三沢追悼の映像でご覧になられた方は多いと思いますが、
1990年5月にタイガーマスクがリング上で虎の覆面を脱ぎ捨てて三沢光晴の素顔を露にしました。
当時、J鶴田と覇を競い合った天龍が全日本離脱という大きな事件が起こり、揺れていた全日本。そんな状況で三沢が「俺がやらねば」とばかりに行動を起こしたというべきか。
その決意は後日、後楽園ホールでの6人タッグ戦で鶴田と当たった時に炸裂する!
シリーズ最終 . . . 本文を読む
画像は1992年の全日本プロレス「ジャイアントシリーズ」のパンフレットの中の1ページ。
このシリーズは全日本の創立20周年記念シリーズ、という訳で各選手の足跡的な写真が散りばめられています。
先だっての「'92サマーアクションシリーズ2」であのハンセンを破って三冠ヘビー級王者となった三沢のベルト姿。
その写真の脇にはデビュー当時の写真とタイガーマスク時代の写真があります…。
あなたにとって、三沢 . . . 本文を読む
こんばんは。
三沢訃報から一週間ぐらいは、ひとつひとつの情報に「更新せずにはいられない」状況でしたが、
今は少し落ち着いてしまったのか、6日ぶりの更新になりました。
週刊プロレス、大阪スポーツ(東京スポーツ)、日刊スポーツが発行した「三沢追悼号」を見ていて、懐かしい写真に胸を熱くして、三沢さんと日頃接した報道陣のコメントに温かくなるものがありました。
6・22後楽園ホール大会の模様をG+で視て . . . 本文を読む
今日の大阪スポーツ(東京スポーツ)1面は、小橋建太の独占手記。
三沢追悼の思いを書き残しています。
6月13日の夜、小橋の行動と胸中。
齋藤に対する嫌がらせへの怒り。
選手と社長を両立していた三沢への思い。
レスラー三沢への尊敬。
こういう事を書いていた小橋は、こう続けています。
「今日まで、俺はマスコミにほとんど話をしなかった。
広島の後も試合が続いていたし、自分の気持ちが途切れるのが怖か . . . 本文を読む
「三沢さんの弔いは試合でガンガンやるだけだと思っている。
博多、鹿児島、熊本と試合は何も変わらないよ」
三沢死去後、コメントを拒んできた小橋建太が、昨日の名古屋大会で大阪スポーツ(東京スポーツ)の取材にこう語っていました。その模様が、メインでの佐々木健介にチョップを見舞う写真と共に裏1面で掲載されていました。
記事中には、小橋の様子を、
『笑みはないものの、いつもの力強い口調』
『かなり落ち着い . . . 本文を読む