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べちの 『 フレームショット! 』

自分の備忘録です。ご興味のある方はご自由にご覧ください。

20100523 大会延期^^

2010-05-23 13:37:21 | 日記
本日出場予定の大会は、無事に(?)雨天順延となった^^;

下山開始からしばらくしてから両腿の内側が攣っていたが、帰宅後も突然攣ったりしていた^^;

一晩寝て(寝ている間は攣らず)『どーなってるかなぁ?』と思いながら起きたが、やっぱり脚が重い…
風呂に浸かって痛む部分を揉んでみるが効果の程は分からない。ただ、風呂で揉んでいて思ったが、痛んでいる部分は体温が低いようである。

風呂から上がり朝飯を食い、車で会場へと向かう。日曜の早朝は道が空いていて、1時間ほどの快適なドライブであった。早めに着き、車内で新聞に目を通しながら時間を潰す。

9時頃に延期決定した。来た道を戻り帰宅。
脚の重さが増して(経験的にはまだヒドクなる過程である…)きているので、買い置きのサロンパスを両脚に貼る。両腿の外側と内側に各2枚ずつ+両大腿直筋+両アキレス腱の上の方で合計12枚貼った…^^;

山登りは両脚を同じように使うから、テニスで偏っている弱い方の筋肉が特に悲鳴を上げるようである。やはり筋肉のメンテナンスがてら定期的に山登りに行った方が良さそうだ(そのたびに筋肉痛にはなるのだろうが…^^;)

この後は相撲の千秋楽を見ながら完全休養です^^

20100521 大山で落し物…^^;

2010-05-22 20:49:59 | 日記
行って来ました大山登山。今回は高校の先輩が主催する大山トレッキングツアーに参加であった。

集合は08:15に秦野駅北口ミスド前。TシャツにVネックのセーター(先日の都下大会優勝時の賞品)、ジャージというテニスっぽいいでたち。

08:35発の蓑毛行きのバスに乗り終点下車。
ソコからテコテコと登山開始。暑いのでセーターを脱ぎカバン(ポーチみたいなもの)にひっかけて歩いていた。

12:00前に山頂着。人がたくさんいた。12:25まで佇み、山頂を後にする。
下社まで下り遅めの昼食。ここでセーターを落としたことに気付く。
何人かが登山道入口でソレらしき物を目撃していたようで、登山道入口まで引き返すも見当たらす、諦めて帰ってきた…^^;

その後、麓までおりて、「元瀧」というお食事処で入浴しTシャツだけ着替えた。
入浴後、参加者全員で乾杯。予定していたバスの時間まで軽食を摂る。
この時、脚(両腿の内側)が攣り、立ったり座ったりして落ち着かなかった(下りのブレーキが効いた様である)。

予定していたバスに乗り伊勢原で解散し、痛む脚を引きづりながら帰宅したのであった。

明日の試合に響くかな~…^^;

20100519 大山登山に行くようだ。

2010-05-19 21:36:59 | 日記
今度の日曜日は、とある大会に誘われて参加予定である。

前日の土曜日は軽めの調整を… と思っていたが、
ナゼか大山登山に行くことになった…^^;

大山初登頂は小学4年の「林間学校」と言ったかしら?
この時記憶にあるのが、「レモンをトイレに落とした!」ということ。
まぁ、ツマラナイことだが記録しておこう。


正確な日は覚えていないが小学4年の夏頃だったと思う。
学年総出で泊りがけで出かけたのが大山である。

学校からのお達しでレモンを持って行った。登山中に必要なのだそうな。
麓にある「武田旅館」に泊まったと思う。大広間に雑魚寝だった。
初の「お泊まり」で寝付けず騒ぎ、それゆえ廊下に正座させられた覚えがある…^^;
しばらくして(先生方も眠るのであろう…)正座タイムから解放され布団に戻って寝たのであろう。

朝になり出発の時、登山開始前にトイレに行ったのだが、その時に持って来たレモンをトイレに落としてしまい、捨ててしまった。「レモンがないと山に登れない」と思った(純粋な少年だった)。

しかし、無事登頂できたが、「レモンを落とした」という記憶はいまだに強烈に脳裏に焼きついている。今考えれば全然大したコトではナイのだが…

その後も高校生の頃までは何回か登りに行っているが、ココ20年くらいは行ってない。

変わらない風景を見せてくれるのだろうか?

いや、その前に登頂できるのかを心配しよう…^^;

20100518 高校テニス部同窓会

2010-05-18 21:22:25 | 日記
先週の土曜日(5/15)、高校テニス部の同窓会があった。

朝から地元コートでいつものように練習⇒ゲームとこなし15:30頃コートを後にする。
家に帰って風呂に入って着替えて渋谷へ。

会場の建物は少し奥まった所にあり、一旦通過してしまった…
戻って建物に着くも、目的の店の入口が分からず(テナントごとに入口があるのだ…)、集合時刻ギリギリの到着となった。焦った…

集まったのは、自分が1年の頃の2,3年生までと限定的ではあったが、それでも25名の出席があった。卒業後初めて会う人だと25年(四半世紀!)ぶりになるのね…

一番下の学年だったゆえ、やはり動かねばならぬ。何年経っても先輩は先輩なのだ^^;
とりあえず乾杯用に全員分のビールを注文し配る(飲み物はカウンターで注文して受け取る形だった)。同期が進行役を命じられシナリオどおりの挨拶⇒乾杯⇒名前を言われたら起立、みたいに時は進み、歓談タイム。

空いた席に適当に移動して昔話や近況を語っているのであろう。
3時間ほど飲んでお開き。土曜の夜の渋谷で2次会20名入れる店を探すのは至難の業なのか?入れる店がナカナカ見つからず22:00過ぎ…

翌日のテニスが脳裏を過り、帰る人に乗じて退散した。残念ながら、その当時の軟式テニス(現:ソフトテニス)を続けている方はほぼいなかったのである。

後日聞けば、河岸を変えて徹夜したんだとか…皆さんまだまだお元気であった。
これから会う機会が増えそうな予感のする集まりであった。


20100513 有明

2010-05-12 20:36:38 | 日記
白子から戻った翌日の5/10(日)。

東京都民大会に集合がかかっていたため有明に行った。
乗るつもりっだった電車から1本遅れたら限りなく09:00に近い時刻に有明に着いた。

試合開始は09:00と聞いていたが若干遅れてのスタート。
試合のほうは2回戦敗退^^;

それでも有明を後にしたのは13:20頃であった。
ゆりかもめの「有明テニスの森」駅に行き、何となく新橋方面に向かう。

途中、「船の科学館」があり、船が停泊していた。何の気なしに見ていると国鉄時代の「JNR」の文字が見えた。懐かしく思い、船の名前を見ると「羊蹄丸(ようていまる)」と書いてある。

この船、実は小学生時代に乗ったことのある船であった。

青函連絡船に乗りたくて今は亡き祖父に連れられて乗った船である。青森から函館に行き、そのまま帰ってきた。片道の所要時間は3時間50分だったと思う。往復で7時間も船に乗ったのだろうか?

青森から函館への航路はほとんど甲板で海を見ていた気がする。函館の記憶はなく、函館から青森への航路は夕方になった。波が高く船酔いをした気がするが、船の中では逃げ場がなく、2等船室というのだろうか?座敷みたいな所でくたばっていた覚えがある。

アレは何歳の頃だったろう?きっと30年近くかそれ以上前のことである。そんな時代が脳裏を過った。

青函連絡船にはその後、廃止直前の昭和63年3月に乗りに行っている。この時は船中で一緒の予備校だった一群と偶然に遭遇し、函館で一夜を共に過ごした。翌日、皆と別れてひとり盛岡の宿に泊まり、初カラオケが「津軽海峡冬景色」だった… あの時の皆は今頃どうしているのだろうか?

そんな思い出を蘇らせた「羊蹄丸」との一瞬の邂逅であった。

その日は大人しく家に帰り、酒を飲みに出ることもなく夜を迎えた。