マルシェル出品作品、『旅異形#2』についての小話です。
・・・についてというより、今回は、これを作っている間にまとめた思考というか、雑談のようなものになります。黙々と作業しているあいだに、このような思考をすることが趣味だったりします。
(↑枠なし)
さて、今月は、「夢」というものについて思考する時間が多かったです。
将来の〜という文脈で使われるほうではなく、眠っているあいだに見るものですね。
「あれ」に見せられるものは、どこか歪であったり、欠けていたり、わけわからなかったりしていて、でも「それ」の中の自分は、そういうものたちを何の不思議にも思わず、すんなりと受け入れているのです(その不自然に気づいた状態を「明晰夢」というのですが)。
この「夢」という映像体験は、個人的に、創作のモチーフとして非常に興味深く、あるときからずっとノートにかきとめていたり、SNSのフォロワーに募ってみたりして、さまざまなものをあつめていたりします。
あれは、確実に過去の自分の体験・経験・思考のなかから選び抜かれ、それをランダムにぐちゃぐちゃに構成したものだから、見たことあるけどないような、存在すれどしてなくて・・・な映像を見せてくれる。
いくつかの例を見てみると、それは意地悪いことに、おそれているもの、心配事を抉り出し、ご丁寧に肥大化して見せたりする。または、あれがしたいな、これがいいなというようなものを、そのままうつしてくれる。我々はあちらから、モノを持ち帰ってくることはできないけれど、暗闇の旅路のせめてもの土産として、ときどき感情を持ち帰る。
きっとあれには悪気や、逆に親切心などもなく、ただその時ここに見えるそのままを案内している。豪雨のように突然にくる、不条理な怪異です。
そしてこの映像は、物語のタイミングとはいっさい関係なく、突然ぱっと切れる。霧のはれたころに、わかる時は、「いまの夢って昨日のあれだなあ・・・」と、自我の思考で答え合わせができるのだが、ほんとうにわからないこともある。
ただ自分には、物語の終わりとともに目が覚めることがあり、これを「よくできた映画みたいな夢」とくくっていたりします。
この、あっちの世界として明確な境界線はあれど、なんとなく、こっちの世界の続きの怪異は、境界の壁の薄い人間、つまり、こっちの精神状態をあっちに反映しやすいタイプにとっては、あまり深入りしてはいけない存在らしく、からかわれたのかなんなのか、日常生活に少々干渉されたというか・・・。
夢日記をつけすぎるとよくないみたいな話はありますが、あれは人によってはほんとうです。そうだと思います。
・・・というわけで、今回の『旅異形#2』のモチーフは、豪雨です。それもとつぜんにくるタイプのやつです。
ちいさな存在は、バス停で、来るかもわからないバスを、どこにいきたいわけでもなく、そしてなぜか都合のいいことに用意されている傘の下で、待ち続けているのです。それを何の不思議にも思いません。それがそうなっていたからです。
お気に召しましたら、ぜひ、どうぞ。
それから、今回の散文は、いささかこちらの作品に関係があります。
こちらの制作日記も別で書いたは書いたのですが、大々的に、別所のここでこのはなしをしているというのは言っていませんので、このブログを見てくださった方へ、こっそり。
それじゃあ、また・・・。
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