間奏 独り言

2008-09-24 10:01:13 | インポート
(発達)障害者と自認し公にするムードにある。それもよいだろう。ただ障害者は正常者にとって怖い不気味な存在であることは間違いない。恐怖こそ生きものには最大の敵である。恐怖心が、独裁を生みプチブル層なら高い塀を築いたりして身を守る。そのことを言い換えると権力者、お金持ちとなる。支配、被支配の社会となる。現社会で、「障害者支援」は、障害者の封じ込め、隔離になる。正常者上位の考えだ。また誕生前の遺伝子改変で正常者オンリーにするともいわれている。生命誕生の神秘からすると許されていいかどうか。現社会で一番の対応は「異」を対等な目線で捕らえ、生きもの平等の原点復帰、障害者は正常者の負の部分を代替している、経済は正常者優位にして障害者を圧迫しているをふまえ、やはり「障害税」を設け障害者に安心とゆとり、その自信ある心身の様態が正常者の恐怖を除けば、まさに生きもの平等になる。

間奏 独り言

2008-09-19 01:34:57 | インポート
健常者と障害者 正常者と症候群、依存症 社会適応者と適応障害者 これらの言葉はよく目にする。また 日常、非日常もである。変わり者もよく耳にする。人は社会を構成することで生き続ける。動植物も多くはそうであろう。天敵なき人間にしても遺伝子に負うところは大ということであろう。正常者社会適応者も進化しながらしか生きることはできない。進化に適応していくということである。未来はさておき現実を直視すると正常者社会適応者が過去現在そして未来をも睨んで生き続けることはある意味大変なことだ。正常者こそそのために心奥に秘めなければならない言葉は、自閉症候群者に劣らないであろう。そう考えていくと発達障害者はスロースローに対社会的言葉をはっしようとこころがけることだ。一番はまづ自分を知識的に捕らえ知り自信を持つことである。その一つとして障害者は社会適応者の経済優位に近づく原資として適応者の非適部分を代わって負っていると考え障害税を当然の権利ととして受け、経済的ハンディを自助努力無しに取り除くべきだ。生きもの平等の原点だ。人社会こそそうあるべきか。

文鳥 その四

2008-09-13 18:53:12 | インポート
夜明けとともに、朝だよとちぃちぃとさえずる.布を取り払うと、まず食事である。主食に緑つぶ、骨つぶ、ビタミンつぶをその時の体調もあろうが食べ、そして水を飲む。ストレッチ体操か羽をひろげ、毛づくろい、寝起きの準備体操だ。そしてしばらくは箱にはいり休む。一羽づつ交代のようだ。やはり夜は天敵から身を守るため寝ていないのだろう。もう5年ともなれば、堂々としており文鳥自身のペースで一日過ごす。16畳のリビングに他の部屋も探索と余裕がありあり。幸せそのものの一日か。大空を飛び立ち天敵と戦いながら「生きる」に比べてどうかは別にして。やはり食が十分あることが必要十分条件だろう。障害者のことを思う。一番は安心ゆとりだ。国民の三大義務の一つ納税、そのなかに独立して障害税を設け、支援されてでなく当然のけんりとして障害認定者は食とゆとりは確保されるべきではなかろうか。それから「生き物」の本能、先へ先へと進むのは個々の欲望にまかせればよいのでは、文鳥は貫禄あり。我と対等なり。

日常 雑感

2008-09-07 11:49:58 | インポート
自転車がパンクした。後輪タイヤがえぐられている。量販店でかったのだが、そこまで運べない。そだ団地のなかにこじんまりした自転屋さんがあった。32年前高層郊外マンション購入志し新たにこの地に移ってきた頃が脳裡をよぎった。35歳だった。この団地もさらに10年前駅から徒歩10分元競馬場跡の広大な団地。はしりだった。時代先取り心の人たちで埋まっていた.今は高層へと建て替え中である。この地も今や33階建て富士山も眺望できるマンションが何棟も建ちつつある。人は前前に進むしかない。自転車屋のおじさんは70才近い。来た頃と違い白髪まじりに時を感じた。そうだ妻とサイクリングに、再生を心しながらこの地とふれあおう。

日常 雑感

2008-09-06 18:14:06 | インポート
ここ数日、梅雨のような毎日である。そんな日は、日記帖を取り出して見るのだが、暗い部分の記憶のページが目にとまる。その中で新聞の切り抜き記事、「親父の背中」シリーズ、斎藤由香さんのエッセイ 父北杜夫 作家、精神科医が躁鬱だったと軽妙に書かれていた。障害者には躁鬱は付き物なのでなにか見方を得たような気分になった。それ以来某週刊誌連載のエッセイを楽しみにしている。軽妙な人間関係の記述がたまらない。