常にそうすることで、数々の困難を乗り越え、偉大な創造行為を成し遂げて来て今日、あなた方も歴史的に、その文明の恩恵に浴しているわけである。問題は、我々が大人として次世代に伝え残すべき高貴な精神性を欠いて、子供のように、つまり「餓鬼」のように、ピーチクパーチク大きな口を開け、やれもっと金を、もっと新工事を、もっと景気のよい話をと我執妄執の虜となって、それで「しょうがない」としていることなのだ。それもこれもがすべては、敗戦の屈辱を意識の中から遠ざけ、占領で自己決定権を失ったことの無力感を意識化させないようにする為の防衛機制なのであるが、敗戦の精神的挫折は、ただアメリカナイゼーションを凌駕する精神的勝利によってのみ克服可能であり、我々がそれを成し遂げて静かなる自信を取り戻した時、今のあなた方の無様な有り様、やっていることの愚かさや醜さを振り返ってみて、何故あんなことに口角泡を飛ばして一生懸命必死だったのかと、不思議に思うことだろう。



我々は、そんな日本人を恥ずかしく思うべきである。私は、郷土広島の発展に関わったすべての偉大な先達に対して、また何よりも、このヒロシマを受け渡す我々の子や孫や子々孫々に対して、申し訳なく思う。言えるのに言わずに済ませてしまうこと、挑戦出来るのにそれをしないことは、万死に値すると思うべきである。留め置けるのなら、留め置くのが『大和魂』というものであろう。負けてもよいではないか。筋を通し、魂を残したならば、後生は我々の屍を乗り越え、それを基礎として、その上に新たな構築物を築くに至るであろう。しかし精神が、思想が、理念が、受け渡す魂がそこになければどうなるのか。あなた方が男として、「父なるもの」の威厳を「女子供」に対して示し得ないのであれば、それはその時には、最早あなたの子供たちはあなた達を父祖とせず起源とせず、むしろ異国の神を父として、異国の思想、異国の理念、異国の風体のもとに、別の文明を築いて行くであろう。子らは、「父なるもの」が身を以て示す、大きな愛の聖性の永遠性のうちに抱かれる安心立命を求めて已まないからである。あなた方が「女子供」のように自らの肉体の反復性のうちに微睡んで、精神性の優位を示し得ないのであれば、もうその時には彼らは我々の子や孫ではなく、あなた方はもう彼らの父や父祖ではないのだ。彼らはあなた方のことを、敗戦と占領のトラウマの病態を病んだ一時期の、敗戦国の「魂の負け犬」の特異な歴史として、それを日本史に挿入された一つのイレギュラーなエピソードとして、正史から除外し、後世を生きて行くのである。


「成績不振の責任の一端は自分にもある。しかしチームとしての無力感、その長期展望のなさ、将来性の見通しの不安に耐えられなかった」


という、今回のFA宣言の背景にある黒田と新井の感想は一致している。両手いっぱいに、抱え切れない程の古いガラクタのような荷を握りしめ、それは、田舎者の精一杯の家財道具一式ではあろうが、大八車を引っぱって行く年老いた駄馬も息も絶え絶え、大八車を押す若人の体も今や過労死寸前である。それを手放そうとしなければ、たとえ「棚ぼた式」に天から下ってくるものであれ、我々は新しいものをつかむことは出来ないのだ。いまの我々には「捨てる勇気」もまた必要である。一度やり始めたことでも止めて引き返す勇気、たとえ、かつての「満州」ように、自分たちにしてみれば、とても譲ることの出来ないかのような既得権益上の生命線のことであろうとも、一度立ち止まって考え直してみる。「09年のオールスター戦に間に合わせる」ことなど小さなこと、09年が過ぎてしまえば、都市百年の大計に比べれば、あまりにも小さな問題である。それを口実にして、何かしら明らさまにすることの出来ない事情を取り繕うには、俗耳に入りやすい格好の大義名分かも知れないが、ともあれ、新井貴浩は昨年の黒田博樹と同様に、我々に対して「男気」を示してくれたのだ。一歩前に踏み出す勇気、捨てる勇気を示してくれたのだ。問題は我々が彼らの「男気」に対してどう答えるのか、どう応答出来るのかの、その一点のみである。「男気」に対しては「男気」でもって答えるのか、それとも「女々しく」泣き寝入りするのか。であるならば、私も彼らに倣って、自由に代理対象を選ぶとしようか。

「身はたとえ 大和の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし ヒロシマ魂」

である。







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ヒロシマで生まれて

2007年11月17日 | Weblog
File:Genbaku Dome04-r.JPG Wikimedia Commons




つい先だって、ポール・ティベッツ氏が亡くなったと報じられていた。言わずと知れた、廣島に原爆を投下したB29戦略爆撃機「エノラ・ゲイ」号の元機長である。ティベッツ氏は生前、「軍人として同じ命令が下れば、また原爆を投下する。それが戦争というものだ」と語っていたそうである。一方でまたティベッツ氏は抗議活動を恐れて葬儀や墓石を希望せず、遺灰を海に撒いて欲しいとも言い残していたという。敗者を裁くのは勝者であるが、勝者を裁くのは神である。勝利の上にも勝利を重ねようとしているアメリカは、それとは知らずに、ひたすら神の裁きを自らのうちに引き寄せているかのようでもある。人の裁きと神の裁きでは、どちらがより過酷で容赦なく、また厳しいのであろうか。聖書にはこうある。

『あなたは自分の国を滅ぼし、自分の民を殺したために、彼らと共に葬られることはない』と。

「軍人として同じ命令が下れば、また原爆を投下する。それが戦争というものだ」という原爆投下を正当化するロジックは、それは軍人の職業倫理としてはそうであろうし、また軍人の職責を立派に果たしてその後准将にまで昇進した息子を、その母は誇りに思っていたであろうが、しかしながらその一方で、本来は愛すべき一人の「小さな男の子」の母親の名前に過ぎなかった「Enola Gay」という名が、アウシュヴィッツが語られる時にはまた同時に語り継がれる記号ともなり、人が人に加え得る極限の暴力をもたらすことになる「リトル・ボーイ」を胎に抱いた「使者の名」として、『人類史に永遠に刻まれることになった』のである。





Image:Tibbets-wave.jpg Wikimedia Commons

 


先に引用した、キリスト教徒にとっての聖なる言葉が書き記されているイザヤ書第14章20節の前段はこうだ。

『黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から堕ちてしまった。諸々の国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。あなたは先に心の中でこう言った、「私は天にのぼり、私の王座を高く神の星の上に置き、北の果てなる集会の山に座し、雲の頂きにのぼり、いと高き者のようになろう」。しかしあなたは陰府に落とされ、穴の奥底に入れられる。あなたを見る者はつくづくあなたを見、あなたに目をとめて言う、「この人は地を震わせ、国々を動かし、世界を荒野のようにし、その都市を壊し、捕えた者をその家に解き帰さなかった者であるのか」。諸々の国の王たちは皆尊いさまで、自分の墓に眠る。しかしあなたは、忌み嫌われる月足らずの子のように墓の外に捨てられ、剣で刺し殺された者で覆われ、踏みつけられる死体のように穴の石に下る。あなたは自分の国を滅ぼし、自分の民を殺したために、彼らと共に葬られることはない... 』(イザヤ書第14章12節~)



私にとって、こうの史代の『夕凪の街・桜の国』が衝撃的であったのは、「原爆は落ちたんじゃない。落とされたんだ」という当たり前の事実を意識の中に前景化させたところにある。それは、ヒロシマ・ナガサキの武器を持たない数十万人の一般市民が、大洋を隔てた対岸の一方の民主的な代表者から「おまえなんか、どうなってもいい。勝利の為には消えてなくなってしまえ」と思われたということである。我々は戦後一貫しておそらく、人類史上に類を見ないあの空前絶後の悲惨な堪え難い体験の記憶を、何か、突然降り掛かって来た抗し難い不可抗力性の天災か何かと思い込もうとしていたのだ。しかしながらあれは、祈りや加持祈祷で「過ぎ越す」類いの「天災」ではなかった。あれには明確な殺意と人的な意図があったのであり、アメリカは本土上陸作戦で失われるはずの敵味方合わせて数百万の人命と秤にかけて、今に至るまでヒロシマ・ナガサキへの原爆投下を正当化し続けているのである。はっきり言えば、一人ひとりが自由意志を持った個々の人間としてではなく、費用対効果の観点から人間が量的な塊として扱われ、より完全な勝利の為には「原子の劫火」で焼き尽くされる「比較少数」の(とはいえ、数百万に対する20万である。中国政府いうところの、南京虐殺の犠牲者の数にほぼ匹敵する数字である)人間のことはどうなろうと、「しょうがない」と思われたということなのだ。そしてそれは、イラクのファルージャに取り残された人々もそう思われたのであり、9.11の際にWTCツインタワーに取り残された人々も、人間兵器として道づれにされた旅客機の搭乗客の人々も、作戦執行者によってそう思われたということである。



ヒロシマ・ナガサキの被災者の殆どは、敗色の濃い、裏ぶれた淪落の帝国の、ごく当たり前の、つつましい日常生活を送っていた「非戦闘員」であった。あの特異的に陰惨な体験を生き延びて死者の群れからとり残された人々にしてみれば、その同胞の無意味な大量の死を弔らってひとまず葬礼のけじめをつけるためには、犠牲者は核の恐怖にさらされる核時代の人類の贖罪として、人類全体に先だって身代わりとなったのだ、とでもしなければ、とても自分たちを納得させることが出来ずに精神的に片付かなかったとしても、それは「しょうがない」と言えるだろう。つまり『ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ヒバクシャ』である。あの20万余のほぼ同時の一瞬の無意味な死の塊は、日本史においても、また人類史の上でも、そうとでもしなければ、とても飲み込めるとは思えない程の質と数の大きさである。それだけの人類史的な歴史の意味合いをもってして、ようやく釣り合う程の死屍累々たる「魂の抜け殻」、物として扱われ物質に過ぎなくなった「人間の死体」、その山また山である。そう思って原爆ドームを眺めると、私には、頭頂部に骨格として残っている鉄骨の部分が、当時世界最強のローマ兵によってキリストに被せられた茨の冠のようにも見えて来るのであるが、しかしながら都市廣島は、キリストと呼ばれたイエスとは違って無実ではなかったろう。特に、西方の兄弟たちに対してはそうである。



日本語はもとより、主語のない曖昧な言語であるといわれている。しかしながら、『安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから』という碑文の主語が、碑の前に立つ人類全ての人であるという、国内的には一応の決着をみているその言葉の解釈が、その解釈の核心に位置する人類全体の、それこそ、イスラム教徒を含めた人類全ての人々の共通認識となる為には、まず、アメリカと日本との間での共通認識とならなければ「話(=物語)」にならないであろう。我々にしてみれば、それは、ヒロシマ・ナガサキが天災ではなく、したがって「しょうがない」ものではなく、人災であるからには、その「殺意」に対処する方策は、昔も今も、そしてこれからも必ずあるはずだということを、常に思い浮かべて行動するということである。これはいわば、「修復司法」の考え方だ。そして、「修復司法」のみが、報復が報復を呼ぶ、応報の連鎖を断ち切ることになるのである。

神なる主はこう言われている。

『だからもし、あなたが祭壇に供え物を捧げるとき、そこで兄弟に恨まれていることを思い出したなら、供え物をそこに、祭壇の前に置き、まず行ってその兄弟と仲直りをし、それから帰って来て供え物を捧げよ。また告訴人とは、一緒に裁判所に行く途中で、早く示談にするがよい。そうでないと、告訴人は裁判官(神)に、裁判官は下役(御使い)にあなたを引き渡して、牢に入れるに違いない。アーメン、わたしは言う、最後の1コドラント(10円)を返すまでは、決してそこから出ることは出来ない』(マタイによる福音書第5章23節~26節)



さらに聖書から引用を続けると、こうともある。

『さて、総督は過ぎ越しの祭りの都度、民衆の望む囚人を一人だけ特赦によって赦すことにしていた。ところがその時、バラバ・イエスという(暴動の折、強盗を働いて獄に繋がれていた)評判の囚人がいたので、ピラトは人々が集まってきたとき言った、「どちらを赦してもらいたいか、バラバ・イエスか、キリスト(救世主)と言われるイエスか」... しかし大祭司連、長老たちは、バラバの命乞いをして、イエスを殺してもらえと群衆を説きつけた(当時、ユダヤ人には人を死刑に処する権限がローマ帝国から与えられていなかったからである:筆者注記)。総督は彼らに言った、「二人のうち、どちらを赦してもらいたいかのか」。「バラバを!」と彼らが言った。ピラトが言う、「では、キリストといわれるイエスをどうしようか」。みんなが、「十字架につけるのだ」という。ピラトは言った、「いったいどんな悪事を働いたというのか」。しかし人々はいよいよ激しく、「十字架につけるのだ」と叫び続けた。ピラトは自分のすることが何の甲斐もないばかりか、却って暴動の起きそうなのをみて、水を取り寄せ、群衆の前で手を洗ってこう言った、「私はこの人の血を流すことに責任を持たない。お前たちが自分で始末しろ」。民衆全体が答えた、「その男の血のことなら、我々が孫子の代まで引き受けた」。そこでピラトはバラバを赦してやり、イエスの方は鞭打った後、十字架につける為に兵卒に引き渡した... 』(マタイによる福音書第27章15節~26節)



アメリカは「キリスト」でなく、強盗の類いの「バラバ」を選んだのである。日本の上部構造である大方のエスタブリッシュメントもまた、戦後一貫してあれを、オキナワと同様の捨て石として「しょうがない」と思い、やはり「バラバ」を選んだのである。日米両国民の大多数の人々は、今も昔も双方がともに、意識の中で、歴史の中で、あのヒロシマ・ナガサキの死者を、身代わりの贖罪の生け贄に捧げ続けているのだ。つまり、「力の論理」と「費用対効果の金の論理」に屈して、目的の為には手段を選ばず、いや目的こそが手段を正当化し、目的合理性が唯一の正しい行動原理であると信じ続けているということである。そして、その正当化の為のロジック、すなわち「核の論理」は、ブーメランのように自らのもとに帰り来たって、いま被抑圧者の側に非対称な無差別テロを選ばせ、それが核大国に対する小型核テロの恐怖ともなり、現在アメリカをして、遮二無二対テロ戦争に走らせているのである。つまり、アメリカは核を敵に対して使用したが為に、核大国同士における核均衡論の抑止が利かない非対称なテロリストの核使用に対しては、有効な反論が出来ないでいるのだ。ヒロシマ・ナガサキへの核使用を正当化し続けている為に、小型核テロの恐れから逃れられずにアフガン・イラク戦争へと突き進み、その破滅的な戦略によって、却って自分の国を滅びに至らせ、あるいは、核テロによって自国民を殺されようとしているのである。その災いは、神の身にあらざれば人知れず、「エノラ・ゲイ」によって既にもたらされていたのだ、とも言えるであろう。そして、ヒロシマが、いま建国以来最大の苦境に陥っているアメリカに対して為すべき援助、あるいは、為し得る援助というものがあるとするならば、それは、瑣末的な給油問題云々、米軍再編に伴う戦術的な後方支援のことではなく、もっと大きな戦略的な貢献、つまり、被害者と加害者が手を携えて共に慰霊碑の前に立つことを除いて、他にあろうはずがないと思われるのである。



思えば、大洋を遥かに隔てて両岸の加害者と被害者は、戦後半世紀以上にわたって両者が共に、いや互いに相反する価値観で争っていた戦争中も、心の中ではそっくりそのまま同じように、「数の論理」で死者を生者と秤にかけ、比較少数の人的被害を正当化し続けて来たのである。「大の虫を生かす為には小の虫を殺すことも已むを得ない」として来たのである。たとえ、自分が知らず識らずのうちに、大の虫から小の虫のうちにカウントされようとも、それを遂行的な人災の必然ではなく、確率的な天災の偶然と思い込もうとして、その論理から決別出来ないでいるのだ。共同体の護持と個々の生活の安寧の為には、贖罪の生け贄を捧げることも已むを得ないとしているのである。「バラバ」とは我々のことである。なぜならば、赦されて放免された「バラバ」は、おそらく我々の中に紛れ込んで、昔も今も現在に至るまで、見分けがつかないであろうからである。黒いものは白いものの間ではよく目立つが、黒が勝った灰色のまだら模様の現代社会では、完全に我々の共同体の構成員の一部である。「バラバ」とは、我々の兄弟、隣人、同僚である。我々は、あのヒロシマ・ナガサキや、3.10のトウキョウ、いや無差別都市爆撃に曝された全ての街の『灰の中で悔い改め』なければ、今もこれからもずっと、ヒロシマ・ナガサキの血の代償を「孫子の代まで」引き受け続けることになる。つまり、核時代の恐怖からは決して離れられないということだ。



我々生者にとって、死者の死の意味は不明である。それは、死者は死者自身によってしか、己の死の意味を納得させられないからである。我が身に引き寄せて考えてみればわかることであるが、譬えていえば、脳死体の処理や遺産相続をめぐって、生者がそれぞれに勝手に死者の遺志を忖度し、さもそれぞれが正統な死者の代理人であるように振る舞ったならば、死者はいったいどのような気がするであろうか(怒って亡霊となって蘇り、生者に災いをもたらすかも知れない)。突然の死によって中断された死者の生の意味、その死の意味を云々することも、それと同様である。おそらく、当たるも八卦、当たらぬも八卦であろうし、あるいは、神意を問うことにも似て、正解は想定された選択肢を越えて、遥かに意外なものであるかも知れない。であるならば、我々はわからぬことで言い争いをするよりも、答えを求めないで、つまり死者を片付けずに、答えを宙吊りにしたままの「片付かなさ」の心理的負荷に耐えながら、常に答えを問い続けるべきである。死者が生者であったときの、個々の実存の掛け替えのなさを尊重して、死者の死を一般化しないで、つまり死者の死の意味の正当化を止めて、解釈を一旦判断中止して、それを括弧に入れながら、我々にわかることのみで、我々に許された、我々自身で解決出来る現在的意味にのみ於いて、あの歴史的経験を我々の手の届く身近な現在の生活の問題に引き寄せて、我々が直面している個別のドメスティックなローカルな問題に限定してのみ、それを考えてみるということである。すなわち、死者の住まう普遍的な国の、普遍的な問題としてそれを捉えないということだ。



アメリカにしてみれば、それを小型核テロ後の自分たちの未来図として、日本にしてみれば、それを過去の政治的・軍事的戦略の不味さ、拙劣さの当然の帰結として、対岸の西方の人にしてみれば、真のアジア的連帯の構築の失敗ゆえに、結果的に強制的に連れ去られた同胞の悲劇として、それを見なしてみるということである。つまり例えば、アメリカはそれを日本人の死者とは切り離して、加害者としてではない純粋にアメリカの国内問題として、つまり例えば、日本降伏後を睨んだ対ソ戦略上の問題としてではなく、東西冷戦終結後の政治課題として前景化して来た文明の衝突の時代の対テロリスト問題として、ヒロシマ・ナガサキを捉え直してみるということである。つまり例えば、日本はそれを核時代の人類の問題と切り離して、被害者としてではない純粋に国内の政治問題として考えてみるということである。つまり例えば、広島市や岩国市はそれを国策の問題と切り離して、街造りの問題として考えてみるということである。そしてそれはそれを、それぞれがそれぞれの問題として、つまり死者の側の問題としてではなく、生者自身の側の問題として、三者いれば三者三様の答えをもって、それをともに死者の前で報告するということなのだ。



死者の声を聞こうとするのではなく、我々の声を、我々の現在を、「数の論理」や「費用対効果の金の論理」に決して回収されることのない、我々独り一人の生の実存の意味内容こそを、つまり、歴史的過去ではなく、我々の創造的未来をこそ、死者に語りかけるべきである。我々は生者らしく「起きる」べきであり、惰性のうちに、わかりやすい、俗耳に入りやすい、正当化のロジックを死者に強要して、死者を不眠に陥らせるのではなく、子供を寝かしつける時のように、「静かにしていなければならない」のであろう。もし、語りかけることがあったとしても、怖い話ではなくお伽噺のような、夢があふれる楽しい未来志向の話を穏やかな口調で手短に語りかけながら、そそくさと、そっと、「眠って」もらうべきなのだ。私は、先に誤ったことを言ったのかも知れない。あるいは、言葉が足りずに不正確なことを言ったのかも知れない。私は間違っていた。訂正する。これが正しい答えである。







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「子供」が寝た後で...

2007年09月15日 | Weblog





前代未聞の突然の辞意表明に唖然として思考停止になり、頭が真っ白になってしまった人は一人や二人ではないと思うが、左様に「馬鹿菌」というものの感染力は強く、馬鹿と付き合う時にはよくよく注意が必要であるという、日本人全員が誠によい教訓を得た一件であった。そこで「反省好き」な日本人の一人としては、この理解に苦しむ異常事態をそれでも理解すべく、内容を精査するために、近くの本屋に走ったのである。新古書店では早くも値崩れしているであろうベストセラーを、ここはひとつ、僅かな印税であっても、「お見舞い」代わりとも、あるいは「餞別」代わりにでもなればと思い、平積みにされていたその本の上にうっすらと積もっていた埃を掌で丁寧に払って、そのテキストを私はレジに持って行ったのである。今となっては『兵どもが夢の跡』といった、一抹の哀惜感が漂うタイトルだ。通読した感想はと言えば、子供の寝しなに、大人が子供を安心させるために繰り返し言って聞かせて来た「寝物語」をそのまま信じて大きくなった子供が、夏休みの後に提出した宿題に、「よくできました」の「桜の花まる印」が貰えそうな出来、と申し上げるのが一番適当であろうといったものである。それはちょうど、サンタクロースの話がそうであるように、また、仲睦まじい夫婦に赤ん坊を運んでくれるコウノトリのお話が、まったくの子供向けの愛の綺麗事であるように、実際は子供が寝静まったその後で、大人同士の裏工作や裏取引がそこに展開されているわけである。明からさまにしてみれば、いささか子供の目には理解し難い、その組んず解れつの「リアル・ポリティクス」のドロドロな話も、そこに愛があれば、それは愛ゆえであり、それも愛の行為なのである。エスタブリッシュメントが頼りにしている閨閥のネットワークも、そうやって形成されて来たわけだ。『(獣の国の)歴史は夜(密室で)つくられる』といわれる所以である。『美しい国へ』p.129 にはこうある。「1960年の日米安保条約改定のときの交渉が、現在ようやく明らかになりつつあるが、そのいじましいばかりの努力は、まさに駐留軍を、占領軍から同盟軍に変える、いいかえれば、日本が独立を勝ち取るための過程だったといってよい。しかし同時に日本は、同盟国としてアメリカを必要としていた。なぜなら、日本は独力で安全を確保することができなかったからである」...



この一年にわずかばかり足りない期間に彼が学習したであろうことは、日本に対するアメリカのプレゼンスというものが、同盟国として我が国に安全を供与してくれる以上のもの、もはやそれは隠然たるプレッシャーであるという紛れもない事実である。「靖国問題」しかり、「従軍慰安婦問題」しかりだ。そしていま「テロ特措法」である。その厳しいリアル・ポリティクスの理解も用意もない初な坊々が、精神的ストレスからあえなく入院という事態に陥ってしまったのも、無理のないことであった。『昨日の敵は今日の友』。味方の裏切りもまた然りである。病院という逃げ込む場所のあったその彼は、今頃、特攻隊員がどのような精神的ストレスのもとでその決死行を迫られたのか、暖かいベッドの中で愛する人の手厚い看護を受けながら、少しは理解が及ぶようになったのではなかろうか。気安く「命を懸ける」などと言ってはならないのだ。後世の者が安易に死者の心中を忖度し、それを政治利用する浅はかさを知るよい機会である。生者はいたずらに死者に呼びかけるものではなく、死者はそっとしておくものなのである。『死者は死者をして葬らしめよ』ということをよく知ってもらいたい。報道によると、辞任表明に至る前段では眠りが浅く、夜寝れなくなっていて、公邸の庭を歩き回ることがあったそうであり、警護のSPには、「首相から目を離すな」との厳命が下っていたそうである。死者は祟るのである。死者はいたずらに起こすべきではなく、鎮めるべきものなのだ。はしなくもその災いが、彼の心身や、彼の運命に降り掛かっていたとも言えなくもなく、災いはいまや小泉チルドレンにも及ぼうとしているのである。



思えば、彼が参議院選挙の際「首相としてどっちが相応しいか」と名指しした当のライバルは、いわゆる「田中裁判」を一度も欠かすことなく傍聴することで、アメリカが日本にかけてくるプレッシャーというものがどういうものであり、それがどういった経路で、それがどのように行われて、また、それへの対処法としてはどういったものがあるのかを、怠りなく学習していたのである。二代目と三代目の違いであろうか。「命を懸ける」と言うのなら、最後まで最高指揮官として現場の第一線に立つべきであったろう。お粥が啜れるだけでも有り難いではないか。テロリストは戦友の飛び散った肉片を踏み越え、同胞の生き血をすすりながら戦っているのだ。そんなことで対テロ戦争に勝てるとでも思っていたのだろうか。そんな最高指揮振りで、我等が自衛官に「アメリカによるアメリカの為のアメリカの戦争」で「死ね」と言うつもりだったのか。「党首会談が断られたので」といった理由で『敵前逃亡』が許されるのなら、自衛隊の諸君も、「狂信的なテロリストとの交渉は不調に終わりましたので、局面打開の為に職場放棄致します。後は後詰めにヨロシク」と言えなくもない。そんなことは世界中のどこの国でも通用しないと思うが、おとぎの国の子供ランドや『美しい国』では、どうやら通用するらしいのである。命あっての物種だ。「良心的兵役拒否」の自衛隊員は、たとえ自衛隊をクビになったとしても、安倍晋三事務所の「自衛要員」として「再チャレンジ」出来そうである。



民主党の「偽メール事件」や、自民党の「少年官邸団」にしてもそうだが、日本の「子ども」がひ弱なのは、大人が子供に近現代史の本当のところの厳しさを教えて来なかったからである。(自他ともに美しい話ではない。美しい神話などではなくドロドロの、それこそ耳を塞ぎ目を覆いたくなるような、獣じみた行為の実話だ。) 我が身かわいさからか、あるいは子を思う親心かは知らないが、そこはやはり、『可愛い子には旅をさせよ』だ。マスメディア関係者であるならば、心がけひとつで、幾らでも子供の蒙を啓いてやれるはずであろうに、結局のところ、親の不作為や不始末は子や孫に及ぶのである。そうやって歴史的無知からモラル無き「子ども」が生まれ、その無軌道振りは一メディア・グループの経営の根幹を揺るがすほどの害悪となって自らに跳ね返って来る。それは皮肉でも脅しでもなんでもなく、本当にそういったものであり、古来より人類が長い経験によって骨身にしみて感じて来た事実である。残された遺書や手記もまた、ある意味では生者の段階での「気持ち」や「言い分」であって、この世に生きる者の思惑や解釈で、あの世に残る死者の心中や心情を忖度しながら、死霊をこの世に召還することはタブーなのだ。我々が夜見る夢が覚醒時の意識からは理解し難いほど奇々怪々なものであるように、左程に、この世とあの世の成り立ちや理は違っているのであり、それゆえ、あちらの世界は「異界」と呼ばれて来たのである。その両者の間には越え難い深淵が、向こう岸も見えない程の河となって存在しているのだ。生者に出来ることは、我々が寝しなに「どうかいい夢が見られますように。悪い夢を見ませんように」と祈ることであるのと同様に、死者の眠りを妨げないよう、ただ死者の霊を鎮めることだけなのである。われわれ生者が寝た後で、神と死霊との間でも、我々には容易に理解し難い生々しい「リアル・ポリティクス」の駆け引きが、そこで行われているのだと言えるだろう。『美しい国へ』p.74 では、アメリカ・アーリントン国立墓地に葬られている南軍将兵の例を引き合いに出しながら「靖国問題」を論じているが、CIVIL WAR と呼ばれる純粋な内戦であった南北戦争の死者とは違って、靖国に祀られている死者は隣国の死者とも離れ難く密接に絡み合った死者である。であるからして、「靖国問題」は純粋な国内問題とは言えないのである。ヒロシマの原爆による死者のなかには、廣島市中心部に位置した帝国陸軍第五師団の軍関係者や、朝鮮半島等の植民地から半ば強制的に連れて来られた人々も、さらにはアメリカ兵捕虜の存在も含まれており、結局、それらすべての死者を鎮める弔い方を、戦後広島は永い時間をかけて探って来たのである。決して一部のイスラム教徒が期待するような、アメリカに対する報復を意図して来たものではない。アメリカには是非そのことをわかってもらいたいし、その理解を得る為にも、我々は誤解を受ける恐れのある点を極力排して行かねばならないのだ。私はアメリカ人にもよくよく言っておきたいのだが、日本の死者は、降伏文書調印式の際にこれ見よがしに飾られた「31星の星条旗」のことを決して忘れてはいないのである。なぜビンラディンは事ある毎に「ヒロシマ・ナガサキ」を口にするのか。なぜ日本とは何の関係もないイスラム教徒のテロ行為の報道に「カミカゼ・アタック」の言葉が躍るのか。それはその都度、神風特攻隊の亡霊が呼び出されて蘇り、アメリカに祟っているからである。



参院のドンと言われたある実力者は、『参院を制する者は国会を制す』の格言通りに、それを実行するために経世会から送り込まれていた人である。その隠然たる権力は、一連の構造改革の中でも時に強引な横槍となって現れ、それを快く思わず、その影響力の排除を狙ったのが、「郵政民営化法案」の参議院否決後の、筋違いの衆院解散総選挙であった。もともと、個人後援会に基盤をおく選挙互助会的派閥連合体であった自由民主党を、党執行部の一元的支配の確立した近代政党に変える為に、派閥解消を目的として結成された党内党的党枢軸派閥が、かつての福田派である。小渕総理急逝後の、いわゆる「五人組」の密室談合を経て、福田派の流れを汲む清和会出身者の総理総裁が続いて来たわけであるが、そのレーゾンデートルである「利益誘導型バラ撒き政治からの脱却」が、一連の「構造改革」であった。それはとりもなおさず「経世会潰し」だったのである。そして、それでも辛くも残っていた「経世会的支配なるもの」の影響力が最終的に潰えたのが、先の参院選での歴史的大敗であり、それにより、さしもの「経世会的支配なるもの」による参院独立王国の遺制もこれで終わりかと思われたのだが、実は、今度は、参院選に勝利した民主党そのものが、参院支配を梃子にした「経世会的支配なるもの」になったのである。かくして、かつては自由民主党内における派閥単位での「国論」を巡る党内抗争であった「角福戦争」が、衆議院と参議院の議会単位の全面戦争へと衣替えして、我々の眼の前に再出したのである。これは一見、この国を主導すべき者の政治姿勢をめぐって「国論」を二分する対立局面とも思えるのだが、しかしながら見ようによっては、我が国の独立を最終的に達成する千載一遇のチャンスでもある。



弱者はしばしば外国勢力と結んで、つまり、アメリカの後ろ盾を恃んで国内権力基盤の脆弱性を補おうとするものだが、それとは関わりなくとも、一般的に言って、国内が分裂しているときには外国につけ込まれやすいものである。アメリカの我が国への内政干渉は今に始まったことではなく、GHQによる占領政策以来の常態であって、その隠然たるプレゼンスが露頭に現れたのが、CIAによる田中角栄追い落とし工作である。たとえ如何なる同盟国であろうとも、外国からの内政干渉をはね除けるには、挙国一致が大前提だ。単なる党利党略による政局にするのではなく、ここはひとつ、原則論で勝負して頂きたい。政争の具に堕すことなく、本当に真の国益をめぐっての、高い次元での政策論争を披瀝して頂きたいのである。何より自主独立性を尊び、独立戦争を闘い抜いて今日があるアメリカ人ならわかってくれると思うが、我々も自主独立の「尊厳」を確立したいと思っているだけなのだ。アメリカに反対し、アメリカと敵対しようと思っているのではない。日本外交の自主独立性を世界にはっきりと示すことが、アメリカの票を一票増やすのではないことを国際社会に証明して、国連常任理事国入りのチャンスも再び巡って来ようというものである。これは民主党・自民党両党にとっても、党内の55年体制的なものにケジメをつけるよい機会となろう。それは、行政府に対する立法府の優位性の確立、すなわち、国権の最高機関である立法権の行使である。それが「07年体制」と呼ばれる程の常態になるものなのかどうかはわからないが、少なくとも、現下の07年状態の本質ではある。与野党ともに議員の猛勉強が要求されようし、政策立案能力向上の為の一層の手当も必要とされてよいと思う。自由民主党も逃げの答弁で誤摩化すことなく、がっぷりと四つに組んだ横綱相撲を見せて頂きたいものである。与野党双方の党首ともに、器量においても政治見識においても人物に不足はなく、両者が大覚悟すればそれは可能なはずだ。ここはひとつ、国論を統一してもらいたい。旧敵国の将官にそう呼ばれた『12歳の少年』の子供の国ではなく、本当に大人の国の大人の政治家として、二世同士、父の代には志しても、決して成し得なかったことを成し遂げて頂きたいと思う。それは「角福戦争」の手打ちである。その内容は端的に言って「歴史問題(=歴史認識)」である。すなわち『靖国問題』だ。



今回の展開は、自由党の自自公連立政権からの一方的離脱による精神的ストレスが引き金になったものと思われる小渕総理の突然死に始まって、いわゆる「五人組」の談合から三代続いた「馬鹿首相」の系譜が絶たれるだけでも、慶賀すべきことである。この上「漫画総理」が誕生しては、世界中のもの笑いの種である。思えば参院選惨敗が沖縄陥落、遠藤農水相の辞任が原爆投下であり、党首会談要請の失敗がソビエト参戦だったわけで、その事態に至ってついにB+AKAの「ガキ帝国」も、無条件降伏のポツダム宣言受諾となったわけだ。情況というものを読み誤り、戦略的にも戦術的にも過誤に継ぐ過誤で、ついぞ機というものを捉えられなかった遅過ぎた終結である点も、そっくり大日本帝国主義者の命運をなぞっていると言える。歴史から学べない者は、本当に飽きもせず何度でも同じ失敗を同じパターンで繰り返すものである。この自称『闘う政治家』の戦い振りもまた、三代目の三大馬鹿野郎凋落の顛末も後世の歴史家によって、それは文科省が修正要求さえしなければ、近現代史の歴史教科書に載る歴史的事実となるのであろうが、誠に『親の因果は子に報い』である。戦後さんざん国難に殉じた者を蔑ろにし、無辜な被害者の立場を恣にして来た社会党にそれが祟り、そしていま、自らへの正統性の疑義を糊塗し続ける為に、絶えず戦死将兵を召還し続けて来た自由民主党に祟ろうとしているのである。我々は本当に「真面目さ」や「真剣さ」を取り戻さなければならない。マスメディア関係者は「売らんかな」で、シビリアン・コントロールの「シ」の字も解さないキャリアウーマンのキャリアアップ物語に過ぎないものを、政治マターとして取り扱うべきではない。また、芸能マターとして面白可笑しく大衆に娯楽提供すべきものでもない。マスメディアは政治を批判して事足れりとしがちであるが、何をどのように取り上げ、何を無視するかで、自らの政治感覚・政治見識もまた問われていることを、いまや大衆社会への絶大な影響力で「第四の権力」とも呼ばれて、政治権力の一部にさえなっていることをよく自覚して頂きたいと私は思う。スポーツ選手はスポーツ選手たる志をもって若年期より励んで来たのであり、アナウンサーはアナウンサーであるべく訓練を受けて来たのである。タレントは所詮票集めのタレントであって、政治家ではない。たとえ PKO にせよ、自衛隊を海外の紛争地に送り出すことになるのなら、そこには人ひとりの命が懸かっているのである。その一つの命にはまた、彼を愛する数多くの者の思いも係っているのだ。数合わせの悪しきポピュリズムも、復権に執念を燃やし続けて闇将軍として君臨しようとした、ときに「人寄せパンダ」とも自嘲した、あるひとりの自主独立の気概を持った男の祟りと言えなくもないのだが、それはまた、アメリカの露骨な内政干渉以来のことでもあるが、しかしながら、マスメディアの役割は大衆に迎合してその愚を煽りたてるのではなく、馬鹿に反省を促して、それに知恵をつけ、馬鹿を利口にすること、その蒙を啓くことにあるはずであろう。馬鹿ばかりが増えて、馬鹿だらけの国になって、その上部構造であるところの利口組になって、一体何が面白いというのだろうか。それでは、どこぞの「将軍さま」の国と変わらないではないか。我々日本国民は一同、学習好き、反省好きな、賢い知的な民でありたいと、私は思うのである。



事ここに至って、自由民主党にとっては最後に残されたエース登場であるが、与野党党首ともに、アメリカの我が国に対するプレゼンスというものがどういった種類のものなのかを肌身に感じて知っている、その独特の間合いの取り方、アメリカとの距離感というものをよく心得ておられる方々でもある。140年余り前の「国難」に際しては、徳川慶喜の大政奉還や勝海舟の江戸無血開城があって、佐幕側が倒幕側に譲ったのであるが、キーパーソンはやはり、およそ一般人にはその心中が推し図り難かった徳川方の「老練老獪な忠臣」であった「あの人」であろう。若さに溢れた党内きってのプリンスに思う存分やらせてみてもダメ、その俊英振りも毛並みも使命感も申し分のない親子二代目宰相でもダメだったとなれば、自由民主党ももはやこれまで、心置きなく成仏できるというものである。年金未納問題を口実にした単身政権離脱も、鳥羽伏見の戦いで「大阪城」から出奔した慶喜の、その慶喜なりの時流の読みと一脈通じるものがあるのは、またご愛嬌か。対する一方のカウンターパートは「わんこを連れた西郷どん」といったところであろう。忘れては可哀想な入院加療中の彼は、これも虚弱体質であった14代将軍家茂であろうか。ちなみに、彼は歴代徳川将軍のなかでは一番夫婦仲が良かったそうである。正室は言わずと知れた和宮親子内親王である。今回のこの仕切り直しを奇貨として、民主党もだだ漫然と敵情の推移を見守るのではなく、国会混乱の「落とし前」を自民党につけさせて、可能であるならば、「迷惑料」として参議院予算委員会委員長のポストを奪い返すのもいいだろう。民主党の為すべきことは、国権の最高機関である立法府の行政権に対する優越性を国民へショウオフし、その存在意義を明示することである。その国政調査権を武器にした政策立案能力の涵養そのものが、そのまま次期政権担当の準備作業になる。55年体制的なるものとははっきりと決別して、党内の遺制を刷新しながら党を近代化して地力を養い、最大二年間「天佑神助」を待つことになろう。たまには変な声もあるその「天の声」は、必ずや身内を正し至誠を貫いて天意に添う者に下ることになるであろうが、それはそう遠くない話でもある。『人事を尽くして天命を待つ』ということだ。日本の夜明けは近い。どうか天神地祇皇祖皇宗、ご照覧ありますようにとお祈りしたい。







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タイタニック(前編)

2007年08月27日 | Weblog
Image:RMS Titanic sea trials April 2, 1912.jpg Wikimedia Commons




キャリアアップ(出世)主義者には、ある種の哀感が漂っているものだが、これを歌った唄に次のようなものがある。『洒落男』(作詩:L.Klein・F.Crumit /訳詞:坂井透 /作曲:L.Klein・F.Crumit )というタイトルである。

♪ 俺は村中で一番
 *モボだと言われた男
 うぬぼれのぼせて得意顔
 東京は銀座へと来た...      注)モボ =「モダン・ボーイ」の略語

さながら、「田舎のプレスリー」といったところであろうか。その彼お気に入りのお稚児さんも今や決然と大人になりつつあり、先の参院選での歴史的大敗にめげることなく「反省すべき点は反省し」、人心を一新してやる気満々である。今まで、周囲の大人の言うことを真面目に聞いて来た優等生が初めて我がままを言い、本気で自己主張して大人になろうとしているのだ。本人にしてみれば一世一代の已むに已まれぬことであっても、長じて罹る「はしか」がしばしばそうであるように、重症化することがあるものである。本来ならば「改革」が嫌いなはずの、保守派きってのプリンスと目され、総理総裁にしたら、さぞやこの国を「美しい国」に改革してくれるであろうと将来を嘱望されたものだが、上り詰めるところまで上らせてみれば彼も人の子、三代目の「おぼっちゃまくん」であったというところか。海の向こうの広い世界では、このことをある法則として捉える向きもあるようであり、それは、『人は無能呼ばわりされる地位まで出世する』という誠に有り難い定式化である。こちらもなかなか含蓄が深そうであるが、事態はここに至ってはもはやタイタニック号の悪夢さながらに、処女航海が「終わりへの旅路」だったということにならぬよう祈るばかりである。もっともさすがに哀し過ぎてとても「 Bon Voyage ! 」とは言ってあげられないが、どうやら彼は自由民主党を道連れにして「玉砕」するつもりらしい。幼少期より成人期にいたるまで、血筋を誇る絶対的な母の影響下でマザコンの「フェミ夫くん」として過ごして来た豊臣秀頼がそうであったように、彼は最後は自分の思い通りに指揮指導して、(政治的に)死にたいのである。そうでないと死んでも死に切れず、生きている心地がしないのだ。当人にしてみれば男子の本懐というものであろうが、この「やる気」は、周囲の(特に地方の)大人にとってはいささか傍迷惑なものではあるし、また悩ましい限りである。そこで悩ましついでに、私は、後見人であるあの男にも、こう言ってもらいたいのだ。


「私も反省すべき点は反省した。それは知性あるホモ・サピエンスとしては当然の行為である。そこであなたも『少年K』として、一から出直してみてはどうか。還暦も過ぎ頭に白いものも混じる年なのだから、ここはひとつ『六十の手習い』として、歴史を小学校程度から学び直してみるのも悪くないだろう。なにも織田信長ばかりが日本史ではないのだから」と。


トラウマという凍った時間を抱えたまま、真の大人になり切れずにいる心寂しい孤独な少年を、旧敵国の国家元首ではなく、栄えある万世一系の皇統を戴く誇り高い日本国の最高指導者として、『やさしく愛して』やって欲しいのだ。「自由」には責任が伴うのであり、今までその責任を本当に取って尻拭いをして来たのは、他ならぬ自由民主党という「戦後レジーム」であった。未熟な自分を庇護し、それゆえ、真の自立を阻害して、大人になることを遠ざけて来たのもまた、自由民主党であった。愛しもし、また憎みもした、愛憎半ばする、その自由民主党そのものであった。いま、「戦後レジームからの脱却」を目指す戦後世代の総理総裁によって、それがこの世からなくなろうとしているのである。齢六十を超え、彼は初めて自分のして来たことに真正面から裸で向き合うことを強いられようとしているのだ。遅すぎた大人への通過儀礼である。カインならずともここは、『私ひとりでは背負いきれません』と言いたくなるであろう。同情に値する不幸な出来事ではあるが、神の思し召しか、閻魔様からのお達しとあれば、我々傍観者もそうそう薄ら笑いを浮かべてもいられないのである。一方、それはさておき、もう一人の「三代目」である。元はと言えば五世を数え、三代以上遡る事も出来る、名望家の出身を彷彿とさせる端正な顔立ちなのだが、発言に慎重さを要求されるのであろうか、重責あるポストに上り詰めるにつれて本音と建前の乖離に苦しみ、言いたいこともストレートに言えずに口の端がひん曲がって歪んで、日を追うにつれ奇怪なご面相となりつつある。今回、閣僚の一員としてではなく、党執行部の要ともなって次期総選挙の陣頭指揮を託される身ともなれば、その発言の重みは弥が上にも増して、失言の事と次第では、政権のひとつやふたつは軽く吹っ飛ぼう。益々自分の素直な思いを口にすることが出来ず、誠に『もの言わぬは腹ふくるる業なり』である。気の毒なことではある。こっちはさながら、『ローリアン・グレイの肖像』といったところか。神意というものに逆らって勝った者は誰もいないのだから、こちらも悔い改めることをお勧めする。



二大政党時代の到来を予感させる選挙結果とも評されているのだが、私はそうはならないと思っている。政権交代可能な二大政党制というよりは、一党独裁の選手交代といったものになりそうな気がする。それはもし、『参院を制する者は国会を制す』との格言が参議院での与野党逆転後の「捩じれ国会」でも真実であるとするならば、選挙前は「天王山」とも「関ヶ原」とも言われた先の参議院選挙ではあるが、歴史的には「大阪冬の陣」であったと評した方が適当であるからである。民主党のこれだけの大勝であれば、三年や六年では政界再編でもなければ与野党逆転は難しい(そうでもなかった:後日談)。しかしながら、憲法改正を軸にした政界再編の芽も無くなりつつあるのだ。それは、イラク戦争の泥沼化に伴って、アメリカにはもはや中東の他にもうひとつの戦略的正面を持つ余裕がなくなっているからであり、アメリカの存在感はアジア太平洋地域においても相対的に低下しつつあって、軍事面に限って冷徹冷静な目で我が国の安全保障政策上の損得勘定を計算すれば、全世界的に見てもアメリカのヘゲモニーが危機的情況下にある現時点に至っては、アメリカ軍と一体化した集団安全保障体制よりも、柔軟でフリーハンドな全方位外交志向優位に傾きつつあるからである。その意味では「外堀」は埋められたのである。さらには、連立政権を組む組織票頼みの宗教政党も、よもや、死中に活を求めて自主憲法制定を旗印に糾合するしか手のなくなった、時代錯誤の極右政党として純化されて行く集団と無理心中するつもりはないであろうから、これも今や虎視眈々と(戦々恐々と言った方が正確か)、連立の「艫綱(友綱?)」 を切るタイミングを計っているだけである。その意味でも「内堀」も埋められたと言ってよい。従って、次期総選挙は戦いというよりは包囲殲滅戦であり、虐殺と言った方が正確なものになる。それゆえ、政局が不安定になり解散総選挙が近づくにつれ、議員心理としては、「富士川の戦い」の平家ならずとも一層浮き足立つ事になろう。時の流れに逆らい、それに抗って勝った者は一人もいないのだから、時流に沿った方向転換することはなんら恥ずべきことではない。むしろ、時代情況を的確に読みながら、客観視する知性が存したことを証するよい機会ともなろう。繰り返して言うが、反省することは恥ずかしいことではない。馬鹿に出来ないことのひとつが、自己を振り返る「反省」である。そして、この場合の「反省」とは、『年の功より亀の功』になるであろう。歴史的惨敗にも拘らず、民意を徹底的に無視した、私利私欲の「私の国」造りに邁進する、厚顔無恥なる「裸の王様」気取りの続投であって、事ここに至ってはもはや異常事態であるからして、この際、自由民主党無き後の半恒久的万年与党のパラダイスである竜宮城に連れて行ってくれる「亀の甲」を大切にした方がいい。定員一名の小選挙区制度の下にあれば「救命ボート」の数は限られている。第二の経済敗戦下にあって、氷の海に放り出されるのはつらいものである。企業献金も個人献金も大して当てにはならない。公金だけが命綱であり、『子分が減っては戦は出来ぬ』のだから、政権与党に在り続けることだけが、有力政治家としてのライフラインを確保する。「良い席はお早めに」といったところか。今や『寄らば大樹の陰』である。



天皇はもとより神ではない。それは当然だ。神ではないけれども、しかしながら万世一系の皇統の連続性に何らかの神性が宿り、『なにごとの おわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる』(@西行法師)とでもいったような、何がしかの神々しさがそこに宿って、その発言に重みが出、我々は畏み畏み、一同が赤心をもって、それを聴くということなのである。御神木や御神体は神ではないが、そこに我々が神秘的な霊性を感じとるのと同様である。皇統が神の依り代であるとは、そういう意味だ。それが日本の伝統であって、古来より我々はそうやって、この美しい国土と言語とともに生きて来たのである。そういう国は平和であるからこそ、「馬鹿組」を指導層に戴いてもなんとかやっていけるのであり、もし、「馬鹿組」が戦争指導するとなれば、それがどんな破滅的な災厄をもたらすのか、我々は半世紀あまり前の体験で嫌というほど思い知らされているはずであろう。馬鹿の一つ覚えの名前の「連呼」と「土下座」の泣き落としの媚びたスタイルで、この国の為政者が選ばれ続けるのであれば、それは、馬鹿が選択的に選良とされ続けて行くということである。それゆえ、『平和憲法』は実に、悪霊封じの「護符」というものであろう。世の中に「改憲」を言う馬鹿につける薬があるとすれば、それは皮肉なことに『日本国憲法』なのである。そして、ここまで事を分け、理というものを微に入り細に入り説明しても(最初にこの記事を読まれた方には不明であろうが)、その妥当性というものを意に解さない「改憲論者」や「改革開放経済成長主義者」がいるとすれば、それは正真正銘の「馬鹿」か、救い様のない「外道」と申し上げる他ない。実は、そういった輩の排外的言動の裏に隠されている真の動機とは「本業での挫折」なのであり、有史以来、つねに外来文明なり外来思想を学び続けて来た、学習型の文化をその特性とする我が国日本人にあっては、本業とは、外来思想の「和様化(穏やかなものにすること)」を意味し、もし、彼らが攻撃的な攘夷論に傾いているとすれば、彼らがもはや外来思想の「学び」に失敗して、外部を相対化出来ず、自己を相対化する代わりに、自己防衛的に自文化を絶対視するようになったということである。つまり、日本の伝統である外来思想の受容と変容を止めて、日本人らしくすることを辞めたということだ。彼らのすべての言論は、外部に対して敗勢をとり、守勢に回ってしまった弱い自我を防衛する為の「為にする議論」、反対の為の反対、抗議の為の抗議であって、そこには何ら生産的なビジョンがなく、したがって将来の展望もなく未来もなく、仲間内で傷を舐め合っているだけなのである。それゆえ、他者の共感を得ることがなく、主張が外部に広がらずに思潮も展開して行かない。それは、時代情況を読めない自らの不明から来ているのであって、彼らが外部世界の明確なパースペクティヴというものを欠いて、自己を保持しながら、外部を取り込めなくなっているからである。しかし、それは端的に言って、馬鹿に未来がないだけのことであり、日本が袋小路に陥っているわけでも、日本に未来がないわけでもないのである。



私は、いわゆる「反日」論者や、あるいは「対中国正面」論者に訊いてみたいのだが、あなた方の「反日」論に出口戦略はあるのだろうか。「反日」論の行き着く先の出口というものを、いったいどのように考えているのかということである。(彼らにしてみれば、外敵から祖国を守りきった輝かしい「防衛戦争」の聖戦の戦勝の記憶がそうさせるのだ。ベトナム戦争やイラク戦争はいわずもがな、「太平洋戦争における我が国への侵略者」の覇権主義の片棒を担いでいるのは、いまや我等が「日本」である。) 戦争をするにしても、勝った場合はこう、負けた場合ならこうといった計算もなく、国家間の紛糾紛争にしても、落し所というものを想定せずに、出口戦略もなく敵対するのは、馬鹿が己の愚さ加減を全世界にリアルタイムで同時中継して垂れ流しているのと同じことである。国と国の外交を人と人の喧嘩のような、「言われたら言い返す」、「やられたらやり返す」、「売られた喧嘩は買う」といったレヴェルの話で、ただ売り言葉に買い言葉で、売られた喧嘩を買おうとするのならば、「子供のケンカ」となんら変わるところがない。しかも、この子供のケンカにはレフェリーはいないのである。彼らが防衛を語るときの「泥棒と戸締まり論」にしてもそうだが、国と国の喧嘩を、何か人と人のケンカとでも捉えているのだろうか。人と人の喧嘩なら、そこには個々の人間を超えた調停者の存在があらかじめ想定されていて、それゆえ、最悪の事態だけは避けられるのである。例えば、子供と子供のケンカなら、親が出てくれば、最終的にそれで話は済むからだ。しかしながら、ナショナリスト同士の痴話喧嘩は犬も喰わず、仲裁を買って出てくれる有り難い「親」もいない。今はまだ、国家を超越する強制力を伴った確たる超国家的組織も、当該者を畏怖させるに足る権威ある超国家的調停機関も存在していないからである(第二次世界大戦時の枢軸国側に対する勝者連合にしか過ぎない諸国連合 “United Nations” の国連は、その成り立ちのゆえに、利害の一致した「共通敵」を見出せないままだと、常任理事国の5大国間の戦勝状態にまで至る危険性のある真の国益の対立の利害調整には無力である)。彼らの反省なき進歩なきその有り様は、ヨーロッパでのナチス・ドイツの勝利を当てにして対米英戦争を仕掛けたり、最後までソビエトの調停を頼んで停戦の時期を逸し続けた大日本帝国主義者と同様の、誠に粗雑な世界認識に基づくものと言わざるを得ない。それは、自分たちにとってだけひたすら蜜のように甘い、御都合主義的な、不確かな、儚くも淡い夢のような、自慰的出口戦略ではないのかとしか、申し上げようがないのである。



それゆえ、二三のオピニオン誌はいまや「馬鹿組」の芳名帳と化しているのであるが、しかも、これから誰から先に「馬鹿組」から「利口組」へ転向するかを競うチキンレースの公開競技場になりつつもあるのだが、ここに、社員一同が額に汗して営々と築き上げて来た一千四百億円以上もの資産を、ある詐欺集団にぼったくられたメディア・グループがある。なぜそんなことが起きてしまったのかと言えば、彼らが物事を余り深く考えず、事の本質をよく吟味勘案して来なかったからである。売らんかなの煽動メディア・スタイルを、ただ「便法のみ」と自己規定して、それで事足れりとして来はしたものの、しかしながら、如何ようにも情報操作できると思っていた無知蒙昧なる衆愚たる「馬鹿」は、常に外部にいるとは限らなかったということである。穏当な言い方をすれば、策士は策に溺れがちということであって、そうやって、ある少年漫画のキャラクター然とした「子ども」もまた、転落していったのである。志を曲げないというのも、それはひとつの見識というものであろうが、『正直は最良の道』である。全国メディアとして生き残りたかったら、方向転換は早い方がいい。『君子豹変す』というではないか。反省することは優れて知性的な行為であり、馬鹿には決して出来ないことなのである。反省出来ないからこそ馬鹿は馬鹿なのであって、自己相対化も自己客観視も出来ないということだ。「馬鹿組」にも言論の自由というものはあるのだから、それは言わせておけばいいのではあるが、しかしながら害毒を垂れ流しにするにしても、そこには一定の限度や節度というものがあってもよいと思う。そこで彼らのその自閉的な言論に相応しく、その発言の場所を東京ローカルなところだけに留めておくというのはどうであろう。グローバルな舞台には飛躍できず、かといってローカルな場所にしっかりと地に足をつけることも出来ずに、21世紀の時代潮流であるグローバリゼーションとローカライゼーションに挟撃されるようにして、20世紀的なナショナルな枠組みにしがみつくしか能がなくなった、本質的に田舎者であるキャリアアップ主義者、いわゆる「お上りさん」の出世双六の「あがり」地点が、今や東京というわけなのである。そうであるとすれば、21世紀の東京は、夜郎自大な野郎を首長に戴いて、その自閉的な言説の害毒を都民が一手に引き受けながら、全日本国民の身代わりとなって、それを耐え忍び、それを甘受する図とも相成るのである。そして、それをもってして、恒久平和な安寧を等しく享受するわれわれ地方民は、一同、東京に足を向けて寝られなくなり、それでこそ、東京はあっぱれ日本の首都大東京であると、自らを世界に誇ることも出来るだろう。しかしながら、もし、東京が時代よろしく大地に根を張り、ヴァナキュラーな場所として自らを定位づけようとすれば、それは、江戸の古層まで遡らなければならないのである。



そこへ行くと、もうひとつの右派メディア・グループの出処進退はさすがである。アメリカ野球界の盟主たる人気チームの、押しも押されぬ中軸となったある日本人選手に、熱心な引き止め工作も虚しく見限られてからというもの、今やアメリカ大リーグのマイナーリーグ化しつつある日本プロ野球界にあって、ここに偉大なる犠牲的精神を発揮してあえて火中の栗を拾い、全世界の希望の星であり、近い将来アジア野球界を背負って立つことになるであろう元祖市民球団広島カープの(今は弱くて、とてもそんなことは信じられないであろうが、これは本当の話である)敵役を買って出ることで、自らの生き残りを図ろうとしているのである。これはかつて、日本プロ野球界で阪神タイガースが担っていたポジションである。その見識をもって彼らは、東京ローカルでなく全国区メディアとして、いや、世界メディアとも伍して行こうとしているのだ。その洞察力や時流の読みは見事という他ない。隣に良いお手本があるのだから、バスに乗り遅れることのないよう、ぜひ見習って戴きたいものである。ボーダレス・グローバル・エコノミーで一元化される世界にあって、時流に抗して最後まで戦っていたのは自分たちだけであり、気がつくと周りには誰もいなかったというのは、半世紀あまり前を思い起こしてみてもかなりつらいものがある。ことが一国のことであれば、後図を図って死に水をとってくれる者もあるであろうが、一メディア・グループが自ら好き好んで嵌った隘路である。その行く末のことなど誰も気に懸けてはくれないであろう。私たちはみな、「反省好き」「学習好き」の賢い日本人なのだから、「馬鹿組」は放っておいて、みんな揃って『いい国作ろう』でいいのではないかと、私は思うのである。






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タイタニック(後編)

2007年08月27日 | Weblog
Image:St?wer Titanic.jpg Wikimedia Commons



先ごろ、顔つなぎにアメリカを訪問したばかりなのに、「しょうがない」ほどの原爆級失言大臣の後を襲った彼女もまた、まったく「しょうがない」ほどの我がもの顔をした「でかい顔」のオレ様次官と刺し違える形で、早々と交代してしまったようである。価値観を欧米と共有するはずの自由民主主義国の軍事関係者としては、いささか致命的ともいえる、シビリアン・コントロールに危惧の念を抱かせる顛末ともなり、まったくもって、水爆級の「どうしようもない」失態と申し上げてよいであろう。これにより、将来にわたって禍根を残さない為には、国際平和を誠実に希求する世界各国にとっても、我が国の「平和憲法」は、いよいよ、絶対的な生命線となったのである。いや、そもそもの話からして、彼らは欧米と共有する価値観外交を推進するとは言うものの、彼らの自主憲法草案に散見されるセンスの悪さからいって、彼らが何をもってして欧米と価値を共有しているというのか、私にはよく理解できないのである。西洋文明を成立させている価値の根幹である「キリスト教」「ギリシア哲学」「ローマ法の精神」を、一体どれだけ理解しているというのであろうか。「個人の自由」も「民主主義」も、みんなそこから生まれて来ているのだ。一度、リポートにして提出して頂きたいと思うのであるが、まあ、どうせ通り一遍の、物真似コピー&ペーストに終止するのであろうから、大学教養課程レヴェルでは「可」といったところであろうか。そんなお友達の「サークル感覚」のままで、よくもまあ、トップアスリートの集うグローバル・アリーナで、各国に伍して行こうとするものである。オリンピックやワールドカップは、インカレや予定調和の国民体育大会とは違うのだ。それは何も、スポーツの話に限ったことではないのである。



日本もそろそろ、アメリカに対しては、仲介者頼みの従属外交スタイルは改めた方がよいと思う。こう頻繁に担当者に交代されては、いったい何のためにわざわざ時間を割いて会ってやったのか、ということにもなりかねない。それに元来、知日派・親日派というものは、アメリカ政界では決して主流になれない日陰者の傍流の存在なのであって、それは、誰にでも成功が開かれているアメリカンドリームの国、自由の国アメリカで、何が悲しゅうて日本権益なんぞを梃子にキャリアアップを図って行かなければならないのか、ということである。日本国内でいえば、沖縄問題担当相のキャリアをもって中央政界を渡り歩いて行こうとすることと、それは同じことだからだ。いい人、奇特な変わり者と見なされても決して恐れられる存在ではない。権力闘争おいては、恐れられなくなったらお仕舞いである。ましてや、生き馬の目を抜く剥き出しの権力志向の本場であり、ロビー活動を通じて世界のパワーゲームの代理闘争の場ともなっているアメリカ中央政界でのことだ。自分がもしアメリカ人であったならと想像してみれば、すぐにわかることであるが、こういうことを言われても怒るどころか苦笑いするだけなのが、アメリカのなかの「負け組」である知日派の知日派たる所以なのであって、その「負け組」である知日派を頼んで、このトレードオフ問題の錯綜する新冷戦下の多元連立方程式(日米関係の2項だけを計算することでは正解に辿り着けないということ)を解きながら、多極化の進むグローバル世界を渡って行こうとすることは、ソ連を頼って対米和平交渉を探ろうとしたことに等しい愚行である(アメリカの“ジャパン・ハンドラーたち”はポスト冷戦構造の新世界の中で新たなポジションを確保し、自分たちが生き残る為に、かつての東西冷戦下での既得権益を利用することにいま必死なのである)。彼らを頼る方に問題がある。英語の不得手な者が、通訳や、間に入る交渉人を頼って、中間搾取されてボラれることがあるように、英語が出来るのなら、通訳に頼らない方が却って細かなニュアンスが伝わり易いのだ。それが対米交渉の王道であり、本当に良い永続的な関係性を築こうと思えば、アメリカの最もアメリカ的な性向の人たちと友好関係を築くに如くはない。それが対等なパートナーシップを築くということであって、その為にも己を知り相手の事をよく知ることだ。日本の歴史を知りアメリカの歴史を知ることだ。アメリカをアメリカ足らしめている原理を、常にはっきりと思い描くことである。それこそが長い目で見て、良好で永続的なアメリカとの二国間関係を紡いで行く、唯一の近道となるのである。



彼らがそう呼んだところの「暗黒大陸」であったアフリカに、かつて、ローデシア(セシル・ローズの国の意)という、誠に気宇壮大なふざけた名前の国があったが、彼らが「新大陸」と呼んだ、そのアメリカ大陸(アメリゴ・ベスプッチの広い土地の意)という呼称のいかがわしさもまた、それと五十歩百歩である。時流というものには逆らえず、ローデシアはその後、ジンバブエと名称を変えるのだが、アメリカにはその気はないのであろうか。アメリカはあくまでアメリカであって、それが「正名」であると言い張るのであれば、誠にアメリカ人らしからぬ、「進歩」なき振る舞いと言わざるを得ない。『生ける神の御手に落ちるのは恐ろしいことである』。神も今や「USA晴らし」に、アメリカ帝国の解体に着手されないとも限らないのだ。他人の土地に勝手に乗り込んでおいて、「発見者」と自称する者の名を正々堂々と冠して、自らをそう呼びながら、また、人からもそう呼ばれて何ら怪しむことのない者が、かつての被抑圧者と同様の、塗炭の苦しみと問題解決の困難さに直面している人々に対して、何かしらの建設的なアドバイスや調停が行えるとは、私には到底思えないのである。子供の目にさえ、そこに厚顔無恥と明確なダブルスタンダードがあるからであり、旅客機はなくとも、投げる石でもあれば、投げつけてやりたくなるのが人情というものであろう。「七代先の事を考えて物事を決定する」といわれる、優れて霊的でエコロジカルなネイティブ・アメリカンの人々の(以前の「インディアン」という呼名にしろ、ただ「土着の」というだけの有り難い修辞を冠せられた薄味な「ネイティヴ・アメリカン」という呼称にせよ、如何にも彼らには気の毒な名称である)その知恵に学ぶところがなければ、如何に彼らが現在の繁栄を誇ろうとも、それは「槿花一朝」というものである。大地に根をおろさない人工というものに、持続可能性という性質は宿りようがないからだ。『不都合な真実』とは、彼らの顔にぶら下がっている、その名の由来のことである。



アメリカ人が自分たちのことを「アメリカ」と言う名前で呼び続ける限り、彼らはアリバイ(不在証明)の為に、敵の存在を必要とし続けることになる。その為だけに敵を呼び出し、敵を作っては、それと敵対しながら、世界を分断し続けるのだ。それが善か悪かの二分論であり、『謝罪要求決議』である。プロテスト(抗議)とは、独りでやっているうちはいいのであるが、同志が集まると、すぐに自らの毒に当たって分派活動へと変成し、やがては、細かな差異を言い募っては純化しながら際限なく分裂していく。組織維持の為に絶えずプロテストする敵を求め、敵がいなくなれば、自己正当化(=アリバイ)を基礎づける「敵」という存在を作り出すことさえするのであって、自らの空虚さを埋めるために「敵と戦う」スペクタルやアクションをでっち上げ、一時的に溜飲を下げるハリウッド映画に、それはよく見て取れることである。それがプロテスタンティズムの宿痾なのだ。他人の「家」(ホームランド)に土足で踏み込んでおいて、それを「発見」したと主張して、何かしらハンティングの印の旗を打ち立てて「アメリゴの土地」である宣言し、彼らがその「アメリゴ・ベスプッチの末裔」であると自らを誇っているうちは、我々はそのことを片時も忘れてはならないのである。いうなれば、彼らは人生経験がいささか足りず、したがって、神の深奥を知らない赤子のような無垢な良きところも残してはいるが、所詮「不良少年グループ」であって、断じて神の使徒でも正義の使者でも、間違っても善意のセールスマンなどではない。強盗や盗賊やヤクザの類いを、何か正義のヒーローとでも勘違いすることほど精神衛生上悪いことはないのであって、「義賊」というのはひとつの神話である。現実は、そんな奇麗事を許すものではない。もし、そういう風に思う者があるとしたら、精神を病い、正気を失いつつある兆候と考えた方がよい。実際がところ、アメリカは我が国に対しては、常に「礼」ではなく、武力の威嚇をもって接して来たのであり、それゆえ、戦艦ミズーリ上での降伏文書の調印式に際しては、わざわざ本国より、ペリーの黒船に翻っていた「31星の星条旗」を持ち込んで、92年越しの野望の大願成就を寿いだというわけなのである。いかにも、侵略性国家のヤクザな軍隊の悦びそうな趣向であるが、それは、征服者の抵抗者に対するこれ見よがしの力の誇示であって、それ以上のものでも、それ以下のものでもない。さぞや、積年の溜飲を下げたことであろうが、その夢を再びというわけでもあるまいに、湾岸戦争でやり残した父の夢を息子の代になって叶えようとして、今イラクで足を掬われているわけである。私は、いわゆる「文明の衝突」は、最終的にイスラム側の精神的勝利で終わると思っている。それは、彼らが「ジハード」において、そこにイスラム精神以外のものを求めていないからであり、そこが、現世利益の権益追求と表裏一体であった「十字軍」や「自由の戦い」や「八紘一宇」と決定的に違うところである。イスラム圏は共産圏や大東亜共栄圏とは違い、神の守護の下にあるということを、いま世界は知りつつある。



私が仮にアメリカ側に百歩譲って、いや、千歩も万歩も譲ったとして、ヒロシマやナガサキが「しょうがない」ものだったとしても、3.10 の東京大空襲はどうであったのであろう。ナパーム製高性能焼夷弾を投下する際に、わざわざ始めに周囲に火の壁を作ることで市民の逃げ道を断ち、10万人以上もの無辜の非戦闘員を焼き殺す必要がどこにあったというのだろうか。作為的といえばこちらの方が作為的であって、悪魔的でさえある。南京虐殺の比ではない。1945年3月10日といえば、アメリカに多大な人的損害を与えた「硫黄島」が最終的に陥落する前であり、その大規模な作戦行動からいって、かなり以前から計画されていたことは間違いがない。この作戦を立案したのは、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下の実行責任者でもあるカーティス・E・ルメイ将軍である。しかも彼は、戦後、「もし、国際戦争犯罪裁判がアメリカに対して行われたら、私は拘引され、人道に反する罪で戦犯にされたであろう。ただ幸いにして戦争に勝ったからそうならずにすんだ」と、誠に正直にというか、率直にというか、そのように、明け透けに語っているのである。さらには、彼はベトナム戦争時に北爆を指揮した際には、「ベトナムを徹底的に破壊して石器時代に戻してやる」とまで公言しているのである。いやはや恐れ入った御仁である。恐れ入るといえば、さらに上を行く例があるようであり、なんと彼は、1964年に航空自衛隊育成の功績によって日本政府より「勲一等旭日大綬章」を授与されているのであるが、叙勲を推薦したのは、自由民主党参議院議員の旧帝国海軍参謀源田実である。敗者は勝者に対してここまで卑屈になれるというよい見本だ。授章を決定したのは、時の首相であった自由民主党総裁池田勇人であり、当時の防衛庁長官は、これも自由民主党衆議院議員であった小泉純也である。そして皮肉なことに、勲章を直接授与したのは、後にノーベル平和賞を受賞することになる、自由民主党総裁の佐藤栄作首相であった。大勲章は授与に当たって、天皇から渡されるのが通例であるが、昭和天皇はルメイと面会することはなかった。当然である。彼らの言う「忠君愛国」というものがどういうものであるかが、この一件によく現れている。左様に馬鹿というものは足るということを知らず、甘やかすと身の程知らずにも程がある程つけ上がるものであるが、その最近の良い例が、アメリカ中央政界のお膝元である首都ワシントンの由緒正しい大新聞に掲載された「意見広告」である。アメリカにしてみれば、価値観同盟を謳っていた飼い犬に手を噛まれたような鼻白む思いであったろうと思うが、それとも、「パールハーバー」と同様に、罠にまんまとひっかかってくれた「馬鹿組」に、してやったりとほくそ笑んだことであろうか。私は、アメリカに対する抗議もよいと思うが、それよりも先に我が国の国会で、自由民主党に対する「カーティス・E・ルメイ叙勲決定謝罪決議」を採択して頂きたいと思うのだが、どうであろう。やはり、「従軍慰安婦」の方が喫緊の譲れぬ大問題であろうか。それは、彼らにとっては「従軍慰安婦」云々は自分たちの尊厳に関わる「問題」ではあっても、下町に住む市井の人々の、その「下々の」人間の生き死にに関わる尊厳の問題は、自分たちの「問題」ではないからである。そして、その問題意識や、その出自から来る精神構造は、現下の「構造改革」によって切り捨てられる弱者の痛みに無関心、無感覚なことと、深層心理的に通底しているのである。



一部メディアやネットの世界では、今や中華共産主義さまさまである。それは、東西冷戦終結後の絶滅危惧種として、レッドデータブックに登録されてしかるべきものであるからだが、外来文明の受容という、優れて学習の徒である日本人本来の本業であるところの、外来思想の「和様化」において挫折感を味わい、外部というものに対して極端に排撃的となって、他者に憎悪を投げつけることでしか一時的な慰めが得られない者にとっては、いまや日々の「オカズ」を提供してくれるのは、もっぱら彼らだけだからである。もし、彼らが国際協調路線を遵守して、明日からは不埒な行いは一切止めますといえば、一瀉千里と、それだけは止めてくれと、より一層過激な、反中・反韓・反朝的な、怒濤の如き「反日」的発言挑発闘争を展開することによって、アジア大陸とアメリカの間に楔を打ち込もうとするであろうか。それとも、こっちはもうだめだと急遽反転、よくよく考えてみれば本筋はこっちであったと、反米闘争に宗旨替えすることになるのであろうか。それはともかく、彼らの頭の悪さは、国共合作はないものと端から決め込んで、対中戦略を打ち立てていた戦前の日帝主義者と同様に、日本の頭越しに米中が接近することなどないものと頭から決め込んで、それを前提にしてすべての言説を構えていることにある。アメリカにしてみれば、イスラム原理主義台頭の前には、中華的修正共産主義の脅威など物の数ではないのである。それを言い換えれば、唯一絶対神への絶対的帰依と、その強烈な信仰の顕示の前には、つまり、生きてある全知全能の神の栄光が現世へ顕現されるに至っては、もはや、キリスト教世界内で行なわれている正統と異端の間の地上の財貨権益の遺産相続争いなどに足を掬われて、「所詮この世は色と欲」などと冷笑している余裕が、彼らから無くなったということである。歴史的に見ても、アメリカの中国に対する接近の作法は、概ね「礼」というもの失しておらないのであって、明らかに日本に対する接し方とは違っている。それは、力だけを恃んで、それを過信する者が、日本を小さい国だと思って舐めてかかるからであり、それゆえ、我が国はそのことをちゃんと弁えて、相手の挑発や誘いにのって、同じ土俵に上がることがあってはならないのである。これは、日本がアメリカと対するとき、片時も忘れてはならない前提である。礼儀知らずの粗野な野蛮人の「ごり押し」に対したときにも、「礼」という「文化主義」だけは、決して手放してはならないのだ(誠意を尽くせということ。陰で尽くした誠意は必ず伝わる)。そして、彼らの弱点を見抜くのに資するものがあるとすれば、それは我々の「霊性」であり、彼らに対する最大の武器は、「清らかな心(清心)」による「曇りなき眼(まなこ)」なのである。我々がもし、アメリカの真の苦境を理解せず、それを思いやる惻隠の情もなく、ただ、彼らの提供する権益にぶら下がって、アジアの黄色い猿並みの知能で、十年一日の古い反共の歌を謳って自家発電に忙しければ、それはアメリカならずとも、いずれ世界が注視する満座の席のなかで思い切り恥をかかせてやりたくなるのも、やむを得ないと思うのだが、先の国連常任理事国入り失敗にそれを見て取るのは、私だけであろうか。降伏文書調印式の際にミズーリ号に飾られた「31星の星条旗」は、強姦魔がこれ見よがしに中指を立てて見せるのと同様の礼儀知らずな不埒な振る舞いであって、レイプ犯である偽りの父の前で「♪ラヴ・ミー・テンダー(やさしく愛して)」と歌ってみたところで、それは無理なリクエストというものである。本当の親の、有り難い『大御心』の真実の愛を知らずに育った孤独な少年の、独りよがりな妄想であり、そのことがわかり、それを知るときが、征服者を父とする鬼子が、冷戦構造の中で都合良く使われ、都合良く捨てられる、レイプによる望まれざる仔が、己の「出生の秘密」を知る、神の審判の時なのだ。私は、その一方の当事者であるアメリカによくよく言っておきたいのだが、セールストークを真に受け、それを何か有り難いご託宣でもあるかのように国内向けにアナウンスしながら、嬉々として自ら内応者やエージェント役を買って出て、それを唯々諾々と忠実に実行してくれる「馬鹿組」という存在は、ある意味、『馬鹿と挟は使い様』という諺があるように、他の国では得難い、それは利用価値のある有用な存在であるであろうが、金と脅しでどうとでも扱える牝犬(bitch)と違って、自分なりの見解と独自の知恵を持ったプライドある人間というものは、そうそう意のままにすることが出来ず、一見、それをパートナーにすることは煩わしいと思うこともあるかも知れないが、世の中には『安物買いの銭失い』という言葉があるように、長い目で見れば、『良いものは結局お得です』ということになるのである。東西冷戦終結後の今日の世界で、ペリー来航以来のアメリカが、第二次世界大戦でファシストを打倒したはずのこの日本において、やり残したことがあるとすれば、それは、国家主義者の系譜を引く残党の隠れ場所であり、今やその牙城ともなった、本当は自由でも民主でもない、その羊頭狗肉の看板を掲げながら、自らの反動的言動とのギャップをなんら怪しむことのない、反省なき、進歩なき、馬鹿組の巣窟である自由民主党の解体である。今風にいえば、「製造者責任」というものであろうか。


ヒロシマへの原爆投下をもって、もし、アメリカ側に了とする点があるとすれば、市街中心部を投下目標にしたことによって、一蓮托生とばかりに、民衆を巻き添えにしながらも、ファシストと大政翼賛者を一掃したことにある。それにより、戦後、広島においては、頭をなでてやって籠絡すべき傀儡勢力(=オヤジ的なるもの・ボス支配)を持てなかったのである。その意味において、ヒロシマは、下町が殺戮ターゲットとなったトウキョウともナガサキとも決定的に違う道を、その後歩むことになった。地元ではよく、「広島(市)の自民は他所の自民とは違う」と言って来たものだ。それでこそ、戦後、草の根市民主義のメッカともなり、「怒りのヒロシマ」と謳われる広汎な平和運動の担い手ともなったのだ。「市」とは「市(いち)」が立つところという意味であり、貨幣というものを介して、マーケット(市場)で自由な交換が行われる場所という意味である。「市民」とは、そのような場所に集う、国籍も、性別も、出自も問われない、自由な人々のことをさす言葉だ。したがって、ボーダレスな新自由主義経済全盛の時代にあっては、ナショナル・アイデンティティよりも、エスニックでヴァナキュラーなローカルなものこそが、優れて利の源泉たる差異を生み出す経済主体となり、その真の担い手となる。西洋近代を成立させている下からの「市民革命」というものが、日本においても起こりうるとしたら、それは、近代総力戦というものの過酷さを最も身にしみて知った、オキナワか、ヒロシマか、ナガサキしかないと思うのだが、先に指摘した細かな、しかし決定的な被災条件の差異からいって、おそらく、「新生平和国家日本」にあっては、広島がアメリカ史における(茶会事件のあった)ボストンに当たり、真の民主主義や市民革命の発祥の地となるのではないかと思う。広島の平和宣言の歴史を虚心に振り返ってみれば、そこにそのことがよく表されていることに気付かされるのである。アメリカ風に言えば、『人民の人民による人民の為の政(まつりごと)』が宣せられたゲティスバーグであり、日本におけるグラスルーツ・デモクラシーの聖地に譬えることが出来るであろう。



最後に、中国の古典『荘子』にある「寿陵余子」という話をしておこう。「寿陵余子」というのは、寿陵に住む若者という意味である。昔々、中国の寿陵という田舎町に住むある若者が、趙の首都であった邯鄲の人々のスマートな歩き方に大変憧れて、勇躍上京し、その歩き方を真似てはみたものの、結局ものにならず、それどころか、本来もっていた自分の歩き方を忘れてしまい、足が縺れて七転八倒、ついには這いずりながら、やっとこさ、故郷の寿陵へ帰り着くことが出来ましたとさ、というお話である。アメリカが731石井細菌部隊を赦したのは、アメリカが彼らと同じ欲望を抱いていたからである。国連安保理で、イスラエル非難決議が度々多数の賛意を得ても、アメリカがそれを拒否するのは、アメリカがイスラエルと同じ欲望を抱いているからである。そして我々が、敗戦後に至ってもなお、辻政信や源田実の跳梁を赦して来たのは、我々が彼らと同じ欲望を抱いていて、彼らと同じ穴の狢であったからである。それをキリスト教的に読み解けば、「私たちをお赦し下さい。私たちも人を赦しますから」とでもしなければならないのであろうか。しかしながらそれは、「基地か補助金か」の踏み絵を迫られて、岩国市長をリコールに追い込むことを視野に入れた市民運動を旗揚げした、「岩国の明るい未来を創る会」の面々が嵌り込んでいる隘路と、事を全く同じくしているものでもある。彼らのいう「明るい未来」とは、バブル経済全盛時に「地上げ」や「開発」を通じてヤクザな者が、政官財と一緒になって夢見たのと同じ種類の未来であって、目の前の生活の為に「富国強兵」のアメリカ的なるものへの臣従を拒否出来ないでいるのも、彼らが今現在もなお、ヤクザなものとは縁が切れずに、相も変わらず「愛」を「人生」を金と力のレヴェルで捉えて、未だに「皇化の化外の民」のままでいるからである。自然を破壊し精霊を顧みず、祖霊を疎かにして古里の美しい里山を荒らしながら、故郷の美しい海を無惨に埋め立てても、それは目の前の安楽な生活の為には致し方ないと思い、豊かな国土に育まれて来た美意識や、平和愛好の倫理観と引き換えにすることになったとしても、それを「しょうがない」と思っているのだ。しかし、もし、直接戦争責任のない戦後世代の我々が、自らに罪はないと天下に晴れて証明しようとすれば、現代に生きるファシストと同じ「富国強兵」の欲望を抱く者の罪過を問わなければ、それは達成されないのである。それを我々の一票一票で直接、神に対し、天地神明に対し、我らが皇祖皇宗に対して示して行く他はない。我々は明治維新以降、大日本帝国主義者がそうであったように、またアメリカがそうであるように、さらには戦後のヤクザな「エコノミックアニマル」がそうであったように、際限のない富国を夢見て「清貧さ」とはかけ離れた経済的余果を追い、アメリカ人と同じ、ヤクザな者と同じ、『坂の上の雲』を目指してあくせく働いて来たのだ。そして急坂を上り詰めた先の辿り着いた頂点が、「人は無能呼ばわりされるところまで出世する」と嘲笑される、戦前の東亜の軍事大国の無条件降伏であり、戦後のアジアの経済大国の経済敗戦における現下の惨状である。極東の小さな列島に好んで住んで来た我々が、喘ぐようにして手につかもうとしたその「雲」は、軍事バブルや経済バブルの泡以上に実態のない、儚いものであったことに気が付いて、今しきりと虚しさに襲われて前途茫洋としながら、ただひたすら虚無に浸っているのである。そして、それはまた、敗戦後、アメリカの意向を過度に忖度しながら、それに沿って生きて来た余り、思わず原爆投下を「しょうがない」と発言してしまった、本来は地元政界に睨みを利かす、押しも押されぬ重鎮であった男が辿ることになった運命でもある。それでいま、彼は這うようにして地元長崎を目指しているのだが、いつもは暖かく自分を迎えて、安らかに包んでくれるはずの、美しくも麗しい故郷に、いまだ辿り着けないでいるのだ。これは何も彼の話だけでなく、我々自身の話でもある。







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Global Rule

2007年07月30日 | Weblog
Image:NASA-Apollo8-Dec24-Earthrise.jpg Wikimedia Commons
 


 『史記』は、『旧約聖書』を含む、古代オリエント史を参照して書かれたものである。それは、日本人が中国を意識しながら、尚かつ日本独自の律令国家を打ち立てようとして、中国大陸向けの対外的プロパガンダ文書『日本書紀』によって、自分たちの存在の自律性を納得させようとしたのと同様である。相手側に映る外部から見た自分の姿を想像して、それを自己像とする、鏡像段階的な自意識のあり方だ。日本においては、一千年余り後の明治維新の際には、今度は西洋を意識し、西欧起源の諸制度を参照しながら、それを我が身にしっくり来るよう換骨奪胎して、相手側の全体構造に沿いながらも、それに飲み込まれることのないよう、独自の視点による新たな解釈によってその分離
独立性を『明治憲法』のなかで主張したのである。これは製造業でも広く行われている、「リバース・エンジニアリング」と呼ばれている手法なのだ。競合他社の製品をひとつひとつの部品にまで分解し、メカニズムや仕様の巧拙を彼我において対照化しながら、その知見を自らの次製品に生かそうとする自然な営みである。我々がものを食べて分解して消化し、良きものだけを吸収しようとするのと同じことだ。それが、キリスト教絶対王政を下敷きにした「神聖ニシテ侵スヘカラス」の絶対天皇制であり、「皇紀2600年」なのである。そして、(白川静がその独創的な漢字学によって明らかにしたように、当時、汎神論的な呪術的世界観が支配的であった)古代中国にあっても、ヘブライズム的な神概念を相対化して脱構築したことにより、神は「人格」神から、「天」という形式だけがあって内容のない、つまり、神と人の関係性を抽象化した「構造」だけが(スタイルだけが... と言い換えてもいい)、移植されることになったのである。それは当然といえば当然であり、仮に、内容ごと輸入すれば、中国文明は西域オリエント世界の単なるコピーになってしまうからであり、誇り高き自立心と独自性をもった民族としては、それは当然の選択だ。そして、その相対化によって初めて、中国文明は中華文明たり得たのであって、もし彼らが相対化に成功していなければ、東アジアは西洋の「東夷」となっていたであろう。さながら、アジアの暗黒大陸といったところであろうか。



 実際我々も、『漢委奴国王』や鬼道を能くする卑弥呼(=親魏倭王)の時代から脱し、飛鳥時代に至って『日出る処の天子、書を日没する処の天子に致』そうと思えば、それはそうなるのであり、我々にしてみれば、中華文明の世界観の根本原理にあって、それを成立させている「天帝天子制」(別名:易姓革命論)をアニミズムの古神道によって再解釈し、「大王(おおきみ)」を単なる天子(皇帝)とは捉えず、万世一系の皇統の連続性をもって、それを「神の依り代」とする脱構築により、「華夷秩序」の外に自分自身を位置づけながらも、アジア世界全体の時空間の中に存在することが出来るようになったのである。それゆえ、柵封体制のなかに自らを位置づけて、その御利益に与かろうとする者が、自らと「天皇」を同列に置きたがるのも、無理からぬことであり、個々の天子としてではなく「皇統」(=日本の歴史と国土という日本の時空間を貫く「御柱」のようなもの - 名目だけがあって実体がない擬制としてのフィクション)として存在する天皇が、中華的に見れば、存在感のない非権力的なものに見え、力強さ、権勢力といったものに欠ける、取るに足らない存在に思えて来て、それを侮りがちになるのである。これは、日本における権力構造を、単なる力と力の王権の争いと見なして、日本の神概念、究極的な公的概念というものによく考えを致さない、権力闘争志向の強い者に選択的に現われることなのであって、それは理屈からいって必ずそうなるのであり、歴史的においてみても、足利義満にそれが見られ、また、南蛮文明世界に漕ぎ出して、その広い世界の外在論理の中で生きようとした織田信長の所行にも見られることなのである。最近の例としては、「パクス・アメリカーナ」の中に自らの権力構造を基礎付けようとした男が為して来た言動の裏にも、それが見え隠れするのである。



共産主義は、西欧文明から出た西洋思想の異端であり、言うなれば、キリスト抜きのキリスト教であって、初めから挫折するよう宿命づけられていたものであるが、それゆえ、西ヨーロッパ世界では決して主流にならなかった思潮である。当時、西ヨーロッパに対して後進地域であったロシア文明が、当然歯牙にもかけなかったはずのアジアの新興の三等国に対して喫した、日本海海戦での大敗北の打撃を回収せんとして、身に迫る喫緊の課題であった西欧の覇権主義に対抗する為に、その西方キリスト教会文明の「異端思想」を採用することで起死回生の一発逆転を狙ったのが、世界初の社会主義革命であるロシア革命である。西欧側にしてみれば、喉に引っかかった小骨であるキリスト教異端思想を大胆に「脱構築」され、その意趣返しによって、今度はソビエト・ロシアそのものが、西欧全体にとっての頭の痛い「目の上の瘤」になったのである。当初は、その「禁じ手」である人工的な社会主義的実験路線も上手く行くかに見えたのだが(実際その部分的成功により、ソビエトはドイツの攻勢を凌いで、アメリカの支援を受けたとはいえ、第二次世界大戦を乗り切ったのである)、しかしその息は宿命的に短く、ブレジネフ時代を迎えるに至って、その異端思想の本領を遺憾なく発揮して、メッキが剥げ馬脚を露し、にっちもさっちも行かない「どん詰まり」の停滞情況、つまり末期症状を呈するようになる。そしてついに、お決まりの「改革者」の登場と相成るわけであるが、これは我が国においては、ソビエト連邦およびイギリス連邦(後で触れる)とは異なって、いささか「役者」の趣が下がり、それは甚だ遺憾なことではあるが、ここ数年来の出来事と全く機序を同じくしているのである。



ゴルバチョフは、いみじくも「西洋主流への復帰」を宣言してバチカンを訪問した後、「ペレストロイカ」と「グラスノスチ」をキャッチコピーに、一連の「改革」を断行していくわけであるが、その改革の成果が如何なるものであったかは、諸兄がよくご承知の通り、ロシア革命以来、父祖が営々として築き上げて来た資産を底値で西側に叩き売った、と評してさしつかえないものである。つまり、ソビエト連邦の解体とロシアの孤立だ。東ヨーロッパ諸国は西側世界に組み込まれ、ロシア世界と西側世界の間のフロンティアは、革命前はおろか、ウクライナのことを思えば、帝政ロシア時代にも及ばず後退してしまい、世界中に張り巡らせた国際共産主義運動(インターナショナル)のネットワークもまた、雲散霧消したのである。見目だけは麗しかったゴルビーのその颯爽とした登場振りをなぞるように、イギリスのブレアも「第三の道」を引っさげて、ダウニング街の席が暖まる暇もないほどに世界中を飛び回り、イギリス国会では野党議員から「ようこそわが国へ」と揶揄されながらも、アメリカをして、ひたすら世界の趨勢に添わせようと努力したのだが、万策尽き、憔悴のまま政権を去るに当たって、最後にバチカンを訪問し、ローマ教皇に謁見したのである。これは、イングランド国教会からカトリックに改宗することを正式に願い出る為と、巷間言われているのである。統一通貨ユーロによってEUがいよいよ緊密化一体化するなか、イギリス伝統の大陸干渉政策を取り得ず、あれこれ策動したとどのつまりが、英米連合、すなわち広義のコモンウェルス(アングリカン・コミュニオン)の解体と、その中核大国である、アメリカの世界からの孤立だったというわけである。さて、本邦のその「ゴルビー」である。本人はリチャード・ギアと言って欲しいらしいのだが、本件からは外れるので、涙を飲んで、あえてそう呼ばせていただく。アメリカの愛玩プードル犬とも呼ばれた「ブレア」と軌を一にして、忠犬振りも相通じるその「ポチ」ではあるが、北朝鮮電撃訪問に始まって、自衛隊のイラク戦争参戦に極まり、国連常任理事国入り失敗に終わった独自外交路線や、内政においては郵政民営化にトドメをさす、その一連の「改革」は、これはもう言わずと知れた、前二者と同様に、これまた定石通りに推移したのであって、第二次大戦終結以降の「日米韓台勝共連合」を解体させ、東アジア世界からの日本の孤立を露呈して終わったのである。つまり、「戦後レジーム」を連合国側(アメリカ・中国)に、底値で叩き売ることになったのだ。これを「とほほ」と言わずしてなんとしよう。まったく、『売国を改革と書く三代目』である。



東西冷戦は、そのまま西方教会文明と東方教会文明の対立である。西方教会側にあって主翼を担ったのは、ローマ教皇庁の政治的干渉を排除し、カトリックの聖職者敍階ヒエラルキーからの独立を目指して、「聖書のみ」や「万人祭司主義」といった、いわゆるプロテスタンティズムの影響下にある「市民革命」によって生まれた世俗国家群であった。政教分離政策を採用して、倫理的自由度を増すことにより、つまり、ある程度倫理観を犠牲にして初めて、西欧諸国は近代化されたのである。片や東方正教会側のエースとなったのは、西方教会側の異端思想を換骨奪胎し、一見キリスト教思想とは思えぬほどに偽装された、共産主義思想を旨とする「社会主義革命」によって誕生したソビエト連邦である。ソビエトも宗教をアヘン呼ばわりしながら、ロシア正教会の精神的影響力を排除することによって、それをもって、急速な近代化に成功した。西側にあって、国際的な広がりをもたらせる為に採用されたイデオロギーが「自由民主主義」であり、今日のグローバリズムに至る「市場主義的自由貿易体制」であった。東側にあっては、階級間の「公正な分配」や「計画経済」を旗印にした、専ら精神的な普遍的正義の水準で語られる思想戦が展開され、その運動を担ったのはインターナショナル(国際共産主義運動)である。もっとも、東方正教会文明のDNAである「皇帝教皇主義」により、「インターナショナル」の理想は、ボリシェビズムの反動によって、ロシア国粋主義に回収されてしまうことになるのだが。



 イギリス聖公会(アングリカン・チャーチ)は、ローマ・カトリック法王庁からの離反というプロテスタンティズムと、国王教王制を採用する国教会というオーソドキシーと、さらには、彼らが言うところの「唯一にして聖なるカトリック(公同的)な」教会でもあるという、誠に摩訶不思議なキメラである。牽強付会もここまでくれば、「ニュー・エルサレム(神の新しい平和の都)」も全く冗談というわけではなく、半ば本気だったということか。アーノルド・J・トインビーはその著書のなかで、「神の国」を自称した日本のことを一笑に付したものだが(神風とか神州不滅のことらしい)、そもそも、彼らがプロテスタントと言えるかどうかも疑わしく、彼らのローマ教皇庁へのプロテスト(抗議)とは、つまりイングランド国教会の成立とは、主にヘンリー8世の離婚再婚問題、すなわち後継者問題であり、これはブリタニア版「皇室典範改正」である。これは純粋に王権の問題であって、断じて信仰の問題ではない。清教徒の末裔をもって任じるアメリカとは違うのだ。さらに、二度にわたる世界大戦の遠因には、彼らの伝統的な大陸干渉政策があると言っていいのであって、事実、ヨーロッパを二度と戦場にしないというヨーロッパ版平和理想主義であるEUの成立によって、フランスとドイツの最終的な和解はなり、それによりイギリスは、ヨーロッパ大陸に近接して新大陸との間の大西洋に浮かぶ、ただのひとつの辺境の島国として存在するより他に、為す術がなくなったのである。「アトランティス大陸」(英米同盟)は、またしても沈んだというわけである。そのDNAによる伝統の大陸干渉スタイルによるものか、今またさかんに、EUとロシアの間に楔を打ち込もうと分断を謀っているのであるが、『悪魔の詩』騒動にしてもそうだが、それは悪い冗談というよりも、火遊びも度が過ぎる、老女の「七つ下がりの雨」というものである。イスラム圏を含めてユーラシア大陸がひとつに結ばれ、世界が統一されようとしている時にあって、辺境の島国国家の最後の悪あがきであり、先祖返りなのである。それゆえブレアは矢尽き刀折れ、「傷心」のまま国教会を見捨てて、西洋本流に復帰しようとしているのであり、実際、彼等の500年余りにわたる全努力とは、ひたすらこの事態に至らせない為の努力であって、「誰がそれによって最も得をしたか」という犯人探しの常道に従えば、その答えは自ずと明らかであり、その答えの指し示す宝の在処が、(これもミステリーの定石通り、正々堂々目につくところに「隠して」いた)「大英博物館」なのである。



 結論を言えば、東西冷戦終結を先取りしたゴルバチョフによる「西洋主流への復帰」を目指したデタントは、東方正教会文明のスーパーパワーであったソビエト連邦を崩壊させ、その中核大国だったロシアを普通の国にした。冷戦終結後の後段では、その「狂言廻し」の役をブレアが引き受け、アフガニスタン・イラク戦争の泥沼化によって、西方教会側のスーパーパワーであった英米連合(広義のコモンウェルス)を崩壊させ、その中核大国であったアメリカを普通の国にし、EUへの接近をもたらした。そして、アジアの冷戦構造においては本邦の、そのいささか薹のたった「男芸者」によって、その役回りが果たされる算段になっていたというわけである。そこで、それらを踏まえた上で、私がいうところの「儒教によるキリスト教の再解釈」だが、それはそのまま、中国の「オリエント源流への回帰」である。そしてこれにより、現在彼らが陥っているピットフォール、いわゆるアジア的停滞である「ガラスの天井」状態は克服されるのである。つまり、中華的華夷秩序が最終的に解体されて、それにより、中国の個立が、中国が世界の中の普通の国になることが、約束されるのである。それゆえ、いまここにおいて、その動きを促し、善導し、後押し出来るのは、日本以外にない。世界の中で、儒教のキリスト教への転化を果たす「逆転写酵素」の役割を担えるのは、われわれ日本人しかいない。辛亥革命を経て共和制を打ち立て、後に西欧キリスト教の異端思想である共産主義を受け入れたということは、既にもう彼らが「オリエント主流(ヘブライズムの源流)」へ復帰しつつある証左といっていい。それを傍証して、朝鮮半島ではいまだに小中華主義をきどり、日本国天皇を表すのに際して、華夷秩序を連想させる「天皇」と呼ぶことに抵抗感があって、「日皇」とか「日王」と言うのに対して、中国では「天皇」と呼ぶことに、さほど抵抗感がなくなっていると聞く。中国が西洋的な共和主義思想、国際協調路線、そのパートナーシップをいよいよ我がものにしつつある兆候といえる。それはまた同時に、彼らをして西洋主流へも「接ぎ木」出来ることを明示し、彼らが「中華的華夷秩序」というものから脱して、再び自らを相対化しつつある証拠でもある。



二つの世界大戦の戦間期におきた大恐慌の原因は、第一次世界大戦で疲弊したイギリスからアメリカへとヘゲモニーが移ろうとしていたにも拘らず、アメリカにその認識も当事者意識も用意もなく、積極的に担うべき世界的使命や課題を、自分たちの問題として引き受けなかったからだとされている。いわゆるモンロー主義によるアメリカの孤立主義だ。それからほぼ一世紀になんなんとする現在、冷戦終結後の世界がアメリカによって一極化するかに見えたそのとき、9.11同時多発テロを経てアフガン・イラク戦争へと突き進み、いま、アメリカのプレゼンスは決定的に低下しようとしているのである。これは「今そこにある危機」である。第三次世界大戦が間近に迫っていると言っても、あながち「オオカミ少年」の誹りを受けることはないであろう。しかも今度は、塹壕と機関銃と戦車で戦われる惨劇ではなく、無差別絨毯爆撃と原爆と絶滅収容所にとどめを刺す悲劇でもなく、本当に核シェルターと水爆と宇宙圏での戦闘が行われる、地球という惑星そのものの破壊である戦争が行われるということである。これは断固阻止しなければならない。その危機を救えるのは日本しかない。この全地球的危機を回避出来るのは日本人をおいて他になく、おそらく、この我々以外に、この人類的な危機を引き受けられる者はいないのである。それは、この「13億人口」の中国をめぐる争奪戦という、日米同盟とEUとロシアの三者によって、ユーラシア大陸中原で行われるグレート・ゲームがもう既に始まっているからであり、中国はそのまま、第三千年紀の勝利者に捧げられる「華嫁」である。それゆえ日本は、中国をして、決して大陸側に追いやってはならない。コモンウェルス解体の残滓ともいえる、この新たな冷戦、ないしは多元連立方程式を解くパワーゲームの出来に日本が勝利するためには、アメリカと中国の接近をサポートし、大陸内陸部の農村戸籍人口主導による中国伝統的な「易姓革命」の発動を、徹底して防がなければならないのである。すなわち、毛沢東的な、中国農村的な、あまりに中華的華夷秩序的な、文化大革命の悪夢の悲劇的再来であるところの、「中華的小情況」を未然に防ぎ、太平洋沿岸部の都市戸籍人口をして、決してユーラシア側、EU・ロシア連合側に追いやってはならないのである。端的に言えば、ユーラシア主義に基づく上海協力機構が、彼らにとっての安全保障上の担保としての戦略的代替案ではあっても、主戦略的に起動する事態を招いてはならないのだ。そしてこれにより、過去、熱戦化ではなく、冷戦下でソビエト帝国が解体されてロシアが世界標準化され、またイギリス帝国が解体されてアメリカが世界標準化されたように、中華帝国もまた、戦争によってではなく平和裡に解体されて、中国が世界標準化されるということなのである。そうしてみると、アジアの極東においても「小日本帝国」は解体され、反共連合のその中核であった「小日本」もまた、世界標準化されていたというわけである。つまり、「はしか」が治り、憑きものが落ちたようになって、みんな普通の国になるのである。



 これが、第三ミレニアムの『ルビコン』であり、2000年前カエサルが、「ここを渡ればローマの内乱、しかし、ここを渡らねば地中海世界の破滅」と逡巡しつつも渡りきったギャップである。しかしながら日本にとっては、「人生いろいろ」な日本国内での、その日本的な余りに永田町的な「日本的小情況」の惑乱につきあっている時間もまた、なくなって来ているのである。受け売りと物真似でしか物事を考えることが出来ない、真に「自由」でも、弱者を思いやる心の「豊かさ」もない「孤ギツネ」どもの、『唐様で売国と書く三代目』の三大馬鹿野郎(B+AKA)につき合っている暇もまた、我々にはなくなっているということである。それは、先のアメリカ中間選挙でアメリカ国内のパワーバランスが変わり、現政権に許された時というものが残り一年を切ろうとしているさなか、もし次期大統領選挙で上下両院で多数を握る民主党が勝てば、アメリカ史上初の女性かアフリカ系の大統領になる可能性が高い。これはカトリック教徒であったJ.F.ケネディ以来の特異中の特異なこと、アメリカの建国理念やそのエートスにかかわる異例中の異例なこと、アメリカ政治史においても例外中の例外なことである。それゆえ、アメリカ中枢の深部で、その奥の院の人知れない場所で、何かしら地殻変動の断層面が走る恐れも無きにしも非ずといえなくもない。その「ずれ」による影響が広汎に認められるのは、それがあまりに建国の父祖の心の奥底にあったものであるがゆえに、また、表面化するのも若干タイムラグがあるのであるが、永田町内の国内政治力学に優れて「政局の人」は、そのようなことまでは、外在論理のもとに、グローバル・アリーナで闘われるところの外部世界が、どのような仕組みで、またどのような機序でそれが起こり、それが行われるかまでは、とんとご存じないのである。それゆえ、常に外部情況への個別の対応という形でしか反応できず、したがって、戦略というものが打ち出せずに後手後手を踏み、先手を打てないのだ。これは、半世紀以上も前に我が国を壟断し、対外戦争を主導した軍部と革新官僚のはまった陥穽でもあり、彼らは近代戦というものが真底総力戦であることを、最後まで理解できなかったのである。文明世界間で争われる戦いというものが、優れて世界観戦争であり、つまるところ、「旨とする教え」である宗教間で戦われる思想戦であることに気が付けず、小手先のプラグマティズム(実用主義)の「和魂洋才」で何とかなると思っていたのである。しかしながら、それは何ともならないのであって、事実、何ともならなかったのだ。それが「皇紀」2605年8月15日に起きたことであり、「平成」20年に起ころうとしていることなのである。



 想えば、古代ローマ帝国においては、蛮族の侵入とその粗野な異文化の流入のなか、ローマからコンスタンティノープルへの遷都をもってローマ帝国は命脈を保ち、古代地中海文明はビザンティン帝国に受け継がれていくのである。そこは蛮族ゲルマン人の末裔たるローマン・カトリック教会主導の十字軍遠征の反動であったオスマン帝国の攻勢によって滅ぼされるまで、諸宗教にも寛容であり、イスラムとも友好融和的に推移し、様々な文化交流を培地に、その精華が咲き誇った地中海文明の「最後の華」として、千年もの長きにわたる繁栄を保ったのである。日本がアメリカの「よきところ(good will)」の受け皿となって、その真のパートナーとなるそのとき、太平洋は「我らが内海」となり、環太平洋諸国は、千年王国とも謳われる繁栄を自らのものとすることも出来るだろう。そこで我々はこう言おう。

 私たちは、あなた方を迎え入れる「おもてなし」の準備は出来ています。あなた方が抱いた理想ゆえに、故郷を石もて追われ、その理想ゆえに経験し、背負い込んだ苦難苦悩を我々もよく知っています。誰にでも過ちはあります。どの国にも正視しがたい歴史はあります。それもまた、私たちはよく承知しております。私たちは、たとえどのような政治的思惑の下にあったにせよ、敗者と勝者がある一定の合意の下に、双方がともに納得出来る水準で到達したあるひとつの理想のことをよく覚えています。その理想は、あなた方が絶えず抱いている理想とは若干違うのかも知れませんが、私たちにとっては、かけがえのない理想です。私たちがそれを大切に思っているように、あなた方もどうかそれを尊重してください。私たちからだけでなく、世界からも奪わないで下さい。なぜならば、我々とあなた方が出会う場所は、あの「文言」(the Constitution of Japan)の中にしかないのですから。主の恵みと平安があなた方のもとにありますように。


これは、『アメリカ人への手紙』である。







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Local Rule

2007年07月30日 | Weblog
Image:Solar eclips 1999 5.jpg Wikimedia Commons




「天皇」という言葉は、中国由来の「天」という空間概念を背負った呼び名であり、元号は中国式の時間感覚である。明治憲法が拠ってたつ立憲君主制は、キリスト教王権神授思想に基づく絶対王政から発展しながら修正された西欧由来の統治概念であって、皇紀は中国由来の讖緯説を元にした起算ではあるが、「皇紀2600年」という表記自体は、西暦に準じた西洋式の時間把握である。いずれも、個々の人間性を越える超越的なものの視点から世界を規定し、その空間感覚を体現する者(皇紀は神武天皇、西暦はイエス・キリスト)を紀元とする時間意識によって、人々を包み込み、統合支配せんとする試みではあるが、朝鮮半島の帰属をめぐる争いであった日清戦争は、一面ではアジアを統合する統治原理をめぐっての、つまり、中国式の華夷秩序と西洋式の万国公法との(端的に言って、国際法とは、キリスト教世界内の宗教対立を調停する目的で作られたものである)最初のせめぎ合いだったと言える。アジアの空間と時間の支配をめぐって、この双方が互いに譲らず演じた泥仕合は、その後欧米列強を巻き込んだ世界大戦へと発展し、我が国は明治以来営々と築き上げて来た覇権のすべてを失って、アメリカに漁父の利をさらわれたのである。専守防衛論の王道思想ではなく、前方展開防衛論に立った、日清戦争に始まる一連の対外拡張主義的国防政策の物真似覇道主義は、空間概念と時間感覚の構想力と創造力で一歩も二歩も先行していた、本家本元のオリジナルな西洋流覇道主義によって打ち砕かれる運命にあったとしても、已むを得ぬことだったと言えよう。本物が出てくれば、コピーは退場するしかないからである。



しかし、ここに奇妙なことがある。いま、ふたつの統治原理の争いとは言ったが、ふたつの原理主義者の争いとは言えないからである。なぜならば、華夷秩序のオリジナリティをもって、その盟主であると自らを任じる方は、辛亥革命によってアジアに初めて共和国を生みだし、その後の歴史を見ても明らかなように、共和主義は曲がりなりにも、その地に根付いて機能しており、共産党側・国民党側がともに、それぞれが悲劇的な反動を経験しながら、中国大陸の両岸は、いずれも西欧由来の共和政思想によって統一が図られているからである。いっぽう我が国は、西洋流の国際法秩序を掲げて、近代ナショナリズムによる帝国主義的覇権を拡大しながら、朝鮮半島と台湾では一元的な皇民化政策によって同化をはかり、片や中国大陸ではアジア的華夷秩序の中で五族協和を言い、清王朝の後継となる満州国を打ち建ててこれを支援して、その独自の元号(大同・康徳)をもって中原を争っており、統治概念における世界観、統一されるべき空間概念と時間感覚において、不思議な混乱を見せているのである。本土側の日本政府と大陸側の関東軍との間で、意思の疎通や政治戦略上の齟齬が生じていたとしても、無理からぬことだったと言えよう。互いに別の世界観の下にあって、違った時間の中で生き、お互いに別世界で生きようとしていたのである。中国にあっても、辛亥革命の推移や、その後の国共内戦、および文化大革命の混乱を見るにつけ、争い自体が複雑骨折をおこして、両者が共に摩訶不思議なハイブリッド・キメラ状態を生み出しながら精神世界に混乱を生じさせており、キャッチアップせんとする上昇志向の強い後進国が陥りがちな、いわゆる「ガラスの天井」状態を露呈して、アジア的停滞に陥っていたことがわかるのである。これは、いま、中東イスラム圏でおきていることと同じである。一方で、この両者の角逐は、アジア全域を支離滅裂な内戦状態に巻き込んで、この堪え難い出来事の諸悪の根源であるとされた、西洋植民地主義的なものへの反感をかき立てて、民族意識と独立意識を覚醒させ、植民地体制の維持を目論んだ西洋列強に対しては、その支配を無意味なものにする、捨て身の「焦土作戦」を敢行したことに等しく、西洋列強にしてみれば、戦争のコストに見合わない出血を強いられることで直接支配の意欲を挫かれ、結果、アジアは開放されたのである。これもまた、いま中東で起ころうとしていることと同じことである。



私は今でも、今年は西暦で言えば何年だったか、元号で言えば何年にあたるのかとふと迷い、また、祖父や祖母の生年や父や母の生きていた時代を、東洋と西洋の彼我の歴史を相互に参照しながら、近現代史のなかで一意的に、つまり、一元的な時空間の中に的確に位置づけようとする時に、すなわち世界史の中で把握しようとする時に、時に混乱と遅滞を覚えるのであるが、このようなことは、どの国でも、どこの地域でも、どのような人々にも、ごく普通に、普遍的に起きていることなのであろうか。この、人間が生きて行く上で欠くことの出来ないと思われる時間感覚と空間概念の動揺は、近現代に生きる我々だけに起きている特異なことなのか、それとも、我が民族が古来より与っていて保持すべき守るべき伝統、あるいは、我が国が誇るべき特質、または、固有の特権なのであろうか。それとも、ある時代において特徴的に生じている特殊な事情によるものであり、我々はただ現在においてのみ、それを甘受すべきものなのであろうか。人間が存在する時空間を規定して個々を位置づけ、また、社会の中である共通したタイムテーブルやフレームワークによって人々の同調性を確保し、高度な協同性に基づいたある一定の成果というものを獲得しようとする時、すなわち、人々を共同させ、同期させ、統合し、統治して、一つにまとめあげて行こうとする時に、この、空間概念と時間感覚を通じて行われる支配の根本原理にある、秩序感覚の二重性は、果たして、何かある決定的な不利や不都合や、それによる遅れをもたらしていたのではないだろうか。とくに、民族が一丸となって、持てる創造力と資力を尽くして戦われる近代の総力戦においては(それは、経済成長主義を奉じる国家間で繰り広げられる、平時の経済覇権闘争においても同様である)必然的にビハインド(敗勢)を生じさせてはいなかっただろうか。尺貫法とメートル法の同居、太陽暦と太陰暦の並存は、平時ならさほど問題にならないのかも知れないが、差し迫った国家存亡の危機に際して挙国一致で国民が一丸となり、統一された行動が要求される時には、混乱を生じさせないではおかないだろう。軍事作戦開始時には、まず全員の時計の針を合わせるものである。



文明の創造性の展開とは、パーツの集積体である機械の様な、何かと何かの付加的な組み合わせの上に成立する様態のものではなく、むしろ、あるひとつの種概念である原理から分化した不離不可分の集合体として、生命体の様に成長しながら発展し、部分的な更新もまた、その原理的な概念図にしたがって絶えず再構成されて行くことで、健全に維持されているものである。つまり、生物の体が自分と他者を峻別して初めて成立するように、異種間の不用意な接合は、深刻な機能不全をもたらすことになるのである。拒否反応を起こさないようにしようと思えば、内部にビルトインされた移植物を保持するために免疫反応が犠牲になり、外部からの異物の攻撃に対して弱くなる。大人をして最近の若者はと嘆かせる、その様々な非行や無軌道振りは、外来文化の正邪を判断する精神的な免疫システムの不全による当然の帰結であって、元を正せば、大人が旧体制を延命させる為に、無理をして外部から移植導入した本性的にみて共同化し得ない異物、すなわち外国由来の基礎概念によるのである。消化吸収しようと思えば、口から正しく飲み込んで、分子レヴェルにまで分解して異化し、今度は、それらを同化させながら、自らの全体像を再構成して行かなければならない。鍵となるのは、自らは変わりはしないが、変化を促進させる、消化酵素の「触媒」の力である。歴史とは、過去の「歴史」を再解釈して来た歴史であり、本当のことを言えば、歴史とは常に、現在という新たな視点から再構成された「現代史」なのであって、文明の創造性は、その再構成に要する相対化にかかっており、どれだけ問いの次数を上げられるか、視点を空間的にどれだけ高みに上げられるか、時間軸をどれだけ深く通すかにかかっている。反省の「省みる」とは、そういった視線の有り様を言った言葉である。そして、歴史において優れて触媒になっているものは、個々のコンテンツを繋いで成立させているメタな文脈であるコンテクストであり、それは、我々の中に恒に変わらずにある、霊性、感覚、感受性、エートス、フィーリング、トーンといったものであり、それは、ひとつの民族の「詩性」と言ってよいものなのである。



明治期の軍制改革に功あって、皇軍建軍の祖と目される大村益次郎がいうところの、『便法のみ』とも「和魂洋才」とも称されるプラグマティズムは、本性的にみて火急応急の弥縫策であり、そこから文明発展の創造力の源泉となる成長因子を未来永劫に渡って順調に引き出して行けるものではない。歴史的連続性や整合性をはかり、辻褄を合わせようとしても根本的に木に竹を接ぐような無理があって、いずれ、その無理が様々な矛盾や弊害となり、システム全体の機能不全を引き起こす。現下の社会保険庁の年金記録の統合不全問題においても、制度的にも、コンピュータ・データ・システム的にも、古い物を新しい物に接ぎ木する難しさが根底にあるのであって、場当たり的で後手後手の戦略しか打ち出せないのも当然である。それは、一元的な時空間の中で、統一的な視点による明瞭な世界構造の把握がなされていないからであり、明治維新以降の歴史においてみても、日本が迷走を始め、国内政治が機能しなくなるのは、維新の元勲がいなくなってからである。つまり、狭義ではあるが普通選挙が実施されて、立憲主義を能くする議会政治が拡大され、善かれ悪しかれ、政治家のメンタリティが血と家系で選ばれしノブレス・オブリージュ的なものから、大衆迎合的なプロパガンダのポピュリズムへ変わって行ったことと、軌を一にしているのである。軍にあっても同様であり、薩長閥支配から脱して陸軍大学出身のエリートが主導するようになってからである。言ってみれば、共に古いシステムのもとで選ばれた者が、それとは全く起源を異にした外国の制度を導入してから、実に、それが本格的に実効的に機能し始めてから迷走を始めているのである。これは、皇軍にあっては家系と家格のヒエラルキーで(=肉体的なDNAの“リアルな”序列によって)構成されていた武士団が、官僚でありながらも、当然、政治にも直接関与した封建的自治意識の強い江戸期の武士的エートス(心性)を保ちながら、本来、文官の選抜システムであるところの「科挙(試験)」で(=脳的な“ヴァーチャルな”序列によって)、軍人を選抜登用するようになったということである。それが、システム運用全般の質と実において、そこに致命的な乖離を生じさせていた。建軍以来時を経るにつれて、もはやそれは、明治維新の争乱時に実力主義で勝ち上がった軍団とは根本的に性格を異にしており、外在論理と内在論理との摩擦変転が要求するめまぐるしい現実への対処において、貫徹した論理性に基づく首尾一貫した組織運用や的確な意思決定が行われずに、惰性で推移し、いわゆる「空気」による支配を生んでいたのである。少しでも改善しようとすれば、たちまち綻んで辻褄の合わないところを露呈させ、改革行為そのものが原初の矛盾を白日の元に曝することになってしまい、そのキメラ状態にある継ぎ接ぎのシステム自体が、総論賛成各論反対の現状維持のみを最優先課題とするよう要請するのである。いわば、非常にデリケートな工作物が針の一突きで壊れてしまうような、その曖昧模糊としたシステム瓦解の恐れによってのみ、組織が突き動かされ、舵の効かなくなった巨大船が暗礁に向かって進んで行くように、ある外部目的の下に編成された機能集団が、組織維持の内部目的だけを至上命題とするような、巨大な利権集団に変わってしまうのである。その悲喜劇的な見本のひとつが、現下の社会保険庁であろうが、帝国海軍にあっては、陸軍と共にロシアの南下政策に共同で当たっていたはずのものが、日本海海戦でバルチック艦隊を壊滅させて以降、仮想敵をアメリカ海軍に求めざるを得なくなり、やがてそれが、唯一の組織原理の代替物たる存在理由となって行くのである。(付記:東西冷戦終結とEUの成立によって、ヨーロッパに外部から平和秩序をもたらすはずの、ヨーロッパ系移民の人工的な継ぎ接ぎ・パッチワークの理念的共和国「アメリカ諸国連合(U.S.A.)」の主目的がなくなり、いまや巨大利権集団となり果てた軍産複合体に、イスラムと敵対して来た旧大陸人とは異なって、本来ならばイスラムと敵対する必要のない「新大陸人」が、鼻面を引きずり回されているわけである。)



それならば、アメリカはどうなのだと言われれば、アメリカ軍は文民統制(シビリアン・コントロール)が利いており、軍事を政治の延長と捉えて、それをコントロールする政治戦略は文官である政治家や官僚によってきちんと策定され、それは当然、実力主義で選ばれた者に委ねられている。翻って我が大日本帝国においては、歴史を虚心に振り返ってみれば、文民統治である立憲主義の正統性が芯から機能しないなか、明治維新を成し遂げた倒幕側の武士的エートスである、「靖国史観」に強く影響された近代の武士をもって任ずる軍人たちが政治に介入して、それを壟断するようになって以降、次第に淪落の色合いを濃くして行くのである。もともと、日本的軍人である「武人」の能力教養は試験で測るものではなく、武道における「身体能力」の運用と理解で測られて来たのであり、日本的政治家というものも、今の選挙模様に見られるような、本来、下位の者が上位の者に許しを請う「土下座」の仕草や、子供が庇護者との紐帯を慕い求めんとする、名前の「連呼」の泣き落としの媚びたスタイルで選良とされて来たのではない。日本的なリーダーとは、器量を認められて(以心伝心で既に合意形成されている暗黙知の下で - いわば静寂なる沈黙のうちに)周囲から推されてなるものであって、自分から手を挙げ(て立候補す)るような奴は、オッチョコチョイだと昔から相場が決まっている。こうしてみれば、事態はもはや絶望的な矛盾であり、手段と目的が互いに乖離して齟齬を来たすアンビバレンツな宙吊り状態、言うなれば解けない結び目であって、ブレーキとアクセルを同時に踏み込んで機関全体がさっぱり前進しないような停滞状況に陥ってくる、ある必然的な致死的遺伝子を胚胎していたと言わざるを得ないのである。つまり、後進国のキャッチアップ的施策のもとにあれば、天皇制と富国強兵、国体の護持と経済成長主義、我等が皇祖皇宗皇統と改革開放路線というものは、それを同時に要求すれば必ず相反し、対立し、矛盾し、もし無理にその両方を手放さずに過度に求めるならば、必ずや内在的論理はその外装を突き破って外部へと溢れ出し、己が成長してより広い大きな外部環境というステージで生きようとした正にその理由によって、外部を成立させていた外在的論理に屈するだけでなく、それを積極的に内部に引き込んで、内部にある外部とは違ったものを、外部からの外科的手術によってえぐり出させようとするのである。ちょうど「ゴルディアスの結び目」を一刀両断のもとにするような、快刀乱麻の果断さを求めざるを得ないような所へ自らを追い込んで行くのである。それが、昭和維新を呼号する愛国主義的軍人の暴走の副次的効果によってもたらされた、先軍政治の自己破壊とその帰結である、無条件降伏をもって行われた敗戦処理の際の、ぎりぎりの国体と皇統の危機だったのであり、それから半世紀あまりを経て、奇人変人呼ばわりされて、本来ならば総理総裁になれるはずもなかった男が「8.15靖国公式参拝」を引っさげて登場し、その後の『改革なくして成長なし』の「改革断行路線」もまたそのようにして、必然的に呼び出されて来たものなのである。



どんなことにでも応用には限界というものがあるのであり、思想や理論に限らず文明や文化や制度についても、それは言えることである。適用範囲をきちんと弁えることが肝要であり、限界を知るということ、足るを知るということは優れて大人の風儀なのだ。いま、一部勢力より「戦後レジームからの脱却」が盛んに叫ばれているが、しかしながら「戦後レジーム」とは皮肉なことに自由民主党のことなのである。第二次大戦後の冷戦構造の中で日本をアジアの反共の砦とする為に、その構築の担い手として、アメリカがCIAを通して産み落とした鬼子が自由民主党であり、戦後の経済復興成長主義もまた主にアメリカ側の要請によっているのであって、「年次改革要望書」は今に始まったことではない。GHQ命令による、農地解放、財閥解体から、ガリオア・エロアに至るまで、戦後一貫としてその対日政策の受け皿となって来たのも、保守合同で今日の姿となった、他ならぬ自由民主党である。そして今ちょうど帝国海軍が日本海海戦以後、主目的を失うなかで、勝てる見込みも、また勝つ気もないのに、その組織維持の存在目的の為だけにアメリカを主敵として行ったように、自由民主党もまた冷戦終結後主目的を失って、巨大な利権構造としてのみ延命を計ろうとしているのである。ピーク時には軍艦の建造費だけで国家予算の三割を超え、もし、彼らが要求した「八八艦隊」が実現していたら、その維持費だけでも国家予算の 1/3 を軽く上回っていたであろうとされる荒唐無稽さもまた、自由民主党の金権体質と同根のものである。それが形式だけがあって中身のない『美しい国へ』の空虚さの理由なのであり、歴史的役割を終え、巨大利権集団と成り下がった組織のご都合主義の「お手盛り本」に、そもそも具体的ビジョンなど描き出しようがないのだ。それゆえ、内部矛盾を糊塗し組織を維持する為に、敵を求め、敵を作り、世界を分断し、また自らも自己破壊の誘惑に抗し切れなくなって行くのであって、「抵抗勢力」を作り出して自己演出する、その自作自演の構図は、小泉劇場やワイドショウ政治において、我々が繰り返し飽きるほど見せられて来た茶番である。そして、やがて彼らは辺り構わず異論を「反日」呼ばわりし、反中だの、反韓だの、いずれは反米を叫んで、反目と憎悪を撒き散らし、世界中を敵に回して孤立して行くのであり、これはいま、ロシアがはまりつつあるピットフォールでもある。



それゆえ、我々は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、この無知蒙昧な愚かなる「小日本」勢力と戦わなければならない。なぜなら、彼らは「(第二次大)戦後レジーム」からの脱却を宣言して、既に第二次世界大戦後の世界から明確に孤立しており、世界の潮流に決定的に反して戦おうとしているからである。かつて一度も人類の普遍的な原理とその課題に正面から向き合おうとせず、よって「日本的小情況」を克服できず、反省もなく、進歩もなく、またアジア的停滞におよんで、『座して死を待つより討って出るべし』の日本的メンタリティの小日本的空気に従って、カタストロフによるシステム障害の除去、安易で破滅的なリセットを望むからである。自分で自分の体にメスは入れられず、かといって外部を信頼して素直にもなれずに、自暴自棄になって暴発するからである。それは、彼らの自閉的な有り様からすれば必然的にそうなるのであり、事実、半世紀余り前にはそれで、「八紘一宇」を言い、「鬼畜米英」を叫んで、全世界を相手に戦い、天皇の御楯となるはずの皇軍が皇国を滅亡の淵にまで追いやって、国体を存亡の危機に曝したのである。つまり、我々が今ここで為すべきことは、次なる文言に言い尽くされている。すなわち、

『日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う』

のである。







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