ホットな釜山

身近な釜山の風景
もと釜山市観光振興課勤務の日本人がお伝えする韓国や釜山の密着情報

釜山街歩き 水営編 걷기좋은부산

2020-05-07 | 釜山のイベント
こんにちは、きのこです。
新型コロナウイルスの影響で、まだまだ観光は自粛を続けていますが、
ようやく子どもたちの姿があちこちで見られるようになりました。
あともう少しですね。
さて、今日は水営区の釜山のまち歩きに行ってきました。
このコースはまだ韓国語のみですが、解説付きだし、全然知らなかった場所を迷うことなく歩け、楽しかったです。
今日はモニターとして参加。後で釜山の公式ホームページビジット釜山に掲載されるそうです(;;)ちょっぴり恥ずかし。
最少催行人数が10人で、会費は1万ウォンですが、コースによって違いますが、街で使えるオンヌリ商品券がもらえたり、
コーヒーが飲めたり、記念品がもらえたりと全然惜しくないと思います。
ご予約はホームページで。(現在調整中)
さてこちらは地下鉄水営駅3番出口近くの水営八道市場の入口です。
すぐ近くに郵便局がありますが、そこで集合しました。午前10:00
カップルを意識したコースということですが、
なぜ市場??
笑いながらのガイドさんのお話に知らない同士のはずが
すっかり打ち解けていきます。
ここは市場が四方に伸びていて、野菜や魚の生鮮食品から、金物、フルーツ、パンなど目を引くものがたくさんあります。
周囲は高層ビルが並んでますが、市場の存在はありがたいですね。



高麗人参やツルニンジン、サンゲタンの材料もこの通り。

祭祀によく使われるスケトウダラの干物。名前がシンギ?ユガと呼ばれるお菓子。この店で祭祀に使う食材がすべて揃いそうです。

すこーし市場をそれて住宅街に。
住宅街は一般の住宅をリモデリングしたり、カフェになったり、突然再開発対象になり、
高層ビルが立ち並んだりと不動産的にも投資価値ありそうな場所でした。


ことらはマウル博物館。そんな水営区の歴史を文化解説してくれるかたがいらっしゃいます。
ほんの10分ぐらいだそうですが、今回はコロナのために聞けませんでした。
1階はカフェもありました。

ふと見ると、住民センターなるものが。
要するに役場の出張所ですが、支援金がもらえることもあり、たくさんの住民が集まっていました。

次に向かうのは水営史跡公園。空撮すると屋根が帆立貝のようだと聞いていますが、
まだ行ったことがありません。(空撮写真は누리부산という釜山市の写真サイトに掲載されています。)
見えてきたのは公園入口の下馬碑。身分の高い人の前ではその敷地内に入るときに、馬から降りるのが礼儀だったので、
このような地名が、石碑が残っているところがあちこちにあります。
その前には井戸??
実はこの井戸訳ありで、一度壊してしまったら疫病が大流行したとか。そこで慌てて復元したところふただびピタッと疫病が流行らなくなったそうで。
今での史跡公園の入口に残っています。
再び、史跡公園に目を向けます。
石の門は石を組み合わせただけで、日本のように大きな地震があったらどうするんだろうと心配になりましたが、
心配してるのは私だけ。みなさん無事通過。普段の行いがよろしいようです。^^




慶尚左水営城 南門とは
釜山広域市有形文化財第17号(1972年6月26日指定)
慶尚左水営城の南門は朝鮮時代に東海海岸を防御した水軍を指揮する本部である慶尚左道水軍節道使営城の南門であり、アーチ型の石門です。
この南門は粛宗18年頃に造られたもので、現在の位置から約200m離れている場所にあったものと推定されています。
過去には水営洞の旧水営小学校の校門として使用さていたものを1960年代末に現在の位置に移し、保存されています。
慶尚左水営城の南門は、現在前後に虹霓と虹霓基石が残っています。また左右には10m程度の城壁が残っており、
前面の虹霓基石の前には同じ大きさなの四角形の石の柱があり、その上に狛犬という朝鮮犬のつがいが両側に並んでおかれています。
このように朝鮮犬である狛犬を城門の前に置いていることから、
慶尚左水営城は倭寇の動きを監視する役割をしたものと見え、
このような形態の石像を城門の横に置いているのは他の地域では見ることができ無いという点で独特のものと言えます。



この地域の方と見られますが、一生懸命私達に説明してくれました。
(頼んでませんが^^;)
ガイドさんは素通りされたので。

石の門をくぐるととてもきれいな公園が広がっていました。
この地域を守る木彫りの柱が迎えてます。緑がとてもきれいです。

この木は神が宿る神木だそうで、樹齢400年以上とされます。

サルスベリなどの多種多様な木々が植えられていました。

この木はムクの木というそうです。この地を守る地鎮木だそうで。左がおじいさん、右がおばあさんを表し、
韓国ではフュージョーナムと呼ばれているようです。
カップルで歩くコースであるわけがここにあるようです。
なるほど。

確かに二本の木でした。樹齢約500年。

釜山はやはり、日本との関係は欠かせないですが、歴史的な事実なので、
ご紹介いたします。
安龍福将軍の祠堂
安龍福将軍は朝鮮粛宗(1675~1720)の時代に東莱出身(現 水営区水営堂付近)の漁民であり、慶尚左道水軍節度使営の水軍である能櫓軍でした。
当時倭人が我が国の鬱陵島と独島を竹島と予備、頻繁に侵犯したので、同僚とともに日本に渡り、
鬱陵島と独島が我が国のものであることを確認させ、日本の江戸幕府から二度と侵犯しないという覚書を受け取リました。
彼は鬱陵島と独島守護に大きな業績を立て、後世から将軍という称号で呼ばれるようになりました。
将軍の業績は後世に長く祀り伝えるため、釜山市民の志を集め、ここに祠堂と銅像を建立し、
1967年に造成された水営公園の頂上の忠魂塔とともに移転させ新しく整備されたものです。


ガイドさんは私達をきにしてか、スルッと説明をされて去っていきました。
ま、歩くことが目的なので^^
勇敢な漁師さんだったんですね。






少し高台に上がってくると、公演場がありました。

ここは定期的に水営野遊などの公演が行われている場所だそうです。
ドローンで移すと帆立貝のような模様に見えたのがここなのですね。
ここからは男女で臨時のカップルを作って歩くそうです。
ー大学生などが参加しそうなプログラムです。実際予約が殺到してるとか^^;
まあ、日本語は今のところ無いので雰囲気で着いていきます。
雨が降っても大丈夫なように備えられているところが素晴らしい。


さて、公演場を後にして、25人義勇団の祀られる祠へ。


この壇は壬辰倭乱の時に水営城で日本の軍人たちに抵抗し、亡くなった城民の義勇を祀っている場所です。
壬辰倭乱が勃発し当時の慶尚左水使は水営城を捨てて逃げ去り、ここに駐屯した日本人は7年もの間略奪と殺戮を繰り返しました。
このとき水営城の城民25人が城門の前に集まり、「戦うならば勝って生き、戦わなければ滅びる。国の存亡が胸郭にあるのに、生きるために山野に逃げるのか、
たった一回の死により国に恩返しをしていきたいものだ。」として、血によって命誓した日本の軍人たちを相手に遊撃戦を展開し、亡くなったそうです。
現在は碑文に刻まれている名前から戦死したのは一般人が中心であったことがわかります。
25人の史跡を集め、旌榜錄に記載し、彼らの家の門に義勇という2文字を掲げたことから始まったといいます。
その後純祖の時代(1800~1834年)に東莱府使である呉 源は彼らの子孫たちには賦役の義務を免除し、業績を讃えています。
1853年(哲宗4)には慶尚左水使である張寅植が水営公園に牌を立て、これを義勇壇とし、毎年3月と9月の丁日の2回にわたり祭祀を執り行っています。
その時の祭主は慶尚左水使が努めています。
1894年の軍制改革により慶尚左水営が廃止となり、水営業麺の面疔が祭祀を主導しました。
日帝時代に日本の面長が赴任してからは水営耆老会で祭祀を執り行い、今日に至っています。
釜山広域市指定記念物第12号 (・脱字がありますが、後日確認します。。)




史跡公園を後にして、再び住宅街です。なんだかんだと話が弾みます。
と、この駐車場。ふと見ると歪んでないですか。いかにもコンクリートが今にも崩れそうな、、
何事も無ければそれに越したことはないのですが。。


住宅街にある小学校。
学年ごとに登校が始まるようです。愛らしい君たちの声が懐かしいな~早く会いたいと横断幕に書かれてます。
韓国らしいなあ。率直な表現に感動。


目の前の文房具屋さん。アイスに駄菓子にガチャガチャ。忘れ物をしてもすべてここで揃ってしまう、ドラえもんのポケットのような存在。
お店があいてるのは近くの学習塾はすでに運営を始めているせいかな。
子どもたちが時折行き交う姿が見かけられました。

道路がカラフル。
道路はタイルでなくアスファルトだったけど、削られて造られたものらしい。スクールゾーンらしい道路でした。

F1963。。ものすごい怖い。なにやら盛んに建設中です。




ここは高麗製鉄の工場があった場所ですが、今は素敵なカフェやギャラリー、福順都家というお酒を提供するレストランがありました。






鉄鋼工場だったことが伺える天井、印刷機器などがところどころにあるのですが、なぜがしっくりと落ち着いています。


デザイナーの手にかかるとこれほどまでに面白く変身するのでしょうか。





テーマのあるギャラリー。あなたのヒーリングはどれでしょう?

子どもたちが喜びそうな本やグッズがたくさん並んでます。

実はこれらはゆっくりと本を読めるよう、机や椅子も並び、カフェも完備。2階もあるようですが、
時間なので移動。

う?なんだろう。突然シンちゃん。しかも山笠。深く考えないことにして。

1階のマッコルリの福順都家。ここも今度ゆっくり。

と、F1963を後にして、

外に出ると竹の林?植えられたばかりなのか栄養がいいようでした。
下のクローバーが手のひらほどに成長していてびっくりです。
ここで再度、ペアが変わります。

このあたりはなんだか釜山にしては別世界に感じられました。どうも倒れないように支えられているようにも芸術品であるようにも見えましたが。


えへ。こちらがストーリテーラーさん。この日のために髪も染め。
大いに笑わせてくれました。

Bコンすなわちコンテナーなのですが、橋桁の下を活用しようという試み。

動線がいまいちですが、今後若者の斬新なアイデアにより、素敵なお店が入店するそうですよ。楽しみ。

このあたり、ビール工場や製粉工場などいろいろ囲まれてますが、時折素敵なお店が現れるのです。



この日は少し時間をオーバーしていたので、コース代には入っていませんが、お昼を食べました。。


オンミアグチム 鮟鱇蒸しの有名店だそうです。


こちら、20センチくらいのお皿に鮟鱇がいっぱい。3万ウォンでした。

ちょっぴり歩いていくと望美団キルに向かいます。スヌーピーのようなワンちゃんが。
マンションという看板がかかっていますが、コーヒーショップだそうです。

とってもかわいかったです。かわいいポーズまで決めてますよ~





この通り、まだまだ奥が深いのですが、今後もっと情報を集めることにして~

最後はカフェでお茶をして解散となります。お茶代は込み^^



ふと気になったのは入口。店名がくるくる見え隠れするのですが、
どこかで見たことがある。
発想はこれ。(笑)
お天気もよく、いい汗かきました。今日行ったコースの地図はまた後日記載します。
最初に専用アプリをインストールしていくと、
現在地やプログラム参加後の記念品がもらえるそうです。(後日記載)
5月末頃から始まるそうですよ~
早くコロナ終息してほしいものです。といっても韓国も油断できませんが。。








ちっちゃいけど咲きました。ドラセナ。韓国ではこの花が咲くといいことがあるんですって。


みなさまにも幸運が訪れますように^^


最新の画像もっと見る

コメントを投稿