ブッダの樹ブログ

活動報告・今日の一言・お知らせ・日記等
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坊主のひとりごと

2024年01月05日 | ブログ


久々にひとりごと。何年振りかなあ。いつの間にやら還暦も超え、本当のお爺になりました。外まご二人、うち孫一人、さて、この子達が二十歳になる頃はまだ生かされて居るかなあ。人間には生き甲斐、張り合い!が必要です。出世が張り合い。商売が生き甲斐、畑仕事が張り合い、まごの守りが生き甲斐など。ひとそれぞれ。でも、この世の生き甲斐、張り合いとしがみついている物はいつかは、手放していくものです。孫達もいつかは巣立っていきます。人生は瞬く間に暮れていきます!いつまでも、病気をせずに、生きておれる様に今は思っていても、どんどん衰え、自分の事さえままならない様になって行き、達者で長生き!結構な事ですが、友人も、1人欠け2人欠け。場合によっては、長生きのお陰で、息子や娘を送る目を見て、やっと仏様の世界を本気で願う気が起こるのでは、少々手遅れです。そのためには日頃から念仏信仰を確立しておきたいものです。死んだら終わりではありません。先に往った人々との幸せ極まりなきくらしが始まる時です。不要不急でなく、重要大至急がお念仏の信仰です。死ぬ時が、往くとき、送った人と再会を果たす時です。それを生き甲斐、張り合いにしたいですね。


坊主のひとりごと

2021年02月06日 | ブログ


差別と平等!これって大変難しい問題です。人間として人権無視する行為、発言は当然問題になります。しかし、本当の平等とは。?本当に難しい問題です。災害避難所に赤ちゃんからお年寄りまで100人避難していたとして、100個のおにぎりが届きました。1人に一つずつ配布されました。これで、本当の平等でしょうか?赤ちゃんにはお粥、高校生には、二つ、おじいちゃんは一つで、我慢してもらって。これが、本当の平等の筈です。決して差別ではありません!しかし、真の平等の世の中にする為には、きめ細やかな配慮が当然必要になります。国民一人当たり10万円、一律給付金ほどの差別は実は無いと私はおもうのですよ。真の平等は並大抵の努力では、成し遂げられません。昨今。男女平等の世の中。当たり前に平等に扱われなくてはなりません。だから男だから貴方は50、女だから貴女も50、これで平等でしょ!と言う事では、無いはずです。男性に30女性に70で平等の時もあれば、男性に60女性に40を与えてちょうど平等の時があるはず。これは。差別です!平等ではない!と、発言する事さえ実は中々難しいと私は思っています。

仏の大慈悲は平等です!ほっておいても自ら悟りを得るほどの人格者には、手は差し伸べず、静かに見守っておられます。しかし、する事なす事お粗末で愚かな日々を繰り返す者を気にかけずにおれず、たまりかねて手を差し伸べてくださいます。
自分は世間的、そこそこの人格者と考えて生きているうちはその大慈悲は、流れ込んできません。私の様なお粗末な私にこそより多くの慈悲を注いでくださっている仏様よ!と平等の大慈悲に手お合わせるべきです。南無阿弥陀仏


坊主のひとりごと

2021年01月01日 | ブログ


明けましておめでとうございます㊗️

去年一年を振り返りますと、コロナに明けコロナに暮れる一年でしたね!?去年は、何やったのか?無駄に一年が過ぎた様にも思っていました。しかし、恥ずかしながら今日気づかせいただきました。^o^

「有難い!」の反対語は「当たり前!」らしいですが。いままで、当たり前に仲間と宴会し、当たり前に旅行を、満喫し、当たり前に通勤していた事が如何に有難い事で合ったか!と言う事です。それに、ようやく気付かされたコロナのお陰様です。有難い一年でした!


坊主のひとりごと

2020年10月26日 | ブログ


母親が死ぬまでに整理しないと、片付かない!片付かない!と言う。物があり過ぎる!ほかせば!と私は言うが、なかなか、ほかさない!関西では、捨て去ることを「放す」と言う。もともとは、禅語で放下(ほうげ)と言うらしい。一切の執着を捨て去ること。しかし、勿体ない。勿体ない!と言って、結局は放せない現実。物体そのものを無駄にせず活かさねばならないのは、百も承知。あまり、持ち過ぎない様にお互い気をつけましょう。持っては往けません!生まれて来た時も何も握らず生まれてきました。人間は本来無一物


坊主のひとりごと

2020年09月10日 | ブログ


お釈迦さまは、この世の苦と言うものを諦められました。
「諦めたらあかん!がんばれ!」など、普段私達は、諦める事をあまり良い事と考えていませんが。この世の現実をあきらかにする!明らかに観る!明らかに見つめる。と言う事で、約まって「あきらめる」なのです。

お釈迦さまは、この世の苦の実態を明らかに見つめられた訳です。普段、四苦八苦と言う使い方をしていますが、人生にあって四大苦しみ此れを四苦といいます。生、老、病、死(しょうろうびょうし)中でも当に今現在人類は、新型コロナと言う病に世界中が苦しんでいます。言うまでも無く、何時の時代にも、病は付き物。エイズ、サーズ、マーズ、エボラなどなど。100年まえは、スペイン風邪が大流行、江戸末期原因不明で、次々人々が亡くなって行くのでコロリ。と恐れてられたそうです。実はコレラだったそうですが、得体の知れぬ化け物として、顔は虎、胴体は狼、下半身は狸の絵を持って大変恐れられたそうです。虎狼狸(コロリ)です。
ワクチンが開発され、特効薬が出来たとしても、また次の新型が流行ることでしょう。この世から、病はなくなりません!逃げても逃げても追いかけられるのです。もし、このコロナ渦を乗り越えても病からは逃げられません。男性の64%女性の48%が癌に侵されるそうです。二人に一人です。
病とも共に生きていくしかないわけです。世間の人々は、死を恐れ目を背け、怖がって生きています。しかし、念仏信仰に生きる人は、死は終わり!ではありません。極楽浄土に迎え取られ、仏様の世界での暮らしの始まるときなのです。この世の生きがいとしがみついて居るものは、一つ一つ失って行くものです!最期は往生を願いつつ、念仏生活のなか、病を受けつつも、生きがいにして行きたいものです。
廣井一法