偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏番外伊豆・鷲頭山(静岡)阿弥陀如来、白隠、唯念

2018年02月26日 | 登山

伊豆・鷲頭山(わしずさん) 阿弥陀如来(あみだにょらい)

【データ】 伊豆・鷲頭山392メートル▼最寄駅 JR東海道本線・沼津駅▼登山口 静岡県沼津市大平の御前帰集落▼石仏 鷲頭山北西中腹の岩屋、地図の赤丸印▼地図は国土地理院ホームページより

【独り言1】  阿弥陀如来 御前帰集落から鷲頭山への道を登りだすとすぐ、左手に古い石段があります。地元の人の話では、かつて阿弥陀堂があったところで、今は小さな御堂があるだけで、本尊の阿弥陀仏も盗まれてしまったそうです。鷲頭山への道をしばらく登ると大きな岩に突き当たります。〝中将岩〟と呼ばれている岩で、岩屋状になった基部に格子がはめられた覆屋があり、なかに阿弥陀如来の石仏が安置されています。側に立つ案内によると、〝中将〟は一ノ谷合戦に敗れた平家の生き残り、平清盛の五男・三位中将平重衡だそうです。
 伊豆狩野の里に軟禁されていた重衡は、権威を振っていたころの南都焼き討ちの罪を問われ、京に戻されて斬首されますが、鷲頭山中将岩の案内では軟禁先から抜け出してこの岩屋に隠れたことになっています。しかしそれもすぐにばれて山上で切腹自害。その後、浜の人たちが供養していたものを、この場所が大平分なので、文明14年(1480)から大平で祀るようになり、延宝7年(1679)に阿弥陀如来を造立して岩屋に納め、毎年4月3日の祭りを行ってきた、と案内されていました。
 その阿弥陀如来は頭部の大きな丸彫りの坐像で、六角形の二段の台座、茄子敷、蓮華座の上に坐しています。印は上品上生の弥陀の定印。背面に「延宝七天己未 三位中将」銘があると『大平の石仏・石神』(注1)に紹介されていました。 山麓の阿弥陀堂と中将岩の阿弥陀仏は関係があるのでしょうか。
(注1)『大平の石仏・石神』沼津市教育委員会、平成5年

 
【独り言2】  白隠(はくいん)、唯念(ゆいねん) 鷲頭山の北山麓をぶらぶら歩いていると珍しい石塔に出会いました。一つは白隠名号塔=上写真左=。石塔中央にシュール化した「南無」とその脇に「観世音菩薩」と大人しくまとめたこの書体の石塔が白隠名号塔です。白隠の筆跡が元になっているこの石塔は静岡県で見かけます。というのも白隠(1686~1769)の生まれは鷲頭山の少し北になる沼津市原で、禅を極めるために諸国を行脚し、沼津市原に近い三島市の龍沢寺を復興させるなど、臨済宗中興の祖と称された僧です。禅画を得意としたそうですから、名号塔の書体も絵画的であります。
 唯念(1791~1880)(注2)=上写真右=は、鷲頭山がある沼津市の北の小山町上野の山中奥の沢を拠点に念仏布教をした行者で、このブログの明神峠で案内しました。生まれは肥後の八代。若くして蝦夷や奥州で修行、40代から奥の沢を中心に念仏布教を始めます。その折に描いた書画の筆跡を石に刻んだのが唯念名号塔です。
 奥の沢がある丹沢から富士山山麓は、近世に念仏行者が盛んに布教活動をしたところで、古くは江戸時代初期の弾誓や但唱、中期には徳本や観正などが知られています。またこれらの行者の名号塔がたくさん立っている地域でもあります。
(注2)『唯念行者と唯念寺』昭和63年、小山町教育委員会


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