荷風さんと呼ばせて その四

2013-02-08 16:50:11 | 読書
その4 荷風ぶし
「新潮日本文学アルバム」に遠藤周作の「荷風ぶし」について と題して評がある。そのなかに次の一節があって、老いての荷風フアンとしては心強い。

「だから彼はボードレールもヴェルレーヌも区別しない。他のフランス近代詩人もすべて荷風ぶしのなかに屈折して翻訳しているのだ。では荷風ぶしとはなんだろう。一言でいうとそれは「情緒化する眼」だと私は思っている。若い頃に三浦朱門氏が荷風のことを「志、衰えた時に読む作家だ」と私に言ったことがあって、その時はある意味で的を射た評だなと感じたものだ。すべてを情緒のヴェールですっぽり包み込み、読者を陶酔だけさせて批判を拒む荷風の文体は、たしかに志が衰えた時には魅力的なものになる。」

永井荷風集筑摩書房巻末評中村光夫の人と文学にも手助けいただいて、勝手に読み解けば志が衰えた者というのは、志をもっての挑戦に疲れた者ととれるが、一方 凡々たる無職の年金生活者でいろいろなしらがみからときはなたれ、または 社会のしらがみにすがりつこうにも縋りつけず年齢的に見限られた者ということととればひきこもり老人には都合よい。いずれにしろ、もう ひとりよがりでいい気な時間を持てる者であって、社会との連帯感を払いのけ、社会現象をすべて他人事と見てすごせうる老人ということになる。

生活のために社会に立まじって働く必要のない身分、生まれつきの気品をもつ荷風の抒情豊かな作品に魅かれて、私のような庶民風情が老いの時間を荷風さんと過ごすのも、最高の心地よい時間となりそうだ。