2012年も5日過ぎて、今更年末の話もどうなの??と思いましたが、ブログにアップしようと写真を撮ってきたので
えぇ~、名古屋から京都辺りがで新幹線のダイヤが乱れた12月26日、私たちは東京へと向かいました
お約束の富士山
やっぱり日本一の富士山は良いですねぇ。 皆さん写真撮っていました。
ちょいと遅れたものの、ちゃんと席にも座れたし、無事東京に到着~。 遅延のため特急券の分7800円が払い戻しに、いぇい
今回のメインは・・・ これです!!
じゃじゃ~~~ん
アンジェラ・アキの武道館コンサートで~~す コンサートって言ってしまうところで年齢が出てしまいますが・・
ダメもとで応募したら、見事に当たっちゃったんです、いぇい
年末の忙しい(?)ときに2日もお休みもらっちゃいまして、楽しんでまいりました。
今回は大きい会場の1階席だったので20cmほどのアンジーだったのですが、翌日ホテルのテレビで
お顔が見られました。
おなじみのナンバーTシャツ 『22』=『にんぷ(妊婦)』 だそうです
・・・で、
東京のホテルも楽しみ、
帰りの富士山も楽しみ、
バディコパの待つ家へと
実はバディコパさん、最初は実家ティンカーベルへお泊りと考えていたのですが、のために菰野へ行くのはちょいと怖かったので、
急遽じぃじ宅にお泊りとなりました。
私としてはこっちの方が心配だったんですけどね・・・
じぃじ宅では今まで上には上がらせてもらえなかったバディコパですが、寒いのはかわいそうと初めてじぃじ宅の部屋へと入れてもらったようです。
で、隣の部屋のじぃじのところに夜中3回もなにやら話しかけにいったそうです
「ボクたち、いつ家へ帰れるの?」
「なんでここで寝るの?」
「は?」 とか言いにいったんでしょうかねぇ
おかげでじぃじは寝不足に・・
夜のトイレも家の周りをどれだけ歩いてもコパンがおしっこもウンチもしなかったようで、朝イチでお店まで車で連れていき(じぃじ宅から車で2分)
無事朝トイレを済ませたんだそうです。
コパンくん、こう見えて繊細なの
コ「ちょっと失礼します」
・・でぇ、私たちが家に帰って、散歩も済ませ、さぁ今からお茶にしようとしていた4時過ぎ、突然の訃報で大慌て
はじめみんなが病院へ行ってしまい、お店に残された者はさらに どうしたらいいの?状態。
そして、「はっ!バディコパを預かってもらわないと!!」 バタバタするから面倒みてられないですしね。 連れていけないし。
今から連れていくと時間が遅くなっちゃうけど、無理を言って菰野で預かってもらうことになりました。
菰野の先生方、無理を言ってすみませんでした とっても助かりました
菰野までの引率者は父。 数年前に一度菰野へ行っただけのほぼ初心者。
ナビで目的地設定をしたのに、何度も何度も「今ここなんやけど・・」と電話が。 私も「そうそう、まだまだまっすぐ行って」の繰り返し。
だって国道306をひたすらまっすぐ行って、ちょいっと曲がるだけなんだけど、暗くなってきたから見えづらかったんだって。
歳だからねぇ
お葬式を終えた翌日・30日、またも父がバディコパを迎えに行ってくれました。 「明るいうちやったらもう大丈夫や」と。
「ただいま帰りました」
ん? バディくん、お疲れですか? おめめがとっても眠たそうだよ。
「ボクちん、家に帰りたい」
あらま、コパンもですか? 「眠たいんやったらハウスで寝なさい」と言っても寝ないコパン。 お家でゆっくり寝たかったようです
じぃじ宅で慣れない夜を過ごして、そのまま菰野へ3泊のお泊りだもんね。 疲れたよね。 もう若者じゃないしねぇ~
私たちも若者じゃないから疲れました・・・
こんな感じの怒涛の年末でありました~~~~。 あは、あは、あはは・・・・
亡くなったのは96歳のの祖母です。
そして、3月11日には大震災の2時間前に私の祖母も亡くなりました。 99歳でした。
今年は2人の祖母を見送りました。 どちらも大往生ですな。
えぇ~、名古屋から京都辺りがで新幹線のダイヤが乱れた12月26日、私たちは東京へと向かいました
お約束の富士山
やっぱり日本一の富士山は良いですねぇ。 皆さん写真撮っていました。
ちょいと遅れたものの、ちゃんと席にも座れたし、無事東京に到着~。 遅延のため特急券の分7800円が払い戻しに、いぇい
今回のメインは・・・ これです!!
じゃじゃ~~~ん
アンジェラ・アキの武道館コンサートで~~す コンサートって言ってしまうところで年齢が出てしまいますが・・
ダメもとで応募したら、見事に当たっちゃったんです、いぇい
年末の忙しい(?)ときに2日もお休みもらっちゃいまして、楽しんでまいりました。
今回は大きい会場の1階席だったので20cmほどのアンジーだったのですが、翌日ホテルのテレビで
お顔が見られました。
おなじみのナンバーTシャツ 『22』=『にんぷ(妊婦)』 だそうです
・・・で、
東京のホテルも楽しみ、
帰りの富士山も楽しみ、
バディコパの待つ家へと
実はバディコパさん、最初は実家ティンカーベルへお泊りと考えていたのですが、のために菰野へ行くのはちょいと怖かったので、
急遽じぃじ宅にお泊りとなりました。
私としてはこっちの方が心配だったんですけどね・・・
じぃじ宅では今まで上には上がらせてもらえなかったバディコパですが、寒いのはかわいそうと初めてじぃじ宅の部屋へと入れてもらったようです。
で、隣の部屋のじぃじのところに夜中3回もなにやら話しかけにいったそうです
「ボクたち、いつ家へ帰れるの?」
「なんでここで寝るの?」
「は?」 とか言いにいったんでしょうかねぇ
おかげでじぃじは寝不足に・・
夜のトイレも家の周りをどれだけ歩いてもコパンがおしっこもウンチもしなかったようで、朝イチでお店まで車で連れていき(じぃじ宅から車で2分)
無事朝トイレを済ませたんだそうです。
コパンくん、こう見えて繊細なの
コ「ちょっと失礼します」
・・でぇ、私たちが家に帰って、散歩も済ませ、さぁ今からお茶にしようとしていた4時過ぎ、突然の訃報で大慌て
はじめみんなが病院へ行ってしまい、お店に残された者はさらに どうしたらいいの?状態。
そして、「はっ!バディコパを預かってもらわないと!!」 バタバタするから面倒みてられないですしね。 連れていけないし。
今から連れていくと時間が遅くなっちゃうけど、無理を言って菰野で預かってもらうことになりました。
菰野の先生方、無理を言ってすみませんでした とっても助かりました
菰野までの引率者は父。 数年前に一度菰野へ行っただけのほぼ初心者。
ナビで目的地設定をしたのに、何度も何度も「今ここなんやけど・・」と電話が。 私も「そうそう、まだまだまっすぐ行って」の繰り返し。
だって国道306をひたすらまっすぐ行って、ちょいっと曲がるだけなんだけど、暗くなってきたから見えづらかったんだって。
歳だからねぇ
お葬式を終えた翌日・30日、またも父がバディコパを迎えに行ってくれました。 「明るいうちやったらもう大丈夫や」と。
「ただいま帰りました」
ん? バディくん、お疲れですか? おめめがとっても眠たそうだよ。
「ボクちん、家に帰りたい」
あらま、コパンもですか? 「眠たいんやったらハウスで寝なさい」と言っても寝ないコパン。 お家でゆっくり寝たかったようです
じぃじ宅で慣れない夜を過ごして、そのまま菰野へ3泊のお泊りだもんね。 疲れたよね。 もう若者じゃないしねぇ~
私たちも若者じゃないから疲れました・・・
こんな感じの怒涛の年末でありました~~~~。 あは、あは、あはは・・・・
亡くなったのは96歳のの祖母です。
そして、3月11日には大震災の2時間前に私の祖母も亡くなりました。 99歳でした。
今年は2人の祖母を見送りました。 どちらも大往生ですな。