カバ社長の日記 caba note

壁画やオブジェの制作会社ビッグアートの社長日記。「面白くなければ人生じゃない」がモットーの熱い熱いカバ社長の物語です。

自分の夢を、まわりの人に伝えよう!

2018-02-18 09:53:55 | カバ的アングル

自分の夢を言葉にする

あなたに夢はありますか?

それを、紙に書き出していますか?

言葉に出して言えますか?

まわりの誰かに話したことはありますか?

夢は心の中に秘めているだけでは、

なかなか実現できません。

最初から、すごい夢を持っている人なんていません。

夢の大小などはあまり気にする必要はありません。

まだ曖昧でハッキリ決まっていなくてもいいのです。

実現できるかどうかなど、あまり構える必要もありません。

自分の夢をまわりの人に話す

何度も何度も、紙に書いたり人に話していると

自分の腑に落ちるものと落ちないものが出てきて、

少しずつ修正され、明確になってきます。

私は、二十歳頃から夢を語ることが好きで、

身近な友人によく話していました。

大抵は現実性がなく、何度も挫折しました。

でも、人に話すことで頭の中が整理され、

行動に向かいやすくなります。

また、人に話すことで責任感とかプライドに火が付き、

モチベーションが長続きします。

自分の夢をできるだけ具体的に設定する

ただ、夢の内容に具体性がないと幻になってしまい、

行動に移りにくく、自然に消滅してしまします。

いつまでに、どの程度まで達成したいのか、

具体的な数字が入らないと意味がありません。

最初から数字に根拠などありません。

ただ、最初から達成できそうな数字では、

それは夢とはいいません。

目標が100なのか1,000なのかで、

達成する方法も覚悟も異なります。

自分が大きく成長したいとか、

今までの自分を大変革したいと望むのでしたら

簡単には達成できない高い目標でなければなりません。

もちろん最初からトントン拍子に成功するケースは少ないです。

上手くいかないときは、

  • 本当にやりたいことではなかった。
  • 目標設定に問題があった。
  • やり方に問題があった。
  • 自分の姿勢や心構えに問題があった。

など、振り返って検証し修正します。

簡単に諦めてはいけません。

自分の夢に向かっているときにワクワクしているか?

しかし、やる気が全然わいてこないのにだらだらやっても意味がありません。

その基準は、それと取り組んでいるときに、

ワクワクする気分になれるかどうかです。

取り組んでいるときにワクワクしないものは、

そもそも自分に合っていないし、結局長続きしません。

まわりの人に自分のやりたいことや目指していることを語り続けていると、

まわりの人が情報をくれたり、誰かを紹介してくれたりしてくれるようになります。

そのことで、新しい仲間ができたり、気づきがあったり、勇気づけられたりして

少しだけでも夢に近づいた感じが実感するようになります。

そこまで行ったらしめたものです。

だんだん楽しくなり、自然とそこに心も体も向くようになり

結果が出始めます。

そこから先はもう止まりません。

まわりの人から、「変わったね!」とか「目が輝いているよ」

などと言われ始め、自信もついてきます。

まずは、夢を文字や絵にして、

まわりの人に伝えることが夢の出発点です。

 

 


あなたは、なぜここにいるのですか?

2018-02-17 16:52:18 | カバ的アングル

スタバの合い言

仕事でスタバさんの現場によく行きます。

大抵はオープン直前が多く、隣ではオープニングスタッフの研修をやっています。

すると、普段あまり聞き慣れない言葉が何度も聞こえてきます。

マネージャーからスタッフの一人一人に同じ質問をされています。

「あなたは、なぜここにいるのですか?」と。

最初にその言葉を聞いた時、新鮮に私の頭に突き刺さってきました。

ドキッとしました。

そして、ピンときました。

新入社員教育でも、初対面の人同士の自己紹介でも、

この言葉だけで互いの心底の思いを確認し、各自のミッションを共有できるのです。

ミッション?

 最近よく「コミット」とか「ミッション」という

あまり聞き慣れない言葉がよく登場しますよね。

両方ともビジネス用語なので、一般の人には馴染みがない言葉です。

「コミットする」とは、「約束する」という意味です。

「ミッション」とは、「使命」とか「任務」を意味します。

いろんな事をあいまいな表現で済ましてきた日本人には、

改まった言葉、厳しい言葉にも聞こえてきます。

でも逆に、今まであいまいな言葉で見えてこなかった実体(本質)が

よく見えてきて頭の中がスッキリしたり腹に落ちやすいので、

自分の思いを明確に伝えるのには適しています。

あなたは、なぜここにいるのですか?

話しを元に戻しましょう。

職場や学校で、こう聞かれたらあなたは何と答えますか?

あなたが、ここにいる理由です。

改めて聞かれると、ドキッとしませんか?

大抵の人は、「社員(学生)だから」とか「ここにいるのが当たり前だから」とか

漠然とした答えにならない答えをしてしまいがちですよね。

この質問の意味は?

この質問は、その人の本質が問われているのです。

あなたの夢は何ですか?

あなたは、将来どうなりたいのですか?

ここには何のために来たのですか?

ここで何を成し遂げたいのですか?

そのためにどんな努力をするのですか?

この質問に明快な答えを言える人はほとんどいません。

将来の目標を明確に持って着実にそこに向かっている人。

その人は、すでに成功への道を歩いている人です。

いわゆる成功者の法則でいうところの3%の部類に入る人だと思います。

そんな高い意識をスタバではアルバイトスタッフですら持っているのです。

スタバで働く人の定着率が非常に高く、

一旦辞めた人がまた戻ってくるのも珍しくないそうです。

日本の教育に欠落していたもの

私は、別にスタバさんを賞賛するために

この記事を書いているわけではありません。

こんな風にいつも自分と向き合い、

外の人と向き合う生き方というか文化が

今の日本にはほとんど見られません。

そういう私自身、そんな教育を受けた経験はありません。

私は、今まで常に「やりたいことをやる」という生き方をしてきました。

なので、いままでの人生の中で、

「辛い」とか「苦しい」と思ったことは一度もありません。

よくいろんな人から、「いつも前向きで熱い人だ」と言われてきました。

ただ、60歳を過ぎたあたりから、

「自分の人生のゴールは一体どこなんだろう」とか

「自分が絶対に達成したい夢や目標は何だろう」

と自問自答する機会が頻繁になってきました。

必死に頑張って生きてきて、

ようやく60過ぎにして気づいたというか目覚めた感じです。

クラーク博士の「Boys, be ambitious(少年よ、大志を抱け)」という言葉を思い出します。

その言葉の本質や、その後に続く言葉を知りませんでした。

それこそが教育なんだろうと思います。

しかし、日本の教育では、私たちの人生で一番肝心なことに触れずに素通りしています。

ミッションを持とう!

今や、学歴とか資格とか知識だけを身につけても、

何の役にも立ちません。

しかし、小学校から大学まで、ほとんどそのことに終始しています。

親もまわりの大人たちも、何も言いません。

人生のミッションを持つことの大切さやミッションの見つけ方こそが

家庭教育や学校教育の「ヘソ」のはずなのに、

誰もが腫れ物に触るように触れたがりません。

その結果が、大人も子供も

夢のない、生きがいのない毎日を送り

精彩のない人が蔓延している現状に至っているのです。

ミッションとは?

ミッションとは、「自分の将来のありたい姿」です。

若いうちは、こんな高いビジョンはなかなかピンとこないかも知れません。

最初の段階は、

「あの人のようになりたい」

「こんな生き方をしたい」

「こんな人のために役に立ちたい」

で十分です。

別な言葉で言えば、

「自分が一番輝ける場所」

「人から最も感謝される生き方」

ということです。

職業とか会社とか収入は、次の問題です。

やりたいことが決まっていないのに、

流行りの職業やその時の人気企業を選んだり、

収入や待遇だけで進路を決めるのは

思考が逆さまです。

夢のない若者たちや子供たち。

悶々として浮かない顔をして生きている大人たち。

最近、うつ病的な人が身の回りに異常に増えています。

人生は一度きりです。

後悔のない人生を送るために、

自分のミッションをじっくり考えてみませんか?

 

 

 


企業経営の秘訣は、あきらめないこと

2018-01-09 18:22:45 | カバ的アングル

アートとはまったく無縁だった私が、
それまで順調だったマーケティング会社勤務を捨てて
アートの世界で独立して今年で25周年になります。

帝国データバンクのデータによると、
起業して1年位内に60%の会社が消えていくそうです。

10年後には96%が消え、20年後には0.3%しか残らないそうです。

帝国データバンクのデータに載らない個人事業まで含めると
存続率はもっと少ないことが推測できます。 

25年の重みを痛感します。

私自身、決して順風満帆で来たわけではなく、
何度も危機に直面しました。

異変は、外部からだけではなく、内部からも起きます。 

次々と、予測していない事態が発生します。

世の中が生きて動いているということは、
常に変化が起き続けるのは当然なことです。

ただ、変化のスピードは、情報化の進展で
年々早くなっています。

今まで生き残れた理由はただ一つ、
「あきらめなかった」 だけです。

成功している人に聞くと、
「成功の秘訣は、能力でも運でもない。最後まであきらめないことだ」
と迷わず返ってきます。

運は永くは続きません。

どんなに能力や実力があっても、
次々とすごい人が現れます。

ビジネスに限らず、何をやっても上手くいかない人に共通するのは、
すぐにあきらめて別のチャンスを追い続ける人です。

瞬間なら勝負に勝ったり、とんとん拍子に上手くいったりすることはあります。

でも、なかなかそんな上手い状態が10年以上も続くことはありません。

「そんな奇跡を追い求めるより、
転んだら 何かに気づき 何かを見つけて 這い上がり、
自分を成長させ、昨日より少しでも強く成長していくこと」
1000年も2000年も前の先人たちが残してくれた教訓を
忘れて目の前の現象に振り回されている現代人が多いということでしょう。
 


 


「好き」を仕事にする

2015-04-18 12:14:54 | カバ的アングル

誰もが「好き」を仕事にしたい

毎年、壁画や造型の仕事を求めて多くの学生がやってきます。

アート系の学生たちは「好きなことを仕事にしたい」という課題をもった人が多いです。

学校では、「好きで絵を描くのと、仕事として絵を描くのは全く違うものだ。

好きだけでは仕事は続かない」と先生に言われているようです。

 

最初から「好き」はわからない

私も若いときまわりの大人たちから良く聞かされました。

大学選びを始める高2の頃から、27歳頃まで進路のことでいつも悶々としていました。

  • 好きなことをやるか。
  • 得意なことをやるか。
  • 将来有望で高収入が見込める仕事をやるか。

私の場合は「好きなこと」以外は、いくらやろうとしても

モチベーションが上がらずに長続きしないですぐ挫折。

学生時代からいろんなアルバイトをやって

自分に何が向いているのか必死にもがいていました。

その職種は35、6種にも及びます。

結局、アルバイトではさわり程度の体験しかできないので、

その仕事の真の魅力というか真骨頂まで届きません。

職種がいくら異なっていても、あまり違いが感じられないのです。

物理、化学、英語が得意で大学は工学部(航空宇宙学科)に進みましたが、

仕事となると気持ちが積極的に向いていかない。

「自分の好きなこと、夢中になれることは何だろう?」

「自然に自分の心が向かうことは何だろう?」

と何年間も自分に問いかけ続けた結果

「映画、演劇の演出」の分野でした。

映画の学校に通ったり、劇団に入ったり、舞台美術のアルバイトをしたり・・・。

その頃は、すでに親から勘当されていましたので、貧困状態がつづき、

住み込みで働いたり、転々と居候生活を続けていました。

結局、食っていける目処がつかず挫折。

住み込みで、小売業の世界に転がり込んだのです。

よりによって、自分が一番苦手意識を持っていたいわば大嫌いな仕事を選んだのです。

住み込みで食事付き、給料がそこそこ、というだけの簡単な理由です。

我慢して働いて少し貯金ができたら、辞めてまた考えようと思いました。

ところが、嫌で苦手だと思っていた仕事が、1年も経たずに一変したのです。

素人ながら、好奇心で商品の陳列やPOP などを工夫していたら、

今まで売れなかった商品が急に売れ始めたり売上が驚くほど上がったりして、

店長に抜擢され、その後私流の売り方を部下に指導して数多くの店長を輩出・・・・。

あれよあれよという間に、出世コースのど真ん中を歩いていました。

私の経歴はドラマのように奇想天外で、

話し始めると長くなるのでここで止めて、話を元に戻します。

 

 人の数だけ職業がある?

私は20年ほど前に、今の会社を起業しました。

航空工学 → 映画 → 小売業 → ビジュアルマーチャンダイジング → アート制作

一見脈絡のない私の経歴ですが、私の中では必要不可欠で密接につながっています。

どんな基準で進路を選択したのかと言うと、「嗅覚」以外の何者でもありません。

 

当初は「壁画制作業」でしたが、あえて「環境アート」と私は呼んでいました。

私はいつも本質をはっきりさせるために、このように「自分の腑に落ちる言葉」で自分の仕事を定義します。

まだこの段階では、これが天職だとは気づいていませんでした。

壁画をデザインする時に、いつも「今回の壁画は何のために描くのか?」と自問自答し、

「集客のため」「動線誘導のため」「業種表現のため」「患者の癒やしのため」「地域の名所づくりのため」など

ゴールを設定して、そのために「どんな要素が必要か」「どんな仕掛けが必要か、」を考えるのが癖でした。

それが、壁画業の中で独自の道を歩き始めるキッカケになったようです。

 

この仕事を始めて約20年、私は正に「一番好きな仕事」にたどり着きました。

既存の業種カテゴリーには当てはまらない独自の仕事です。

しかも、

  • アートを使って世の中で困っている人を助けたい。
  • アートを志す若い人たちに新たな活躍の分野を切り開いていきたい。

という大きな夢と使命を持っています。

 

「好き」を極めたら、世界で一人しかいない職業にたどり着く

よく考えてみたら、40年前にめざしていた「映画、演劇、音楽の演出」に限りなく近くて、しかもオリジナルの仕事です。

外から見たら「アート制作業」に見えますが、「空間演出デザイン業」です。

ある時は、人を楽しませるエンターテインメント空間づくりであったり、

ある時は、建物や空間または街並み景観のネガティブイメージを解決することであり、

またある時は、お店の集客のための外装や看板であったり、

私の中では、過去の独自経験がすべて融合した私のすべてのスキルが活かされる仕事です。

今後は大好きな「映画」や「演劇」「音楽」の要素も、

空間演出デザインのツールとして取り入れていきたいと思います。

多分、今私がやろうとしている仕事は、世界で私だけなのだと思います。

その意味では、自分の「好き」や「好奇心」「疑問」などを追求していくと、

その人しかたどりらない生い立ちや経歴を通して

世界でたった一人の仕事(職業)に到達するのだと思います。

 

「好き」は無限のエネルギーの源

最初から「自分の好きな仕事が何なのか」がわかっていた訳ではありません。

ましてや、今の仕事を昔から知っていてめざしてきた訳ではありません。

目の前にある仕事や状況から逃げずに

ただひたすら夢中に取り組んでいたらたどり着いただけです。

「自分が何が好きか」と考えるのを止めました

本当に好きであれば自然にそこに向かっていくだろうと

自分の気持ちに素直に忠実に従いました。

まわりの意見はあまり関係ありませんでした。

それは今でも同じです。

自分の内から沸き上がる疑問や好奇心や情熱に

素直に向き合うこと。

後で後悔しないように、できる範囲で納得するまで取り組むこと。

それを、「自分の能力では無理だ」とか「状況が許さない」とか

いろんな理由を付けて自分のやる気の芽を摘み取ってしまわないことです。

「好きなこと」を思い続けたりやり続けることは一番簡単なことです。

あまり努力しなくても、自然に心も体もそちらを向きますし、

10時間でも20時間でも寝食を忘れて打ち込めるからです。

 

まわりのネガティブシャワーに気をつけろ!

ところが、多くの人にとってそうではないようです。

それは、まわりのネガティブな意見に影響されてしまうからです。

「アートなんて食っていけないよ」

「アートの仕事は不安定で、将来性もないぞ」

自己中心的な思い込みを押しつけて子供の夢を諦めさせる親が、最近目に余ります。

人は、自分の経験から来る思い込みで意見や助言をします。

それが相手の気持ちをどれだけスポイルするかなんてお構いなしです。

でも選択するのは自分、選択に責任をとるのも自分です。

自分の人生には誰も責任を取ってはくれません。

確かに最近はアートで稼ぐのが難しい状況です。

私に言わせれば「だからどうした」です。

どんな職業も、程度の差こそあれ、いい時もあればどん底の時もあります。

古今東西、この世は常にシーソーゲームのようなものです。

ある地域(国)、ある産業が永遠にいい状態が続くことはないのです。

順位はいつも入れ替わっていますし、最上位と最下位が逆転することもあります。

いい時、いい場所だけを狙って職を転々とするのは一番空しいと思います。

どこに住もうとどんな仕事をしようと、いい時もあり悪い時もある。

悪い時は、逃げるのではなく、じっくりと正面から取り組んで行けばいいだけのことです。

それが好きなことであれば、苦になるどころか

闘志が出てきてむしろワクワクします。

他人から言われて諦めるのは、所詮「好き」ではなかったということだと思います。

 

自分の今の姿を見つめてみよう!

若い人たちに「好き」を仕事にすることを理解してもらうために、

こんな図を作ってみました。

  • 「好き」で「できる」こと = 趣味  →問題:社会のニーズがない。
  • 「社会に求められていて」「できる」こと = 労働  →問題:好きではない。お金のため。
  • 「好き」で「社会に求められている」こと =   →問題:自分にできない(スキルがない)。

「 自分が今どこにいるのか?」

「自分のめざす方向はどこか?」

「そのために何が足りないのか?」

を確認するリトマス試験紙のようなものです。

 

「好き」×「できる」×「社会が求めている」の3つが重なるゾーンが

  • 自分が生き生きとして取り組め
  • 自分の能力をフルに活かされ
  • 社会から感謝される(=報酬をいただける)

「好き」を仕事として続けられる条件です。

そこにたどり着けない人は、「労働」しかありません。

 

働くのが楽しくて、

自分のパフォーマンスが最高になって、

達成感や充実感があり心が豊かになれるスイートスポット=めざすゴールです。

 

好きに理由は要らない

ここで大切なことをひとつお伝えしたいと思います。

それは、「好き」に理由は必要ないということです。

と言うより、理由のある「好き」は本物ではないし、

長続きしないと言うことです。

つまり「好き」な理由が壊れた時に、砕け散ってしますのです。

絵が好きだから美大に行ったという人。

大抵は、まわりから「絵が上手いね」とか「絵の才能がある」と言われて

その気になった人が多いと思います。

ところが美大に入ってみると、

自分よりもっとすごい人が全国から集まっている。

自分がその中では特別突出して絵が上手いわけではないことに気づきます。

すると、急に自信をなくし、絵に対して好きという感情が薄れてきます。

こんな若者を嫌と言うほど見てきました。

もしかしたら、美大に入らずに

まわりからほめられる環境で絵を続けていたら成功していたかも知れません。

元々「好き」には理由も根拠も要らないし、単なる思い込みでもいいのです。

要は持続するかどうかだけなのです。

私のまわりには、美大にも専門学校にも行っていないのに

アーチストとして活躍している人が沢山います。

自分に生き方にいちいち理由を求めたり、

他人の了解を求めるのはナンセンスだと思います。


自分の節目。世界の節目。

2015-04-11 16:51:40 | カバ的アングル

久しくブログをお休みしました。

とはいっても、全く書かなかったわけではなく、

書きかけのままになっているページが沢山あります。

折を見て過去の書きかけの記事も少しずつアップしていきます。

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この一年間は過去20年間の総棚卸しであり、

これから20年先に向けて決意を固める年でした。

ビッグアートを初めて20年余が経過し、

私も還暦を過ぎ今年で65歳を迎える

びみょ~な年でもあります。

後戻りもできない、やり直しもできない・・・・・

全ての迷いを捨て、

自分を信じて夢に向かって生き抜く

覚悟の年です。

この1年間は、まるで子供のように素直にかつ夢中で

生きてきました。

 

去年の今頃は、週に2~3日は看板のチラシを持って

埼玉県東部地区の商店を一軒一軒訪ねて、

ポスティングならぬ手渡しチラシをやっていました。

以前、元・菅首相がお遍路さんをやったように巡礼のようなものです。

毎日5万歩以上歩き、いろんな町のいろんな業種のお店に飛び込み、

あいさつをしてチラシを店主に手渡す。

それだけを無心にやり続けました。

「自分のビジネスの原点に戻ろう」ということと

「世の中の現状が自分の普段感じているそれとギャップが生じていないか」

を自分の目と全身で確認したかったのです。

自分の感性や直感が

もし鈍ってきていたら

現役生命はもう終わりに近づいていることを意味します。

今のビジネスを続ける以上、

時代を感じる感性、未来を感じる感性を磨き続けなければなりません。

 

いつも見慣れた自分の住んでいる町も

歩いて一軒一軒廻って、店主の顔や店内をじっくりと見回すと

時代の流れを実感します。

まず、商店街の業種構成がすっかり変わってしましました。

かつて元気だった物販店はほとんど姿を消し、

クリーニング店、接骨院、歯科医院、美容室、介護サービス、葬儀場ばかりが異常に目につきます。

飲食店や居酒屋も、チェーン店を除いて元気がありません。

大半のお店が60代から70代の高齢店主で、

お店も商品もくたびれています。

もちろん、日々実感していたことではありますが、

政府やマスコミの言う「景気が回復基調にある」とは真逆の姿を見せつけられます。

回り回って自分のビジネスに大きな影響が出ていることは、とても腑に落ちます。

今更焦っても仕方ありません。

この現実は、何もこの地域に限ったことではなく、

日本が世界の高齢化先進国としてこれから始まろうとしている全国的な初期症状にすぎません。

といって、あきらめて傍観するわけにもいきません。

65歳というと、年金受給開始の年でもあり、

逃げ切ったと思っている人もいるかも知れませんが、

今の国情からして逃げ切れるわけがありませんし、

この「負」の状態を次世代の人たちに押しつけるのは

団塊の世代の生き方として下の下です。

 

私は、40歳の頃から会う人会う人に口癖のように

「100歳まで現役で仕事をしたい」

「死ぬまで誰かの役に立つ人間でいたい」

と言い続けてきました。

 

私の中では、60代~80代の30年間が、

人生の中で一番熟して自分のパフォーマンスが最も高まる期間だと信じています。

つまり、「この30年間が自分の人生のクライマックス」と自分では位置づけています。

 

こうして自分が60代初めに突入し、

世界中が新しい時代に突入しようとしている現在。

過去の自分に決別し、真っ白な気持ちで、

無心になって次の時代に飛び込もうと心を整えている最中です。

この1年いや特にこの半年は毎日ワクワクして生きています。


他人事の現代社会

2014-02-09 14:21:45 | カバ的アングル

人と同じ考え、人と同じ行動、人と同じ選択が蔓延する現代。

日本中、パターン化が進んでいるような気がします。

電車に乗れば、ほとんどの人が携帯かスマホにとりつかれているし、

同じ情報で同じように考え、同じように行動している感じです。

買い物行動も同様。

いろんなエリア、いろんな店に分散しないで

同じところに一極集中しています。

一人一人が自分自身で「考える」ことを放棄しているように見えます。

とりあえず、他の人たちはどうしているのだろうとまわりを見て

マジョリティに乗っかり、身をまかせる。

群集心理というのでしょうか。

恐ろしいです。

しかも、それらの行動には一貫性はなく

その時その時の衝動というか成り行きのように見えます。

東北大震災、原発事故、高齢化社会、年金不安、消費税増税への懸念・・・・等々。

はしかのように流行っては消えていく。

うわべだけの議論をしては、

どうせ考えても仕方ないというのか

すぐに忘れてしまう。

大抵はマスコミによってつくられたブームにすぎません。

今まで、いろんな社会的な問題が何とかなって来たから

また今度も何とかなるだろうと高をくくっているとしか見えません。

日本経済の低迷、転落はハドメが効かない勢いで進行していることを身近で実感します。

しかし、誰もそのことにはあまり触れようとしません。

気が重くなるからか、場が白けるからでしょうか。

マスコミの「日本経済が回復」という言葉に安堵を覚え、

またぬるま湯に戻っていく。

私は、今日本が直面している多くの問題より

こうした日本の「政治任せ」「人任せ」の無気力体質が一番問題だと思います。

経済が破綻しても、年金が破綻しても、

国民全員が危機感を感じ、一致団結して真剣に問題と取り組めば

解決できない問題ではないと思います。

 

会社も同じで、売上が激減したり、窮地に立たされたりというのはその時その時の現象に過ぎません。

現象に一喜一憂しても仕方ありません。

問題は、売上低下の原因や理由を解明して解決策を講じることができるかです。

売上が落ちたことそもものが一大事ではありません。

鉄棒の選手が、鉄棒から落ちたというのと同じ。

また、気を取り直して挑戦すればいいだけです。

それは、いつの時代でも繰り返されること。

その原因や理由に気づき、解決の方向を見出す。

そして、そこに向かって行動する覚悟と勇気があるのか、ないのか。

トップと社員の意識、そして行動力がカギとなります。

 

キーワードは、

「他人事」から「自分事」への意識の転換だと思います。


「ラジオ体操」のもうひとつの楽しみ方

2013-04-21 19:14:25 | カバ的アングル

先日、花見の時、英語や中国語、韓国語、イタリア語、スペイン語などいろんな言葉のラジオ体操をネットで発見しました。
そして、皆でやって大受けしました。

中でも、津軽弁や大阪弁など日本の方言シリーズがあってユカイでした。
私のお気に入りは、奄美三線で奏でる奄美弁のラジオ体操です。
のどかで温かくてとても癒やされます。

皆さんもぜひ聞いてみてください。
そして、それに合わせて体を動かしてみてください。
一人でも受けること間違いなしですヨ。

 

幸手宿まちづくりフォーラム

2013-02-25 07:13:41 | カバ的アングル
2月24日(日)、「幸手宿まちづくりフォーラム」(幸手市北公民館)に行ってきました。
ちょうど私も旧・日光街道沿いの幸手宿の景観づくりの一環でシャッターアートを制作中だったので、グッドタイミングです。
幸手宿は、近代化の進んでしまった粕壁宿とは異なり、趣きのある木造の古民家や懐かしい風景が数多く残っており、宿場町をテーマにしたまちづくりには条件が揃っています。
しかも、御成街道との合流地点でもあるので、著名な歴史上の人物との関わりも多く、物語がたくさん眠っていてワクワクするまちです。
さて、地元でどんな取り組みをしてるのか、どんな意識で活動しているのか楽しみにして会場に向かいました。



パネルディスカッションの感想は、はっきり言ってちょっと期待外れでした。
こんなにいい資源、お宝がたくさん眠っているのに、地元の方が目を外にばかりとらわれて、足下を見ていない、「ああ、もったいない」というのが実感。

しかし、それはいずこも同じなのです。
春日部でも、2年前に「粕壁宿」といっても誰も乗ってこない状態でした。
Googleで「粕壁宿」と検索しても、「粕壁宿」についての情報はほとんどありませんでした。
肝心要の粕壁地区に古くから住んでいる人さえも、かつて宿場町だったことを自慢する人はなく、近代化に取り残された地区という卑下意識が強く、景観再生を呼びかけても冷ややかでした。
地元の人々に自分のまちの素晴らしさに気づいてもらうには、言葉ではなく実践して事例で説得するしかありません。
シャッターアートが5件を過ぎる頃から、まちの人々の意識が少しずつ変わってきました。

よそ者から見た視点がないと、なかなか住み慣れた自分のまちの良さには気づかないもの。
近視眼になって、自分のまちを他のまちと客観的に比較する視点に欠けているだけです。
自分のまちにないものばかりねだるのではなく、他のまちになくて自分のまちにしかないものを見つけて自慢すること。
どうも日本人が不得意な部分のようです。

パネルディスカッションでも2部の交流会でも、歯がゆい感じが否めませんでした。
しかし、逆に考えれば、伸びしろががスゴイということ。
「まちづくりとは何かを新しくつくることではなく、そこに住む人の意識が変わること」だと思います。
その意味では、まちづくりの活動の原点とは「気づき」と「共有」づくりに尽きるのかも知れません。

外から見た幸手宿の魅力を伝え続けることで、私にも少しはお役に立てそうです。
歯がゆい気持ちが、ちょっとワクワク気分になってきました。

MHKラジオ体操の効果と副産物

2012-12-09 10:14:41 | カバ的アングル
新入社員の中島君と私の二人から始めた朝のラジオ体操。
春日部駅東口から徒歩5分の古利根公園橋で毎朝やっています。
まもなく、スタートして2ヶ月が経過します。
雨天で一日だけ中止になりましたが、それ以外は皆勤賞です。
参加人数も、17~20人と賑やかになってきました。
そのうち、女性も毎回3~5人参加するようになり、雰囲気も和やかになってきました。
土曜日は、体操の後に私たち二人で公園橋の清掃活動をやっていますが、2名ほど自主参加してくれる人もでてきました。

ラジオ体操を始めた当初のきっかけ(目的)は、
・街中に人出をつくること。
・春日部市の主要スポットを市民が活用するように誘導すること。
・新入社員に、「やればできる」という体験を通して自信をつけてもらうこと。
でした。

それらの成果は、最低一年位は経過しないと出てこないと最初から覚悟しています。
でも、スタートしてすぐに効果のでてきたものもあります。

ひとつは、新卒社員の中島君です。
張りがあるというか、目が輝いて生き生きとしてきました。
入社後3ヶ月位からスランプに陥り、顔色も悪くなって心配したのですが、正にラジオ体操マジックです。
些細なことでも毎日実行することで、自信がついてくる。
毎日待ってくれる人や感謝してくれる人がいることで、励みになってもっとがんばるようになる。
しかも、夜型から朝型の生活パターンになることで、元気で前向き志向に変わる。
彼が、1年間このラジオ体操を続けられれば、彼はたくましく確実に成長します。
技術やスキルはそれからです。
私は、そんな彼を見届けるべく毎日ラジオ体操を続けることにしました。

もうひとつの成果は、私自身です。
以前は、8時過ぎの出社だった私が、毎日6時半のラジオ体操に出ることで、6時45分には仕事を開始するようになり、前向きで仕事がすごくはかどるようになったこと。
従来の1日分の仕事はほぼ午前中に終わり、午後はまた別なことに取り組めます。
夕方、3~4時間残業しても朝1時間早く仕事を始めることには及びません。
朝1時間早く仕事をスタートするだけで、心のゆとりが持てるようになったのは大きいです。

もうひとつは、ラジオ体操の参加者たちの間に絆が生まれ始めたことです。
主催者の私たちより早くから会場にきて、自己紹介をしあったり、参加者を増やすために「声かけ運動」をよびかけたり、・・・・。
こちらからは皆さんには何一つノルマをかけたりお願いをしたりしていないのにです。
今まで様々な地域活動をしてきましたが、いつも私が先頭を走ってリードしていました。
しかし、そのやり方は皆の依頼心が高まるばかりで、自主性が生まれてこない。
つまり、根付かないし、私が辞めた時点ですべては元に戻ってしまうことに気づいたのです。
だから、ラジオ体操は最初は私たちが口火を切りましたが、毎日ラジオを持って会場に行く以外は、何一つ彼らには呼びかけないようにしました。
ただ、体操が終わった後三々五々に井戸端会議をするのには積極的に参加しています。

全体のまとめ役。
長老(86歳)。
一日もかかさずに参加する人。
予備のラジオを持参して万一に備える人。
などなど、いつの間にか役割分担もでき上がり、私たちは側面から協力するだけでいい状態が少しずつ築き揚げられている感じがします。
まちづくりとかコミュニティづくりは、そこに住む人々の意識が変わることそのものだと思います。

最近は皆さんから、感謝の言葉をよくいただきます。
「毎日ラジオ体操が楽しみです。止めないで続けてください」
「3日も休んだら体が硬くなったよ。毎日参加しないとダメだね」
「ラジオ体操を始めてから、体が柔らかくなったよ。ほら、こんなに曲がるようになった」
「兄ちゃん(中島君のこと)の顔を見るのが毎日楽しみだ」

人の頑張りや成長のきっかけや原動力に「なるのはは、たいがいそんな喜びの声です。
入社して目標が見つからないで辞めていく人は、そんなきっかけに出会えなかった人とも言えます。

どうも、人は自分のためにはがんばれないようです。
例え一時的にがんばれても長続きはしないものです。
人が喜ぶからがんばれる。
そして、それがいつまでも続けられる。
「仕事のやりがい」とか「人と人が助け合う社会づくり」とか「夢の持てる生き方」といった、近年人々が忘れかけて悶々と苦しんでいる問題を解決する糸口はどうもこの辺にありそうです。

そんな変化が生まれるのを楽しみにして、明日からもラジオ体操は続けていきます。





マルチデザイナー求む!

2012-12-01 08:22:45 | カバ的アングル
ビッグアートはアート会社というより、アートをデザインする会社です。
アートの制作が主体のようですが、その本質はデザイン会社です。
言い換えれば、アートは目的ではなく手段なのです。
建物の表情や空間の雰囲気をアートという手法を使って、改善したり創造するのがビッグアートの本業です。
結果、それが壁画になったり、壁にを色やテクスチャーで装飾することになったり、オブジェを設置することになったり、アート的な看板をつけることになったり、・・・と、その物件の特性や目的や予算などに応じて自由自在に様々な素材や手法を組み合わせていきます。

一般の会社では、扱っている材料とか手法が決まっていて、定型的な仕事を繰り返すのが通常です。
ビッグアートの場合は、建物とか空間が対象ということと、アートという手法で問題を解決したり、めざすイメージや雰囲気を実現するよいうことだけが決まっているだけで、それ以外は毎回ゼロから考えます。
例えば、看板屋さんなら、看板の材料としてアクリルやステンレスや塩ビフィルムなど最初から決まった材料があり、カッティング文字やインクジェット出力という決まった手法がある。
看板を頼まれたら、限られた材料と手法を目的に合わせてチョイスするだけです。

ビッグアートの場合は、看板を頼まれても、看板材料を使うとか看板屋さんの手法を使うことはまず考えません。
お客様の特性や個性、環境特性などを最大限に生かすことを検討してから、何をやるか、何を使うかを決めていきます。
喫茶店の看板を頼まれたとして、コーヒー豆とかズタ袋とか木樽など本来の看板材料ではないものを使うことがよくあります。
建物が個性的であれば、ペインティング(装飾塗装)やライティング(照明演出)だけで看板効果を出す場合もあります。
大きな木を植えてシンボルツリーを看板にすることもあります。
店の前を通ると、面白い音が聞こえてくるという音の看板だって考えられるでしょう。
とにかく、お客様の事情や個性を汲み取って、奇想天外な発想で効果的かつオンリーワンの看板を提案します。
経営効率は著しく悪いのですが、オンリーワンの提案、オンリーワンのものづくりをすることが、お客様が最も喜んでいただけることですし、作り手にとっても最高の喜びだからです。
片方では、他社が真似しようがない仕事をすることで、不毛な同質競争や価格競争に陥ることなくマイペースで経営できます。

話しを元に戻します。
ビッグアートは、目的にさえ合っていれば、自由な発想でアートをデザインし制作することをポリシーにしています。
しかし、残念ながら求人で応募してくる人たちは限られた手法にしか興味がないとか、絵を描きたいだけでデザインはしたくないという単能的な人ばかりです。
5~6年前までならそれでもよかったのですが、経営環境がすっかり変わりました。
以前、「雇用のミスマッチ」について語りましたが、正にビッグアートの悩みそのものなのです。
会社が求める人材像と求職者の間に大きなギャップを感じます。

以前、このブログ「絵を描く仕事ならあります」で書いたように、アートに対する潜在需要は確実に高まっているのを実感します。
しかし、顕在需要は大不況とともに急激に落ちているのが現状です。
つまり、潜在需要はあっても、企業側がそれを掘り起こすことができていない状態が続いているということです。
これは、アートの分野に限ったことではありません。
あらゆる産業に言えることです。
従来型の顕在需要にばかり目を向け、仕事の取り合いばかりしているから、価格競争が激しくなり、生き残ることが難しい。
潜在需要を掘り起こすということは、仕事を取り合うのではなく、「提案すること」「新しい種を蒔いて育てていくこと」です。

絵を描く仕事は、実は水面下に無限に眠っています。
それを掘り起こすのは、新しいアイデアとデザインが必要です。

ビッグアートの基本コンセプトは、「エンターテインメント」です。
「人をワクワクさせること」です。
出来上がった作品だけを見ると、ビッグアートは単なるアート制作会社です。
だから、求める人材は美大や美術専門学校卒で、その中でも絵画や彫刻が最も近いように思えます。
ところが、実際は全く違います。
確かに、技術面だけであれば近いように見えますが、それ以前に「人をワクワクさせること」を常に考えられる人、そこに情熱を傾けられる人でなければなりません。
そして、それを具体的なプランやデザインに落とし込む作業が最も大変な仕事なのです。
その作業が、全体の70~80%を占めます。
絵を描く作業は、残りの20~30%に過ぎません。
絵を描くことしか興味のない人は、入社してもほとんど出番がないことになります。

簡単に言うと、「絵の描ける人」ではなく、「絵も描けるデザイナー」もしくは「デザイナーであり演出家」がビッグアートの求める人なのです。
もちろん、グラフィックデザインが一番中心になりますが、「アパレルグラフィック」「ファッションデザイン」「染色デザイン」「造型デザイン」「アクセサリーデザイン」「プロダクトデザイン」「サインデザイン」「ディスプレイデザイン」「舞台美術デザイン」「インテリアデザイン」「照明演出デザイン」「ガーデンデザイン」「カラーコーディネート」・・・・等々、ビッグアートの仕事は多岐にわたり、ボーダーレス・デザインといった方がいいと思います。
つまり、デザインの中でもジャンルを超えて興味を持つ人が求められます。
ジャンルに全くこだわらずにクリエイティブ力を発揮する「マルチデザイナー」こそがビッグアートで最も活躍できる人なのです。
表現の幅の広い人。
引き出しをたくさん持っている人。
創作のためには一切の枠を外せる人。
近年の教育システムでは、単能な人材の大量生産に偏っているので、そんな人材を探すのは至難の業です。
ですから、従来のように新卒や若手だけにこだわった採用では限界を感じます。

年齢の幅を広げること。
主婦や地方在住の人などの在宅雇用も視野に入れなければいけなくなったようです。

とはいえ、最初からマルチデザイナーとして仕事のできる人を探すのは困難です。
その意味では、最低限マルチデザイナーとしての資質や志向の強い人であれば十分です。
環境とチャンスがあれば必ず育ちます。
問題は「好奇心」と「やる気」と「行動力」「忍耐力」です。
絵を描く技術やものづくりの技術は最初は全くなくても、毎日仕事でやっていれば否が応でも身についてきます。
逆に、入社時にある程度の技術を持っていても、好奇心」「やる気」「行動力」「忍耐力」の低い人は一年もしないうちに抜かれていきます。
その意味では、技術面だけではなく、人間力や態度力を重視した採用基準に移行していく必要があります。

従来のような狭い範囲での求人活動から、すべての枠やハードルを超えて求める人材を探していく。
どんな人との出会いが待っているのか。
その出会いから何が生まれてくるのか。
未知へ向かって始動することは、心躍ります。

何をやるかではなく、何をやらないか。

2012-11-12 07:36:15 | カバ的アングル
会社は、売れなくなるといろんなことに手を出したがります。
多角化経営、取り扱い商品の拡大・・・・。
どんどん尾ひれがついて、訳のわからない会社になって、客が去って行きます。

求職活動している人もそうです。
いろんな資格を取ったり、大学だけでは不安で大学院まで行ったり、30社50社と「数打てば当たる式」に無差別に入社試験を受ける人・・・・。

結局は総花的になり、特長や個性が埋もれて見えなくなる。
間口が広くなると、至る所にライバルが出現して、全方位で戦わなければならなくなります。

ビッグアートも、小さくて少人数の会社にも関わらず、いろんな仕事に手を出しつかみ所のない会社、わかりにくい会社になっているのを感じます。
20年間の垢(あか)ですね。
アトリエの中を見れば一目瞭然です。
今の仕事に要るものは多分20%位でしょう。

やりたいことをやるには、それ以外のことをすべて捨て去ること。
やりたいことだけに、すべてを結集し、特化していく。

やりたいことが見つからない人は、いろんなことに手を出す。
やりたいことが見つかった人は、他を捨てて、潔くひとつのことに集中していく。

ただ、最初からやりたいことがわかる人はいません。
広げてみたから、気づいたのです。
その意味では、この20年やその間に手を広げてきたことは、次のステップにいくための不可欠なプロセスだったのです。

限られた人生の中でどうしても実現したいことができたら、多くのことを諦めなければなりません。
というか、捨てた分だけ前進していくのだと思います。
以前の私は、何かを手に入れることが愉しみでしたが、今は逆です。
何かを捨てる。
やらないと決める。
そんな時、なぜかワクワクしてきます。
それは、多分やりたいことに向かうエネルギーを妨げていた重りがどんどん軽くなっていくからなのでしょう。



雇用のミスマッチ時代

2012-11-10 07:22:13 | カバ的アングル
大量失業時代と言われて久しいですが、その傾向は一向に止まらないようです。
特に失業率が高いのが、15~24歳の若年層です。

不況による企業側の雇用意欲の低下や人員削減。
若年層の将来への失望感、就業意識の低下。
などがよく言われます。

しかしながら、求人需要と就職需要を比較すると、求人需要が多い筈です。
つまり、仕事を選ばなければ就職できるが、選ぼうとすると職にありつけないということです。
戦後の貧しい時代であれば、贅沢な悩みということになります。

要は、雇用する側と働き手の間に意識の大きなギャップが生じているということでしょう。
そこに雇用のミスマッチが生じているようです。
経営者は、経営環境の急激な変化の中で生き残るために迅速に対応していかなければなりません。
そのためには、社員の意識改革と行動の変化が急務です。
現代は、人材教育こそが企業存亡のカギと言われます。
従来の考え方ややり方では企業経営が成り立たなくなっています。
ということは、経営者の意識変革、社員の意識変革が企業存続のカギということになります。

経営者の意識が変わらない企業は、衰退したり、社員が辞めていきます。
逆に、経営素の意識が変わっても社員の意識が変わらないと生産性が落ち込み、競争に負けて淘汰されていきます。

時代の変化に対応して変わろうとする企業は、求める人材像が変わってきます。
社内改革、社員の意識改革(=社員教育)と積極的に取り組むようになります。
既存の仕事やそのやり方に甘んじている社員、特に古参社員ほどは大きな抵抗をします。
しかし、全社的な意識改革という大事業を成し遂げなければ、企業の存続はありません。
ここで変わりきらなければ、倒産しかありません。
その結果、ついてこれない人は去って行くか解雇ということになります。

かたや、時代の変化に対応しようとしない経営者もいます。
そういう企業は、優秀な社員ほど不満や危機感を抱き、自ら会社を去って行きます。
せっかく、好きな仕事と思って入社した新入社員も、やりたいことをやらせてくれないと気づき去って行きます。
取り残されたのは経営者だけということになります。

先進的で積極経営をする会社にとっては「いい人材がいない」、能力も意識も高い人にとっては「入りたい会社がない」という状態が今の姿なのでしょう。
先行きの見えにくい中で、右往左往したり、迷って決断できない経営者と職を求める人たち。
実は、この層に企業も人も集中している、ということだと思います。

いずれにしても、働く側だけではなく経営者も、生き残りを賭けて意識改革をしていかなければならない時代だということです。

最終的には時間が解決していくのでしょうが、その時が来るのをただじっと待っているわけにはいきません。
考えて考えて考え抜く。
シナリオを書くように、何通りも将来予測をしてみる。

今起こっている社会変化、その原因や背景。
その中で、企業がどう変わって行かなければならないのか。
どこに成長の方向や出口を求めるのか。

働く人も企業側に求めるだけではなく、「社会や企業は自分に何を求めているのか」「自分に何ができるのか」を考えなければなりません。
ただ高学歴の優位性だけで大学や専門学校に進学したり、様々な資格を取ったりしても全く無意味です。
目的や目標がないのに手段だけを考えても出口は見つかりません。
知識や技術はその気になれば、何歳からでも身につけることはできます。
そんなことより、「自分がどう生きたいのか」「どうなりたいのか」を考えることが大切だと思います。

会社も同様です。
「この会社は何をめざすのか」「どんな会社になりたいのか」。

「企業は利益を求め続けることが使命だ」と言われますが、極大利益を求めるだけが存在意義ではありません。
企業のあり方や価値観もこれからは多様であるべきです。

私自身、2000年あたりから10年以上もず~っと自問自答してあがいてきました。
たくさんの試行錯誤、失敗を重ね、ようやくこの1年、進むべき道が見え始めてきました。
人は、決意と覚悟をしたときにものすごい能力を発揮するものです。
そして、その人の周りで次々と奇跡が起き始めます。

この仕事を始めて20年。
これだけの長い年月や経験、思考を重ねなければ、こんな気づきにたどり着けなかったと思います。
それは、どんな時でもあきらめなかったことだけです。
両親や祖父母の教育、多くの師匠や先輩の指導に恵まれたことに心から感謝します。

1%の可能性さえあればやる価値はある

2012-03-24 18:08:08 | カバ的アングル
以前にも書きましたが、「石橋を叩いて渡る人」「石橋を叩いても渡らない人」「石橋を叩き壊してしまう人」の話。

最近、若い人に限らず日本中がリスクを恐れてチャレンジをしない風潮が蔓延しています。
以前から、高学歴の人、大手企業の社員や公務員の人にはよく見られました。
チャレンジして失敗すると、何かを失うという保身や恐怖感からでしょう。
ところがこの数年、全国的にローリスクどころかノーリスクを求める傾向が一気に高まってきた感じがします。
不況、リストラ、年金問題、大震災という暗くて不安になる出来事が続いているせいでしょう。
60%、70%の確率があってもチャレンジしない人がいます。
それでは、ますます国力も経済も低迷するばかり。
このままでは、国民全員が引きこもりやうつ病になってしまいます。

商売をみてもそうです。
成功したビジネスを後追いする人ばかり。
皆が同じことを始めようとして共倒れになる。
パイが縮んでいるのに、次々と同じ市場に参入してくる。
大きな市場ほど激戦状態で、今や業界で3位以内に入らなければ生き残れないとまでいわれる。
結果、自分以外のすべてに打ち勝たなければ、生き残れない。
考えただけでも、厳しいですね。
60%、70%の確率のつもりが、千分の一の確率もないことになります。

就職活動も同じ。
大企業や公務員をめざす人が急増しているとか。

国やまちを元気にしようという人が減り、自分だけ安全な所に避難しようとする身勝手な考えが横行しています。
その空気が、悲観的な思考パターンを次々と伝染させていく。
これはもう重度の病気です。

私はいつも逆な生き方をしてきました。
リスクは高い方がいい。
前例はない方がいい。
誰もやりたがらない、気がついていない所にチャンスはあると思います。

成功の確率が高いということは、もともとチャレンジではありません。
たとえ成功しても、何の喜びもありません。
しかも、ライバルだらけ、敵だらけです。
成功しても喜びもつかの間、次々と敵が襲ってきます。

前例のないこと、誰もやっていないことこそ、自分がやる意味がある。
リスクが高ければ高いほど、誰もやろうとしないから、ライバルもいない。
それだけ、一心不乱に打ち込める。
成功するかしないかは、すべて自分次第。
ライバルも敵も外にはいません。
敵がいるとしたら、それは自分自身です。
「ネガティブな考え」や「勇気のなさ」「諦めてしまう弱さ」という自分の弱さこそが最大の敵です。

誰のせいでもありません。
すべては自分のせい。
だから、他人のせい、社会のせいにしなくて済みます。
だから、やるしかない。
どうすれば目標にたどり着けるのか、
考えて考えて考え抜く。
行動して行動して行動し続ける。
失敗が多ければ多いほど面白い。
失敗の数だけ、気付きがある。
失敗の数だけ、知恵がつく。
失敗の数だけ、強くなれる。

たった一度の人生。
人に喜んでもらえることに向かって、自分の可能性を最大限に発揮したいと思います。
最後の一滴のエネルギーまで燃え尽きるまで、何かに挑戦し続けたいと思います。

1%も可能性があるということは、チェンジしない手はありません。

まちの歴史を変えるのは「よそ者」と「若者」と「バカ者」

2012-01-23 23:04:30 | カバ的アングル
私が春日部に住み始めて26年。
「春日部都民」という人が多い中で、私は春日部市内で会社を構え、地元密着の仕事をしてきましたので、もうすっかり春日部人です。
いや、元々春日部生まれの人より春日部のことを知り、人一倍春日部を愛していると自負しています。

私が大好きになった春日部が年々壊れて消えていく。
私が感じていることは、概ねよそから移り住んできた市民の共通認識だろうと思います。
まちに繰り出す人は年々減り、10年前の賑わいや活気は夢のあと。
まちづくりの活動に参加して10年余り、近年気づいたことは地元の人には地元の本当の魅力に気づいていないということです。
他のまちにはない独自の歴史や文化そして風土があるのに、それを省みないで全国のまちがそうであるようにミニ東京を目指し、どこにでもあるつまらないまちに姿を変えて行くことが不可解でなりません。
春日部を変えるのは、春日部の魅力つまり独自の経営資源をよく知り、それを最大限に生かすことです。
バカの一つ覚えのように、施設や道路をつくり、都市化、近代化を推し進めることではありません。

よそ者からみた目こそが、客観的な姿であり、よそ者にとって魅力のあるまちを目指すことが、外から人を引き寄せることにつながるおだと思います。
昔から、まちも企業も大変革のきっかけは、外の血であり、外からの目(視点)です。
近年の例では、小布施町や日産自動車があります。
そして昨年の日本航空の再建劇。

目からうろこ。
灯台下暗し。
固定観念の打破。
・・・・
よそ者が力を発揮する時代です。

もうひとつは、若者の力。
若さと常識にとらわれない発想です。
残念ながら、最近の若者は元気がないし、ワンパターン教育のせいか発想も乏しい。

もうひとつ。
これが一番。
バカ者です。
スティーブ・ジョブス。
奇跡のリンゴの木村秋則。
・・・・・
私も微力ながら、自他共に認める「バカ者」です。
いわゆるクレイジーです。
目先の損得ではなく、自分の信じたものに狂うこと。

不安と自信喪失で混とんとした日本。
この時代を切り開くのは、
・客観的な眼と大局観
・過去の常識や固定観念に捕らわれない自由で斬新な発想
・高い志と情熱
・死んでもあきらめないしぶとさ
・恐いもの知らずの勇気と行動力
だと思います。

そして、それは誰もが覚悟さえ決めたら、今すぐになれます。
ただ、それを妨げるのは自分の中にある「保身」という煩悩のようです。
私のテーマは、「無心」です。

私の中学時代の国語の先生から10年以上にもらった年賀状に書かれていた言葉があります。
「人生一夜の夢。踊り給え。狂い給え」
これが、私の座右の銘です。
好きなこと、信じることに狂って生きること。
それが一番幸せな生き方だと信じて毎日生きています。

カバの年賀状2012 ~龍か犬か?

2012-01-01 10:52:36 | カバ的アングル
明けましておめでとうございます。

ところでコレ、龍でしょうか。
それとも犬でしょうか。
いえ、どちらでもありません。
前例のないまったく新しいカテゴリーの生き物です。

それは、ビッグアートが目指す領域そのものです。
何かに似ているとか、○○○もどきではなく、明確なコンセプトを持った生き方。

人まねばかりが横行して、結局皆似たり寄ったりになってしまっている現代社会。
結果、皆同じ土俵で戦うからナンバーワンだけしか生き残れない。
99%は負けて消えていく。
これからは、人と戦って勝ち残るのではなく、人と違う土俵で生きることが生き残れる条件だと思います。
土俵が違うから、戦う必要もないし、誰とでも手をつなげる。
お互いがお互いをけなし合うのではなく、尊敬し合い拍手を送り合える。
これが、オンリーワンの真骨頂です。

社会の常識や既成の枠組みに捕らわれないで、
自分の目で見て、
自分の体で感じて、
自分の頭で考え抜く。

自分の進むべき道を決めるモノサシ(基準)はただ一つ。
「自分でなければできないことか」ということ。

誰もやろうとしないこと。
自分が一番そのことに対して情熱を持っていること。
それで十分です。

誰とも争わない。
誰とでも握手ができる。
そして、人の幸せや成功に心から拍手ができる。
自分ががんばればがんばるほど、誰かが喜んでくれる。
その先には、まわりの笑顔と祝福が待っている。

そんな生き方にようやく目覚めた今日この頃です。

今年もよろしくお願いいたします。