嵯峨山(さがやま) 富士嶽神社(ふじだけじんじゃ)
【データ】嵯峨山 315メートル▼国土地理院25000地図 金束(地図に山名なし。小保田の北、313.5の三角点)▼最寄駅 JR内房線・保田駅▼登山口 千葉県鋸南町小保田の下貫沢集落▼石仏 嵯峨山の西の通称水仙ピーク(地図の赤丸)
【案内】外房の鴨川と内房の鋸南町を結ぶ長狭街道ぞいの山間部には水仙畑が多い。嵯峨山一帯もそのひとつで、「富士嶽神社」の石塔があるピークは水仙ピークと呼ばれているらしい。登山口は小保田から北にしばらく入った下貫沢集落で、駐車場と簡易トイレが設けられている。「富士嶽神社」は富士浅間神社を祀ったもので、塔の上部に笠印に水 の文字がある。これは講紋で、山水(やまみず)講という富士信仰の組織が立てたものである。沖本博氏の「富士講紋について」(『房総の石仏』第4号。房総石造文化財研究会)によると、講紋は「富士登山に出かけてゆく中で、同行の人々を見失わないため、その菅笠に墨で目印を付けたもの」が始まりという。山水講の講元は木更津市貝淵にあり、穐行日穂が立てた富士信仰の組織で、安房をはじめ千葉県全域に広く分布していたという。また同書によると、安房ではほかにも江戸の修山禅行(包市郎兵衛)が立てた山包講、同じ江戸の山口三佐衛門が講祖の山三講などの富士講が進出していたことを明らかにしている。水仙ピークの「富士嶽神社」石塔の高さは90センチ。だいぶ風化がすすんでいた。安房の山には富士山関係の神を祀った石塔が多く、このブログ295では津森山の木花開耶姫命を案内している。水仙ピークから嵯峨山は近い。こちらには釜台集落を向いて金平社の石祠が祀られていた。
【独り言】房総の山間部に点在する水仙畑は12月から1月にかけてが見ごろです。嵯峨山一帯も水仙畑がひろがっていました。水仙ピークもかつては水仙畑だったようですが、いまは放置されている感じで、雑木林のなかに水仙がまばらに残っているだ けの、名前負けしている状況です=写真左=。水仙畑の多くは手入れされ、出荷される花畑ですから、放置されると藪が増えて花は少なくなるようです。その反面、山間部に突然ひらける出荷や観光のための手入れされた水仙畑はどこもすばらしく、なかでも嵯峨山の東になる富津市の田島集落の山中にひろがる水仙=写真右=や、鋸南町の人骨山の北面にある水仙畑は見事でした。その人骨山の山麓で老人から聞いた話では、水仙の栽培は3代前ごろからということでしたから江戸時代末期でしょうか。鋸南町の案内によると、安房の水仙は江戸時代の安政のころ(1854~60)から、海路で江戸に運ばれていたそうです。