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マライア・キャリー(Mariah Carey)YouTubu(ユーチューブ動画)で経歴紹介パート1

2007-05-16 | マライア・キャリー

マライア・キャリー(英: Mariah Carey, 1970年3月27日 )は、アメリカ合衆国のシンガーソングライター、音楽プロデューサー、女優としても活躍している。音楽はブラックミュージックを基盤としている。

【略歴】

 ベネズエラ系の父(白人と黒人の混血)とアイルランド系の母(白人のクオーター)の間に3人兄弟の末っ子として、ニューヨーク州ロングアイランドに生まれ人種差別に耐えながら幼少期を過ごした。音楽はブラックミュージックを基盤としている。

 ハイスクール卒業後、マンハッタンへ。ウェイトレスなどをしながらチャンスを待っていた。その後、ブレンダ・K・スターのバックコーラスとなり、ブレンダに連れられて訪れたパーティー会場でCBSレコード(コロンビアレーベル、現:ソニーBMG・ミュージックエンタテインメント)のトミー・モトーラ社長へブレンダがデモテープを渡したことがきっかけとなり、1990年に"Vision Of Love"でデビュー。このシンデレラストーリーとデビュー直前にNBAs All Starで「America the Beautiful」を熱唱し話題になったことから大ブレイクした。

※America the Beautiful:Mariah Carey - America The Beautiful (Live at 1990 NBA Finals)

【概要】

ブレーク期(1990-2000)
 
 デビュー当時のキャッチコピーは「7オクターブの音域を持つ歌姫」(ただし、これには誇張があって、実際のマライアの音域はG♯2~G♯7(lowG♯~hihihiG♯)の5オクターブである。5オクターブと言っても、数多く存在する歌手の中でもかなり広く、女性では不可能に近い男性並の低音域から、ハープやフルートの最高音に匹敵する超高音域のホイッスルボイスまでを自在に操っている)。

 音域をいっぱいにまで使った曲はデビューから今もなおよく見られる。最も高い声を出す人としてギネス・ブックに認定されていた。
 
1991年には女性アーティストとして3人目となる『ビルボード』誌のアーティスト・オブ・ザ・イヤーに選ばれる。
 
アルバム『Music Box 』(1993年)、『Daydream』 (1995年)は全世界で各2500万枚を超える大ヒットとなった。Boyz II Menとのデュエット曲『ワン・スウィート・デイ』は1995年から1996年にかけてビルボードのHOT 100で16週連続No.1を獲得。この最長記録は2010年現在も破られておらず、ギネス記録に認定されている。

また、2005年のMIMIからのセカンド・シングル『ウィ・ビロング・トゥゲザー』は『One Sweet Day』に次いで歴代2位の14週間1位である。
 
1995年、キャンプ・マライアを設立して、低所得者層の恵まれない子ども向けに芸術や就業機会を学ぶ場を提供している。同時にFresh Air Fundの設立もしていて、1700万人以上のNYの治安が悪い地域の子どもたちに無料の夏休みを提供している。
 
1996年にはPeace Officer's Memorial Serviceに参加し、ビル・クリントン(第42代大統領)の前で『HERO』を披露した。

Music Box」:1993年に発売されたマライア・キャリーの3枚目のスタジオアルバム。

Mariah Carey: Greatest Hits, マライア・キャリー

 1.Dreamlover

 Dreamlover - Mariah Carey: Greatest Hits

 2.Hero

 Hero - Mariah Carey: Greatest Hits

 3.Anytime You Need A Friend

 Anytime You Need a Friend - Mariah Carey: Greatest Hits

 4.Music Box
 5.Now That I know
 6.Never Forget You
 7.Without You
 8.Just To Hold You Once Again
 9.I've Been Thinking About You
 10.All I've Ever Wanted

「Daydream」:1995年に発売されたマライア・キャリーの5枚目のスタジオ・アルバム。

1.Fantasy
 トム・トム・クラブの『Genius of Love』を全面的にサンプリングしている。
 日本では『なるほど!ザ・ワールド』のエンディングテーマに使用された。

2.Underneath The Stars
3.One Sweet Day

 4.Open Arms ジャーニーのカバー。日本ではフジテレビジョンがバレーボール中継のイメージソングに使用。

 5.Always Be My Baby
 6.I Am Free
 7.When I Saw You
 8.Long Ago
 9.Melt Away
 10.Forever
 11.Daydream Interlude
 12.Looking In
 13.Fantasy -Def Club Mix-

MIMI:2005年に発売されたマライア・キャリーの10枚目のスタジオ・アルバム。

 1.Its' Like That
 2.We Belong Together
 3.Shake It Off
 4.Mine Again
 5.Say Somethin'
 6.Stay The Night
 7.Get Your Number
 8.One and Only
 9.Circles
 10.Your Girl
 11.I Wish You Knew
 12.To The Floor
 13.Joy Ride
 14.Fly Like A Bird
 15.Sprung (日本とイギリスのボーナストラック)
 16.Secret Love (日本のボーナストラック)

低迷期(2001-2004)

1999年のアルバム『Rainbow』を最後にソニー・ミュージックを離れEMI傘下のヴァージン・レコードに移籍。史上最高クラスの8000万ドル(当時約128億円)もの契約金が話題となった。しかし精神的・肉体的にトラブルを抱え、2001年にはテレビの生放送番組でストリップまがいのパフォーマンスをして顰蹙(ひんしゅく)を買う。
 
同年、半自伝的な初主演映画『グリッター きらめきの向こうに』が公開されるが、興業的には失敗に終わる。そのサウンドトラックアルバムは映画の失敗、多すぎるゴシップや発売日(9月11日)がアメリカ同時多発テロ事件と重なったなどの不運もあり、低調なセールスに終わった。結局EMIからはこの1作だけで契約を打ち切られ、「リストラの一環」という不名誉な話題となった。しかし、契約打ち切り金として2800万ドル(当時約30億円)が支払われ、一瞬で得られた最多報酬としてギネスブックに掲載されている(日本では契約の関係上『Glitter』もソニーから発売され、東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン)からは1枚もリリースされていない)。同曲のサウンドトラックからシングルカットされた「Loverboy」はビルボードのシングルセールスチャートで年間No.1を獲得している。

※『グリッター』(Glitter)8枚目のスタジオ・アルバム

 1.Loverboy Remix
 2.Lead The Way
 3.If We
 4.Didn't Mean To Turn You On
 5.Don't Stop (Funkin' 4 Jamaica)
 6.All My Life
 7.Reflections (Care Enough)
 8.Last Night A DJ Saved My Life
 9.Want You
 10.Never Too Far
 11.Twister
 12.Loverboy
 
ほどなくしてアイランド・デフ・ジャム・ミュージック・グループ(Island/Def Jam Music Group、ユニバーサルミュージック傘下)とレコード契約を結び、2002年にアルバム『Charmbracelet』をリリースした。同年12月にプロモーション来日している。

※「チャームブレスレット」

曲名リスト
1. スルー・ザ・レイン
2. ボーイ (アイ・ニード・ユー)
3. ザ・ワン
4. ユアーズ
5. ユー・ガット・ミー
6. アイ・オンリー・ウォンティッド
7. クラウン
8. マイ・セイヴィング・グレイス
9. ユー・ハッド・ユア・チャンス
10. ララバイ
11. イレジスタブル (West Side Connection)
12. サトル・インヴィテイション
13. ブリンギン・オン・ザ・ハートブレイク
14. サンフラワーズ・フォー・アルフレッド・ロイ
15. スルー・ザ・レイン (Remix featuring Kelly Price and Joe)
16. ミス・ユー

Through The Rain

再ブレーク(2005-2008)

 大成功を収めたツアーコンサート「アドベンチャーズ・オブ・ミミ」のステージでダンサー達と(2006年8月7日、フロリダ州タンパ)
そして2005年、アルバム『The Emancipation Of Mimi』を発表。1999年頃からの囁くような歌い方に加えて全盛期並みの高音が復活し、彼女の新境地を開いた。

 ファーストシングルの『イッツ・ライク・ザット』がヒットし、続くセカンドシングル『ウィ・ビロング・トゥゲザー』が通算14週1位を獲得、年間売り上げNo.1シングルとなり、サードシングル『Shake It Off』も6週連続2位(その時の1位は『ウィ・ビロング・トゥゲザー』であった)と大ヒット。アルバムはシングルの『ウィ・ビロング・トゥゲザー」と共に2005年の全米年間セールス1位、全世界で売上約1000万枚を超える特大ヒットとなり、The Return Of The Voiceと形容されるほどの劇的な大復活を遂げた。

アメリカン・ミュージック・アワード1部門、グラミー賞3部門など数多くの賞に輝いた。この復活を受け、マライアの第二期黄金時代に突入したとも言われている。
 
11月には同アルバムに新曲やDVDを加えた『Ultra Platinum Edition』を発売した(日本では2006年1月に国内盤を発売)。4thシングル『Don't Forget About Us』も2週連続1位となり、同年2曲以上の1位を獲得した唯一のアーティストとなった。
 
2005年9月8日には、ニューヨークで開催された『FASHION ROCKS 2005』に出演。
 
そして、2005年-2006年でのカウントダウンイベントNew Year's Rockin' Eve 2006では、ニューヨークのタイムズ・スクエアでライブを行なった。この模様は全米のお茶の間に向けて生中継された。なお、一人の歌手がニューヨークの象徴であるタイムズ・スクエアで、およそ100万人のファンの前でライブを行うのは、34年間の番組史上初めてのことであった。
 
2008年4月、アルバム『E=MC²』をリリース。先行シングル『タッチ・マイ・ボディ』はBillboard Hot 100で1位を獲得した。これで彼女のビルボードでのシングル1位獲得は18曲目となり、エルヴィス・プレスリーの記録に並んだ。これはビートルズの20曲に継ぐ歴代2位のタイ記録である。同時期に、アイランド・デフ・ジャムとの再契約を発表した。
 
さらに、『グリッター きらめきの向こうに』以来、映画から離れていたマライアの本格的映画出演が再び始まった。2008年のトライベッカ・フィルム・フェスティバル(Tribecca Film Festival)では、ハル・ベリーのオスカー受賞作となった映画『チョコレート』のプロデューサーによる作品『Tennessee』が招待作品となっている。その作品でマライアは初めてカントリーソングを披露した。
 
2008年9月5日にニューヨークで開催された、『FASHION ROCKS 2008』に出演。
 
2008年11月、モナコで開催されたWorld Music Awardsにて、ソロアーティストとして全米No.1獲得数が歴代1位になったことからSpecial Achievement Award(特別功労賞)を受賞した。

 



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