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START AGAIN !

2010年04月22日 | 日記
あぁ・・・犬に会いたい。
写真は家の犬の「シュンスケ」(漢字あったかな)

今日は職場近くのパン屋さんで昼食ゲット。順番待ちしてると足元に野良犬が。ここらでは野良犬が30匹くらいうろうろしている。「よ~しよしよし!しょしょしょ!」とムツゴロウさん並みに撫でたいところだが、狂犬病のことも考え、ぐっとこらえる。
口笛吹こうもんなら、集団で「メシ~!オレと遊べ~!」と寄ってくる。迂闊な行動はとれない。犬に触れれない代わりに、部屋に戻って枕を撫でる。(これって病気??)


それはさておき仕事の話。

デモおかげで失業路線まっしぐらだった私に天から恵みの雨が降ってきた
ずっと連絡を取っていた日本の芸術団体から
「今夏キルギスで作品を作ることを考えています!」と・・・

来てほしいという気持ちはあったが、正直80%諦めていた。

ずっと送り続けていたラブコールのおかげか
「デモで大惨事があった国に来て作品を仕上げる。」
芸術家のハートは並大抵なものではないと確信する。その中でも今回来てくださる2人のアーティストの方々のアグレッシブさ、バイタリティーには頭が下がる。すごいといか言いようがない

しかし、まだこれで来てくれることが確定したわけではなく、日本の助成団体に助成の申請をして、それが通過したら、GO!という流れ。
助成申請の締め切りが今週金曜日ということで、私も微力ながら、申請資料作成に携わらせていただいた

これが通れば本当にすばらしいこと!
申請書には堂々と「キルギス」の名を載せる!と芸術団体の方から連絡があった。
「キルギス」という名を出すだけでも、マイナスのイメージになりかねず、申請がアウトになる可能性もあるのに、なんというポジティブさ本当に感謝の気持ちが尽きない
結果が楽しみである!

あと、6月から週2日、孤児の生徒を対象に「日本文化紹介」を行うことが決まった。
基本が折り紙教室のような感じになるが、1カ月に1度は違う催しをしようと考えている。
「紙すき」「七夕」「書道」「切り紙」・・・あげたらきりがない。
対象の年齢がまだ不明だが、これまでの経験を活かして、楽しくできればと思う。

徐々にではあるが途中でそれかけた道を修正して、再び軌道に乗り始めてきた

失業か・・・

2010年04月14日 | 日記
 4月7日に起きたデモ。多数の死傷者が出る大惨事になった。
 それから約1週間自宅待機で気が狂いそうに・・・。

 バザールでは酔っ払いの乱射事件が、ホテルでは政府が出来立てほやほやの臨時政府というのをいいことに、マフィアがらみの殺人事件。ん~。気が晴れない日が続く。

 ようやく昨日から通常出勤ができるようになったが、10時~17時の条件付き。
 
 職場に着くと、職場の雰囲気はデモの前となんら変わりない。
 変わっていたのは私の仕事。

 私の仕事の大きな柱になっている「キルギスに日本人アーティストを連れてくる」というプロジェクト。デモが起きた時点でわかっていたが、多くの日本人にとってキルギスは「デモの起きた国」になってしまった。(これまでキルギスの認知度が極端に低かっただけに)
 「誰がこのよな事件があった国に来てくれるのか。」

 これまで一緒にこのプロジェクトを進めてくれた日本人アーティストに多大な迷惑をかけてしまっている。ちょうど助成金を仰ぐ段階で、この事件。申請書に「キルギス」の名前を載せるのはあまりにも危険すぎる。もし、申請が通ったとしても、万が一の危険を考えると、自信を持って「来てください!」などとは言えない。

 私の任期は2年、その間に「日本人アーティストを連れてるくる」ことが大きな仕事になってきたが、今の状況では難しくなった。この企画がなくなった場合、私がここにいる意味は?「失業」の2文字が頭をよぎる。

 しかし、何とか解決策はないかと考える。結論が出るのはもう少し先になりそうだ。

デモによりキルギス政権崩壊

2010年04月09日 | 日記
【4月7日(水)】「デモ発生」
 いつものように職場で仕事をしていると、突然電話が鳴りだした。同期の隊員K.Eからの電話だ。彼からはいつも仕事の話でよく電話がかかってくるので、今回もその類の電話だろうと思い電話に出たが、彼の声はいつものような陽気な声ではなかった。「長村、こっちはもう生徒全員返して、おれもすぐ帰る。そっちはどうだ。」その声を聞いてハッとした。今日はデモがあるということを思い出した。
 「始まったか。」それまでデモの存在を忘れていた。というのも、これまで何度となくその情報が流れては、大した規模にならず、普段の生活には何の支障も出なかったから。しかし今回は違った、首都の中心で大規模なデモがすでに始まっていた。
デモの起きている場所から職場まではそれほど近くなかったので、周りはいつもの雰囲気と変わらない。変わっていたのはやたらと職場の電話が鳴っていたこと。同僚のスタッフが少しずつ慌てだす。その様子を仕事をしながら見ているときに私の携帯電話が鳴ったのだ。
 まずはさっきのK.Eから、続けざまに私の直属の上司N.Sから電話があった。「すぐに帰宅して、自宅待機してください。公共の交通機関がマヒしているから、タクシーを呼んで帰ってください。」
 すぐに支度をして、タクシー会社に電話する・・・。出ない。2回目・・・。出ない。あきらめて他のタクシー会社へ電話・・・。出ない。また違うタクシー会社へ・・・。出ない。当たり前だ、タクシー会社もデモに備えて閉めていただけのこと。タクシーの運転手もデモに出ていただけのこと。もう徒歩しか選択肢がなかった。「自宅まで1時間、頑張って歩いて帰るか。」と思った瞬間、再度上司から連絡が入った。「車で迎えに行きます!そこで待っていてください!」
 職場で一人車を待つ。同僚はもうすでに近くの家に帰っていた。何も音のしない空間で一人、手持無沙汰になり、掃除を始めたり、ピッチャーの投げるモーションをしたりしながら待っていた。外では雨が降り始めていた。
 そろそろだろうと思ったと同時に携帯電話が鳴る。出てみると車の運転手からだった。キルギス人の運転手で何を言っているのかさっぱり分からなかった。とりあえず職場のアドレスを伝える。
 それから十分後に再度同じ運転手から電話。もう着いたと言っているので、出てみると車が目の前に待機してあった。急いで飛び乗る。普段より交通量が少ない国道をスピードを出して進む。ものの10分で自宅へ。車は私を下ろすと次の目的地へまっしぐら、あっという間にいなくなってしまった。急いで階段を駆け上がり、5階の部屋へ入る。TVをつける。ほぼリアルタイムでデモの映像が流れる。
 
 警官隊と野党の衝突。警官隊は銃・催涙弾と盾、野党側は石と数(中には銃や手投げ弾を持っている者も)。お互い押したり引いたりを繰り返し、埒が明かないと思った矢先。警官の足元で爆弾が炸裂!その警官は重傷。警官隊がひるんだ瞬間に野党が一気に攻め込む。そこからは無茶苦茶。銃声・催涙弾・放水車・人が入り乱れ、人は打たれ、車は炎上し、雨の中血だまりが目立つ。近くのお店の窓がすべて割られる。そこに食糧を求める国民が流れ込み品物をすべて持ち去っていく。それが大通りを中心に広がっていく。
 
 「無法状態とはこのことか。」と思っていると、私の家の50m先で騒ぎが起き始めた。窓ガラスが割られ、銃声のような音も聞こえる。どこまで広がるのか見当もつかない。気にしても仕方がないので、夕飯にして落ち着こうと、夕食の支度を始める。相変わらず外では騒ぎ声が聞こえる。パンパンッ!ガッシャーン!
 外は危険、中は安心と思っていると、とんでもない事態が待っていた。食事が終わり、食器を洗おうとすると、蛇口から水が出なくなっていた。「へっ?」。一瞬で次のことが頭をめぐる。「水出えへん+外出禁止⇒水分補給不可⇒トイレ流れん⇒大と小は?⇒野に解き放て!」自分でもびっくりしたが、この決断は早かった。阪神淡路大震災の現場を経験したおかげか。(結局3時間後に水は出た。)
食事が終わっても、気が休まらなかったが、先輩隊員C.Mが電話やメールで楽しい話をしてくれたので気がまぎれる。途中でV調整員から連絡が入る。「今夜8時から翌朝の6時までは外出禁止。『外出すると、無条件で拘束する』と政府から出ていますので!」
大統領から非常事態宣言が出ていた。
 深夜になると、すべての隊員の無事が確認できたので一安心。12時過ぎに床に着く。

【4月8日(木)】「継続されるデモ」
 9時に目が覚めると同時に、V調整員から電話が入る。「今日一日は外出禁止。自宅待機。」
・・・。さて何をしよう。隊員とメールをしたり、部屋の掃除をしながらTVに視線を送ると、昨日のデモの様子が映し出されている。同じ映像ばかり繰り返し流される。暇に耐えれず、他の隊員の迷惑も考えずにメールを送り続ける。少しでも隊員からのメールの返信が遅れると不安になる。「何かあったんやないか?」その確認をするために、他の隊員に確認のメールを送る。その繰り返しで一日終わった。

【4月9日(金)】「いつまで続くのかデモ」
 「自宅待機・外出禁止」は相変わらず続く。土曜・日曜も続く可能性があるようだ。食糧が底を尽きたので、事務所から食糧や水の供給がくる予定。今はそれを待っている。


 力ずくでの政権交代。もちろん野党にも言い分があるだろう。デモを起こさないと国民の生活が成り立たなくなってしまう。しかし、人が亡くなることに意味があるのか。他に方法はなかったのか。私はそれを言える立場ではないが、尊い人命が失われることに深い悲しみを憶える。亡くなった方への冥福を祈ると同時に、これ以上の惨事が起きないことを心から願う。私たちに何ができるのか。ただ待つことしかできない自分の無力さを痛感する。しかし、今は待つことしかできない。キルギスは今夕方の5時を迎えようとしている。窓から見える景色は静けさを取り戻しつつある。

ナリンセミナー[教育分科会]

2010年04月01日 | 日記
 4泊5日のナリン遠征へ参加。教育分科会のメンバー5人+キルギス人で巡業
首都ビシュケクより車で6時間~7時間かけて現地入り。なのだが・・・
何かが起こるのが途上国。

あと1時間で着くとなったとき、車に異変が!マフラーから真っ白な煙がもくもく・・・。あんな濃度の濃い白煙は見たことがない。煙は十数メートルにまで立ち上り、あわててみんな車から降りて避難。車はもう二度と動かなかった・・・。道行く車に助けを乞い、牽引してもらうことになったのだが・・・。
細いワイアー1本で時速100㎞の牽引。前の車が少しでもブレーキを踏もうもんなら、オカマをほって、全員お陀仏。あわてて「バイケー!バイケー!(おっさん!おっさん!)」とスピードを時速40㎞で指定。しかし、実際は時速80㎞に・・・。「終わった・・・」と全員思う瞬間だった。


何とか到着してセミナーへの準備。今回のセミナーの中身は「剣道指導・剣玉指導・手洗い指導」がメイン。久しぶりの防具に身を包み、竹刀を振るが、剣道四段の師範(C.M師範)にダメ出しされる(笑)。ある程度練習をして、本番に備える。この時点でナリン剣道部が発足。

翌日本番・・・、練習中に生徒皆に小手を打たせてあげるが、当然小手の打ち方は知らず、全員全力のフルスウィング。自分の小手が腫れあがる。「こんガキャァ~!!小手は軽く打つんや!」と思いながらも我慢、我慢。
胴打ちも同様、防具がないところに次々と竹刀が突き刺さる!「アフッ!!」。「よく見て打てよっ!!」思いながらも、我慢、我慢・・・。しかし、生徒も喜んでくれ、日本のスポーツにも触れてくれたので満足。村の子供たちにとって、外国人との触れ合いはとても貴重な体験であることを痛感する。生き生きとした子供たちの活力に元気をもらった。

 最終日のセミナーからの帰り。6人で巡業をしたのだが、迎えに来た車は1台。・・・なんで?
しかも、もうすでにメンバー以外の一人が勝手に車の助手席に乗っている。どゆこと? 結局昭和50年代の車のバックシートに6人乗ることに。まず3人が座り、その膝に3人座るアクロバティックな乗り方に。しかも道が悪い、ぼこぼこの道を縦揺れしながら走る。ここではこれが当たり前なのかっ!

Strategy-戦略

2010年03月19日 | 日記
先日の話を聞いてもらえないという話から数日経つ。
やはり私の企画に対しての動きが見られない。
YESかNOだけでも伝えてくれればよいものだが、何度打診しても・・・。

作戦変更!
「行動で示す作戦や~

これから毎日みんなより早く出勤して「折り紙オブジェ」を一つずつ作っていく。
そして、机の上や棚に並べていく。
嫌でも気づくやろ!ってくらいに折続けて反応を伺ってみようと思う。フフッ
「折り紙(日本文化)いいねぇ~」って、言わせて、文章に目を通させるようにしなければ!

今日は折り紙8枚使った「コースター」
昨日は簡単な「箱×2」
一昨日は折り紙12枚使った「12面体」
先日は折り紙3枚使った「六面体」

訓練所時代に培った技を惜しみなく使ってやるぜぃ!
折り紙教えてくれたホンジュラス派遣のサヤ先生!ありがとう!

来週は首都から地方へ遠征。先輩隊員の技をたくさん伝授してもらおうと思う。


前途多難

2010年03月15日 | 日記
ブルーのダウンが私のデスク

アートセンターに勤めて約1カ月。
実態がようやく掴みはじめてきた。

私の主な仕事
①日本文化の紹介企画
②Fund Raising
③キルギスに日本のアーティストを招く

今一番頭が痛いのは②のFund Raising
先日の会議の中で私に命じられたのは
「Sonyにスポンサーになってもらうように!まかしたぞ!」
「はっ?今なんて?」

日本に対する勘違いの度が過ぎる。やはり日本は金持ちが多いと思われている。金が有り余っていると。私が日本人というだけで、バックにお金が見えているようだ(覚悟はしていたが)。しかもSonyという名前が出てきたのは、私のノートパソコンがVAIOだから・・・。

懇々と説明をする。「まず、スポンサーというのは・・・。日本人にとってキルギスという国は・・・。」などなどを説明をしたが、私の英語がつたないのもあって、どこまで伝わったのか・・・。保険をかけて文章にして渡したが、「読んどくよ~」って「本間かっ!!」

お金が必要なのはわかる。私も基金団体とやりとりをして助成してもらおうと動いているが、まず「そのお金で何をしたいのか」が明確ではないので、動きようがない。
一番つらいのは①の「日本文化の紹介企画」を出しても、今は所属先がFUNDのことで頭がいっぱいで、全く取り合ってくれないこと。というか興味がない。
前途多難・・・。
何をしにキルギスにきたのかわからなくなる。これって国際協力?「助けなあかん人、もっと他におるやん!」悩む時間が日に日に増えてきた。
しかし、解決策を見出さなければ!
戦いの日々は続く。

たこ焼き

2010年03月04日 | 日記
 3月3日(水)にキルギス「日本センター」において雛祭りイベントが開催された。
寄宿学校の生徒を招いて日本文化を紹介しようと企画したのは、同じ協力隊員のK.Eさん。その寄宿学校には孤児の生徒もたくさんおり、日本語学習がカリキュラムに組み込まれている。しかしながらその日本語を使う機会も日本文化に触れる機会もないままこれまできたらしい、。そこでなんとかしようと今回のイベントが企画された。

 内容は「着付け体験」「折り紙」「書道」「剣玉・たるま落とし体験」そして「たこ焼き試食会」だ。
 私は大阪のたこ焼き屋でアルバイトをした経験があるので、日本・大阪の食文化として「たこ焼き」焼いた。訓練所時代よりK.Eさんとは「ぜひキルギスでたこ焼きを流行らそう」と企画していた。今回その手始めとなる第1回目が開かれたわけだ。

 たこ焼きを食べてもらうのと同時に「大阪の紹介」も存分にした。

 大阪国際交流センターの方と連絡をとり「大阪紹介DVD」を送ってもらい(忙しい中ご協力してくださり本当にありがとうございます。)、上映しながら説明を加えた。キルギス語で説明してくれたのは、大阪出身元協力隊員のA.Yさん。流暢なキルギス語で完璧な説明。そこへ「たこ焼き」登場。「いらっしゃいませどうぞ~」とう掛け声の中で、生徒たちは怪訝な表情を浮かべながら試食。

 結果・・・は両極端。「おいしい!」と言ってくれた生徒もいれば、タコが怖くて食べれないという生徒もいた。8:2くらい。

 しかし「たこ焼き会場」は大いに盛り上がり、良い感触を持って帰ってもらったのではないかとおもう。たこ焼きがキルギスに根付くのは何年後になるだろうか。さらに検証を重ねて企画していきたい。

最後に、この企画に協力してくださったみなさん本当にありがとう!
ユイちゃん、レシピありがとう!

Bishkek Art Center (職場)

2010年03月01日 | 日記
◆活動開始
先週から本格的に活動が始まった。
勤め先はビシュケク・アート・センター。
日本とキルギスをアートでつなぐのが私の仕事の一つ。

現在は日本とある芸術団体と連携をとり、芸術家の交換プロジェクトを担っている。
センターには日本語を使えるのが私しかいないため、日本との窓口は私になっている。

職場での会話は英語。キルギスの公用語はロシア語たが、集まっているメンバーの母国が、スイス・イタリア・インド・キルギス・ロシア・ジャパン・・・と多国籍なので、英語を使ってのやり取りがほとんど。いろいろな国の人の考えや雰囲気などが楽しめて、おもしろい。

◆福福会
福福会という、福祉関係のボランティア事業にも少し携わった。
車いすの方のサポートがメインであるが、開発途上国の福祉はやはり日本とは違う。
道路整備が整っていないので(80%がぼこぼこ道)、なかなか外に出られないのが現状。結果、一般の人にも認知されていないので、少しでも外に出ると目立ってしまう。人目が怖いから外に出る気持ちがわかない。認知されないから、いつまでたっても道路状況やバリアフリー対策が進まない。と悪循環が続いている。
今回は思い切って外に出て、車いすの認知度を広めようというイベント。
バスに乗ってみたり、人通りの多い公演を散歩してみたりといろいろな場所にいってみた。
最終日は遊園地にいき、観覧車に乗った。彼らにとっては初めての経験。みんなテンションが上がって大はしゃぎ。
まだまだ課題はあるが、外に出ることの楽しさに触れることができただけでも、今回は収穫があったのではないかと思う。

ホームステイ⇒ホームアローン

2010年02月15日 | 日記
先日ホームステイ・語学研修が終了。
一昨日から一人暮らしが始まる。
写真はホームステイ先での勉強風景。
猫が勉強を手伝って?くれる。

一人暮らし
家財道具は一通り大家さんが用意してくれていたのだが・・・。
フライパン・・・取手の部分が鉄でフライパンと同化しているので、熱くて持たれへん!
チャイニック(急須)・・・中腐ってる・・・。
トイレ・・・便器の穴の位置が明らかにおかしい。トイレに向かって前方部分に穴がある。洋式だが、タンクに向かって座らないと大変な惨事に!!今日は生まれて初めてタンクに向かって座った。結果⇒成功!
隣人・・・変な音聞こえてくる・・・。

キルギスでの一人暮らしは始まったばかり・・・。何が待っているのか・・・