みんな大好きカーネーション ~北海道カーネーション部会~

北海道のカーネーション生産者で構成されている部会です。
北の大地で作られたカーネーションをご覧ください。

マイコーがっ!!

2009-06-29 | その他
こんばんわ

今日もいい天気でした。
太平洋側では、昨日よりかは幾分かは涼しかったような・・・。
夕方からは雲が出てきて、急に涼しくなりました。
うーん、極端なんだよなぁ~

先日、世界的大スターのマイケル・ジャクソンさんが亡くなりました。
”生き急ぐことで分かり合えると英雄たちはそう呟いた”と歌の歌詞でもあるように、
太く短く、早足で時代を駆け巡り、あっという間に過ぎ去っていくのは、大スターの
代名詞のような気がします。
なのでこのニュースを聞いたときもさほど、驚きはしませんでしたが、
やはり残念です。マイケルは才能があるのに、最近ではなんだかよく分からないこと
ばっかりしてましたね。それも残念だなぁとおもっていましたが・・・。
わたしが7、8歳のとき「スリラー」とか「ビートイット」など大ヒットしましたね~♪
その時代カルチャークラブのカーマは気まぐれとかデュランデュランとかトトの
アフリカなどが流行ってましたね。なんだか懐かしい。。。

Heal The World という曲があるんですが、泣けます。
ともかく50歳というのはまだまだ早すぎる死です。

安らかに眠ってください。

カーネーション生産のはじまり ~カーネーションの父⑤~

2009-06-27 | カーネーションとは何ぞや?
こんばんわ

今日もいい天気で、暑かったですね~
今ちょうど、植え替えしているので、ハウスの中での仕事で
ものすごく、汗だらだらです。
ダイエットには最高な条件ですが、それよりものどが渇きまくりなので
水太りしてしまうかも・・・

またまた土倉さんのお話ですが・・・
1931年〈昭和6年〉1月、土倉さんの呼びかけにより、玉川温室村生産者
などが集まり相談した結果、1932年〈昭和7年〉5月、大日本カーネーション協会
が設立されました。
これは当時急速に発展しつつあるカーネーションの研究機関がなかったので、
英米のカーネーション協会とも提携し、自主的に研究、技術開発をするために
作った組織です。
会長には土倉さん、副会長には大塚卓一さんが就任しました。
主な事業は、優良種苗の会員への配布、品評会の開催などでした。

会報第1号によると、正会員38名、普通会員10名、東京、神奈川、兵庫、愛知
にまたがる組織でした。

それにしても外国のカーネーション協会と提携するなんて、ぐろーばるですねぇ~

カーネーション入っておらず・・・

2009-06-24 | その他
こんばんわ

今日はいい天気で、気持ちよい一日でした。
ハウスの中は、アツアツでしたけどっ
たまった洗濯物も風になびいて、よく乾きました~

この間の日曜日、運動会だったのは前に書きましたが、
その後に結婚式があったのですぅ。
午前中に汗をかきかきで、午後は一転普段着慣れてない服をきて、
おとなしくしていたというわけです。
今年で北海道へ来て、12年目ですが、結婚式・・・披露パーティー?に
何度か出席してきました。
初めて行った時は出席する人数にビックリしました。
300人近くもいる~ってスゴイ。
まあ、それはさておき、やはり商売柄円卓に飾られている花に目がいくわけです。
(苫小牧のホテル)白を基調としたアレンジでトルコギキョウ、バラ、かすみ草
葉物、で構成されていました。
あら残念!カーネーションが使われていない!!!
高砂席〈新郎新婦がいるとこ)のも見てみましたが、同じもの。。。
キャンドルサービスの新郎新婦が最後に点けるキャンドルのアレンジにもしやと思い
見てみると・・・赤い花がある~と思ったらバラでした。とほほ・・・。
しょうがないから偉そうなホテル従業員にカーネーションを使ってくれと
一応言っておきました。

それにしても、あの料理の量で13,000円はボッタに近いよぅ
そう思いませんかしら

カーネーション生産のはじまり ~カーネーションの父 ④~

2009-06-22 | カーネーションとは何ぞや?
こんばんわ

昨日は運動会でした。予報では雨でしたが、ちょっと晴れ間も見えて
まずまずの天気だったですね。
いままで曇りがちの天気で気温も低めだったのですが、急に晴れたりすると
花もだれちゃいます

またまた、カーネーションの父 土倉さんのお話です。
目黒から川崎市溝口へ温室を移設・・・
土倉さんの最初の建てた大崎町の温室は目黒駅前にありました。(すごいところに
あったんですね。)
その土地を市電の車庫に提供を求められ、1920年〈大正9年〉に林業試験場
の隣接地、下目黒に移転しました。
ここに温室を建て、大勢の園丁がカーネーションを栽培しました。
存命の末子土倉正雄さんによると、園丁の食事などの世話をする女中さんだけでも
5から6人はいたらしいです。しかし本家の財政的窮状を救うため、この土地を手放し
1926年〈昭和元年〉に、神奈川県高津町溝口へ温室を移設しました。
これが川崎市のカーネーション栽培の起源です。
土倉さんは移転に伴って、居を世田谷区池尻に構えました。子供の通学のため
溝口には住まないで、溝口の温室まで路面電車で通勤しました。
温室は園丁にまかせて、自分は育種と経営に専念しました。

今日はこの辺で・・・

どぉーなってるの?この悪天候!!

2009-06-19 | その他
こんばんわ

すっきりしない天気が続いています。
日曜日に地域と小学校の合同の運動会があるんですが、なんだか天気
怪しいですぅ。
GW明けてから毎週土日ずぅーーーと天気悪い。
まあ、雨降るのはしょうがないにしても、雨天中止ではなくて
雨天順延なので次の日〈月曜日〉になるわけです。
そうしたら、農家の人はいいですが、働きに行っている人は誰もきません。
当然しらけた運動会になります。
月曜日も天気悪そうですけどね~。

全道各地、例年より寒い日が続いているので、花も咲き鈍ってはいませんか?
涼しくて作業しやすいのはいいんですが、やはり出荷数が減るのは頂けませんね。

こんなときは、良い天気になるまで気長に待ちましょう。
気分転換にスポーツするのもよし、読書もいいです。買い物なんかもGOOD

でもでも、早く晴れないかな~。

カーネーション生産のはじまり ~カーネーションの父 ③~

2009-06-17 | カーネーションとは何ぞや?
こんばんわ

涼しい日が続きますぅ。ぶるぶるっ
この涼しさ〈寒いかな)は来週頭まで続くそうな。
太陽が少しでも出ると暖かいんですけどね~。
あしたは日本海側を中心に太陽が出るそうです。
また日曜日は雨みたいですけどっ。。。

さすがの土倉さんも失敗続きということでした。
カーネーションを枯らさずに育て、立派な花を咲かせ、出荷するということは、
当時は最先端の高度な技術でした。そのため、園芸家は温室を人に見せ
技術を教えることはしませんでした。〈現在でも人によってはそうです)
しかーし、土倉さんは惜しみなく技術を公開し、カーネーション生産の拡大に
力を尽くしました。
出来る男はちがいますね~。土倉さんは両家の育ちと、クリスチャンの博愛精神
をもった人物といえる、と本にはあります。

少し前、ある外資系化学原料メーカーの人に聞いたのですが、
その会社では原料を精製する際、独自の技術により高性能な原料を作ることに
成功したそうです。ふつうここで特許をとるそうなんですが、
その会社では特許をとらず、技術を公表したそうです。
もったいないなぁ、と思うのですが、その理由として技術を公開することによって
各原料メーカーで競争が始まり、さらに技術が高められ、より良い原料を提供
出来るようになるというわけです。
さらには原料生産の拡大も狙ったということでした。
土倉さんはこのことに近い想いだったのでしょうか?

さてさて、土倉さんは温室だけではなく、露地でもカーネーションを栽培したかった
見たいです。それは農家の人がカーネーションを作れるようになるとの思いがあったそうです。
あらゆるつてを頼って、欧米から品種を手にいれ試作したのも、露地で作れる品種
を探す目的もあったそうです。
結局、日本に適する品種は、日本で作らねばならないとの結論に至り、自ら品種改良
に乗り出します。
交配し、種子を取り、種子をまき、花を咲かせ選抜する。このためにどれだけ内外
の文献を読み、試行錯誤したことか。
努力のかいがあって、続々と新品種を作り出し、世に発表しました。

今日はここまでです。
しかしこの情熱、見習いたいですね。

まだまだ単価高いなぁ

2009-06-16 | その他
こんばんわ

すっきりしない天気が続きますねぇ~
気温も平年よりも低いし・・・でもハウスでの作業はしやすいですけどね。
木曜日にやっと晴れそう期待していますぅ

ここ最近札幌の市況は高いまま推移してますね。
(切花全体です。品目によってはそうでもないかもしれません)
単価が高いということは、量が少ないということなんでしょうが、
6月の中旬を越してくるとだんだん物も増えてきて、価格ももう少し低くなって安定
してくると思うのですが。。。
今週はまだ、高いまま推移するそうです。
昨年は悪かったから、元に戻っただけでしょうか・・・。
なんとなく7月がこわいよぅ。反動が恐ろしいです。

まあ、びくびくしててもしょうがないから、淡々とがんばりまっしょい

では、さいなら~

カーネーション生産のはじまり ~カーネーションの父 ②~

2009-06-12 | カーネーションとは何ぞや?
こんばんわ

今日はまあまあの天気でした。
でも最近ずぅーーーっと週末天気悪いですね。今週も悪そうだし。。。
運動会〈北海道は春にやるところが多いみたいです)を予定している人も
大変でしょう。
横浜では春に小運動会をやって、秋に大運動会をやってましたね。
わたしの頃ですから、結構前のことですけどね~

さてさてカーネーションの父、土倉さんが25銭で苗の販売をしたというところまで
お伝えしました。
さすがの土倉さんも失敗続きということで、後に名著「カーネーションの研究」
を著す土倉さんですが、はじめはカーネーションをうまく作れなかったそうです。
「栽培上の知識が全然なく、唯一一般作物を作ると同様な方法で栽培にあたった
為に、折角輸入したこれ等の品種も僅かに形骸を残存した様な不結果に終わってしまった。」
さらに苦労話は続きます。
「当時は温室もまれな時代であり、カーネーション栽培に従事しているものとしては
、伊藤貞作氏のほかになかったので、現在(昭和10年ごろ)のごとく他園に於ける
カーネーション栽培状況を見学に行くということも不可能であり、且つ何れも栽培上の知識を欠いていたので、これが教えを乞う可き指導者もなく、それが為独自の
研究にいたるほかに道はなかったので、栽培上に払う苦心と創作的努力は容易なら
ぬものであった。」と語っています。
悩ませたのは、軟弱な茎、スパイダー(アカダニ)、スリップスで、100年後の
今日の悩みと変わらない。有効な農薬がなかった時代、ダニ、スリップスは水で
洗い流す方法しかなかったといいます。柔らかな茎は、その後アメリカ式の軒だか
が高い温室の建設で幾分解決した。

ダニに有効な薬はコロコロ変わっていきます。それだけ耐性がつき易いと言う事でしょう。
そこでわたしが有効だと思う資材として『ナチュレMAX』という資材です。
メーカーはどこだったかな・・・・わすれました
㈱ミヨシさんで販売してます。500倍から1000倍で農薬と一緒にかけます。
浸透移行性の強い薬には混ぜられないそうです。
ダニに困っているようでしたら使ってみるといいかもしれません。

有効な農薬がある現在でさえ苦労しているのに、土倉さんは相当苦労したと思います。
ただただ脱帽というわけです。

今日はこの辺でおしまいです。

大正時代の金銭感覚とは???

2009-06-10 | その他
お元気ですか

今日は曇るかな~と思いきや晴れました。(ちょこっとね)
平日の昼間なのに日ハム戦やってましたね。
ラジオ聞いていたんですが、観客数が1万人ちょっとって皆さんヒマですね。
ちがうかっ。無理して行ってるんですね。
ヒーローインタビューで田中賢介選手(こんな漢字だったっけ?)が
ファイターズ休暇とって・・・とナイスなコメントしてましたぁ

大正時代に苗の販売で1本25銭と書きましたが、いったい25銭とはどのぐらい
の感覚なんでしょうか?
あるサイトで調べてみました。ちなみに大正10年のだそうです。
ひとえに大正といっても15年間あるわけで物価の変動もあると思いますので、
そこらへんは考慮してくださいませ。。。

〈食べ物〉
もりそば 1枚 10銭前後
カレーライス 1杯 7銭~10銭
天どん 1杯 30銭
うな重(並) 1人前(大正4年) 40銭

〈給料〉
大卒初任給 50円
銀行初任給 50円
巡査初任給(大正9年) 45円
小学校教員初任給(大正9年) 40円~55円
公務員初任給(大正7年) 70円
国会議員の報酬(年額) 3000円
日雇い労働者の賃金 1日 1円99銭

ちなみに大正10年はシベリア出兵のため2割ぐらい食べ物が高騰したみたいです。
現在の苗価格を50円だとすると、1円は100銭だから、5000銭。
現在と比べると200分の1。うーん、指標にはなりませんね
天丼と同じぐらいだったとすると、今で言えば高いような・・・。
まあ、天丼といってもさまざまですからね掻揚げしかのってない天丼だったら
安いでしょうしね。伊勢海老の天丼だったらちょー高いしぃ。。。

でもこうやって昔のことを調べたらちょっと楽しいかも

カーネーション生産のはじまり ~カーネーションの父~

2009-06-07 | カーネーションとは何ぞや?
こんばんわ

今日も朝からで昼過ぎからでした。
カーネーションの単価も調子が良いですね

今日はカーネーションの父と言われた土倉龍次郎さんのお話です。

志半ばで1912年(明治45年)に病死した澤田さんに代わり、
栽培技術を完成させ、体系化し、また数多くの品種を生み出し、カーネーション
生産100年の礎を築いたのは土倉(どぐら)龍次郎さんでした。
澤田さんに遅れること1年、1910年(明治43年)に土倉さんは東京府上大崎
(目黒)において采花園を興し、カーネーション栽培に着手しました。
土倉さんが栽培した品種は、ニューヨーク、ヘンダーソン社から種子を取り寄せた
マーガレット系の『プレジデント・マッキンレー』(赤)、『マリア・インマキュリット』
(白)の2品種。これは、横浜正金銀行シアトル支店長をしていた弟、土倉四郎さん
から送ってもらったらしいです。
その翌年6品種を輸入して栽培しました。
また1921年(大正10年)に、皇太子であった昭和天皇が英国へご渡航された際に、
ある手蔓によって、オールウッド商会に直接交渉してもらい、カタログから優品
と思われる12品種を選び購入しました。
土倉さんはわが国で始めての苗生産者でした。
実用品種として『エンチャントレス』の苗を1本25銭で売り出したところ
近在の園芸家は采花園に日参して苗を分けてもらったといいます。
切花が1本25銭で売れた時代であったから、苗の25銭は高くなかったです。

今日はここまでです。次回はこの続きです。おたのしみに。