ブラキの「前立腺がん」と言われて・・

前立腺がんの発覚から現在までを綴ります
医学的には専門家でありませんので参考となさる場合は専門医にご相談ください

Ⅰ発覚からPSA検診まで

2009-07-17 | 日記
Ⅰ-1:前立腺がんの疑い
事の起こりは2006年の7月5日、55歳の節目健康診査でした。
区では40歳を過ぎると5年ごとに健康診断を行っています。
28日、健診の結果を聞きに保健センターへ
予てより懸念の大腸がん、胃がんとも”異常なし”
以前より横行結腸にポリープができやすく毎年1度、内視鏡検査をしています。
その度にポリープが1つ、2つ見つかりその都度、切除しておりました。
ところが尿検査で「潜血+-」と出ました。
陽性反応では一番低いレベルです。
これは5年前のときにも出ていたのですが大して心配はしていませんでした。

しかし健診担当の女性医師は泌尿器科を受診するよう薦めるのです。
ならばと言うことで8月25日、9月22日と近くの総合病院で尿検査、血液検査、腎臓と膀胱のエコーなど一通り疑わしきを調べましたが”特に異常無し!”
泌尿器科の医師は「癌の疑い」と言うのをなるべく心配させないよう気を使い「あと残っている検査はPSA検診という血液検査だけです。これは前立腺がんの簡単な検査ですが今すぐでなくても大丈夫です」と・・・
しかしこちらとしては今までの検査で何も無し。それにも拘らず潜血の反応。他は異常ないのにどこからか僅かに出血。ならばそれしか無いのでは・・なんとなく癌の覚悟をさせられました。
でも心の中にはPSA検査とかいうものを受けて癌の疑いを晴らしてやろうという気持ちも有りました。
兎に角、白黒はっきりさせない訳にはいきません。

Ⅰ-2:PSA検診
その年の10月7日同病院にて1回目のPSA検診を受けました。
血液検査でPSAのみ、費用は3割負担で1510円でした。
2週間後、結果はPSA値5.14 検査表の数字の前にしっかりとHが記されています。基準値上限以上の意味です。(単位はng/ml)
PSA値は一般に4以下は陰性、4.1~10が前立腺がんの可能性のある陽性、10.1以上は前立腺がんの可能性の高い陽性とされています。
5.14では約3割の確率で前立腺がんの疑いとされました。
担当医師は「すぐに針生検を受けるか時間を置いて改めてPSA値を計るかのどちらかだ」と言われました。
また仮にがんであっても急ぐことはないし保険の関係で3ヶ月、間を空けなければPSAの検査はできないことも告げられました。
そこで3ヵ月後に再度PSA検診を受けることにしました。
もやもやっとした気分での年越しでしたがそれほど不安感は有りませんでした。

2回目は正月飾りも取れないうちの1月5日、結果が出たのは1月19日、PSA値5.21 測定誤差の範囲かも知れませんがすでに上昇です。
その場で針生検のお願いをと言うところですが当病院ではその設備は無いと言うことで近くの都立病院に紹介状を書いて頂きました。
3割負担で2,060円
そんな中にも週末は相変わらずテニス、2月の24・25日は白川郷へ行きました。

*PSA検査とは
http://medical-checkup.info/article/50702919.html

Ⅱ生検そして告知

2009-07-17 | 日記
Ⅱ-1:三度目のPSA検診
2007年3月28日都立病院に紹介状を持って行きました。
担当医とその患者の予約順が番号が電光掲示板でに表示されています。
待合いの長椅子でなんとも言えない重い時間が過ぎます、
自分の番号が先頭になり中待合へ、「50才を過ぎたらPSA検診を」の大きなポスターが・・
看護師に呼ばれ採血の後、工事現場かイベント会場の仮設トイレのようなところで排尿。
大きな違いは真ん中に尿の勢いを測定するセンサーが有る事、そしてそれが瞬時にグラフとなって表れます。
きれいな山形の曲線を描いています。
そして診察室へ。
一通り問診の後、直腸診「特に硬いものはありません。僅かに肥大はあるようです」
55歳なら多少の肥大はしかたありません。
硬いものが無いという言葉にひょっとしたらと淡い思いが頭を掠めますがそれは無いことは解っています。
次回の予約をして終了です。

4月11日、腹部の超音波をとり先日のPSA検査結果。
PSA値7.069 更に上昇です。
当然のごとく生検の予約です。正月に続きゴールデンウイークも・・
こうなるともはやもやもやではなく確信です。
5,430円


Ⅱ-2:生検
4月27日8時47分生検の為1泊2日の入院です。
生検の前に9時からMRI。
台の上に横になりガン、ガン、ガン、ガン、ガッ、ガッ、ガッ、ガッといった音を聞きながら20分ぐらいで終了。

午後から生検について説明の後、実施。
右7本、左7本 計14本。何かゴム鉄砲の様な感じでグーッとひっぱった後バチンという軽い衝撃。局所麻酔が効いているのでそれほど痛くは無いがいやな感じ。看護師さんがやさしく手を握っていてくれるので我慢、我慢。
数えていたら1回多かったような気もしますが時間は20分ぐらい掛かったでしょうか?無事終了です。

その後トイレへ行くとトマトジュースのような赤茶色の尿がでます。事前に聞いていたので驚きはしませんでしたが始めての経験です。
2回目、3回目と尿の色は薄くなっていきました。
妻と娘が冷やかしがてら見舞いに来ました。
4月28日「しばらくは自転車などのまたがるものはやめてください。」「水分を少し多めに摂取してください。」といった注意を受けて退院。
26,680円
この時”高額療養費の支給”という制度があるのを知りました。

「テニスをするな」とは言われなかったので翌日の日曜日、そして5月の連休とテニスを楽しみました。
また、もうゴルフなどはできないかもしれないと思い3年ぶりにゴルフに、そしてこれも最後になるかと思いつつ神田祭で神輿を担がせてもらいました。(実際には最後なんて事はありませんでした)

*針生検とは
http://medical-checkup.info/article/41982280.html


Ⅱ-3:告知
5月16日 針生検の結果が出ました。
「14本のうち4本から前立腺がんあり、グリーソンスコア3+3=6、高分化腺がん」
更に骨シンチとCT検査の予約をしました。これは転移の有無を調べる検査です。
5月30日10時5分骨シンチ、13時45分CT検査でした。
24,720円
6月6日幸いなことにいずれの検査からも転移は見られませんでした。
これを受けて治療法の説明がありました。
 1)前立腺全摘出
 2)放射線療法
  a:外照射 
  b:小線源永久留置
 3)ホルモン療法
 4)待機療法
どれも一長一短があります。(それぞれの治療法に関してはがんセンターのHPなどを参照してください)
セカンドオピニオンを受けるか聞かれましたが答えは同じと思い断りました。
結論は6月27日とするも、「とりあえず全摘出でお願いしたい」旨伝え席を立ちました。
しかし会計を済ませて病院の玄関を出る時には気持ちは小線源永久留置へと傾きました。
自分の中での優先順位です。
  1 治療の確実性
  2 治療に要する時間
  3 QOL
  4 予後
  5 費用
  6 その他
まず治療成績はは全摘と放射線治療は同等と言われます。
時間は全摘手術は3週間の入院、放射線外照射は通常7週間の通院、小線源は3泊4日の入院。QOLを維持、小線源の予後はアメリカでは10年の実績があるものの当時日本では始まったばかり。5年生存率は全摘とほぼ同等、再発した場合はホルモン治療のみ。費用は高額療養費の支給を受ければどれもさほど違いはない。


*国立がんセンター がん情報サービス
http://ganjoho.jp/public/cancer/data/prostate.html

Ⅲ転院

2009-07-17 | 日記
Ⅲ-1:癌研有明病院へ

2007年6月18日 次回予約を27日としていましたが20日に変更していただくようTEL。
すでに自分の中で治療方針を小線源永久留置すなわちブラキセラピーBrachytherapyと決めたので、となれば少しでも早く治療に取り掛かりたい気持ちでした。
この日ネットで本郷美則著「前立腺癌 切らずに治した」を注文しました。

6月20日 都立病院へ。前回の説明の時は全摘と互角と言っていたがいざ小線源でと言うと全摘を薦めると言われました。しかし自分は小線源と決めていたので癌研有明に紹介状を書いて頂きプレパラートと骨シンチの写真など資料をお借りしました。

翌日、初めてスマッシュさんの掲示板、憩いの広場に投稿させていただきました。こちらの掲示板では前立腺癌の患者仲間を腺友と呼びますがスマッシュさんはじめ腺友の方達に歓迎していただきました。

*スマッシュさんのホームページ
http://www5b.biglobe.ne.jp/~t-ue/


7月4日16時の予約で2時間前の14時に来るように言われていましたがどうせ待たされると思い15分ぐらい遅刻。受付を済ませて呼出受信機をもらい採血室へ。
採血の最中に呼出受信機がなり看護師さんが少し遅れると連絡してくれました。
病院は待たされる所と思っていましたが逆に待たせることになってしまいました。
その後直ぐに診察室へ。
そこでGS(グリーソンスコア)は6から7に変わる可能性があると言われました。
ブラキセラピーの条件はGSが6までです。その時は外照射との併用になります。
少しの不安を抱きましたが担当の医師(この日から私の主治医です)に「一緒に頑張りましょう」と言われました。とてもありがたい言葉で大いに勇気付けられました。

*これは後になって感じたことですが病期の判定がどの様なものであっても自分の「がん」その物が変わる訳ではないのでむしろ悪いほうに判定されてより確実な治療を受けた方が結果的には良いと思われます。


*癌研有明病院のホームページ
http://www.jfcr.or.jp/hospital/


Ⅲ-2:プレプラン

7月12日 プレプランの日です。
プレプランとはブラキセラピーを受けるに当たっての事前の準備を兼ねた検査です。
朝、自宅で感染予防のため抗生物質クラッビット錠100mgを1錠飲んでから病院へと向かいました。

プレプランではまず仰向け(お産の時の様な格好)になり直腸に超音波のプローブ、尿道にはカテーテルが入ります。
これで前立腺の大きさを見ながらシードの数と位置を決めます。
どちらも我慢できないほどでは無いのですが何とも言えない痛みがありできることならもうやりたくないと言った感じです。(実際の治療では麻酔が効いているので解りません)
この後主治医からGSはやはり7であること、外照射1.8グレイを25回、合計45グレイを併用するとのお話がありました。
前立腺の大きさや骨盤の狭さには問題は有りませんでした。(前立腺が大きすぎるとシードの数が多くなるうえ前立腺全体に放射線が届かなくなります。また、骨盤が狭いとシードが上手く狙った位置に入りません)
シードの数は60本と決まりました。
通常は80本前後ですが外照射との併用の為、少なめです。

病期が確定しました。

  PSA値 7.42(癌研有明にて)  GS 4+3=7  病期 T1cN0M0   前立腺肥大なし

Ⅳ外照射

2009-07-17 | 日記
Ⅳ-1:治療計画

2007年8月1日 いよいよ放射線治療の開始です。
この日、はじめて放射線科を受診しました。
担当は若くてきれいな女性医師です。放射線科の診察が楽しみになりました。
診察はご挨拶と今までの泌尿器科での話の確認ですぐに終わりました。

8月3日 治療計画用CT
照射の位置決めの為、目印にへその上5-6cmと下10cmくらいの所、及び両わき腹に赤のサインペンで線が引かれました。
風呂に入ってもこすらないように言われたのですが土日(4日・5日)にテニスをした為ほとんど消えてしまいました。

8月8日 位置決め(シミュレーション)
3日のCTを元にX線撮影を行い皮膚に線を書き直します。
放射線治療の開始から終了までの予約を13時で取りました。

8月9日 照合撮影
実際の治療装置のベッドに、治療と同じ姿勢で寝ます。
放射線をあてる位置が正しいかを、確認するためのX線撮影を行いました。

Ⅳ-2:照射

8月13日 治療開始
治療装置のベッドに仰向けになりじっとしています。
1回の治療は10分程度、実際に放射線が出ているのは2~3分です。
これがこの日から土日をのぞく毎日、週5日、5週間続きます。
終了は9月14日の予定です。

午前中は店で仕事、12時に妻が作ってきた弁当を持って有明へ、治療終了後、有明大橋にクルマを停めて海を見ながら昼食、その後、そのまま配達等の仕事に・・

治療開始2週間くらいから排便時、肛門に痛みを感じ僅かに出血もありました。
しかし、これは事前に説明を受けており特に心配はしませんでした。
痔疾用の軟膏を塗って対処できる程度の軽いものでした。
もうひとつの合併症は排尿痛とまではいかないものの若干の痛みを伴う違和感がありました。
夜は明け方に1回だけですが日中のトイレに行く間隔は多少短くなりました。
合併症としては治療中に起こる比較的軽いものと2~3年後に起きる晩期合併症があります。晩期合併症の方が治療が困難と言われています。
その後1週間ほどで排便時の症状は消え排尿時の違和感もいつの間にか忘れるほどになっていました。

9月7日 中川恵一 著 「切らずに治すがん治療」を購入。

そして無事、1度も休む事なく外照射は終了しました。妻に感謝。放射線技師に感謝。受付の女性に感謝。

Ⅴブラキセラピー

2009-07-17 | 日記
Ⅴ-1:ちょっと一息
9月14日に外照射が無事終わり、10月10日のブラキセラピーの為の入院までおよそ1ヶ月治療から離れ以前と変わらぬ生活ができました。

9月22日、23日は地元の神社の祭礼でした。
癌の告知を受け、全摘手術になると思ったときは今年の神輿は諦めたものでした。
ところが丁度上手い具合に外照射とブラキセラピーの間で存分に楽しむことができました。

Ⅴ-2:ブラキセラピー
10月10日 今日から3泊4日の入院です。
この日は以前は体育の日で中学1年の時、東京オリンピックが開催された日です。
病院には10時半頃到着、今まではクルマでしたが今回初めて「ゆりかもめ」で行きました。

入院手続きの後、担当の看護師さんに病院専用のパジャマに着替えるよう言われたのですが病人と言う意識は全く無く寝ている訳でもないのでTシャツにスエットパンツでいました。
ブラキセラピーは法律で治療当日は個室と決められているのですが癌研有明病院は入院から退院まですべて個室です。
一般個室ですがテレビ、冷蔵庫、電話、トイレ、シャワールーム、応接セットと快適な部屋です。
もちろん携帯電話も個室内なら自由です。
「缶ビールでも持ってくればよかった」などと考えていたら”飲酒はご遠慮下さい”とパンフレットに書いてありました。

1日目は特別することも無くクラビット(抗生剤)を毎食後と15時に下剤を飲むだけで時間を持て余しました。
暇つぶしのメールを受け取ったお友達にはゴメンナサイ。

午後、麻酔科の医師(とても魅力的な方です)が見えて全身麻酔という話がありました。
腰椎麻酔とばかり思っていましたのでちょっとびっくりしましたが素直に同意書にサインしました。

21時以降は飲食禁止でした。

夜景がきれいでしたと言いたいところですが部屋からお台場方面は見えませんでした。

10月11日
手術当日です。

この日は朝から何も食べることはできません。(正確には前夜9時以降、絶食)
朝6時にクラッビットを1錠飲んだ後、浣腸をして待機です。

6時30分水分を400ml、9時にさらに200mlとります。こういう時に飲む水は美味しくありませんね。

実施が初めの予定、12時50分から13時20分に変更、看護師さんが12時半頃迎えに来るので弾性ストッキングをはいて待っているようにとのことです。
弾性ストッキングとは術後の静脈血栓予防の為の物で事前に病院内にあるコンビニで買い求めておきました。

看護師さんに付き添われ地下の治療室へ、入口で30分位待ちました。
治療台の上に仰向けで寝ると直ぐに麻酔用のマスクを付けられ「○○さん、眠くなりますよ」と言われ、「はい、眠くなってきました」と言おうと思ったのですが言っている途中で意識が無くなりました。

気がついたときは治療台の上で看護師さんが片付けにはいっている時で意識はまだ朦朧としていて何がどうなっているのか周りを見る余裕はありませんでした。
看護師さんに時間を聞くと「4時20分」と教えてくれました。
2時間半くらい掛かったことになります。
3~4人の看護師さんに「えい!やっ!」と言う勢いでストレッチャーに移し変えられ病室へ戻りました。

ベッドに寝かされると顔に酸素マスクをセットしチューブは頭の上にある差込口に接続、腕には点滴、尿道カテーテルにはウロバック、足にはマッサージの機械が取り付けられました。
いろいろ取り付けられたので窮屈な感じはしましたが特に痛みは感じませんでした。

その後しばらく眠りに就きました。
目が覚めてはたと思い出しました。「そうだ、今日は内藤VS亀田の試合の日だ。」
確か試合会場は病院の直ぐ近くだったはずです。直ぐ着替えて試合を見に・・
というのはいくらなんでも無理でテレビを点けると丁度、試合の最中でした。
無事?中継も終わったのでまた眠りました。

さすがにもう充分眠ったのと足を機械が定期的に揉むので時々目が覚めます。
看護師さんが何度も見回りに来てくれます。
「どう?眠れませんか?」
「いえ、よく眠れます」