播磨html公園内 妄言殴り書き処

事実に基づいた日記風駄話。

とあるヲタクの精神状態

2007年08月13日 | 
粒々タラコさんのブログに影響を受けたので、ちょいと文章を書いてみませう。
日記的なネタが無いので。

“昔は良かったね”と いつも口にしながら
 生きて行くのは 本当に嫌だから

と、どこかの同性愛疑惑者が歌っていたことはどーでもいいのだけど。
今の心的状況からすれは相対的に昔は良かったと思う。

浪人中の1年は誰とも話さなかった。
大学1年、5月。大学生になって何が変わるともなく、独りだった。
ヲタクサークルに入りたかったけど話しかける勇気すらなかった。

線形代数か微分積分の授業だった。
同じ学科の見知らぬ人が話しかけてくれた。
彼は自分の行きたかったサークルに誘ってくれた。
これが水風天さんとの出会いでした。

ヲタクサークルとはいえ、ここは絵を描くサークルでした。
自分はこういった絵を全く描いたことすらなかった上に、こういった人たちが嫌いだった。
それでも「このサークルに残らなければ4年間誰とも話さなくなる」と、渋々絵を練習することに。

別に絵を描くことは嫌いじゃなかった。
同人・漫画というものは嫌いだったけど、風景画は好きだった。

正直、絵に関しては少し自信があった。
高校2年、美術の成績はパーフェクトだったし、遡れば絵で特選・県知事賞まで取ったこともある。

しかしそんなものは井の中の蛙。
水風さんは遙かに上手かった。
悔しかった。
こんな身近にすごい人がいることが。

同人が嫌いだったこともあって、それほど必死に練習はしなかったけど、
絵が描けない悔しさ一心で同人も勉強した。

いつ頃だっただろうか。
「水風さんと一緒に、西又・鈴平のような感じで2人で上手くなりたい」と思ったのは。

西又・鈴平を崇拝しているのではなくて、身近な仲間と切磋琢磨していきたいという意味で。

次第に絵を描くことが習慣となり、楽しみになってきた。
それでも意識の差は如実に表れた。

水風さんはグングン上手くなっていくのに対して、自分の成長ペースときたら・・・

そして今。
水風さんは、その道の人となったけれど、
自分はその中途半端な気持ち故に中途半端な会社に就き、絵の描けない日々に絶望する。

粒々タラコさんのように夢に向かって自分を磨く仕事をしている訳でもなく、
ただ受かった会社で、自分の将来の展望と何ら関係ない会社でただ働く日々。
新人だからロクに働けないくせに。

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はい、ノンフィクションでございます。
ノン推敲でございます。
帰りの電車で(いや、普段から)こんな感じのこと考えておるのですよ。
もうちょっとまとまった文章になるはずだったけど、
帰ってきてちょいとマターリしたら文章もマターリしちゃったよ。

要は、
朝起きて、会社行って、これといった会話もなく帰ってきて、寝る
といった楽しさのかけらもない生活に鬱というか絶望というかしてるってことさね。

それと、
水風天さんには感謝しても感謝しきれないほど感謝してるってこと。

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