偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏471雨乞岳(山梨)

2013年09月26日 | 登山

雨乞岳(あまごいだけ) 不動三十六童子(ふどうさんじゅうろくどうじ)

4710【データ】雨乞岳 2036メートル▼国土地理院
25000地図 小淵沢、長坂上条、甲斐駒ヶ岳▼最寄駅 JR中央本線・小淵沢駅▼登山口 山梨県北杜市白州町上教来石のヴィレツヂ白州▼石仏 雨乞岳山麓の石尊神社。地図の赤丸印

4711【案内】雨乞岳はかつて雨乞の信仰があった山で、登山口には石尊神社が建つ。そして本殿に続く急な石段脇と境内に不動三十六童子が並んでいる。雨乞い・石尊・不動と続けば丹沢大山、雨乞いの山として知られ関東一円に勧請された石尊山となるのだが、この雨乞岳の石尊山神社にそのような伝承はない。創建は応永五年(1398)と社記にあり、古くからこの山に雨乞い信仰があって、この年に初めて社殿を建てたというであろう。それにしても丹沢の石尊という名は山頂にある石を信仰の対象としたことに由来すると聞くが、この雨乞山の山頂にそれらしい石はない。社名はさておき、不動三十六童子が造4712 4713 4714 立されたということは不動を祀った神社ということに違いはない。この神社に不動関係の石造物を立てたことを記した記念碑には「明治廿六年」とある。その童子は30体しか確認できなかったが、童子特有のはちきれそうな四体、とくに表情が素晴らしい。ドングリのような丸い目は純真無垢そのものである。

 三十六童子は仏の像容などを定めた儀軌に記述がないため、後世に創作された絵図をもとに石仏が造立されたらしく、幾種類かのパターンがある。雨乞山石尊神社の童子持物をみると、千葉の成田山新勝寺の『法談』第2号(昭和
35年、新勝寺法談会)に掲載されている江戸時代の仏画師・藤原要信の不動三十六童子と同じであり、絵図より動きがあり生き生きとしている。ところで雨乞岳であるが、いまは石尊神社より西の谷一つ越えた山中にあるキャンプ施設・ヴィレツヂ白州から新道が造られ、ほとんどの登山者はこの道を利用している。

【独り言】不動三十六童子尊名 石尊神社の近くにサントリーの白州工場があり、この神社の境内は同社の寄進によりきれいに整備されていました。寺社においては昔も今も強力なスポンサーが必要であることに変わりはありません。しかし三十六童子が並ぶ急な石段は、半端な補強工事などでは対処できないほど微妙な石の重なりになっていますから昔と変わりなく、石仏を見るのもまず足場を確保するのが重要です。転4715 4716 げ落ちた童子たちもあるのかもしれません。童子はそれぞれ上部に銘があります。最初に立つのが「伊醯羅童子」。ところが「伊」がなく「醯」も異体字になっていて=写真=、のっけからはぐらかされてしまいました。不動三十六童子はこのような銘の連続です。参考のために『法談』の童子名を紹介しておきます。制①迦童子の①は左「口」に右「モ」。このブログでは便宜上「吨」を使ってきました。

矜迦羅(こんがら)童子  制①迦(せいたか)童子
不動慧(ふどうゑ)童子  光網勝(こうもうしょう)童子 
無垢光(むくこう)童子  計子儞(けせに)童子 
智慧憧(ちゑどう)童子  質多羅(しつたら)童子 
召請光(せうじやうこう)童子 不思議(ふしぎ)童子 
囉多羅(らたら)童子   婆羅波羅(ばらはら)童子 
伊醯羅(いけいら)童子  師子光(ししこう)童子 
師子慧(ししゑ)童子   阿波羅底(あばらち)童子 
持堅婆(ぢけんば)童子  利車毘(りしゃび)童子 
法挾護(ほうきょうご)童子 因陀羅(いんだら)童子 
大光明(だいこうみょう)童子 
小光明(しょうこうみょう)童子 
佛守護(ぶっしゅご)童子 法守護(ほうしゅご)童子 
僧守護(そうしゅご)童子 金剛護(こんごうご)童子 
虚空護(こくうご)童子  虚空蔵(こくうぞう)童子 
寶蔵護(ほうぞうご)童子 
吉祥妙(きちじょうみょう)童子 
戒光慧(かいこうゑ)童子 妙空蔵(みょうくうぞう)童子 
普香王(ふこうおう)童子 善儞師(ぜんにし)童子 
波利迦(はりか)童子   烏婆計(うばけ)童子

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