ころがせ複勝!

日々のぼんくらな生活の中でのあれやこれや…

本を読む(善光寺の謎 by 宮元健次)

2010-12-06 21:57:39 | 読書
善光寺はmyホームグラウンドでございます。国宝らしいのですが同じ長野県にある松本城の天守閣は町を歩いているとそこかしこから見えることとか、城の周りには公園が広がり、堀に囲まれた城がどーんと建っているという重みに比べると、ほぼ地続きなので重みを感じないことこの上ないですね。
高校時代、日曜日もクラブの練習に学校行ってなかったか?と思われるので300日(about)×3年=900日間登校したとして、通学時の往復で境内を突っ切っていたから、1800回?1200回くらいにしておこう、寺の前、たまに寺の中を素通りしていました。要するに家の近くにある寺となんら変わることのない扱いをしていたことになりますが、家の近くの寺は、学校の往復に寄られる存在ですらないので、そういうことを加味すると、善光寺の方が私にとってより身近な存在なのかもしれません。

梅原猛氏も「隠された十字架」の中で善光寺は怨霊封じの寺であると触れていましたが、この著書でも同じような存在らしいことを綿々と書き連ねてあります。簡単に言うと、善光寺とは物部守屋の怨霊封じのための寺であり、全国津々浦々から善男善女が来て守屋の霊をなぐさめるためにお祈りをしていくんだそうです。
ただし、そこを通過しているJKは単なる通学路の脇に建つ寺としての存在しか感じていませんので、のべ1200回善光寺を通過していたとしても、祈っちゃいません、ハイ。
うちの妹の高校は自宅のほぼ裏だったので、山を越えて通学する必要もなく善光寺を通る必要もないので、寺になんの愛着もないそうです。

善光寺のことはどうでも、この本についてだな。
確か善光寺の東側に、善光寺地震被災者の慰霊碑が建っているのは知っていたけど、そのことについて書かれたことで内容とは全く関係ないのですが「ハ?」と感じたことがですね、
「信濃名産のごちそうに舌鼓を打ち…」

すみません、その当時の信濃のごちそうてなんですか?いまでこそ信州牛とかおやきとか整備されていますが、当時のってなんですか?イナゴですか?そばですか?山菜ですか?当時の人はナニを食べると美味しいと感じたのですか?
内容とは全く関係ありません、ただの描写ですが、ものすごく気になって…。

善光寺の本尊は絶対秘仏なんですが、なぜ秘仏になるのかという話がありました。
「損壊が激しい場合」
ということもその理由に揚がっていましたが、なるほど。私は本尊は存在しない派なんだけどね。
川中島で相まみえた上杉謙信と武田信玄はそれぞれ聖徳太子、物部守屋にあやかって戦いをしていたということらしいんだけど、その2人のどちらかが本尊を持って行ったままなくした…んじゃないか?と思っている訳だ。
それから、たびたび炎上するということも書かれていましたが、大勧進か大本願から出火したこともあったよなと。
義経の怨霊から逃れたい頼朝も善光寺のパトロンのひとりだそうです。

善光寺の御開帳では回向柱を立て、諏訪大社の御柱祭では御柱を立てます。柱を立てるということが神事であり、生け花も花を「立てる」というのは花が神霊を迎え入れるための依代とみなされていたからだそうです。正月に門松を「立てる」のも。
で、茶を「立てる」というが、同様の意味であろう。
…あろう?ってそこは調べてないんかよ?確信じゃないのか?たまーに「それは推測の域をでてないんですか?」と思われる描写があり、一気に醒めるんだな、なんだろう、この人(笑)ビミョーにゆるい。

ヒジョーに興味深い話でしたので、次回この本を持って善光寺を観光したいと思います。
で、怨霊退散の寺で遊んでいる高校生の罪はあるんでしょうかね?

あ、最後にどうでもいいことですが、写真の画素が粗すぎるものが気になりました。いい写真使ってください。
以上
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