荷風さんと呼ばせて その1

2013-02-04 19:11:32 | 読書
永井荷風の本、数冊 図書館から借りた。温かくなったら、東京下町をと思っていたのでそれなら「荷風と歩く」の書を参考にさせてもらおうときめたのだ。この一カ月くらいは、荷風本で楽しもうとおもう。

「荷風さんの戦後、半藤一利著」 他 を読みながら、「荷風と歩く」だから、勝手に 荷風さん と呼ばせて頂いて、予行演習、実際に訪ねたときの楽しみを2倍にしょう。

その1 晩年の2人の女
荷風さん、77歳のとき、亡くなる2年前結構老いを感じていたころだ。2人の女が市川の家を訪ねている。一人はお歌といって若い頃待合を開かせてやった女だ。その時は能登の加賀谷で売れっ子の女中だったらしい。(5年間金澤に住んで、和倉にも遊んだ私は無理づけして想像した)所帯じみたいい女だったらしい。28歳違いというから49歳か。荷風女への思いやりたっぷりの手紙のやりとりのあと、お歌は市川に訪ねきたが1時間余りで 去るとある。荷風さんとしては、会うまでにその懐かしさを堪能し、お歌は荷風の余りにみすぼらしい風体に昔の紳士然とした荷風と比べ心内はがっかりしたようだ。もっと恰好よくしてほしかった。いつの間にか東京神田に舞い戻り小料理屋を開店し荷風に会うもその後は、荷風さんはそっけないというか深入りしない。77歳の年からして当然とおもうが、お歌は有名人荷風にあやかりたいところだ。その関係が荷風さんの空気感にさわやかだ。もうひとりは、荷風のプラトニックラブらしき相手、山 勇という女、一緒に暮らしませんかと誘そわれたらしい。59歳だった。荷風さんは恥じらいながらもことわったらしい。荷風さんは晩年も名声だけでなくお金も十分すぎるほどあった。ひねくれじじい?の私としては、羨ましい限りだ。

おっとと、荷風さん 最後の最後、変人くさいのは、小西家を追い出された理由だが、小西夫妻の睦言を障子に穴をあけ覗いていた とか、まあ 長年の玉野井通いが身にしみたということか。こんな一節が「すみだ川」にある。「それらの家の竹垣の間からは夕月に行水をつかっている女の姿が見える事もあった。藍月宗匠はいくら年をとっても昔の気質は変わらないので見て見ぬようにそっと立ち止るが、大概はぞっとしない女房ばかりなので、落胆したようにそのまま歩調を早める。」とある。どうってことはあるまい。