偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏575茶臼岳(栃木)高湯山

2015年04月03日 | 登山

茶臼岳(ちゃうすだけ)高湯山(たかゆさん)

【データ】茶臼岳 1897メートル▼最寄駅 JR東北本線・黒磯駅▼登山口 栃木県那須町湯本の湯元温泉▼石仏 登山口の温泉神社、地図の赤丸印。青丸は弥陀ヶ原▼地図は国土地理院ホームページより


【案内】かつて那須の茶臼岳には東と西から二つの信仰の道があった。東からの道が高湯山信仰、西からの道が白湯山(はくゆさん)信仰。いずれも茶臼岳を中心として一帯の谷や峰に、出羽三山を移し祀った信仰だった。高湯山の登山口は湯本、白湯山の登山口は三斗小屋。三斗小屋からの白湯山行人道は先に案内した(参照)ので、今回は湯本からの高湯山行人道を案内する。



 昔の高湯山行人道は、いま温泉神社があるところから始まった。明治の初めまでここにあった月山寺が支配していた道である。その名残は温泉神社境内に残る「高湯山」銘の石塔や、殺生石への道にある「月山寺」銘のある石碑などにみることができる。しかしこの道今はないので、これまでの調査と中村敬氏の『那須』(注)から概要を案内する。
 まず温泉神社境内にある愛宕神社から高雄温泉へ登る。高雄温泉は高湯山行人が垢離をとったところで、お行の湯とも呼んだという。行人道は昔この道で亡くなったと伝えられる人の名からとった與五衛門へ向かう。弁天・大丸温泉への分岐にある石段が與五衛門。ここから尾根に登り、不動岩を目指す。不動岩は茶臼岳の中腹を取り囲む絶壁の一つ。小さな沢がくい込むところに道が開かれて一ノ城戸と呼び、不動明王が祀られている。この上は茶臼岳を正面に見る広い台地の弥陀ヶ原となる。その中央には阿弥陀如来を含む多くの石仏が並ぶ一角がある。行人道はさらに不動沢をつめるように茶臼岳へと続き、峰の茶屋からの道と合流して山頂に着く。
【参照】茶臼岳の姥神
【注】中村敬著『那須』昭和11年、大村書店



【独り言1】弥陀ヶ原の石仏群を見たのは45年前の冬でした。この広い台地をさまよっているときに、雪のなかに頭を出した石仏たちに出会ったのはたまたまでした。その場所は登山道から不動岩方面にだいぶ離れたところで、数年後の夏に出かけたときには、探し出すのに苦労した記憶がありまます。温泉神社からかつての高湯山道を登ろうとしたこともありましたが、與五衛門の石段が見つからないまま断念したこともありました。それでは上から下ってみようと、弥陀ヶ原から不動岩を降りてみたことも。しかし一ノ城戸にあるという不動明王は見つからず、笹に覆われた尾根を與五衛門へ向かって下りましたが、與五衛門の石段もわからないままです。それと前後して白湯山道も探したりして、那須にはよく出かけました。上写真は弥陀ヶ原の石仏。

【独り言2】この3月末に那須山麓の石仏を見る機会があり、那須町や那須塩原市の馬頭観音を案内していただきました。天気がよく、久々に雪をいだいた茶臼岳も見ることができました。その姿は雄大で、山麓の人々が信仰の山として仰ぎ見たであろうことは、容易に想像できました。



 案内していただいた石仏のなかに、那須町寺子で「高湯山大権現」=写真上=を、那須塩原市本郷町で「白湯山供養塔」=写真下=を見ました。那須町寺子の案内には「高湯山信仰は、講をつくって湯本口から登り、月山(茶臼岳)、毘沙門(朝日岳)、御宝前(温泉湧出地)の三山(茶臼岳を山形の出羽三山の月山と見立てる)を巡拝し。五穀豊穣、家内安全を祈願するものです。三斗小屋口から同じ礼所を巡拝することを白湯山信仰といいます」とありました。那須塩原本郷町の白湯山供養塔は道標も兼ね、「右奥州街道、左三斗□□」の銘がありました。白湯山の登山口は会津街道の裏街道だった三斗小屋ですから、白湯山信仰とその供養塔は会津の方に多いのですが、東山麓にもあるようです。








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