布教師として、春秋彼岸続けて法話の依頼を受ける事もある。毎年決まった行事に10年以上続けて依頼されることもある。誠にもったいなくも、ありがたいことである。m(_ _)mしかし、そこで、働くのが、まさか毎年同じ話をするわけにはいかない!何か新しいネタを持参せねば!と言う思い。確かにだからこそ新しい話も出来るのではあるが、この思いがまだ半人前な私、とつくづく感じる。
落語の祖と言われるのは京極誓願寺の55世、安楽庵策伝さまと、言われる。落語の好きな人はお金を払ってでも、その話を聴きたいのである。話の筋も中身も、何処で泣かされ落ちがあるかも知りながら、やはり「まってました!」それが聴きたかった!となるわけで、法話が落語の元ならば、堂々と同じ法話を出来ないといけないのです。まだまだ私は出来ません(≧∀≦)
廣井一法