偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏441高山中・御嶽山(群馬)

2013年04月16日 | 登山

高山中・御嶽山(おんたけさん) 御嶽山座王権現(おんたけさんざおうごんげん)

441【データ】御嶽山 420メートル▼国土地理院25000地図 藤岡(地図に山名無し。高山中の北にあるピーク)▼最寄駅 JR八高線・群馬藤岡駅▼登山口 群馬県藤岡市高山の御霊神社▼石仏 御嶽山の山頂。地図の赤丸印

4411【案内】高山には下組・中組・上組の三つの集落があり、それぞれに御嶽山を祀る山があると、地元の人に説明を受けた。今回はその一つの中組の御嶽山に登った。登山口は国土地理院地図にある高山中。地元でいう中組の集落で、普寛霊神の文字塔が立つ。普寛は秩父大滝村出身で、木曽御嶽の王滝口を開いた行者。関東一円の御嶽講はこの普4412 4413_2 寛とその弟子たちにより布教された御嶽信仰である。この道は御嶽山に直接登るコースだがあまり利用されていない。今回は地元の案内にしたがって御嶽山の東にある御霊神社から登った。群馬県の西上州一帯は、集落ごとに御嶽山を祀る山を決め、御嶽の神々を造立するのがごく普通に行われた土地柄である。この中組の御嶽山にも御嶽の神々が祀られていた。「意波羅大神」「八海山大神」「小彦名命」の文字塔と「御嶽山座王権現」の石像である。御嶽山座王権現の姿も、普寛とその弟子たちが創造したものであることはこのブログの姥穴山(群馬)で案内した。ところで御嶽の神を祀るときには、まず御嶽・八海山・三笠山の御嶽三座神かこれに意波羅山・武尊山をいれた御嶽五神の石塔を立てるのが一般的だが、この御嶽山は何か足りない構成になっていた。4414 その違和感を解消する「三笠山刀利天」の石塔が御嶽山の西の尾根に立っていた。中組の登山口へはこのあたりから下るのだろうが、道はなかった。御嶽山の信仰の道のほとんどは消えてしまっている。

【独り言】地方の山に勧請された御嶽山の信仰の道のほとんどは、消えてしまっています。それでも地元の人にはその道が見えるらしく、年に一度の祭日には道なき道を登って行きますから不思議です。木や岩や山の様子から、かつての道を思い出して登って行くのだと思います。同じ群馬県下仁田町の馬居沢の御嶽山へ登ったとき地元の人に教えられたのは、「祭をやったばかりだから足跡あるので、それを辿って行け」でした。群馬県桐生市の川内から三峰山に登る信仰の道を教えてくれた地元の人は、大きな木や岩を中心に説明してくれました。御嶽を勧請した先は小さな里山が多いため、ゴルフ場に取り込まれてしまった山もあります。その一つが埼玉県小川町の青山にある御嶽山です。かつては御嶽・八海山・三笠山の神が別々のピー4415 4416 クに祀られていましたが、ゴルフ場造成で御嶽の神の一角にまとめられてしまいました(ここの八海山と三笠山の石像は秀作です=写真=)。それでもこうして見られるだけましな方で、先に案内した群馬県桐生市の姥穴山のように、山頂にある御嶽座王権現しか見られなくなってしまった山もあります。

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