偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏898小沢又・富士山(千葉)浅間石祠

2020年02月21日 | 登山

小沢又・富士山(ふじやま) 浅間石祠(せんげんせきし)

【データ】 小沢又・富士山 240メートル。国土地理地図に山名無し。小沢又集落の東の小ピーク、地図の赤丸印。青丸は二十三夜山▼最寄駅 いすみ鉄道・養老渓谷駅▼登山口 千葉県大多喜町小沢又▼石仏 富士山山頂、地図の赤丸印▼地図は国土地理院ホームページより

【案内】 小沢又集落の富士山山頂に富士浅間の石祠があると内田栄一氏『房総山岳志』(注)にあり、「バス停脇から東に入る」という案内に従って登ってみた。房総の山は小さな山が多く、知られた山以外は案内もなく登山口がわかりづらい。そのような状況で、内田氏の案内は適格でわかりやすい。
 いったん沢に下ってトンネルの上から登り出すと、尾根にかすかな踏み跡が続いて石祠がある山頂に出る。台座も入れると120センチにもなる大きな石祠が、富士山がある西を向いて鎮座している。房総の浅間石祠には富士信仰の組織を表す講印が入っていることが多いが、ここの石祠にそれはなく、銘もない。少し離れて壊れた手水鉢がある。房総の山には神と一緒に手水鉢が残るところも多い。
 内田氏は、『大日本国誌・上総』「二王山」の項に、「富士山・山頂祠ヲ置キ駿河ノ富士ヲ遥拝スルノ処」とあること、さらに登山口に「富士下」の小字があることなどから、この石祠を浅間としている。二王山は近くにある仁王山と思われる。仁王山は、このブログの629仁王山(千葉)の青面金剛で案内した。
(注)内田栄一著『房総山岳志』平成17年、崙書房出版



【独り言1】 川廻し 富士山の登山口にある農家の親父の話では、川に出たらトンネルの上に道があると教えられました。『房総山岳志』には、「沢筋に下りると上手の川トンネルの右に登山口がある」と案内されています。川とトンネルがどういう関係なのか解せないまま沢に下りたらその関係は氷解しました。トンネルは川廻しだったのです。〝川廻しのトンネル〟とあればすぐ理解できたのですが、川廻しを知らない人はさらに混乱するので入れなかったのでしょう。
 川廻しは蛇行して流れる川をトンネルや切通で直線につなぎ、残った川床を田んぼなど農地にする工法で、房総によく見られる光景です。その最たるものとして富士山がある養老渓谷には、弘文洞という名所がありました。弘文洞はだいぶ前に崩落してしまいましたが、房総の山中には川廻しのトンネルがまだまだ残っているようです。


【独り言2】 二十三夜山 『房総山岳志』は山中の石造物を案内しているのも特徴です。富士山の南のピークは二十三夜山といい、山頂に二十三夜の石祠があるというので、こちらも登ってみました。確かに石祠がありました。残念ながらこちらにも銘はありませんでした。二十三夜は月の出を待つ月待信仰の一つでした。二十三夜の月の出は夜中の1時すぎ。それまでこの山頂で二十三夜の本尊(勢至菩薩)を拝み、飲食・歓談したのでしょうか。


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