ぶなぴの七転び八起き

娘のみくさんと、音楽と、ライブと、ビールが大好きです。

思い出す《生まれたとき》

2011年04月15日 | 育児
しばらくブログを書いていない間に、無事に出産を終えました。
半年も前のことになるけど、この半年間のことをいろいろ思い出して書いてみようと思います。
いつか読み返した時に、書いててよかった~って思うかもしれないし

平成22年10月15日、帝王切開にて娘が誕生しました

2,653グラムの、やせっぽっちで小さな赤ちゃんでした。

誕生の3日前、12日の朝から病院に入院しました。
大きな子宮筋腫があったため、妊娠当初から帝王切開で産むことが100%決まっていたものの、
直前になって、経膣分娩ができるかもしれない、と医者に言われたのです。
子宮が大きくなるにつれて筋腫の位置がずれたとかで、
産道を塞ぐように鎮座していた私の巨大筋腫ちゃんは、少し左にずれた模様。

まぁ通常に分娩できるなら、がんばってみようか、ということで、
38週に入ってから入院して陣痛促進剤を投与することになったのです

1日目、朝の9時に入院手続きをし、そのままMFICUにて陣痛促進剤点滴にて投与開始です。
1時間ごとに10ミリ(だったかな?)投与量を増やしていきます。
最初は、投与されていることもそんなにわからないくらいで、巡回にくる助産師さんとおしゃべりしたり、雑誌を読んだり
思ってたよりきつくないかも、と思っていたのですが。。。

だいたい2時を過ぎたくらいから投与量もだいぶ増えてきて、もう数分間隔でお腹が張ります。
肋骨は痛いし、とにかくお腹の張りがきつくてきつくて
ここから終了の5時までがもう地獄でした
体力は奪われるけど、痛くて寝れないし、もうおしゃべりする気力もないし。
5時に終了しても、そんなにすぐに陣痛が終わるわけじゃないから、結局夜中も痛みが残る、って感じで。

まだ初日はマシだったなぁ。
もう2日目、3日目なんて地獄だった
3日目の朝なんて、辛くて助産師さんの前で大泣きしたもん

結局、3日間頑張ったけれど、子宮口はまっーーーたく開かず、赤ちゃんも下りてこずで、
私の体力も限界だし、4日目に帝王切開することになったのです。
ただ辛い思いをしただけだったなぁー、とも思うけど、まぁいい経験になったね。


そして、10月15日、午前11時に旦那とお母さんに見送られて、手術室に入りました。
手術室に入った途端、怖くて怖くて泣き出してしまいました
麻酔も痛いし、いざ生身の体を切られると思うと、やっぱ怖いよーーー
全く感覚のないお腹を、引っ張られたりギュウギュウ押されたりする感じだけは伝わってきます。
そしてあっという間に、赤ちゃんとご対面。
自分のお腹を切られているという恐怖が先行してしまい、
生まれてきた赤ちゃんを見せてくれようと目の前に持ってきてくれたけど、あまり素直に喜べず。。。
「髪の毛、多っ!」と思うのがやっとで、このときはまだ出産の感動っていうのはなかったなぁ。

赤ちゃんを無事に取り出したあと、先生が後処理にはいります。
そのとき「筋腫、取ったからと先生がサラッと言ってのけました。
えー!?今、何て??今、何て??
すぅげぇラッキー☆☆☆

と、生まれてきた赤ちゃんのことをそっちのけで、筋腫が取れたことに大喜び
「出血多量になるから、筋腫はとらないからね」とおっしゃってたじゃないですが、先生様。
どうやら筋腫がだいぶ腐っていたらしく、取らないと感染症になる恐れがある、ということで取ったらしいのです。
ありがとう、先生!!



無事に手術が終わり、私は外科のICUに入院することになりました。
産科のベッドが満床で、とりあえず産科からすっごく遠い外科に入院することになり。。。
外科だけあって、重傷患者さんとかも多く、すごく手厚い看護をしてくれたのはいいのだけど、
新生児室のある産科があまりに遠くて、生まれた赤ちゃんに全然会えない

でも!!
手術後、貧血がひどく、ほっとんど動けない私。
赤ちゃんに会いに行きたいものの、全く動けない。
車椅子に乗るのもきつくて、起き上がるのもきつかった。。。
あらかじめ取っておいた自己血の3分の2を輸血するも、全くよくならず。

結局、赤ちゃんと同室できたのは出産から3日目でした。
やっと同室できたたのは嬉しいけど、これはこれできついよね。


この後、みくさんとの授乳の格闘はまた後日。。。

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