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KYONのいろいろ練習帖

パソコン練習・イラスト練習・猫育て練習・猫仲間練習を綴る。
時々、生活や趣味の話題もネ!

🔹🔸◆ ぽんぽん🐈‍⬛暮らし♦️🔸🔹 (32 ) 【猫との暮らし・日常雑話】

2025-04-16 16:52:00 | 日記
🔹🔸◆ ぽんぽん🐈‍⬛暮らし♦️🔸🔹 

       (その32 )

 【猫との暮らし・日常雑話など】

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🔻「歩き🚶‍♀️‍➡️のお勉強」🔻

 🟫🟤 👟🟤🥾 🟤🟫

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🐈‍⬛ポン太郎🐈

「おかあさんは おべんきょうばかり。

むずかしいかんじばかりだね。

たのしいの?😊たのしいんだね。


でも、じつは ぼくの たいちょう

のことでシェルターのるるちゃんと 

でんわで そうだんしたり

ちりょうのことでなやんでいるみたい。




      《写真 郷土館前庭》

むかしのひとの いのりのきもちが

とってもわかるって いっているよ」

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👤🗣️

♦️【清き土なり】のおべんきょう♦️

《歴史に詳しい先輩やG氏の助言有り》

             (その2)

憧れ💕の「石仏たちに会いに行こう!」

 スタート/北口からの🚶歩き


まず、元町の志木街道沿いの石仏群へ。

(各所にあった石仏が集められたもの?)

[市史によると・・・🪨🪨🪨・・・

昭和初期に作られた防火用水槽の移動、

道路の改修・拡幅などによる、

          ・・とある]

*江戸時代頃まではここが街道の分岐点。

志木街道:当時は東村山駅西側の青梅

街道を通って青梅まで至る街道だった。

(江戸時代に「引又道」と呼ばれ、

ここで青梅と八王子へ道が分かれていた)




《「史跡を巡るのは🐈‍⬛おもしろいね」》

    ・・・👟・・・

😅9基の石仏はすぐに見つからなかった。

案内板もなく、周囲の家屋に溶け込んで

いて、近所の人に聞いても知らない人が

多かった。そして、、、、

・😳やっと見つけたのだが、鎖に

囲まれていて、彫り刻まれた字を読む

ことはできなかった。

後日:郷土館資料やいろいろなブログで

調べることができたのでここで紹介する。


★ 清瀬(元町)三叉路の石仏群九基

*(石仏に彫ってある年代

・・・江戸、大正、明治など)

*9基➕1本

 (庚申塔:1基🪨日本廻国の巡礼塔:1基

  馬頭観世音の塔:7基🪨案内注:1本)




・・・東向きに並ぶ六基の石塔・・

①🐴「馬頭観世音(兼道標)」

左面:?天明ニ壬寅年(1782)

正面:(下部両脇に道標銘)  

 「右 所沢道 山口道」 

 「左 八王子 大山道」 

四角い台の上に重厚な角柱型の石塔

その上に

蓮台に座る丸彫りの馬頭観音像

 右手は宝剣・棒・与願印?

 三面ともに精巧な見事な忿怒相

「奉建立南無馬頭觀世音菩薩」

 右面:無銘

 左面:下部に武州多摩郡 上清戸邑

   十二朔日

台座正面:「供養塔」

 右面に願主一名・世話人二名人名




 🤔1782年は将軍吉宗の時代

 🤓上清戸村の人々によって作られたもの

「三面八臂」とは3つの顔と腕8本

「臂」とは「ひじ」のこと。

路傍の石仏が供養と道標を兼ねている?


②🐵「庚申供養塔(兼道標)」

右面:享保十乙巳三月吉祥日(1725)

正面:「右 青梅道」「左 八王子道」

宝珠付きの

唐破風笠を持つ角柱型の石塔

正面を彫りくぼめた中に 

日月雲 「青面金剛立像 」合掌型六臂






頭に蛇を乗せた青面金剛

釣り目の忿怒相?(風化)

持物は、斧・法輪・弓・矢

足の両脇に二鶏を線刻

足元に邪鬼を踏む(邪鬼の顔も風化)

二鶏の両脇

 縁の部分(左 八王子道、右 青梅道) 

邪鬼の下に正面向きの三猿

         (🙈🙉🙊)

その下の右端に武刕多摩郡上清戸村

 願主宗心一名 さらに七名の名前

塔の両側面には蓮🪷の花が浮き彫り

左面:「奉造立庚申供養講中八貟」




③🪨「日本廻国大乗妙典六十六部」  

:享保十二丁未年(1727)《写真左》

大乗妙典供養塔  上部丸角柱型の石塔

正面中央:「日本廻國大乗妙典六十六部」

上部両脇に造立年月日 3月5日

 右下に武刕多摩郡清戸村

 左下に願主 大眼休意

 🤔吉宗時代

*「廻国塔」とは?*

法華経を66カ国の霊場に納めた

ことを記念して建てられた石塔。

(国家安全、減罪作善、追善回向など

を願った)・この修行者の略称:「六部」


・・・④⑤⑥は




個人名が刻まれた🐴馬頭観音文字塔・・

     《写真右から④⑤⑥》

          ・・・・・・・

④🐴「馬頭観世音(兼道標)」 角柱型

嘉永七寅年(1854)十月十七日 

 右面「のじう ところ沢 道」

 左面「八王子 大山道」

 野塩(のしお)のことだろうか。

塔の左側面:

上清戸村 願主個人の名前剥落

上部に「左り」下部に八王子 大山 道


⑤🐴「馬頭観世音」・・・馬(以下 剥落) 

:明治四十二年五月建立(1909) 
 願主名駒型

⑥🐴「馬頭観世音 櫛型

:大正四年九月癸(1915) 願主名

       ・・・・・・・・


奥から⑦⑧⑨・・南向き3基の石塔・
⑦🐴「馬頭観世音」:大正五年(1916)

⑧🐴「馬頭観世音(兼道標)」

 :明治二十三年 (1890) 願主名

右面「向テ 右 くめ川ミチ」

左面「向テ 左ふちゅう 大山ミチ」

⑨🐴「馬頭観世音」:大正六年(1917)
 願主名




⑩🪨コンクリート製の道路案内柱
「上清戸村分団」《写真 左端》

上清戸村 昭和十五年清瀬村青年団の

各分団が建てたもので唯一残る。

(左?)久留米村

(ヲ)経テ小金井町府(中)

・・・・この辺りに「十玉坊」という修験

の寺が建っていたと言われているそう

だが不明のことが多いそうだ。
       《多摩の歴史2 より》          
    ・・・・・・・

《①~⑩の石仏に関する参考資料》

・清瀬郷土館作成資料「史跡をあるく」など

・清瀬郷土館「学芸員室へようこそ」

・「市史研究きよせ第5号」

・ブログ「さいたまの石仏」私家版

・ブログ「百街道一歩の道中記」 など

      ・・・・・・




⇨🤓 感想「風化がもったいない」

と思った。これだけ集めているのだから、

簡単でもお堂のような屋根や壁をつける

などの保護を検討できないものか。

そして、なぜ、説明文を立てていない?

私のような者には、刻まれた文字は

ほとんど読めない❗️もったいない‼️

🫡と思っていたら、

市史(令和2年3月)にも「地域の貴重な

文化財として、今後長く保存するために 

応分の対策が必要と思われる」

と執筆者も書いておられた。

市はいつになったら取り組むのかな???

🧐史跡・石碑の勉強が面白いのは当時の人々

の産業、生活や願いが、想像できるからだ。




登山や観光地でもそうだが、道標は歩く人

にとってもとてもありがたく必要なものだ。

🐾ウオーキングをしていて、古い道標

や石碑を見かけると、嬉しくなる。

🤔「馬頭観音」については動物との関係

  や感謝の思い 🐴愛情を感じる。

  〈馬🫏と馬子🧑‍🧑‍🧒‍🧒は仕事仲間!〉

😊知識があれば、見方も変わる。

造った人の想いや願いの受け止めも変わる。

街道を歩いて知っている地名や人名が

出てくるとワクワク😀"これまでの

ウオーキング🐾で、幾つか見てきて

いたのに見過ごしてきたことを残念に

思う。また、📷写真を撮るポイントも

知らなかった。庚申塚や青面金剛、

馬との暮らしについては、面白いので

今後また、勉強していく予定だ。

        ・・・、👋次号へ

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