みんな大好きカーネーション ~北海道カーネーション部会~

北海道のカーネーション生産者で構成されている部会です。
北の大地で作られたカーネーションをご覧ください。

【部会員の皆様へ】カーネーション部会青年部茨城大会について 締め切り

2011-12-31 | 現地・分科会など
こんばんわ

今年もあと少しとなってしまいました。
皆様にとって今年はどんな年だったでしょうか?
今年は東日本大震災があり秋の台風災害・大雨災害があり
哀しみを感じる事が多い年でした。
来年はよいことが、たくさんある年になることを祈るばかりです。

先日お伝えしたカーネーション部会青年部茨城大会の申し込みですが、
締め切りが本日31日になっております。
参加希望の方はお急ぎください。

開催コースのAコースで見学する花き研究所ですが、
エチレン低感受性品種ミラクルルージュ・ミラクルシンフォニーや
萎凋細菌病抵抗性品種カレンルージュを開発した場所です。
そのミラクルルージュ・ミラクルシンフォニーですが、
「現代農業」の2012年2月号の222Pに記事が載っていますので
興味のある方はご覧ください。作るのは少々難しいみたいですが・・・。

よいお年をお迎えください。

【部会員の皆様へ】カーネーション部会青年部茨城大会について

2011-12-20 | 現地・分科会など
こんばんわ

カーネーション部会青年部茨城大会についてのお知らせです

下記の要領にて表記大会が開催されます。




1.平成24年2月17,18日(2日間)
2.圃場視察(県内3圃場)
3.大会参加費18,000円(全日程参加分)
4.申込期日は12月31日(土)

申し込みは各地区の役員までもしくは事務局までお願いいたします。

新千歳空港から茨城空港までスカイマーク(しかない?)だと
一番安くて7,800円(21日前までに予約で)です。
3日前にとっても11,800円です。
一日2便で発9:05着10:30と発16:00着17:25。
逆区間(茨城から千歳へ)
発11:05着12:30と18:05着19:30
となっています。
スカイマーク
予約は早めにした方がいいですね。

カーネーションの歴史 番外編-横浜市磯子区杉田の旧カーネーション栽培地を訪ねてみた

2011-12-14 | カーネーションとは何ぞや?
こんばんわ


このブログでは最近カーネーション100周年を記念して
カーネーションの歴史をお伝えしています。
わたしの生まれたのは横浜市磯子というところなんですが、
磯子区杉田でもカーネーションを作っていたという史実に
基づき、先日帰省した折にそこであろうという場所に行ってみました。
北海道とは何らかかわりはないのですが、まあそこは歴史ということで
ご容赦願います。

この磯子区杉田という場所は横浜市の西にある所で、現在農業ができる地域では
ありません。住宅地ですね。
とりあえず磯子図書館に行ってどこら辺で作られていたか、調べてみました。
しかしながら、なかなかいい資料に巡り合えず、特定はできませんでした。
一冊の古い資料を見ますと、昭和2年にこの地域(磯子区と金沢区)では
温室栽培者19戸、栽培面積7000㎡(2117坪ぐらいですかね)。
神奈川県でいうと昭和12年ごろのカーネーション栽培面積は6万㎡程度で
全国一だったという記録でした。(調べる資料がわたしにはないので確かめようもありません)
国立図書館に行けばはっきりするんですけど。

さておき、玉川温室村から波及したカーネーション栽培の広がりの初めは
神奈川の川崎、磯子、金沢ということは間違いはないようです。

資料での場所の特定はできず、ダメもとで(なにせ戦前の話ですからね)
区役所の広報に行って聞いてみました。
「これこれこういう理由で場所がどの辺にあったか教えてちょ♪」
と尋ねると
「その名残かもしれないところがありますのよん。」
と美熟女が。。。
「んでんで?」
「栗木に温室前っていうバス停があるでしょ。そこだという説があるらしいわ。うふん。」
(栗木って杉田じゃない・・・)
「ありがとう。おねえさま。」
「うふん。いいのよん。」
かいつまんで言うとこういう会話があり、とりあえず行ってみることにしました。

ーーーーーつづくーーーーーー

そこの写真
温室前(バス停)


その付近1


その付近2



カーネーションの歴史 東京から地方へ ⑭

2011-12-03 | カーネーションとは何ぞや?
こんばんわ

最近ツイッターなるものをはじめたんですが、
よくわからないんだよねぇ。
どこら辺がおもしろいのか。
面白くなるまで、つづけようかな。



カーネーションの歴史


静岡編


☆先駆者の汗と涙

経験や技術的な裏付けもなく、花き指導の組織も機関もない時代です。
先駆者のみなさんは栽培技術をおぼえて、安定した成果を上げることは
まったく困難で、失敗を続けながら未知の分野を開拓していきました。

これは伊豆だけに限らず、全国で花づくりに取り組んだ先駆者の
汗と涙が今日の花き産業を築き上げました。


☆静岡市

1929年(昭和4年)ころ、静岡市では松本金蔵さん経営の静岡バラ園を
中心とする温室バラ生産者が、温室の一部にカーネーションを植えるようになりました。

1933年(昭和8年)には、東京で温室栽培の研究していた宮崎七郎さんが静岡市に
帰り、カーネーション栽培を始めました。宮崎さんは「スペクトラム」をはじめ
東京から新品種を導入し、地元の生産者に供給しました。
宮崎さん自身が1940年(昭和15年)ころ、「アバンダンス」から作り出した
当時では珍しい絞り枝代わりの「ファンシーアバンダンス」は人気が高く
おおいに栽培されました。
このころ「ピーターフィッシャー」が導入されましたが、病気に弱かったので
あまり普及しませんでした。
1943年(昭和18年)には早くも「コーラル」が導入されました。

宮崎さんは静岡ではじめてベンチ栽培をするなど、新技術を取り入れたので、
周辺のカーネーション栽培熱が高まりました。
その結果、1936年(昭和11年)に静岡市で花卉生産組合が発足し、
1937年(昭和12年)には静岡県初の花市場が生産者と花屋の共同出資で誕生しました。

次回は千葉県です。