偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏986仏岩(山梨)石龕

2021年07月20日 | 登山

仏岩(ほとけいわ) 石龕(せきがん)

【データ】 仏岩 868メートル▼最寄駅 JR身延線・市川本町駅▼登山口 山梨県市川三郷町市川大門の碑林公園▼石仏 、仏岩への尾根道途中、地図の赤丸印▼地図は国土地理院ホームページより

【案内】 仏像を納める厨子を龕という。これを石で造ったので石龕、この形の石造物が山梨県の市川三郷町の山間部に集中してある。その多くは道の土手を利用したもので、側面に柱になる石を二本立て、その上に屋根を乗せて室部を造る簡単な構造。『市川大門の石造物』(注)によると、四尾連湖近くの山保地区を中心に12カ所報告されている。その一つ、市川大門の碑林公園から四尾連湖に続く尾根道に訪ねた。碑林公園は中国の著名な碑を集めた公園(有料)で、ここの駐車場から登り出す。

 人が歩く道は雨水の通り道になって削られていく。碑林公園から四尾連湖への道も人がよく歩いたのだろう、尾根道ながら谷底を歩くようなところがいくつもあった。その途中の土手に石龕がある。背後の土手が削られて浮いたような感じで建っていた。高さ85センチの側面になる石を二つ立て、その上に自然石を利用した横100センチの屋根を乗せている。屋根正面に彫られた蕪懸魚(かぶらげぎょ)が、この石龕の品格を上げている。
 石龕に祀られた石仏は合掌した菩薩像。馬頭観音にしては頭上の馬頭が弱い。しかし『市川大門の石造物』にまとめられたこの石龕を含む12カ所の本尊はすべて馬頭観音としているので、ここでは馬頭観音としておく。どうしてこの地方に石龕が造られたかについて同書では、集落入口の守護や人馬の安全祈願などを指摘しているものの、それが石龕になった理由については不明である。
 この先、四尾連湖への道は富士浅間を祀る古城山、武田時代ののろし台などを経て続き、その途中に馬頭観音が2基あるが、こちらに石龕はない。
(注)『市川大門の石造物』1995年、市川大門町教育委員会



【独り言】 四尾連湖近くの集落で石龕を見たのは20年前、蛭ヶ岳の帰りでした。そのとき撮影したのが上の写真です。近萩集落(上)と清水集落(下)の石龕でした。珍しい形の石造物でしたから、印象に残りました。今回は仏岩近くの帯那峠の石龕も訪ねました。


 帯名峠は甲府へ出る峠でしたが、トンネルができた今は入口に獣除けのフェンスが張られ、峠の役目は終わったようです。峠までは舗装された緩やかの登りが続き、峠の左手の石垣の上に造られた覆い屋が石龕でした。龕内には船形光背の馬頭観音が三基。石龕には丸彫り馬頭観音一尊が基本ですから、これは他から運ばれてきたような印象です。この石龕の主はその三尊に奥に鎮座していました。やはり丸彫りでした。


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