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大佛次郎・著「宗方姉妹」(むねかたきょうだい)

2023年11月27日 | 読書ノート

紹介:大佛次郎・著「宗方姉妹」(むねかたきょうだい)について

(2023年3月25日・中公文庫から初版発行)

(初出:朝日新聞、一九四九年六月二十五日~十二月三十一日)

(初刊:朝日新聞社、一九五〇年四月)


<著者紹介>(本書より)

大佛次郎(おさらぎ じろう)

一八九七 (明治三十)年横浜市生まれ。本名・野尻清彦。

兄抱影は天文学者。東京帝大政治学科卒業後、鎌倉高等女学校の教師、外務省嘱託を経て、一九二三年関東大震災を機に文筆に専念。「鞍馬天狗」シリーズで幅広い支持を得る。「パリ燃ゆ」「帰郷」「地霊」など歴史と社会に取材した作品も多い。六七年から死の直前まで朝日新聞で「天皇の世紀』を連載。六四年に文化勲章受章。七三(昭和四十八)年没。生涯で五百匹の猫を世話したほどの猫好きでも知られる。横浜に大佛次郎記念館がある。

<本書について>(本書・カバーより)

終戦後、満洲から引き揚げた宗方(むねかた)家。節子は失業中の夫、病床の父に代わって生活のため酒場を開く。妹・満里子は疲弊する姉を歯痒く思うが、そこへ節子の昔の恋人が現れ……。小津安二郎監督の映画原作でも知られる長篇に、最晩年に執筆した「序の章」を加えた決定版、初文庫化。巻末に「映画「宗方姉妹」を見て」を付す。

〈解說〉與那覇潤


◯「宗方姉妹」の時代

 本書は初出から七十余年を経ており、大佛次郎自身の強いこだわりのある時代への思いがすでに人々の心から風化しかけている。また、小津安二郎によって映画化されたことにより小説とは別に開かれた世界が生まれた。小説「宗方姉妹」をあらためて読む際にはその二つの面を踏まえておくべきだろう。

 ストーリーは大佛が著した「帰郷」(1948年)同様に先の大戦に敗れた終戦後の人々の人生にスポットをあてており、世の中が新しい時代に向かおうとする息吹を主人公の姉妹を通して感じさせてくれる。大佛次郎は女性の心中やその移ろいを本書でも実に鮮やかに表現している。この作品には宗方姉妹の姉の節子、妹の満里子、そしてフランス帰りのモダンな女性・頼子の三人が登場するが、それぞれの生き方の違いによる心理描写が時代に即した形で生き生きと描かれている。

 ただし内容的には明るさや希望のみを描いた作品ではない。敗戦による苦難が登場人物それぞれの背景に色濃く感じられる。

 大佛が描く節子の夫・亮助は満州からの引揚者(日本の外地・占領地または内地のソ連軍被占領地に居住ないし移住していた民間の日本人のうち、日本の本土へ帰還した者)で、満鉄(南満州鉄道株式会社)の発展とともに大陸(中国、満州)の大規模開発に携わっていたが敗戦により夢敗れた男である。大日本帝国の崩壊による「満洲国の崩壊」が人々に与えた気持ちの変化は衝撃的であり、本書が書かれた1950年にはこの変化がまだ生々しく、読者による亮助へのシンパシーもリアルなものだった。節子との会話の一節で亮介は次のように語る。「(引用)…どうも、東京が、満洲に似て来ているね。しきりと、そんな気がして来た。雄大なところは似ないで、悪いところだけ似て来たようだ。人間もだが、埃がひどい。…」満州は日本が侵略し小役人が幅を利かせた土地だったが、現地で暮らす人々にとっては雄大な希望の地でもあったのだ。ところが敗戦によってその希望は霧散し空虚になった。大佛はこの比喩的な表現を通じて当時の気持ちを多くの人々と共有し、もう一度顔を上げて明日を見つめる契機にしようとしたに違いない。本書の解説で與那覇 潤(よなは・じゅん)氏が指摘している通り「(引用)もし今の感覚でそこからストーリーを追うなら、不倫の香り漂う軽めの恋愛・風俗小説としか読めないかもしれない」のだが、実は新しい時代を生きようとする男女の姿とともに、敗戦の重さの中に生を見出そうとする人々の心情にも配慮された内容なのだ。


◯映画「宗方姉妹」(1950年)について

 本書には巻末に大佛次郎による「映画『宗方姉妹』を見て」が付録されている。ここで大佛次郎は小津安二郎のことを「小津くん」と軽々しく呼んでいる。それもそのはずで大佛次郎の方が多少年上だからだ。(大佛・1897年生まれ、小津・1903年生まれ)原作が小説家の手から離れ映画化された時、内容は別の作品になる。大佛次郎もそのことは十分承知の上だろうが、作中の三人の女性については思い入れがあったようで、年下の“小津君”に対して映画の登場人物との違いを鋭く指摘している。面白い内容なので、一部をここに紹介しておく。

(引用)小津君の映画の「宗方姉妹」の父親は、私ほど筆を用いないで、短くてよく出ていると感心した。節子は、私の節子ではない。切口上で、正面を切った口のきき方が強過ぎる。私の節子は、静かにしか話さないし、柔かく半分までしか物を言わないから、映画には表現が無理なのである。反対に、映画の満里子は、私の満里子よりリファインされていた。私のは、満洲生れの、生地むき出しの、一種の野性のようなものを持つ娘である。無邪気だが野蛮で荒々しいところがある。それが新鮮なものに描けたらと思ったが、私の小説では、そこまで行かなかった。これはもう一度、何かの形で書いて見るつもりだ。

 小説では私は真下頼子が一番よく描けたと思っている。節子がきめのこまかい日本的な女、満里子に新大陸のアメリカにも通じる単純さと明るい若々しさにあふれたタイプ、頼子は古い日本とヨーロッパの殊にフランスの古い文化との自然な混血児と、ひそかに予定したものが、執筆中の私の心に在った。宗方家の姉妹の間に差しはさまって、小説の頼子は、かなり大きな役をしている。頼子は、気質の上で節子に近いが、節子ほど土に入っている根が強くない。自分の思いやりに負け、境遇にいつもひしがれている女だが、自分の動きを、いつも美しいものにしてしまう技巧が本能のように成っていて、それがまた彼の女をいつも弱いものにしてしまう。三人の女が寄って描き出すアラベスクの中で一番、華麗でデリケエトな線を描いているのが、頼子の外側の行動だけを見ている読者の方がはるかに多いのではなかろうか?三人の中で、作者の心に一番近いのは、節子でなく頼子だと、ここで白状して置こう。また、それ故、一番よく書けたように信じられるのだ。映画の「宗方姉妹」では、頼子は小説の中で占めた重要な地位を失くして、ワキ役であり不遇である。だから、小説の頼子とは似てつかぬものに成った。

 小津監督に会った時、頼子で別に一本の映画が出来ますねと言い出したので、私は心から賛成した。そうだ、筋らしいものは裏に隠れて、ふんい気と陰影だけで、頼子の心の動きを描いて行くのである。そう出来れば、品のいい美しい映画に成ると思う。パリが出たり京都が出たり、大阪の船場あたりの問屋町が出たり、これは架空のフィルムを回転させて見て楽しい。

 「宗方姉妹」の映画は優れた出来である。映画と小説とはそれぞれの制約があって当然に別々の道を歩いているのだ。その事が、今度ぐらい、はっきりしたことはない。(二十五・九)

 ここまで書かれるとますますこの作品を読んでみたくなるのではないだろうか。


◯付記

 それにしても小説では、頼子も節子も魅力ある女性として描かれていたが、特に満里子の素直で元気な性格に惹かれた。映画の配役では高峰秀子が満里子を演じその可愛らしい演技に定評があった。高峰秀子はこの作品の後「二十四の瞳」(1954年)で“大石先生”を好演し、やはり戦争の悲惨さとそれを乗り越えてゆく女性教師を演じた。

 大佛次郎の作品は優れた小説として独立したものなのだが、おまけとして映画の配役を付記しておく。本来、このような必要はないものだが映画監督が小津安二郎であり思いをめぐらせてから大佛次郎の小説を手にしてみるのも良いのではないかと思う。

 <小津安二郎映画「宗方姉妹」配役>

 三村節子:田中絹代

 宗方満里子:高峰秀子

 田代宏:上原謙

 真下頼子:高杉早苗

 節子の夫・三村亮助:山村聡

 宗方忠親:笠智衆


 

(おわり)


ロス・ラッセル 著『バードは生きている』

2023年11月24日 | 読書ノート

BIRD LIVES! バードは生きている チャーリー・パーカーの栄光と苦難

ロス・ラッセル 著 池 央耿 訳

1975年4月10日 第一刷発行

発行所 株式会社 草 思 社


<著者 ロス・ラッセルについて>(本書カバーより)

 著者ロス・ラッセルは1909年ロサンジェルス生まれ。以来ほとんどカリフォルニアで暮らしてきた。キャディー(同時にゴルフ・クラブの製造)、パルプ・マガジンの寄稿家(1ページにつき1ドルだった)、商船の無線士官(第2次大戦中、水害にやられて54時間救命で漂流したこともある)等の仕事をしたのち、ミュージック・ショップを経営、同時にビバップ専門のレコード会社、ダイアルを設立して、パーカーの名演を録音し発売した。その後は、ジャズ・コンサートの企画(モンタレイ・ジャズ・フェスティヴァルのプロデュースをしたこともある)や、いくつかの大学でアフロ・アメリカ音楽の講義をしたりしている。これまでの著書は小説 The Sound とJazz Style in Kansas City and the Southwest.


 「バードは生きている」は、鳥の生態をまとめた文献ではない。(知らない人もいると思いつい書いてみたが、初めからつまらない冗談になってしまい申し訳ない…。)ご存知の通りバードはモダン・ジャズ(ビ・バップ、be-bop)の創始者の一人でアルト・サックス奏者のチャーリー・パーカーの俗称であり、本書は彼の生涯がまとめられた物語である。パーカーは、アメリカ合衆国ミズーリ州カンザスシティに1920年に生まれ1955年に若くして34歳で亡くなった。1940年代中期がパーカーの活動の最盛期と言われている。確かにダイアルやサヴォイ・レーベル時代のパーカーは最高だが、その後のヴァーヴをはじめとするレコードにも円熟味を増した演奏を聴くことができる。そして、パーカーの生み出したアドリブ・フレーズやバップ・スタイルの演奏はパーカー以後のジャズ・ミュージシャンに大きな影響を与えている。

 本書はバードを愛する者たちにとってバイブルである。ぼくはこの本が1975年に発行されると同時に購入し、人生をともにしてきた。全てのページがジャズを演るための教科書でありお手本だと思って来た。ぼくはジャズで身を立てることはなかった。しかし人生を踏み外しそうになると本書を読み直してなんとかやってきた。

 本書の内容を全て紹介したい誘惑に駆られる。しかしそれでは著作権の侵害にあたり、道を踏み外すことになりかねない。なので、ここでは少年パーカーがジャズを始めるきっかけにもなっているオールドマン・ヴァージルから諭される大好きな場面を引用しておく。ぼくはパーカーについてみんなに知ってもらいたくて仕方がないのだ。


(p.66-67より)

 チャーリーは、もはやリンカーン・ハイスクールに通っているふりを装うことさえしなくなっていた。自由な時間の多くを、彼はオールドマン・ヴァージルの小屋でがらくたの仕分けを手伝ったり、一緒に横丁を歩いたりしながらあれこれと話をして過ごした。ある時彼は、ジェンキンズの楽器店から、店員の目をかすめて失敬して来た二つのリードをヴァージルに見せた。ヴァージルは叫んだ。「そいつは万引だ!」会衆に向かって声を張り上げる説教師のようだった。「そんなことをすりゃあ、二年も感化院だぞ!前科は一生ついてまわるんだ。チャーリー、おれとちょっと話合おうじゃないか」老人は家具屋の廃品置場から買い受けて来た椅子に、チャーリーを向き合って座らせ、彼の身の上話に黙って耳を傾けた。

「お前にゃあ親父がいないから、このおれが四つの規則を定めてやる。おれは年寄りだ。年の功ってことがある。規則の一つは、“盗みをするな”だ」ヴァージルは言葉を切ると、熱い目付きでチャーリーを見据えた。「感化院に入れられる時間を考えてみろ。たかが五十セントのリード二個が何だっていうんだ?そいつを聞かせてもらおうじゃないか」

「馬鹿な話さ」チャーリーは言った。

「盗みなんてのは、ろくでなしのするこった。規則の二は“人を悪くいうな”だ。悪口を言うのは簡単なこった。あっちこっち行っちゃあ人の悪口を並べても、お前には何の得にもならねえよ。悪口ってのあ、きっと、そいつの出どこへ帰って来るもんだ。他人は皆、お前が何を言ったか、ちゃあんと覚えているからな、人を悪く言って良いことがあるはずがねえんだ。よく覚えておけよ、チャーリー。人のことを良く言えねえんなら、端っから何も言うな。そうすりゃ、お前、人からも良いやつに見られるってもんだ。音楽の話をしよう。おれあ、手前じゃあブルースをちょっとやるくらいで、何もできやしねえがな、長年通りをうろついてるうちにゃあ、ずい分音楽も聞いたさ。お前はまだほんの駆け出しだ。おれたち黒人にはな、そうそう道が開けているわけのもんじゃねえ。音楽があれば、黒人は手前の道を歩けるんだ。このカンザス・シティにはな、国中どこへ行ったって誰にも引けをとることのねえ演奏家が大勢いるんだ。覚えられるものあ何でも覚えろ。練習をさぼっちゃいかん。喰いついたら離れねえこった。お前、ホーンをはなすな。ホーンさえやってりゃ、人生どこへでも行きたいとこへ行ける。」

「最後の規則はこうだ。“良い女を見付けて、浮気はするな”」老人は言葉を切って、それから言った。「さあ、おれの後について行ってみろ」

 チャーリーは四つの規則を繰返した。「盗みをするな。人を悪く言うな。ホーンをはなすな。良い女を見付けて、浮気をするな」それから何週間か、チャーリーはオールドマン・ヴァージルに会えば必ず、小屋であろうと、通りや路地裏であろうと、どこでも四つの規則を教義問答のように暗誦させられた。


当時1,800円の本書は自分にとって高額で朝昼二食を何日か抜いた



charlie parker - I remember you

 https://blog.goo.ne.jp/bule1111_may/e/e695917608ce3261b0c42355f27efaa5



 


柏木 博・著「日用品の文化誌」

2023年10月17日 | 読書ノート

柏木 博・著「日用品の文化誌」


紹介:柏木 博・著「日用品の文化誌」について

(1999年6月21日第1刷・岩波書店から発行)

<著者について>

柏木 博(かしわぎ・ひろし) 1946年神戸市に生まれる.1970年武蔵野美術大学卒業.東京造形大学教授を経て,1996年武蔵野美術大学(近代デザイン史)教授. 2000年文化庁メディア芸術祭審査委員.2017年武蔵野美術大学を定年退職、名誉教授.デザイン評論家.2021年12月13日没.

<本書について>(本書・カバーより)

今や生活に浸透した様々な<もの>やメディアは、どのように生み出され、受け入れられていったのか。紙コップ、電灯、スーツ、ラジオ……登場したときのエピソードや、意外な展開を紹介しながら、産業や社会への影響にとどまらず、人々の感覚や思考の変容をもたらした、多くの「日用品」をたどって、二十世紀の文化様式をとらえ直す。


◯柏木博さんと文化誌 

 文化誌というと、一般的に地元の土地を思い発展させていこうとする意思が感じられる出版物と思われがちだが、本書では文化を形成する道具(生活を便利にし豊かにする道具、生存のための道具・装置など)について解説している。日常の道具や装置という「日用品」について、文化に関わる点を興味あるものとしてまとめ記録したものである。ただしここで取り上げた日用品は筆者の“興味”の対象によって偏りがある。それは工業化が進んだ二〇世紀に“良い暮らし”を生み出した「モノ」について、社会課題をデザインによって克服しようとした人たちに着眼し解説しているからだ。例えば住宅の生産の簡便さと生活の効率化を両立させたバックミンスター・フラーや、家事の合理化と女性の社会的立場の向上のため新しい家政学の成立に取り組んだキャサリン・ビーチャーだったり、“メディアはメッセージだ”というマーシャル・マクルーハンについて当時の小型ラジオを用いて解説している。「柏木博」らしく独特の文化的な観点から日用品を見つめている点がおもしろい。

 わたしは、1990年代に「21世紀のデファクト・スタンダードを創出する」ために異業種14社が集まり構成された「東京クリエイティブ(略称:TC)」に参加していた。そこには未来の商品・製品の研究開発を示唆する発起人として柏木博さんがおり、2001年までの10年の間、エレクトロニクス・バウハウスと称した場を共有し、空間系や身体系、情報系、交通系における新たな時代の環境、貧困、極限状況などの問題点について共有し学んだ。本来“エレクトロニック・バウハウス”と称する方が正しいのだが、イメージ的には電子情報化時代のバウハウスを意味する故にTC固有の呼称として定着した。またバウハウスとは二〇世紀初頭のドイツに誕生した造形学校であり、“あらゆる造形活動の最終目標は建築である!”として「サロン芸術」(上流階級の芸術)の内部に喪失していた建築精神を手工芸によって再び満たそうとした。バウハウスは創造的形成のための理念であり運動であり根源であった。それゆえTCも企業による取り組みでありながらデザイン運動的な要素をはらんでいた。

 本書ではその際の事例が多く採り上げられ個人的に親しみのある内容になっている。これらの視点はエレクトロニクス・バウハウスを志向した柏木博さんのライフワークの一面を語っている点で意味がある。

 本書は<Ⅰ 住居と食事><Ⅱ 身体と世界><Ⅲ 受信と発信>の三つのテーマで構成されており、次にこの中からいくつかトピックスを紹介する。


◯衛生と住居について 

 生活の場と密接な関わりを持つ住空間の項目では「衛生」に主眼を置いて語られている。住宅に欠かせない衛生装置という機能の重要性について、フリードリヒ・エンゲルス(カール・マルクスを公私にわたり支えた)の「住宅論」の一部を用いた説明がある。エンゲルスは労働者の集合する「不良地域」こそ時々都市を襲ったコレラやチフス、痘瘡などの伝染病の孵卵場だと指摘しそれを政治的に無視ししようとする議論に反論する。柏木さんはこれに対して次のように意見している。(引用)貧困な都市生活者たちが、不潔な空気や水に汚染され、その都市は伝染病の孵卵場になっているというエンゲルスの指摘は、その後、エンジニアや建築家によって構想されることになる、「衛生的な住宅」という概念ともどこかで繋がっていると言えるだろう。たとえば、「建築は住むための機械だ」と語った建築家のル・コルビュジエもまた、「結核菌」に汚染された都市をクリアランスすることが、近代住宅にとってまず必要なことだと考えていた。住宅の機能与件についてこうした観点を挙げて語るところが柏木博さんらしい所以だ。また、モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジエに触れて森山学・著「衛生を建築する」(『10+1』10号、INAX出版、1997年)をもとに次のように書いている。(引用)ル・コルビュジエが「太陽と空間と緑」の必要性を言うとき、それは衛生対策の武器であったからであり、住宅は洗面台や便器やバスといった「衛生―機械」を収めた機械なのだと森山は述べている。住宅を機械という機能を持った装置ととらえた視点は、工法や空間をユニット化した現代の住まいへと受け継がれつながっている。

 また「住宅=機械」という視点について柏木さんはバックミンスター・フラー(「宇宙船地球号 操縦マニュアル」の著者)に触れており、両大戦間の時代にアメリカに出現した「住宅=機械」、そして工業生産可能な量産型住宅のもっとも先鋭的なモデルとしてフラーの「4 - D」(ダイマクション・ハウス)であったと言い切っている。最小の力で最大の効果を生むフラーの思想はフラー・ドームで形になるのだが、バクミンスター・フラーの詳細は非常におもしろいので別の時にあらためてまとめていきたいと思っている。(なおダイマクションはダイナミックとマキシマムによる造語である)

 ところで「住宅=機械」という機能は十九世紀の家事労働の機械化におよぶ。家事労働の中で特に重労働だった洗濯について洗濯機の発明=衛生清掃作業及び家事労働の機械化としている。また洗濯機に限らずあらゆる家事の機械化が十九世紀のアメリカで進んだ。(引用)アメリカでは産業の機械化や合理化の影響のもと、キャサリン・ビーチャーをはじめとした多くの女性たちが家事の合理化と女性の社会的立場の向上を目的とした新しい家政学をつくろうとした。キャサリン・ビーチャーはアメリカの奴隷制廃止に尽力したハリエット・エリザベス・ビーチャー・ストウの姉で家事そのものを労働と位置付けた。また女性のための家事労働を新たな家政学の創出に向け検討することで、家事の意味を捉え返す契機になった。柏木さんが“ストウ夫人”ではなくキャサリン・ビーチャーを取り上げ、二〇世紀の終わりに「新しい家政学」の研究に取り組んだことは、その後のジェンダーフリーに基づく社会の立て直しにも関わる部分として意味があったと思う。

 このほか照明の説明では、ランプから電球へと技術革新が進んだことで太陽光に影響されない労働時間が可能な状態になり、資本のもとで労働がコントロールされるようになったとしている。また、石炭や石油から電気へとエネルギー源が変化することでエネルギー所有が個人の所有から集中化され(引用)企業家単位の資本主義が、集産主義的かつ法人組織の資本主義の形態へ移行することとなったと説明されている。このことは二〇世紀の環境(生活や産業)が、個人の所有からインフラストラクチャー(社会資本または独占資本)へ依存し従属せざるを得なくなっていると結んでいる。


◯衣服と身体について

 衣服の項目では、ミシンの開発が軍服や標準服の誕生を助長し国家としての維持・コントロールを可能にするとともに、(引用)衣服に関する規則を強制することによって、ある一定の社会秩序やシステムの強固さを可視化することが歴史的に行われてきたと分析している。また、「紳士服」とされてきたスーツについて、(引用)衣服を変えようということは集団的秩序からの逸脱を意味するとともに、自らの存在のあり方をも変容させることにほかならない。とし、ダブルや襟の幅などのデザインに多少の違いがあったとしてもスーツである限り、世界中どこでもシステムの内部にいるかのような感覚が得られる強い力を発揮するとした。この日常生活に必要となる衣服の別の側面について語るやり方はいかにも柏木さんらしく、若い頃に身近だった反体制運動などの視点を通して培ったモノのとらえ方を感じる。

 スーツのように普遍性を強制する衣服はある基準に基づいて(内部)統制的な役割を果たすわけだが、その普遍性をもたらす一定の基準は個別の自然や身体を計測することで(詳細な説明を省くが)結果的に空間、就中世界を定量化することにつながっていくと解説している。柏木さんはここで(引用)この測定単位のユニヴァーサル化こそ、複数の地点でのものごとの比較を可能にする、近代的な思考を支えるものであり、また同時に世界を均質なものとして捉える近代の視点をも内包していたのではないか。と政治力学に通じる論を展開している。このような考え方を一見すると穏やかな文化誌の一ページに挟んでくるところが不自然であり興味を引くところだ。普遍的であること、ユニヴァーサル化は平等を思わせるところがあるが、実は使い方を知れば差別や戦争につながるということだ。

 基準を決めることができると、測定値が意味を持ち、モノの使い方やあり方が一気に決定される。これにより普遍的な製品とシステムとして定着し、文化は発展する。つまり社会的な時間のスタンダード化が進み新たな生活へ貢献したことになる。ただこれは〈モノ〉に支配された二〇世紀の文化を形づくった価値観であり、現在はすでに〈モノ〉だけでなく情報に重きが置かれさらに地球環境を重視する時代だ。


◯上記以外のエピソードについて

 本書の<Ⅲ 受信と発信>の項目では、通信とネットワークや情報について解説されている。電話や無線機、持ち運び可能な小型ラジオ、シアーズ・ローバック社のカタログ(通販のことである)などである。ここでも柏木さんらしさが溢れているのはラジオというメディアについてマーシャル・マクルーハンの「メディア論」を用いて(引用)ラジオは活字と異なって感覚に衝撃を与えるメディアであった。人々はラジオの語りかけを個人的に語りかけてくるメッセージのように感じたのである。とメディアとしての効果を説明しており、わたしはこの部分が感覚を変容させる例として一番好きだ。(マクルーハンとメディア論についてもあらためて別の機会にまとめていこうと思う。)

 またシアーズ・ローバック社のカタログの話は、アメリカで発売されたカウンター・カルチャーによる生活提案型の「ホール・アース・カタログ」へと結果的に繋がっていく。今の時代、シアーズのカタログはインターネットの通販に変わったが、これによりカタログ通販の距離と時間を狭めてつながりやすくした事実は周知である。ただし、「ホール・アース・カタログ」のもう一つの側面として見られたサバイバル・カタログの性格はなくなってしまった。柏木さんはこれを(引用)シアーズ・カタログと全く異なっているのは、生活を自ら主体的に構成するべきことを提案している点である。(中略)『ホール・アース・カタログ』は、消費社会が生み出した膨大な商品を、あるべき自らの生活という視点から見直し、カタログという実践的な情報メディアにした。この考え方は、レヴィ・ストロースが説明しようとした、ありあわせのものを寄せ集めて必要なものをつくる器用人(ブリコール)の考え方に近いものであったとも言えるだろう。としている。

 これ以外に、「二〇世紀を動かした楽器」と題してエレクトリック・ギターについて取り上げており、文化がそうであったように音楽が政治的な力あるいは権力として機能してきたとしているのだが、思いのほか熱のこもった内容でこれは明らかに柏木さんがロックを愛していたからに他ならないだろう。懐かしく読むことができる。

 この書籍を通じて受ける印象は、結果的にコミュニティの重要性について言及しているような気がしてならない。それが柏木博さんの語る文化の帰結するところではないか。


(おまけ)

通常一週間分の家事の仕事量とそれに使うもの(1947年「ライフ」誌)・本書より

(おわり)


柳田邦男・著「人生の1冊の絵本」

2023年09月29日 | 読書ノート

柳田邦男・著「人生の1冊の絵本」


紹介:柳田邦男・著「人生の1冊の絵本」について

(2020年2月27日第1刷・岩波新書から発行)

<著者について>(本書より)

柳田邦男(やなぎだ・くにお)

1936年栃木県生まれ.ノンフィクション作家.現代における「生と死」「いのちと言葉」「こころの再生」をテーマに,災害,病気,戦争などについての執筆を続けている.最近は,絵本の深い可能性に注目して,「絵本は人生に3度」「大人の気づき,子どものこころの発達」をキャッチ・フレーズにして,全国各地で絵本の普及活動に力を注いでいる.

近著に『人の心に贈り物を残していく――がん患者の幸福論』(共著,悟空出版),『終わらない原発事故と「日本病」』(新潮社),『言葉が立ち上がる時』(平凡社),『絵本の力』(共著),『砂漠でみつけた一冊の絵本』,『生きる力,絵本の力』(以上,岩波書店),などがある.翻訳絵本の『ヤクーバとライオンI 勇気』『同II 信頼』(以上,講談社)と『だいじょうぶだよ,ゾウさん』(文溪堂)は,子どもたちに影響を与えている.

<本書について>(本書・カバーより)

絵本と出会い、何かが変わっていくかもしれない……。こころが何かを求めているとき、悲しみのなかにいるとき、絵本を開いてみたい。幼き日の感性の甦りが、こころのもち方の転換が、いのちの物語が、人を見つめる木々の記憶が、そして祈りの静寂が、そこにはある。一五〇冊ほどの絵本を解説しながら、その魅力を綴る。


◯絵本は小説とは違う独特の深い味わいを大人に与える

 日々暮らしていると、割り込みやズルをするおとな、自分の都合を優先し他人に迷惑をかけても構わないでいるおとなを見かける時があります。また、そうした行いが私たちが生きる社会や政治などの場面でも当たり前のように罷り通っていくとき殺伐とした気持ちになります。

 この本を紹介したいと思ったのは、こうしたなんとなく腑に落ちない日々にいて、本書がその邪念を取り払いしばしば気持ちを癒してくれるからなのです。読んだことのない絵本の解説に癒されるのもおかしなものですが、著者の幅広い知識と絵本とその作家への敬意がそうさせてくれるのだと思います。

 著者は本書の「あとがき」で次のように書いています。「(引用)絵本は文章の理解力がまだ発達していない幼い子どものために絵で言葉を補っている本だと思い込んでいる人が多い。だが、違う。絵本は、子どもが読んで理解できるだけでなく、大人が自らの人生経験やこころにかかえている問題を重ねてじっくりと読むと、小説などとは違う独特の深い味わいがあることがわかってくる。

 本書では著者・柳田邦男氏が一五〇冊ほどの絵本作品を紹介しています。作品はこの今を見つめることのできる窓のようです。作品の解説では著者が現代の課題をわかりやすく採り上げたのち、作品について知見に基づいた目線で説明してくれます。難しいことをわかりやすい説明ですごいなあと思う話をしてから絵本に関連づけてくれます。


◯身近な話を通して課題を理解する

 本書の冒頭で著者は次のようにお話を挟み込んできます。「引用)夜、静かなまちのなかをクルマを走らせていると、ふと思うことがある。家々は静まり返っている。どの家も屋根の下では、家族が何の問題もなく平穏に暮らしているように感じられるけれど、必ずしもそうではないだろうな。むしろ屋根の下では、誰かががんを患っていたり、認知症の親のケアに追われていたり、障害児の養育が大変だったりなど、何らかの問題をかかえている家が少なくないだろう。そんな思いが、頭の片隅を過(よぎ)るのだ。」と著者は読者に語りかけます。課題は意外に身近にあるのです。

 例えば、「ゆびがなくても、おかあさんになれるんだ」のように子どものこころを代弁し、またおとなと子ども両方へ理解を求める作品(『さっちゃんのまほうのて』たばたせいいち、先天性四肢障害児父母の会、のべあきこ、しざわさよこ・共同制作、僭成社、1985年)を選んで解説しています。著者が説明した一部分を掲載します。『(引用)その絵本の物語は、こうだ。幼稚園に通うさっちゃんは、みんなとままごと遊びをするのが大好き。ある日、おかあさん役をしたくなったのだが、強い女の子がそうさせてくれない。<てのないおかあさんなんて へんだもん>と。

 さっちゃんは幼稚園を飛び出し、家に帰るなり、おかあさんに訴える。「さちこのてには、どうしてゆびがないの?」と。おかあさんはやさしく説明してあげるが、さっちゃんは涙を流して、<いやだ、いやだ>と言う。幼稚園に行かなくなり、家でもあまり口をきかなくなる。

 そのうちに、おかあさんが入院し、赤ちゃんを出産する。さっちゃんはおとうさんに連れられて病院に行き、赤ちゃんのほっぺをさわる。赤ちゃんはかわいい両手をふってうれしそうにする。<さちこも とうとう おねえさんね>と、おかあさんが言う。帰り道、おとうさんに手をつながれて歩きながら、さっちゃんはぽつんと言う。

<さっちゃん、ゆびが なくてもおかあさんに なれるかな>おとうさんは、しっかりとした声で答えた。

<なれるとも、さちこは すてきなおかあさんに なれるぞ。だれにもまけないおかあさんに なれるぞ>

<それにね さちこ、こうして さちこと てを つないであるいていると、とっても ふしぎな ちからが さちこのてから やってきて、おとうさんのからだ いっぱいに なるんだ。さちこのては まるで まほうのてだね>

 先天性四肢障害の女の子のお話を通じて、子どもだけでなくおとなも前向きになることができます。作品の持つ力と著者の解説によって“夢見る絵本の世界”ではなく“希望の持てる絵本の世界”に変わります。現実の世界も捨てたものではなく、あらためて前を向いていこうという気持ちになれる絵本だと思いませんか。


◯目次から課題や内容を理解してください

 目次には、絵本のタイトルが挙げられているわけではありません。目次のタイトルに合わせて二、三冊の絵本が紹介されています。例えば、木は見ている、人の生涯をでは『最初の質問』(長田弘・詩、いせひでこ・絵、講談社、2013年)と『ならの木のみた夢』(やえがしなおこ・文、平澤朋子・絵、アリス館、2013年)の二冊を用いて自分の人生の物語について考えるきっかけを与えてくれています。他の目次タイトルについても、実は大人の自分に対する問いかけがずっと行われているので、正直な気持ちで読み進める以外にはないのです。この本には自分を欺くことができない仲の良い親友のような役割があリます。

1 こころの転機

ゆびがなくても、おかあさんになれるんだ  2

少女のこころの危機と絵の力  9

疎外された少女に雪解けが  15

もうひとつのこころの動きが  21

自己否定が自己肯定に変わる瞬間  27

障害のある子どもの限りない創造力  33

何をすることが、いちばんだいじか  39

なにはともあれ外に出てみよう  45

2  こころのかたち

人はなぜ学び、なぜ働き、なぜ祈るのか  52

人は何を求めて旅に出るのか  58

感性が刺潡される逆転劇  64

光より速い人間の想像力  70

ずっこけ、でも明日があるさ  76

ファンタジーはグリーフワークの神髄  83

ファンタジーの世界で遊ぼうよ  89

いまひとたびの、あの元気と明るさを  95

五〇歳からの六歳児感性の再生法  101

3  子どもの感性

夢のなかで遊ぶ子どもの世界  108

子ども時代を生きるとは  114

おさな子が「おにいちゃん」になるとき  121

子どもが人生への一歩を刻むとき  127

どろんこのなかの生きる楽しさ  133

4 無垢な時間

生きものの眼差し、人間の眼差し  140

どうぶつが生きる、ひとが生きる  146

いのちを育む鳥の巣讃歌  152

雪の森はこころを静寂の世界に  158

無垢な時間を与えてくれる動物たち  164

冬でも生きている小さないのち  170

5 笑いも悲しみもあって

なんとなく笑えるって、いい時間だ  178

不条理な悲しみの深い意味  184

やっぱりじんとくる純愛物語  190

童話という語り口の深い味わい  196

少年が本に魅せられるとき  202

生きるに値すると思えるとき  209

6 木は見ている

木は見ている、人の生涯を  216

木に育まれる人間のこころ  223

花のいのち、人のいのち、しみじみと  229

森を守った物語  235

落ち葉たちの円舞曲  241

葉っぱの旅、なんと深い感動が……  247

7 星よ月よ

星は見えない夜もそこにあって  254

まるい月に目を輝かせる赤ちゃん  260

強烈な色がひらく異界  266

静寂のなかの音、のどを潤す冷水  272

目に見えないものこそ  278

夢幻の世界にこころ漂わせて  284

人生の最後の「贈り物」とは  291

8 祈りの灯

祈りの灯、消えないように、消えないように  298

亡き人の実存感がこころにストンと  304

空を翔ける空想家のメッセージ 310

言葉のない絵本のインパクト  316

空襲、こころに刻まれるあのこの死  322

戦争や災害をどう伝えるか  328

 すでに読んだ絵本もあるでしょうけど、もう一度おとなの立場で読み直してみて下さい。きっと作者の思いをもっと深く理解するでしょう。


(おわり)


最果タヒ・著「十代に共感する奴はみんな嘘つき」

2023年09月17日 | 読書ノート

最果タヒ・著「十代に共感する奴はみんな嘘つき」


書籍『最果タヒ・著「十代に共感する奴はみんな嘘つき」』について

(2019年5月10日第1刷・文春文庫より発行。)

<著者について(本書より)>

最果タヒ(さいはて・たひ)

1986年、兵庫県神戸市生まれ。2006年、現代詩手帳賞を受賞。07年、詩集『グッドモーニング』を刊行。同作で08年に中原中也賞を受賞。15年、『死んでしまう系のぼくらに』で現代詩花椿賞を受賞。著作に、詩集『空が分裂する』『夜空はいつでも最高密度の青色だ』、小説『星が獣になる季節』『少女ABCDEFGHIJKLMN』、エッセイ集『きみの言い訳は最高の芸術』『百人一首という感情』などがある。清川あさみとの共著『千年後の百人一首』では百首を現代語に訳した。

<本書について(本書より)>

女子高生の唐坂和葉は17歳。隣のクラスの沢くんへの告白の返事は「まあいいよ。」いつもヘッドフォンをつけていて「ハブられている」クラスメイトの初岡と、沢の会話を聞きながら、いろいろ考える。いじめのこと、恋愛のこと、家族のこと。十代のめまぐるしく変化する日常と感情と思考を、圧倒的な文体で語る新感覚の小説。


◯心地よいスピード感に触れる

 詩人、最果タヒのこの一風変わった小説のタイトルに惹かれつい読んでしまったが、女子高生の日常を覗き見るような大人感覚ではやはり太刀打ちできない。それは著者の詩人としての感性(こんなことを書くこと自体不自然)から生まれた当然の帰結だ。脳が柔らかく力んだ結果、スラスラとこのような作品を誕生させるのだろう。読後感は誠に素直である。もっと読んでいたかったという気にさせられる。

 話の主題は“いじめ”。彼女・主人公の考えは淡々と展開しながら進んでいく。共感してたまるかと心に決めて読み進めるが、共感することばかりなので失速することなく話につられて脳のどこかが追随していく。それにしてもこの終わりのない詩のような文章のスピード感が心地よく、頭の中でくるくると他人ごとのような思い出までもが息を吹き返してくることに待ったをかけることができない。待ったをかけたが最後、したり顔で共感する嘘つきになってしまうだろうから。


◯素直な言葉の応酬

 まずは冒頭に主人公による自分の分析がある。主人公の珠玉のような言葉の数々の一例でしかないが、たとえば(引用)かわいそうな人のためにしか芸術がないから、かわいそうな人がかわいそうぶっている世界が嫌いです。音楽に救われたって言っている子に永遠に勝てない。」「(引用)かわいそうだったり、モテたかったり、世界への違和感をいだいていたりすると、アーティスティックだからうらやましい。」「(引用)私は私の感性を守りたいとかそんなことは思わないけど、とにかく私の感情は私だけのもので、そして私はそれを守らず捨てていく。


◯“いじめ”について

 続いてこの小説のテーマでもあるいじめについて、異論はあるだろうが油断すると共感してしまいそうになる。「(引用)ヘッドフォンの彼女は最後の机を並べ直して、自分が掃いたゴミを自分で回収し、ゴミ箱に捨てた。いじめなんていうのはくだらないからこの学校では起こらないっていうのが保護者の認識で、生徒の認識で、っていうか生徒は多分彼女をハブろうなんて思ってなくてただ掃除をさぼったら、彼女だけがさぼらなかったっていうだけなんだろうけれど、彼女はいじめられていると思っても私にもろくに話しかけずにヘッドフォンをつけて、音楽だけが友達と思っていて、私と同じミュージシャンのファンだったとしたらきっと彼女はそのミュージシャンに救われたと言って、この人がいなくなったら生きていけないとか簡単に言えて、私はいや生きるしって思う。主人公のハブられることに対する認識はそれほど深刻ではない。が、周りと感じていることの違いにうんざりしてしまう。たとえば特に仲が良いわけではないが、学校帰りの駅のホームでいっしょに食べる(引用)団子が美味しいから私は彼女たちと一緒にいるのが楽しかった。共感だとかそういうものは知ったこっちゃないけど、おいしいものはおいしいし、それだけで場はもつ。いじめられていることを弱みとして体現するか否かが問題だと提起する。ストーリー的にはここから山場だが、これ以上、内容について深く触れるとあらすじを追うようになってしまうので端折る。


◯“かわいそう”であること

 主人公の兄の友人・三井と、“かわいそう”と他人から思われていることを自覚している可能性がある同じクラスの女子高生・初岡の会話に苛立つ主人公。三井は主人公を救うため一緒にいたはずなのに、初めて会った初岡がバンドをやっているという話を聞いて興味を示す。果たして主人公は“いじめ”と“かわいそう”の関係について次のようにさらりと考える。(引用)三井がもてなしているのが遠い世界の出来事みたいだ。なんでみんなそんなふうに、あっさり他人と仲良くなれるんですか。そいつが最低な人間である可能性とか、自分を殺したいと思っている可能性とかどうして考えないんですか。平和主義ですか。私は今全員大嫌いです。全員殺したい。誰も気づいていないことにいらつきますよ。死ねよ。なんのためにいじめられたのか、苛立つ主人公の気持ちを示している表現が大変良くて読者として共感を示したくなる。兄の友人・三井に奢ってもらったイチゴパフェを食べながら(引用)いちごをパフェの底まで沈めて、かき混ぜてどんどんまずくしていくんだ。何にも言えない。家出も、パフェ食べてるだけじゃん。かわいそうぶってるってみんなに言われておしまいだ。初岡だってもう私に興味ないし、三井の不幸に興味津々。結局、主人公は何も変わっていないしかわいそうという自覚もないのに、周りの勝手な思いや言葉の波に揺れる。


◯話はこうして終わっていくのだが

 著者のあとがきには十代の頃の自分について本人の考えが示されている。タイトルの〝みんな嘘つき〟の一人にならないためにこの内容をヒントとして記載しておく。(引用)過去のきみは、きみの所有物ではない。当たり前のそんなことを忘れてしまう。10代の私のことを私は、一つも理解できていない。そう思っていなければあの頃の私があまりにもかわいそうだ。懐かしさという言葉ですべてをあいまいにして、そしてわかったつもりになるなら、それは自分への冒涜だって、気付かなければならない。

 この本、時間の流れや表現の気持ちよさ面白さに翻弄される本だ。詩だと思って読んでも良い。現代詩手帖の詩にも選ばれた最果タヒはいけてるのでそのまま味わうことができる。たとえば2019年に発行された詩集「恋人たちはせーので光る」はかっこよくて、「十代に共感する奴はみんな嘘つき」の延長にあり、いまという時が駆け足で通り過ぎようとするので待ってくれと何度でも読み返したくなる。

(おわり)