この10年で一番長く亭主と生活しました。
2010年に定年後の長期滞在を始めた亭主。
始める時に彼の頭の中には、夫婦一緒があったようですが。
そこは、私も、自分の意思を通させてもらって、私が、時々タイに行って、彼も時々日本にくるスタイルに落ち着きました。
ところで、コロナが始まって、
当初、何カ月か我慢すれば落ち着くだろうと思っていたのですが。
だんだん、日本の患者数も増えて、 これは、長くかかりそうだと思い始めた4月、5月。
そう、その頃は、マスク、消毒も品不足って、いうか、在庫なし。
不安にかられました。
タイには、マスクが沢山あるのに、 統制品ということで、日本には、送れず。
どうやら、マスクが出始め、 みんなも手作りマスクなどで対処法がわかりかけた5月末、
楽観的な彼は、 タイのアパートに またすぐに戻れるぐらいの気持ちで帰国しました。
日本の隔離生活は、なんだかゆるそうです。 空港で申告した電話番号の半分ぐらいがかからなかったりするそうです。(今は違うことを祈りますが)
空港でのpcr検査の結果を家で待ちます。 その後2週間は、自宅待機。 毎日、国の方から電話がありましたが。 録音されたメッセージで 自分の状態を番号で選んで答える形式だったと。
そして、しばらくはタイにとって、日本は入国禁止国だったのですが。 9月ころから臨時便が出るようになり。
まずは、臨時便のチケットを取ること。(結構とれません)コロナをカバーし、最低1000万円の保証の保険に入ること。 向こうでの国の指定したホテルの中から選び、14泊16日間のホテルの予約をすること(隔離生活のため)。 VISAの申請や、入国許可書、 搭乗72時間以内のPCRの陰性結果と FIT TO FLY (搭乗に際し、健康チェックを事前にクリニックなどで英文で書いてもらう) 全て行うのに、えらい骨が折れました。
全部英文である上に、VISA申請では、向こうでのアパートの契約書など要求され(何回もオーナーが変更しているうえに賃料まで変化していて、それを証明するのが結構大変。 結局、タイの大使館の係員が向こうに電話してくれ、なんとか・・・・) 最後の最後まで、 これだけ用意して、自分が病気になったり、コロナになったら、笑うに笑えないと 外出も出来ず。 ドキドキしました。
そして、先週水曜日、予定通り、飛行機に乗り、
タイ空港では、指定されたバンに乗って、予約したホテルに無事に到着。 飛行機の中では、スタッフさんは、みな、防護服だったそうです。
ホテルでも何の説明もなく。すぐに部屋に直行
全てのお知らせはラインを通じて。 食事は、ドアの外のテーブルに置かれており、ピンポンがなって、出て行くと、誰もいないけれど おいてあるそうです。
何種類かの中からのチョイスで、 ま、こんな感じ。 (これは晩御飯だから少し、豪勢)
六日過ぎると、タイに着いてからの最初のPCR検査。 ここで陰性だと
食器は、使い捨てでは無く、陶器になり、 (これは朝食) 申請すれば、 1時間、決められたバンで公園のようなところに行くことや、 ホテル内の施設(パターの練習のような場所)に制限は色々とあるようですが。 行けるようになるようです。 13日目のPCR検査が陰性だとその結果を15日目に受けて、解放です。 途中健康上の問題が発生すれば、病院も決まっており、連絡がすぐ行くようになっています(ホテルのお金のほかに病院代も事前に払っていますので) ラインなどでも健康上のチェックが毎日あるそうです。
この監禁生活、始まって、3日間は [退屈だ~~」と言っておりましたが、 その後、慣れた~と 言われた時には、良い事なのかどうか、 ちょっと不安にもなりました。
今は便利な世の中、 亭主とはラインでやりとりもできるし、
今回のタイの滞在では、 アパートの解約や、自分の荷物の整理とか・・・
年末、年始にかけての タイの一番過ごしやすいシーズンを満喫してくるようです。
いよいよ、彼の長期滞在が 来年2月までとなり。
あとは、
亭主曰く
「これからは、 ずっと 一緒におるばい」
全然、ドキドキもいたしませんし、 ちょっとうっとうしくも・・・・
私のお気楽シングル生活も もうすぐ終わりそうです。
亭主元気で留守がよい・・・・ もね
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