闘病日記

これは私の独り言に過ぎません。「SLE」との出会いから共存に至るまでの体験談です

12月19日(土)のつぶやき

2009年12月20日 00時45分54秒 | 日記
18:27 from web
何気についてたミュージックフェアで広瀬香美から「ついったー」と聞こえてビックリ!!そして稲垣潤一もやってるって・・・広瀬はいいけど、稲垣は是非フォローしたいんだけどわからないΣo(≧ヘ≦o) 
by chara224 on Twitter

12月08日(火)のつぶやき

2009年12月09日 01時01分26秒 | 日記
18:13 from Keitai Web
昨日1日寝込んだ!!無理して映画観に行くんじゃなかった(T_T)
18:20 from Keitai Web
最近お姉ちゃんになったネネ(猫)は甘えん坊!!あたしが寝てると布団に入ってくる。以前はこんな事なかったのに…
18:24 from Keitai Web
美味しいもんが食べたい!!
18:26 from Keitai Web (Re: @katsuuratarou
@katsuuratarou カメラ付きあったよね!?あぁあれはDSだったか…
18:29 from Keitai Web
横になったらまた寝ちゃいそう…まだダメ~
18:32 from Keitai Web
気付いたら昨日も今日も猫としか話してない!?息子は口きいてくれないし(泣)
23:05 from Keitai Web
寝込んで考えたこと…今のままでいいのか?否。なうだ!?違った。ノーだ!答えは出ている。ならまず何をどうする?考えろっ!!!考えるのだ~~~久々頭のエンジンかけてみろ(`o´)
by chara224 on Twitter

脱毛

2009年12月06日 20時54分29秒 | 日記
実はわたくし・・・ハゲてますテッペンが

テッペンだけが禿げていて、それ以外は長いので

落ち武者状態です


いつ頃からそうなったのか

わたしの膠原病は皮膚疾患から始まった。

ゆえに脱毛は病気からきているものなのか

薬の副作用によってなのかは、定かではない

抜けては生え、また抜けては生えを繰り返す毎に

生えてくる量が減っているのにはなんとなく気付いてはいたが・・・

それでもパーマをかけたり、染髪したり

主治医も呆れて

「そんなに髪の毛を傷めつけたらホントに生えてこなくなるよ」

と言っていた

そんなときには決まってわたしは

「いいじゃん!!かつらがあるし

であった

そしていよいよ生えてこなくなった

生えてこないものは仕方が無い!!

早速ウィッグ専門店へ行き、いろいろと試着してみる

これがまた結構楽しい

金髪やらショートやらロング色んな髪型が試したい放題

しかし改めて分かったこと・・・あたしは頭が小さかった

サイズはSS!!(たしかに帽子は子ども用を被っている)

とりあえず無難なものを選び購入

が、後日どうしてもロングが欲しくなり、

人毛100%でオーダーメイドしたのであります


生活保護

2009年12月05日 21時44分25秒 | 日記
ふと気がつくと・・・
前回の日記から一ヶ月も経っているではないですか
では再開



退院はしたものの、職を失ったどうしてくれんのよ

子どもはいるし、生活してかなきゃならないのに・・・

とりあえず、地域の民生委員さんに相談してみる

当然答えは「生活保護の申請」である

市役所の福祉課へ相談に行くと・・・

「病気で困ってる人は他にも沢山いますよ」
「そんな理由じゃ無理ですね」

けんもほろろである

社会福祉協議会へ相談に行くと・・・

「あなたのような人が生活保護を受けられないなら
一体誰に使うのか!!」

と言ってくれた

そしてもう一度、市役所の福祉課へ

「じゃあ、申請だけでもやってみます?
無理だと思うけど」

いちいちムカつくおっさんである

結果は当然であろう

しかし心は晴れず・・・

生活保護を受けるとは、自分のプライバシーを全てさらけ出さなければ

ならないということ・・・しかもただの市の職員にである

これは辛かったずっと辛かった

年に二回ほどの家庭訪問。

二言目には「大事な税金なんだから」

「病気はどうなのか?」「まだ働かないのか?」

「息子の進学どうするのか?」

もう、耐えられなかった。ストレスでかえって具合が悪くなる始末

息子が高校を卒業し大手企業に就職が決まったときには

正直ホッとした。

大学に行きたいという気持ちはあったようだが、

ろくに勉強をするわけでもなく、行きたい学校を調べる様子も

なかったので、就職することで落ち着いたのであった

すると、市役所この時ぞとばかりに

「息子さんが就職したんだから、辞退したらどうか?」

と言ってきた。

こっちだってもう願い下げだね

これ以上の苦痛は我慢ならん

ありがとうさようならってなもんで

さっさと辞退届けをだしてやったのであった