予言者と言われる人は世界中におり、予言書と言われるものも数多い。なぜに人々は予言が好きなのか?
多分、未来が不確定で、不安であるからだと思う。いつまで経っても収まらない世界中の紛争、人口・食料問題、気候変動やマイクロプラスチックといった環境問題。さらにはスペースデブリといった宇宙にまで問題は広がっている。
こうした状況の中で、予言もまた絶望的である。第三次世界大戦、大災害、人類の滅亡等明るいものはほとんどない。予言が、人々に警告を与えるものだとすれば、それも仕方がないのかも知れないが、あまりに暗い内容では気が滅入る。
しかし、予言などというものは本当に当たるのか。多くの予言者がいるが、100パーセント当たるという人はいないようだ。予言の中の幾つかが当たれば、予言が当たった、凄い人だということになってしまう。数うちゃ当たるてきに多くの予言をすれば、中には当たるものもある。また、あやふやな表現でどうとも取れる予言を当たったことにしてしまうものもあろう。
例えば、東京オリンピックの延期を当てたという人がいるが、オリンピックが予定通り行われるかどうかは二つに一つ(中止も入れれば3択)。それを当てたからと言ってそんなにすごいとは思えない。
大災害だって、いつかは来るものだ。何年何月、何処で起きるかを特定して予言しなければ、本当に予言したことにはならない。(2011年3月に大災害が起きると何年も前に予言した漫画本が話題になったが、年月を特定して当たったのは本当に珍しい)
いずれにしても、予言は所詮予言。当たるも八卦、当たらぬも八卦である。自分としては、本当に当たるのであれば、自分の死ぬ時期を当ててほしい。そんなに長生きしたいとは思わないし、自分の死ぬ時期が分かれば、いろいろと算段もつき、これからの人生が生きやすくなるような気がする。ただ、あなたは明日死にますよと言われたら、もうちょっと待ってくれと必死に懇願するだろうから、やはり未来は分からないほうがいいのかも知れない。
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