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☆☆☆.:.人生万事塞翁が馬.:.☆☆☆

拉致られたkyou

2007年01月19日 13時35分04秒 | 発達障碍関係
朝9時半過ぎに、担任の先生がいらっしゃいました。

こちらは昨夜と同様の話し合いのつもりでした。(事前に連絡があったので)

kyouは、10時になると家を飛び出し、自転車で15分ほどのところにある

スーパーの本屋さんに立ち読みしにでかけました。

話すことも途切れがちになった先生とわたしでしたが、わたしは先生が

kyouの帰りを待っているのに、何の疑問も抱きませんでした。

小一時間ほど経った時、担任の先生は学校に電話をしました。わたしは遠慮して

台所に行ったのですが、統括の先生がわたしと話したいと仰っているとのことなので、

電話で話をしました。つまるところ、kyouを迎えに行って直で学校に連れて来る様に、

とのことでした。躊躇しましたが、間の悪い時に、丁度その時kyouが帰ってきたので、

担任の先生が、「顔を見せるだけ」「(統括)先生がお話しがあるって」と説得し、

kyouを学校へ連れ出しました。もちろんわたしも一緒です。

学校についたら、支援級ではグレープフルーツの香りがして、聴くと学級の畑から

収穫してきたグレープフルーツを食べた後とのことでした。

kyouも欲しくなって、うきうき自分の分を取りに行ったのですが、戻った後、

おもむろに統括の先生が教室に入ってきて、kyouに話しかけました。

kyouはわたしの陰に隠れて、

k「顔出すだけって言ったのに!」

統「誰が?」

k「担任の先生」

統「担任の先生は嘘ついてます。ここに座りなさい。話があります。」

と、怒涛のようにkyouを捕まえてしまいました。

ほとんど同時に担任の先生がわたしを教室から外に連れ出し、

「何かあったら連絡しますからお帰り下さい」

帰れるわけないじゃないですか!!

教室の戸口から見たkyouは、背中を丸め、肩をすぼめて泣いていました。

わたしが帰らないでいると、校長先生が出てきて、校長室へ通されました。

「子育てにはいろんな段階があるから」とか「1日1度は顔出して」とか

「5年生にも登校渋る子がいるけど不登校にはさせてない」とか・・・。

要するに、一旦休んで良いとなると、不登校になるからいけない。

でも、不登校にさせない努力は必要だけど、kyouやわたしを騙す形を取る必要が

あったのでしょうか??来週、主治医の診断を待ってから、様子を見させて下さいと

担任の先生や連絡帳を通して、何回もお願いしてあったのに・・・。

支援級にいることで、かえってkyouの障碍が他の重度の子よりも解り辛くなり、

ただのわがままで休み癖がつきかけてると思われたのでしょうか。

担任の先生は、昨日のkyouのsyunへの暴力を目の当たりにしているし、

kyouの涙の話も聴いて下さっているのに・・・。

こんな形を取られると、子供の身になって考える人は、学校にはいないのではと感じます。

特に担任の先生。

昨晩、あんなに一生懸命話をしたじゃないですか。

なぜですか。

kyouやわたしの信頼を犠牲にしてまで、不登校の子供を出さないことが大事ですか。

昨晩の先生の涙の答えがこれですか。

学校から1人で帰されたとき、わたしは心配で泣いていたのではありません。

わたしは怒っていたのです。

複数担任制の弊害

2007年01月18日 22時31分57秒 | 発達障碍関係
kyouの支援級は、先生が3人いらっしゃいます。

障碍についてのオーソリティ(学校長談)の統括の先生が1人、

支援級は初めての若い先生が1人、

支援級を希望してきたベテランの先生1人。

統括の先生が高学年。

若い先生が中学年。

ベテランの先生が低学年。

年度当初は、統括の先生が全てに気を配って、

学年担当制はあくまで保護者との連絡用でした。

それが今では、

統括の先生は高学年しか見ません。

高学年の子のうちの一人が、

若い先生とベテランの先生に不適合を起こしたからとの理由で、

昨年末(2学期末)に、クラスが2つに分かれました。

高学年だけ隣の教室に移り、中・低学年は元の教室です。

オーソリティの統括先生は、最早その力量をkyouのために使うことはありません。

もしも高学年の子の囲い込み(含保護者)が無ければ、

kyouの今の状態も無かったかもしれないと思うと、

怒りがこみ上げてきます。

担任の若い先生は、本当に必死にkyouのことを考えて理解しようとしてくれています。

その先生の力量不足の所をサポートしてくれるのが、本来の統括の仕方ではないかと

思うのは、わたしだけでしょうか。

混乱の日

2007年01月18日 22時16分01秒 | 発達障碍関係
昨日、頑張るのを止めたはずなのに、それを試されました。

ついついわたしの「学校へ・・・」の気持ちがkyouに伝わるのか、

突然やぶにらみの眼になって、こちらをにらみます。

次の瞬間、赤ちゃん帰りして、だっこをせがみます。

その後すぐにアニメを観だして、同時にムシキング図鑑を読む・・・

今日はとても目まぐるしいkyouでした。

でも、彼の頭の中がその状態なのだろうと、あるがままに受け入れようと勤めています。

「非運動性多動」・・・kyouのもう一つの診断名です。

ADHDではなく、脳の中が多動なのです。

薬で落ち着かせることはできますが、限界がありますし、量の調整が難しいです。

最近、療育と薬のバランスの難しさが感じられて、次の診察の時、主治医の先生に

薬の量を相談すると共に、療育の先生にプログラムの見直しをお願いしようと思います。

ところで、今日の午後、syunの授業参観でした。

その間、kyouは留守番しててもらいました。

「一緒にいかない?」という言葉を飲み込むのに、とても苦労しました。

syunは、お友達に、「お兄ちゃんトウコウキョヒ」と自慢してました。

syunは兄の障碍が理解できないので、彼とも向き合わなければなりません。

夜にkyouの担任の先生が家にいらして下さった時、何が原因か解りませんが、

突然kyouがsyunの髪の毛をつかんで引きずり回し、何度も何度も殴りつけました。

先生との話に気が行っていたわたしはkyouを止めきれず、syunに本当に申し訳ないこと

をしてしまいました。今、ノーマルモードのkyouとストレス暴力モードのkyouの

スイッチのONとOFFが壊れてしまっている状態なのだと思います。

ただただ休ませてあげて、静かな環境を提供してあげるのが、今のわたしの仕事だと

実感しました。それと、やっぱりsyunも守らなければなりません。

syunは寝るとき、「お兄ちゃんは大人になったら犯罪者になるの?」と聴いてきました。

「お父さんとお母さんがそんなことにはさせないよ」と答えました。

「kyouはそうならないよ」と言えば良かったと、後から思いました。

今日の記事は、わたしの混乱振りも良くわかりますね・・・

頑張るのをやめました☆

2007年01月17日 20時27分04秒 | 発達障碍関係
わたしもいつのまにか学校の先生たちと同調していたようです。

学校にさえ行ってくれれば・・・という気持ちに振り回されてしまって、

kyouの心を丸ごと受け入れることを躊躇していました。

今日家でわたしから責められ続けたkyouは、正直苦しかったと思います。

反対に、夕方テニスに出ると、本当に生き生きしていました。

夕食後にkyouと1対1でまじめに話し合いました。言葉にならないkyouの気持ち。

涙が後から後から流れてくるのを見て、あぁ、わたしはこの子の味方なんだと、

もしかしたら初めて(!!)実感しました。kyouにとって良かれとしたことは山の様に

思い出せますが、本当にkyouが喜んでくれることを、今まで何回してあげられただろうと

思いを馳せました。学校に関してはただし、まだ確定ではなく、

「学校に行きたくない」「どこにもいきたくない」kyouの心を、

ひとまず受け入れて、疲れきったkyouの感情のトゲトゲをすこしずつでもいいから

人をきずつけない程度にまるく磨いて、末はkyouの個性(含むAS)そのままに、

幸せな人生を送れるようになってほしいと心の底から願っています。

週末オットを含めて話し合って、方向性を見出せたら良いなと思います。

もちろん、学校も選択肢から外したわけではありません。他の可能性についても

調べてみようという気持ちになりましたということです。

そんなに甘くなかった・・・

2007年01月17日 13時56分36秒 | 発達障碍関係
今日は、完全にお休みになってしまいました。

天気が悪いせいにも、しようと思えば出来るけど、

頑ななkyouの心は溶かせませんでした。

本日の彼の言い分は、「先生が嫌」とのこと。

いちいち取り合わない方が良いかもしれませんが、

本当に先生の対応に問題があるなら・・・とも思ってしまいます。

明日明後日の療育にも拒否反応を示してるので、

カウンセリングの先生にも頼れないかもしれません・・・

となると、来週火曜の主治医の先生の診察が頼みの綱です。

それまではナントカわたし自身を持たせなきゃなりません。

学校の先生は、結局登校させようとするので、

統括の先生と担任の先生も、あまり変らないなぁと思いました。

わたしも随分勝手ですね。実感します。考えが定まらないのは、

振り回されてる証拠ですよね・・・

鍵は給食だったみたいです

2007年01月16日 21時50分21秒 | 発達障碍関係
kyouは、下校時刻まで学校に居ることが出来ました!

午前中は、帰ると騒いだ時もあったそうですが、

給食の時間がすぐに来たので、担任の先生はkyouに3択を迫ったそうです。

1.支援級で食べる

2.先生と2人で食べる

3.交流級で食べる

先生は、「他の2つが嫌だったからですよ」と仰いましたが、

kyouは交流級で食べることを選んだそうです。

3学期になってから顔を出していなかったkyouを、

交流級のお友達たちや先生が、暖かく迎えてくださったのでしょう。

kyouの「嫌われてる」こだわりが、溶けていったようでした。

午後は安定して過せたそうなので、まだお勉強の課題は無理な様ですが、

図書室で本を読んで過すなど、担任の先生のその都度の適切な判断で、

どうやら1日居られたようです。

下校後のお教室でも、先生の流石の手並みで、あれよあれよという間に

課題(それでも配慮していただいた簡単なもの)に取り組むことになっていました。

帰宅後、兄弟間でのいざこざを避けるために、お風呂に別々に入れ、できるだけsyunに

ついていてあげるようにして、反対にkyouには優しい言葉で今日1日のことを沢山

誉めて上げました。

明日こそは、と欲張ってしまいそうな展開ですが、何が起こるのかまだ判らないので、

明日も臨戦態勢で臨む予定です。

早朝5時半に目覚めたkyou

2007年01月16日 14時25分04秒 | 発達障碍関係
どうやら、わたしやオットが目覚めるまで、アニメ三昧してたみたいです。

「朝はニュース」って決まっているので、リモコン取り上げても

暴れませんでした。朝食も素直にsyunと同じ時間に食べ、それでも

着替えないkyou。昨日よりも時間をかけて説得し、10時ごろ登校しました。

今日は車で行ったので、

「お母さん一度車を置きに帰るね」

と言うと、ひとしきり担任の先生とやりあった後だったのですが、以外にも

「いいよ」

の返事。廊下で先生とナイショ話で、そのまま下校時刻まで居続けさせようと、

でも内心はドキドキで一度帰宅しました。

いつ電話がかかってくるかが気になって、何も手につきませんでしたが、

幸い、電話は12時45分頃の「給食、食べてます」の報告のみで、

いまのところ、安心していいようです。

今日は4時からお勉強の教室に行かなくてはならず、これについては朝から

ものすごい拒絶反応を見せているので、蓋を開けてみなければ判りません。

お教室の先生にはメールで今回の件をお伝えしてありますが、kyouが暴れないよう

祈るばかりです。syunも一緒に通っているところなので、修羅場を彼に見せたくないのも

本音です。ただでさえ、「お兄ちゃんはずるい」と思っているので・・・。

今日は担任の先生のご配慮があり、kyouの好きな課題しか出していないそうです。

それで彼が「学校の居場所」を見つけてくれるなら願ったり叶ったりです。

給食も、意外なことに交流級に食べに行ったとのことなので、

同世代のお友達との違和感に気づいてしまったkyouが、それでも自信を取り戻せるよう

祈ってます。

お昼寝してテニス

2007年01月15日 18時01分21秒 | 発達障碍関係
昼食後、kyouが寝転がって目をシバシバさせてたので、

「ねむいの?」

と聴くとうなずきました。

「お昼寝しておいで」

というと、素直にパジャマに着替えて寝に行きました。

その間、わたしも少々うとうとしてしまいました。

時計を見ると、syunが帰ってくる時間がせまっていたので、

kyouを起こしに行きました。

syunがテニスの時間ぎりぎりに帰ってきたので、

そのままランドセルを放り出して、テニスに直行です。

テニスでは調子良かったのですが、最後にコーチにちょっときつく叱られて、

涙を流しながら車のところまで戻ってきました。

本当にちょっとしたことで、感情が大きく波打つ状態になってるようです。

今は兄弟仲良くお風呂に入り、宿題をしています。

わたしと乱闘するようなことは今日は無かったので、ひとまず良しとします。

でも本当は、彼が眠ってくれるまで、わたし自身が神経を尖らせてます。

今日は1時間強でした

2007年01月15日 13時11分36秒 | 発達障碍関係
朝はsyunと同じ時間に起こしました。

9時過ぎに学校に行く為に着替えて、自転車で行きました。

kyouは学校自体に拒否反応があるわけでは無さそうです。

AS特有の思い込みやこだわりが影響しているかも・・・。

一度でも注意されたり叱られたりした先生は、

自分の事を嫌っているんだと思っているみたいです。

そして、ついには交流級の先生に注意されたので、

交流級も行きたくなくなった、と。

今日、学校で担任の先生とkyouから聴き取れたのは、

これくらいでした。

クラスに居る途中、統括の先生が教室を通って行ったのですが、

何も声かけも無く、親のわたしも無視されました。

さほど重大事と思っていないようです。

国語と算数の課題をもらって、帰ってきました。

kyouは、家ではムシキング図鑑を見ながら、アニメ三昧です。

明日も学校に行く約束はしましたが、これでいいのか、本当に不安です・・・。

担任の先生が来て下さいました

2007年01月12日 21時57分50秒 | 発達障碍関係
今朝もkyouは学校へ行きたがりませんでした。

とりあえず、syunを登校班の集合場所まで送って、

家に帰ってからkyouにゆっくりじっくりねばってみました。

昨日は短縮授業だったけど、今日から給食が始まります。

学校に行ったら、夕方まで帰れません。

それをkyouは知っているわけで、昨日よりも姿勢は強硬でした。

でも、10時頃に「お母さんと一緒に帰るなら行っても良い」と折れまして、

学校に向かいました。一旦は教室に入ったのですが、昨日は怒鳴らなかったのに、

今日は大声で「嫌だ!」「帰る!」を繰り返したので、

担任の先生が作ってきてくれたプリントを頂いて、帰ってきました。

家に着くとご機嫌で、「プリントやっちゃおう」と、あっというまに

済ませてしまいました。弟が帰るのは午後3時過ぎなので、

それまでダラダラ過し、わたしはやはり睡魔に襲われながらも、

アニメを観る息子の横で、今日は同じ部屋で過しました。

夕方に担任の先生から電話があり、家に来てくださるとの事。

散らかっているので慌てましたが、kyouがよろこんだのでお願いしました。

面白いことに、kyouは担任の先生がいらっしゃる時に備えて、

いろいろ準備をはじめました。見せたいムシキングの本や、観せたいアニメや、

一緒に遊ぶトランプなどなど。

先生がいらした時は、大変喜んで下さいました。

密かに、ご自分が原因かもと心配されていたそうです。

でも、kyouのはしゃいだ様子をご覧になって、一安心されたようです。

先生のお話では、2学期の終わり頃から学校での様子が少し変だったそうです。

交流級に楽しく行っていたのに、自分から行かなくなってしまったそうです。

給食の時に、窮屈そうにしていたとのことで、お友達関係かなあとも思いました。

結局、何も分らないのですが、周りの全ての「少しづつ」が

kyouにはストレッサーになっていたようです。

それで、一番気持ちをぶつけやすいわたしに、ちょっとしたきっかけで

暴力的になってしまったのかなぁと感じました。

とりあえず、プリントを鍵に、今日終らせたものを月曜日に学校に届けて、

代わりに次のプリントをもらって来る。そして、それを終らせたら、

次の日学校に行って提出&次のプリントの受け取りを続けてみることにしました。

続けられるかどうかも分りませんが、今日のところはそうしましょうで

一応話がつきました。

その後、先生はsyunと「みんなのテニス」で遊んでくださり、

最後にわたしも混じって4人で「大富豪」をして遊びました。

夜7時を過ぎていて、ドラエモンが始まっていましたが、

kyouも大満足していました。

とりあえず、明日明後日をkyouの好きなように過させてみて、月曜日を待ちます。

どうなるのか、とても不安です。月曜は、テニスもあるので・・・。