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『大分縣大分郡明治村々是』 明治45年発行 

村是の内容を原本のままに復元します。
また、明治村史(昭和54年発行)の抜粋を紹介します。

大分懸大分郡明治村々是 その3 ◎ 現況の部 〇 総論

2014年09月24日 14時20分48秒 | 郷土史

  ◎ 現況の部

     〇 総論

 本村  は大分郡の東部に位置し地勢高層にして起伏あれども平坦部多し中央を雛尻の渓流南より北に流る東は大野河の支流を隔てて高田村に望み又別保村に連なる南は松岡村に境し西は小山脈を以て瀧尾村に隣し北は東大分、桃園の両村に接す。

 地味  は概ね肥沃にして耕地山林とも上層は淡黒色の処あり。

 気候  は大分市を距(へだて)る僅かに二里余にして大差なく極暑にありては摂氏の三十四五度極寒に至りては零下三四度なり。

 交通  は一般不便にして中央を桃園村より松岡村に通ずるものと東大分及瀧尾村より通ずるものとあり。

 人情  は一般礼節を重じ質朴なりと雖も社会の風潮に襲われ稍(やや)奢侈(しゃし)に流れ軽薄に傾きつつあるも処なき能はず然れども仏教の感化偉大なり。

神社  は村社六即ち大字小池原の八坂神社大字猪野の八坂神社大字葛木の鋒(ほこ)神社大字横尾の若宮八幡社、天神社、水分(みくまり)社、無挌社一即大字猪野天神社是なり。

寺院  は禅宗一大字横尾の法雲寺浄土宗一大字葛木の法弘寺等にして外に堂宇六ありて散在せり。

灌漑  は溜池の設及雛尻、一ノ谷及挾間等の渓流ありて耕田を潤し以って甚しき旱害を蒙むること少なし。

耕地  は本村全面積の約五分に當り即参百六拾参町九反九畝貳歩にして以て農業主体の土地たるを窺うに足りる

農事の改良発達を図り副産業の奨励に努め資力の充実を期するは本村経営の主眼たり。

現下住民生活の状態を考査し又将来如何の境遇に推移すべきかを勘案し其の消長盛衰の岐るる所を慮り村是を定むるは則ち本調査の目的とす故に現在の生産と消費とを対照し其過不足の因って生ずる処を察し将来時運の発展人文の進化に伴う負担の膨脹と増加の人口を容るるべき資力涵養の準備として事業の施設方針を策定し各項に渉り細大表出して本村の大勢に問い以て警告する所あらんとす。



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