オタクだけに、個人的には笑顔で管

オタクである私が好き勝手します。100%自己満足で、第三者を考慮していません。

愛くるしき白の獣

2012-11-02 | 戯言
前の猫が亡くなってから、2年のブランクを経て我が家に迎えられた猫は、真っ白な美しい毛並みに真っ黒な尻尾を持つ小柄な女の子だった。
右目はライトグリーンで、左目はマリンブルーのオッドアイに、薄いピンクの大きな耳。整ったキレイな顔立ちの美少女猫だ。
名前は「シルク」。その背はまさに絹のようなさらさらと美しい毛並みだが、お腹は暖かくもふもふとした綿毛であり、それらに常に毛繕いを絶やさないオシャレ好き。
それが我が家の愛猫である。
シルクがこの家に来たのが3月の初めだったので、もうそろそろこの家で8ヶ月が経過しようとしていることになる。
最初に来たときは、運搬されてきたケイジから出ようとせず、食事にさえ一切手をつけることがないほどに警戒していた。
なので私も両親も、この猫が心を開いてくれるまで、粘り強く接していこうと話し合ったものであった。

それから8ヶ月。今まで我が家で飼ってきた猫たちと同様に、もはやこの猫も何ら遠慮することなく、我が物顔で私の部屋に入ってきたかと思うと、そのまま何一つ躊躇うこと無く私のヒザの上に直行するようになっていた。
まだ若い雌の猫だけあって、この猫の体重は3キロ強と飼い猫にしてはまだ軽いほうではあるが、流石に同じ姿勢を延々と強いられ、その上にずっと乗っかり続けられるとキビしくなってくる。
だが、そんな事は猫にとっては知ったことではないのだ。今までの猫がそうであったように、自分がクッション代わりにしている人間がどれほど我慢していようが、猫にはどうでもいいことなのである。
猫にとっては、自分が気に入った人間に触れながら、しかも暖かく、上手くすれば気持ちよく撫でてもらえるその状況のみが望みであり、その自分の望み以外の事はどうだっていいのである。


例によって前足で顔を覆って熟睡している。
しかし、寝ていると思って猫を無視したままひたすらゲームを続けていると、急に手首を噛まれたりもする。
ダイソーで100円で買ってきた膝掛けの肌触りが気に入ったのか、最近はずっとこの上で寝ている。

そういうシルクの自分勝手さは、まさに今までの猫たちと何一つ変わることはない。
唯一つ大きく違うのは、今までの猫は家人全員に等しく甘えてひっついてたのだがこのシルクに関しては私にひっついてる比率がハンパ無くダントツなのである。
私が居ない時でさえ、私の部屋にずっとこもりっきりだというのだ。
もちろん私の両親はどちらもとてつもない猫好きで、決してシルクをいじめているわけではない。
なのに、何がどうなってこうも猫の愛情が偏ってしまったのだろうか。

今まで雄雌を問わず、沢山の猫を飼ってきた我が家だが、こういう事態は初めてであり、私を含め家族全員首を傾げている状況だ。
私としても猫に好かれるのはやぶさかではないが、こうも露骨に私にのみひっつき倒されるのでは・・・さすがにちょっと重い。
こうしている今も私のヒザの上には猫が丸くなっており、非常に脚が痛い上に、猫が居座ったせいで遠くなったキーボードを腕を伸ばす感じでタッチしているので、非常に肩が凝る。

かといって邪魔だと猫を跳ね除けることも出来ず・・・結局私が我慢しながらこれを書いている次第である。
そう。きっとここなのだ。ここが私と両親の違いなのだろう。
両親は猫の行動を我慢してまで尊重することなく、むしろ自分の理論を猫に押し付けているのだ。
そして、猫が自分の理論に合わない行動を取ったとき、それを叱って自分の理論に従わせようとする。
例えるなら、入って欲しくない所に猫が入りそうになったら叱るとか、走り回って遊んでいる猫を大声で諌めるとか、とかく猫を人間と同様に「教育」しようと考えている節がある。

対して私はというと、猫にそんな人間の理論など通用するはずも無いことを十分に理解しているので、とにかく猫を叱ることはしない。そんなことをしても意味が無いからだ。
もちろん、食卓に上ったり、扉や柱をひっかいたり、そういうことを猫がしたら私も叱る。
本当にしてはいけないことはしっかりと叱らなければ、猫にとっても我々にとってもマイナスとなってしまうからだ。
しかし、それ以外のことは、猫が好きでやっていることは出来る限り制限すべきではないと私は考えている。
猫に入って欲しくない場所は通れないように蓋をしてやればいいだけのことであり、舐めたい時は舐めさせてやり、噛みたい時は噛ませてやればいいのだ。
猫とはそういう自由の元に生きる動物であり、それを人間の理屈に当てはめて考えてはいけないものだ。

長年猫を飼い続けてきたはずなのに、未だに我が両親はその程度のことも理解できていないというのが、私にはどうにも理解不能としか表現しきれない。
以前にも少し書いたが、猫との良好な関係を築くためには、まず猫のワガママを人間側が全面的に受け入れ、一方的に我慢することが肝要なのである。
また、その我慢をイヤだと感じるなら、猫との生活は不可能だと私個人は思っている。

そんなこんなを思っているうちに組みあがってきた、また、今までもおぼろげながらに考えていた私なりの「猫に好かれるための条件」を、せっかくの機会なのでちょっと書き出してみようと思う。
あくまでも個人的な見地からのものなので、どの猫にも通用するとは言い切れないが、かなり基本的なことになるので、ある程度どんな猫にも共通する部分だと思われる。


まずその1猫を人間の思い通りに出来ると思わないこと
かなり基本的な部分になるが、猫は本当に自分のことしか考えていないので、可愛がった分だけ自分により懐いて甘えて欲しい等、猫に何らかの見返りを求める者は飼わない方がいい。
猫の愛らしい仕草を間近で眺められるというその一点のみでも、十分すぎるほど猫からのフィードバックは受け取ることが出来るはずだ。
それ以上を求めることがまずナンセンスだと言え、例えば猫を自分好みに育てようとか、そういう思想は猫という生物とは相容れないものだということを十分に理解すべきだろう。
先述した通り、猫のワガママを全面的に受け入れることが大切なのだ。その後でしか、猫の本当の魅力に触れることは出来ない。
猫という生物は、甘えるのではなく、甘やかす快感を味わうべきペットなのである。

その2だが、猫に全面的な味方だと思わせることだ。
そのために肝心なのは、まず必要最低限以外に怒らないことと、猫の行動を極力邪魔しないことだ。
猫が自由にリラックスできる空間を作り出してやることがとにかく大切で、そのため猫の行動にあまり干渉しないほうがいい。
猫が一人で居る時はちょっかいを出さずにそっとしておいてやり、こちらの顔を見て鳴くような時には猫が何を求めているのかを考えてあげる。
そう。猫は普段は出来る限り自由にさせてやり、その反面猫が構って欲しそうな時を見極め、その時限定で猫に構ってやることが必要なのだ。
とかく、猫が安心して自由に生活できるように努めることが肝要なのである。
それが出来て初めて、猫はその人間が完全に自分の味方であり、危害の心配が無いと判断して、ヒザに乗ってくるようになるのである。
そして、さらに安心が深まり愛情が芽生えてくると、お腹を見せるような形での抱っこも可能となってくるわけだ。

その3は、猫の気持ちいいポイントを知ること。
猫にも人間のように個体差があるため、猫によって撫でられて気持ちいい場所は若干違ってくる。
基本的に、猫が自分で触れられない喉周りや頭、背中、尻尾の付け根などはどの猫でも喜ばれるポイントとなるわけだが、猫によってより気持ちいい箇所には差が出てくる。
主なポイントは、顎下、首横等の喉周り、頭頂部、耳周り、胸、肩甲骨間のくぼみ、背中、尻尾の付け根等がある。
これらの中から、その猫がより気持ちいいと感じるポイントを探り出しておくのだ。
ちなみに、前に飼っていた猫は、喉よりも背中のほうが喜んでいたのだが、シルクは喉周りや耳周りのほうが喜んでいる。
また同じポイントでも、力の入れ具合による強弱も重要なファクターであり、頭や背中や尻尾の付け根などは少し力を込めて強めにしてやるほうがシルクは喜んでいるように思われる。逆に喉周りや耳周りは少しくすぐるくらいの柔らかいタッチのほうが心地良く感じているようだ。
もちろん程度の差はあれ、どこも撫でられれば気持ちいいのであろうが、より気持ちいいポイントを押さえられるかどうかで、猫の気持ちをガッチリと掴めるかどうかは差が出てくる。

先述したとおり、猫は構って欲しい時だけ構って欲しいわけで、それ以外の時は放っておいてほしいのである。
猫へのタッチは言うなれば猫からの許可制なのだ。
そんな猫が「触ってよし。ていうか触って」といっている時に、そのチャンスに、どれだけその猫の気持ちいいポイントを撫でられるかどうかは、猫の気持ちを引き寄せるのにかなり大きなウェイトを占めている。
ここで猫に「気持ちよくしてくれる人」と認識させることが出来れば、もう一気にググっと猫との距離を縮めることができるわけである。
猫は昨日あった幸せが、当たり前のように明日もあると考えている動物であるため、「エサをくれる人」や「気持ちよく撫でてくれる人」等、一度猫に「自分にとって好都合な人間」と思わせれば、後々の猫との関係上メリットは大きい。
ちなみに、いくら猫が触ってよいと許可を出しても、程度を超えて撫で過ぎると猫の機嫌を損ねてしまうので注意したい。
少しでも猫が嫌がるようなそぶりを見せたら、即刻手を引いて、猫の様子を伺う事を心がけるべきだろう。



伸びるだけのスペースがないため、丸くなりながらもそれでもなお上半身だけでも伸びる器用な姿勢。
猫でなければ到底こうは行くまい。



前足を伸ばすのは猫にとってリラックスしきっている状態の示す。完全に安心しきっているのである。
逆に、前足がいつでも立てる状態になっている場合は、まだ十分に心を許しきっていない事を示している。



正面から。8ヶ月前の警戒っぷりはどこへやら。
この家も部屋も完全に自分のものと思っているようだ。ようやくといえばようやくここまで来た。
良く言えば「猫の信頼を勝ち取った」わけである。若干行き過ぎた感はあるがw


以上が大まかに私の考える「猫に好かれるための条件」である。
いろいろ書きはしたが、その内容はやはり単純なもので、要するに「猫のワガママに振り回されろ」ということだ。
猫はワガママで自分の事しか考えていなくて、自分が幸せであれば、周囲の人間がどれほど我慢していようとお構い無しである。
先にも書いたが、人間がどれほど必死に猫のために気を使っても、心を砕いても、猫が人間のために何かをしてくれることは無い。
しかし、人間が愛情を持って猫に接すれば、猫も愛情を持って人間に接してくれる。
言葉は無くても、人間から見ればただただ自分の好きなように振舞っているだけだとしても、猫もまた自分を愛してくれる人間が好きなのである。
ただ、その表現があくまでも自分勝手身見えてしまうだけだということを、努々忘れないでいてほしいのだ。

ただただ自分に正直に、自分が好きな人の傍に居たいと願い、それをそのまま実行する。到底人間ではこうはいかないだろう。
そんな甘えん坊の猫のワガママに付き合わされる何とも言えない快感を、もし機会があれば是非味わってもらいたい。

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